<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

目にて懺悔す

2018年10月01日 08時14分45秒 | Weblog

昼寝するベターハーフの老いの目に目にて懺悔す 一生分の      薬王華蔵

この老爺は我が儘者である。頑迷である。固陋である。煮ても焼いても食えそうもない。代物(しろもの)安物壊れ物。そいつにはしかし、ベターハーフがいる。付き添って暮らしている。今日は昼寝をしている。日々の暮らしに疲れているのだろう。そっとしておく。妻は老いている。顔中が皺になっている。皺の奥に目がある。苦労を掛けたなと思う。懺悔する。口には出さない。目で懺悔をするだけだ。それも一生分の。そんな謝り方では、埋め合わせにはなるまいが。ベターハーフとはよりよき半分という意味合いである。わたしよりももう少しいい生き方をさせてやらねばならぬはずである。それでまたすまなくなる。悲しくもなる。

これも落選をした。だらしないことだ。

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するとすぐ浜に出る

2018年10月01日 08時07分55秒 | Weblog

路地裏の魚臭を吹いて浜に出て風は初めて声を太くす     薬王華蔵

此処は港町である。それも路地裏。古い家並みが立て込んでいる。漁具が散らばっている。魚臭が鼻を突く。猫どもがうろうろして天下を取っている。そこを抜ける。するとすぐ浜に出る。これまで息を潜めたようにしていた風が此処へ来てやっと大声になった。フヒューと吹き抜けて行く。そこの動きを捉えて作品にしてみた、というわけ。これも落選歌。

短歌というのは短命だ。生まれてもすぐに消えて行く。哀しかろう。

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ふうと吐息を洩らした

2018年10月01日 07時55分50秒 | Weblog

息継ぎをしたる鯨の一頭に従うは妻か やはり息継ぐ      薬王華蔵

(これも落選した歌。ごめんなさい)(日の目を見せてやりたくて、ここへ引っ張り出して来た次第です)

鯨はテレビの画面で見た。二頭だったので、勝手に相思相愛のカップルに違いないと思った。大きい一頭が波の上に出て息継ぎをした。多分オスだろう。次いでやや小さい方がそっくり同じ動作をした。同じ動作をするということが、即、愛の証。ま、そんなふうに直感して、ふうと吐息を洩らした。洩らしたのは作者の方である。

作者と作者の連れ合いにはそういう<そっくり同じ動作>というのが見かけられないでいるからだろう。これは余談。話の本筋はあくまで鯨の二頭。鯨というのは大きい体をしているものだ。大海原を二頭が泳いで行く。カップルで地球を半周したりもする。

 


 

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だからどうなんだ? その回答は?

2018年10月01日 07時11分27秒 | Weblog

朝ご飯は、白餅の小餅3個入りの、味噌汁だった。もちろん、間引きした間引き菜(それはやわらかい白菜の幼い菜)がたっぷりで、小餅はその青菜に全身が纏われていた。箸に引っかけて、引き延ばし引き延ばしして、啜るように呑み込んだ。満足した。食後のデザートはヨーグルト。これにはオレンジの切片が含まれていた。

だからどうなんだ? どうなんだの解答はない。なくてはいけないのか? ないならないでいい。小理屈の屁理屈だったら、ない方がいい。

朝ご飯が食べられた。こうやって老爺が老爺をして生きている。にこりとしている。大きな息をついている。それをズームして千倍に拡大して見てみる。これでわが視野視界には、ほかの何者も何物も侵入して来られないぞ!

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屈辱が見事に撥ね返されている!

2018年10月01日 07時05分54秒 | Weblog

いやあ、寒い。寒い寒い。薄い秋の布団を3枚も重ねて、それでも寒かった。

今日から10月だ。10月というのはこんなにも寒かったのか。台風24号が通過して、今朝はからりと晴れている。広がった空の、安堵の色がいい。

吹き倒されて地面に這わされた格好の秋野菜類が起き上がっている! お見事! 拍手を送ってやる。屈辱が見事に撥ね返されている。

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蒔いた種がやっとやっと発芽した 詩が初入選した

2018年10月01日 06時43分48秒 | Weblog

こういうこともあるんだ。嬉しい。半年ずっと待っていた。今朝の西日本新聞。読者文芸の詩壇に我が名があった。作品名は「双頭の龍」。

詩壇は月に一度、一作品のみが入選して掲載される。投稿し始めて半年間は落選、落選、落選だった。わずかに一回だけ、7月期の佳作の1位に、我が名が載っていただけだった。作品はなかった。腐らないで投稿を続けた。秋になった。蒔いた種がやっとやっと発芽した。青々としていた。朝の風に戦いでいた。

人には足が2本ある。1本だったら? とても歩き続けては行けなかっただろう。でも、代わる代わる大地を踏みしめて行けるように2本が具備されていた。そういうことを書いた。わたしにはこれは発見だったのだ。

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