<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

退屈の虫が蠢きだしてきた

2018年10月05日 14時07分41秒 | Weblog

小雨が降っていたのだが今は止んでいるようだ。日射しが降り注いでいる。縁側に来て、網戸にして風を招き入れながら、寝椅子に転がって、時代小説の読書をしていた。するうち眠ってしまっていた。気持ちよくスウスウスウと。薄いカーテンを引いて日射しを遮っていたら、暑い。

さあて、退屈の虫が蠢きだしてきた。一日留守番しているとこうなる。チョイとドライブでもしてこようかな。といっても行く宛はないけれど。留まって畑の白菜の間引きをしてもよさそうだ。随分と生育してきた。明朝の味噌汁の具にはなりそうだ。

台風は接近しているはずだが、その影響は感じられない。このまま、温和しく行き過ぎてくれたらいいのだが。

いい詩を書きたくてうずうずしているのだが、掛け声だけで終わっている。いつになったらそのいい詩とやらが書けるのやら。するうち、何をしないままに死んで行ってしまうのかもしれないな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来なくなったちんどん屋さん

2018年10月05日 09時39分59秒 | Weblog

来なくなったちんどん屋さん 秋の日の祭の鉦(かね)はふざけたりせず     薬王華蔵

僕が小さい頃には祭にはちんどん屋さんが来ていた。ちんどん屋さんの帽子を被ってちんどん屋さんの衣装を着て鉦を鳴らしたり太鼓を叩いたりした。それが祭を愉快にしてくれた。いまはちんどん屋さんがいなくなった。ふざけてくれる人がいなくなった。祭がしずしずと過ぎて行く。秋の日だけがぽっかりしている。

これは落選していた作品。絵にならなかったんだろうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もつれ合う蝶と蝶とが落ちて来てまたもつれ合う萩の下径

2018年10月05日 08時56分11秒 | Weblog

もつれ合ふ蝶と蝶とが落ちて来てまたもつれ合ふ萩の下径    薬王華蔵

これは新聞投稿歌。二人の選者が拾って下さった。入選の歌。ただし、入賞はしていない。

短歌は絵になる。そういうところがある。文字で絵が描ける。風景が彷彿として来ればいいはずだ。そこを目指す。

萩が咲いている山道。そこに白い花赤い花がこぼれてもいる。さっきまで大空でもつれ合うようにして飛び回っていた蝶と蝶。合体を果たしたのだろう、どさりと落ちて来た。山道でまたひとしきりもつれ合っている。秋風がすういと吹いて過ぎる。赤い花と白い花と黄色い蝶が起き上がる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月の投稿詩「雷鳴そして落雷」

2018年10月05日 08時41分44秒 | Weblog

「雷鳴そして落雷」        薬王華蔵

はっきりと
もっとはっきりと
生きていたい
空が唸る
そうするのための雷鳴
そして落雷

それではっきりしたのか
猿田彦神社の高い石段に
しばらく雨が叩き付ける
風が獅子のように吠える

はっきりと
もっとはっきりと
生きていたいのは
空だけではない
青年が走り出して行った
雷鳴 そして落雷

神殿までの高い石段を
青年は裸足で駈け上がる
強く雨が叩き付ける
風が獅子のように吠える

天地を震動させる雷鳴
そしてまた落雷

詩は難しい。でも、書く。書いている。書くともやもやが少しだけ解消するから。何かを手探りしたい。何かを手にしたい。手にしたところでそれが何かの役に立つなどということはないのだが、それでも。それでもに縋る。

生きていることを確かめていたくなる。それをはっきりとさせていたくなるときがある。そうしうときにどうするか。青年は裸足で高い石段を駈け上がっていく。大空は雷鳴と落雷に訴えかける。

生きているのか死んでいるのか分からないような、曖昧とした自分への抵抗手段だ、これは。

これもまた落選をした。今日が発表日だった。がっかりだが、腐るまい。また新しく書こう、新しい気分を起こそう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月の投稿詩 「秋風」

2018年10月05日 08時33分27秒 | Weblog

 「秋風」         薬王華蔵

好きだということは
どういうことだ
山を降りて来た秋風が
リボンの付いた帽子を
ころがして行く

好きだということは
その人のために
何かをするということか

走って行って
ころがった帽子を
手に拾うということか

そんなことをしないでも
好きだということは
動かないはずだ

あの人の長い髪が
あの人であろうとして
風を誘って流れる

好きだということは
どういうことなんだ
光のサッカーボールを
蹴りながら青年は考える

これは新聞の読者文芸欄に投稿をしていて、落選をしていた作品。

棄ててしまったら作品がすすり泣きをしそうなので、泣き声を聞くのはイヤなので、ここに拾って載せてみました。これで1mg浮かばれるでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日を生きよう

2018年10月05日 03時40分00秒 | Weblog

目が覚めてしまった。今真夜中の3時40分。雨の音がしている。強い雨ではなさそうだ。廊下の端っこのトイレまでヨタヨタヨタと歩いて行く。するうちにはっきりと覚醒する。ああ、生きているんだなと思う。嬉しがる。今日を生きよう。

2018年10月5日、金曜日になっている。新聞配達のバイクの音が聞こえてきた。Yahoo!で各種ニュースサイトを開いて読む。世界の動きに触れる。政治や経済の動向も覗う。ふむふむふむふむする。インドネシア地震の惨禍が痛ましい。台風25号の進路が気になる。中心気圧がやや弱まっているようだ。

このよぼよぼ老爺の描く「よい日よい一日よい暮らし」を指でなぞってみる。よい詩を書いてみたくなる。甘い夢にとっぷり浸かっていたくなる。甘党のよぼよぼ老爺。

雨の音が強まってきたようだ。ひとしきりしてややおさまる。風の音はしていない。だったら畑の秋野菜たちがよろこんでいるだろう。太鼓叩いて鐘鳴らしてよろこんでいる様を、ちらりちらり思い描いてほくそ笑む。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする