とうとう雨。本降り。本降りになる前の小雨の中、決然として、農作業をした。しばらくだったけど。九条葱を収穫した。立派に育ったのもあったが、そうでないのもあった。そうでないのは我が家で食べる。揃えて、外の洗い場で土を落とし、丁寧に洗った。ほかには黄金菜を抜いた。柔らかそうにしているが、どうだろう。食べてみなければ分からない。このところ気温が上昇しているので薹が立ち始めているようだ。作業着が雨に濡れてしまった。でも、気晴らしにはなった。
金も尽きた。暮れからお正月は籠もることにする。家の中で過ごせば、金がなくとも過ごせる。客が来る予定もない。お正月だからといってご馳走を食べることもない。いつも通りでいい。着るものを新しくすることもない。別段欲しい物もない。お天気がよければ近くをサイクリングでもしてみようか。この頃ずっと自転車に乗っていない。
さあ、これから外に出るぞ。雨も持ちこたえている。スコップを使って九条葱を掘り起こす。今年はうまく育たなかった。そのうちでも育ったものから掘り起こす。午後から親戚縁者宅へ回る。その時の土産とする。九条葱と大根と干し柿を持参して行く。干し柿はお昼ご飯の後のデザートに食べてみたが、もう出来上がっていた。甘くておいしかった。
手は救いの手である。千手観音の千本の手はみな救いの手である。手には眼が開いているので、千手千眼観世音菩薩とも名づけられている。手は道具を掴んでいる。衆生はさまざまだ。頼って来る者もいるが逃げて行く者もいる。仏教の教えを信じる者もいるが、非難する者もいる。病む者もいる。欲望が強すぎて苦悩している者もいる。深い煩悩に沈んで仏が見えなくなっている者もいる。殺人を犯した者もいる。悪業の限りを尽くさないと死ねない者もいる。仏に救いを求めてくる者もいる。さまざまだ。その誰をも救うというのは観世音菩薩の悲願である。救済に使う道具もだからさまざまでなければならない。その救済道具を千本の手に握っておられる。目を開けて衆生を見ておられる。
常栄寺の本尊千手千眼観世音菩薩座像のお顔は金色で大慈大悲を溢れさせていた。奈良時代の作だろうか。平安時代の作だろうか。案内してくれる人はなく、確かめられなかった。金堂の傍らには修行のための大きな大きな座禅堂があった。
わたしを救おうとする手があった。その手に救われて来たことを思った。いままでその手にどれだけ救われて来たことか。ご縁がなかったなどと嘯いてはならない。観音に救われたことなどはなかったなどと横柄を構えてはいけない。色即是空である。形があったりなかったりするのだ、ここは。目にそれと見えたり見えなかったりもするのだ。我が眼に見えなかったからといって、救済が我を外れていたなどと思うことはない。すべて仏のお慈悲の中を生きているのである。それを己に感じさせてくれる縁(よすが)となっておられるのが仏像である。
山口市宮野下に常栄寺がある。臨済宗のお寺である。ここは雪舟庭でも有名である。時の藩主であった大内政弘が雪舟に命じて築庭させた。1455年、母の菩提を弔うために寺とした。寺の名を母の院号に因んで妙喜寺とした。本尊は選手千眼観世音菩薩である。庭が金堂の南と北に築庭されている。その後、毛利氏の寺であった常栄寺を合併させた。1926年(大正15年)国の史跡名勝に指定された。今度の北に位置する雪舟庭は約30アール(約9000坪)の広さ。三方を山林に囲まれている。池泉回遊式庭園。今度の南に南溟庭がある。京都竜安寺の石庭を思わせる庭である。これはこの寺の第20世安田天山老師が古典造園の大家だった重森三玲に命じて造らせたもので、石と苔と砂が配置されてそこに大きな海のうねりを思わせる大波の波紋が描かれている。雪舟が海を越えて中国に渡った故事を彷彿とさせる風景である。
僕はここに長い時間留まった。今度の中央部に祀られた本尊千手千眼観世音菩薩の古仏にすっかり魅了された。すぐ近くまで寄っていって拝観した。見れば見るほど魅了された。大悲に掴まれて離れられなくなるほどだった。日射しが金堂の中間で射していた。堂の南に堂の横幅と同じ長さの南溟庭が広がっていた。ここの回廊に座して禅を組んだ。冬の日射しに包まれてここでも容易には立ち去り難くなってしまった。どれほどの時間を此処で過ごしたか分からない。その後、雪舟庭の回りの小径も山林の中まで歩いてみたが、ここはあっさり散策した程度だった。観光客が入れ替わり立ち替わりした。また是非訪れてみたい。茶席が用意されていたが、古仏と石庭に圧倒されていて、それどころではなかった。
雨が降り出しそうな空模様だが、降らずにじっと我慢をしている。泣き出すまいと努めている幼児のように。でもいずれ泣き出すだろう。薄く張られた天の帳(とばり)が破れて来そうだ。いかにも頼りない。
僕は相変わらず炬燵の中に足を伸ばして、ぐうたらをしている。いつもの如くクラシックのピアノ曲を聴きながら。まだ寝間着のまんまだ。ほんにほんに。だらしがない。
家内は一輪車を引いて農園に行って野菜を収穫している。雨が降り出す前にやり終わりたいらしい。白菜、大根、ブロッコリ-、人参の類いだ。東京にいる娘のところへ送るつもりのようだ。重たい分、郵送代がうんとかかるのに。東京で買った方が安いに決まっているが、親の愛情を発露させたいのだろう。当地の小城羊羹も孫たちにせがまれてこれから買いに行って来るらしい。
不動明王は怒(いか)っている。怠けてはいかんぞと目を剥いている。正しいことをせよと鞭を打っている。逃げるな退くな、修行に専念せよと叱咤している。父の役割だ。倒れていないで立て、立って歩けと命じている。自己を鍛錬、向上させてから極楽へ行けと筋道を立て、戒めている。さぶろうはどれもしていない。戒にも律にも反している。だから、さぶろうはまともに不動明王を直視できない。生来、怠けることが大好きだ。正しいことからも遠離ったままだ。逃げる。後ろへ下がる。立ち上がらない。目的地へ進まない。そうしておいて、最後の極楽地点へは連れて行って欲しいとねだっている。ねだり屋さぶろう。甘ったれさぶろう。それが通るわけがないよなあ。
自己鍛錬をしていない。だから厳しさというものがない。その逆その逆で、自己不鍛錬の放蕩三昧だった。生涯、形が崩れた豆腐だった。崩れた豆腐には威厳がなかった。自己尊厳もなかった。仏陀や菩薩、明王、諸天に会えば、抱き取ってもらう。甘える。これじゃ、やはり悟道、得度、開眼はできないはずだった。自力宗は修行を重んじる。自己鍛錬を重んじる。自分の足で高い山をよじ登る。他力宗は船を用意してもらって船で大海を渡ろうとする。乗っていれば極楽に到着する。我が足腰の鍛錬には成らない。そういうところもある。ともかくさぶろうは怠け者。真剣勝負をしない。勝負を初めっから捨てて掛かっている。だらしない。剣を取って勝負に出ない。勝負に出られるほどのたくましさは育っていない。仏に遭えば仏を殺せ、妄想の仏を殺せ。それができなかった。妄想の仏を軽々しく登場させてこの仏に肩車をしてもらった。生涯、だらしないさぶろうであった。
そんなことはどうでもいいことだった、などということがあるのだろうか。霊界へ行けば価値基準というものもがらりと変わるだろうか。やっぱりこの世の尺度が支配しているだろうか。それともそういう尺度などもう使わずに済むところだろうか。僕は偉くならなかった。自慢に出来ることも成し遂げなかった。生涯怠け者で通した。これはこれで僕は気にしている。悔いている。霊界に来て父に会ったところで、自慢にする話はできないだろう。もしももしも、しかし、霊界ではそういうことを気にしなくていいのなら、どんなにか清々しいか。尊敬に値しない人間だろうと値する人間だろうとまるでお構いなしで通せるところなのだろうか。卑屈になることなんかなんにもないところであってほしいなあ。あれこれあれこれコンプレックスを抱いている僕でも、そのコンプレックスをさらりと脱ぎ捨てていいところかもしれない。
死んだ弟は早速父と遊んでいるだろう。霊界というところでは、年齢は自由に自分で決め居ていいところだろうか。だったら、弟は何歳の父を選んでいるだろう。甘えていられたのは小さい頃だったはずだから、若い父を選んでいるかもしれない。それとも信服していたから、老いた父と向き合っているかもしれない。末っ子だったら弟はいつまでも母の膝の上に来て猫を演じていたから、案外、優しいばっかりの母の、あたたかい膝の上にいるのかも知れない。霊界という処には歳月というものがあるのだろうか。歳は取らないのだろうか。好きな年齢をして過ごしていられるのだろうか。僕は、だったら、どうしよう。とうとう出世をしなかったから、そういうこととは無関係でいられたあどけないばかりの幼児期を選んでしまうかもしれない。