<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

すべてがなされたことを感謝します

2016年12月14日 21時16分38秒 | Weblog

全てが為されたことを感謝します。いいことも悪いこともすべてがなされたことを感謝します。今日までの日々がすべて終わりました。

わたしをすべての軸とされたこと、わたしが軸にあってその役割を果たし得たことを感謝します。夕べの風が穏やかに木々と空を吹き渡っています。

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なんだかいいことが起こりそうだ

2016年12月14日 18時46分47秒 | Weblog

「なんだかいいことが起こりそうだ」というこの予感を日夜楽しむ。起きていても寝ていても楽しむ。それっぽちであるが、それでも浮き浮き浮かれる。そこに取っ掛かりができる、いつのまにか。不思議な「いつのまにか」にこんにちはができるって、いいぞう。「なんだかいいことが起こりそうだ」は、その「なんだか」が楽しいのである。

 

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自己治癒能力は他者治癒能力へ行き着く

2016年12月14日 18時41分13秒 | Weblog

「自己治癒の力がそのまま他者治癒の力となる」

「自己尊重がそのまま他者尊重になる」

さぶろうの日記を読み返していたら上記の表現があった。張り切っているときの日記だった。

 

 

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恐い顔はしていなかったんだな

2016年12月14日 17時06分17秒 | Weblog

咲き誇っていた山茶花の花が盛りを過ぎた。はらはらはらと風に散って、小径を花片で埋めている。可成りの範囲に亘る。そこが一面ピンクの絨毯になって、あっと声が出てしまう。わが庭が静かで美しいお伽の国の、舞台になっているのである。舞台の俳優はいるか。鼬(いたち)が飛び出してきて、一旦立ち止まり、こちらを振り向いて、舞台を下りて行った。鼬は狸色。足が短くて胴が長い。小型の動物だ。わたしと眼があった。お茶目さんで、愛嬌たっぷりだった。そこで素早くわたしが流し目を送ったことは、もちろんで言うまでもない。ふふ、この醜悪の老爺が恐くなかったと見える。そうか、恐しい顔はしていなかったんだ。鼬にはそう見えたのだ。

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退屈にも飽いた

2016年12月14日 15時02分23秒 | Weblog

さ。もういい加減にしよう。家の中に煙のように燻っているのは。退屈に飽いた。外の天候は、でも変わらない。相変わらず。叱られた幼女のようにしょんぼりしている。風は収まった。吹いていない。寒いのでクシャミが連続する。けれど、抵抗を企てよう。外へ出る、ともかく。傘を片手に畑を見て回るのでもいい。車でドライブをしてもいい。何処まで? それは決めていないけど。買いたいものはない。売れるものもない。読書にも飽いた。退屈にも飽いた。音楽鑑賞にも飽いた。外へ出て、思いっきり新鮮な空気を吸うだけでもいいじゃないか。

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悪の誘惑から逃れていられる山里

2016年12月14日 14時08分08秒 | Weblog

一日ずっと日が射さない。空が眉を顰めている。木を枯らそうとしてではあるまいが、そういう意図を感じさせてしまうような冷たい風が吹いている。小雨も交じる。落ち葉がからからと音を立てて小径を走って行く。ジョービタキが何度もさぶろうを覗きに来る。ほんの近くまで。そして部屋の中を覗う。ぴょこぴょこと身体を震わせる。リズミカルに。雀よりももう少し大きそうだ。僕は朝からクラシックの音楽を聞いている。ピアノ曲ばかり集めたクラシック全集を。こうしているといい気持ちだ。あたたかい炬燵から離れられない。この山里を尋ねて来る人は誰もいない。さぶろうも出掛けて行かない。その分、悪の誘惑を逃れていられる。

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もりもり盛り上がるものがある

2016年12月14日 13時45分06秒 | Weblog

もりもり盛り上がる雲へ歩む     種田山頭火

夏だろう。雲はむくむくした入道雲だろう。白い巨大なラグビーボールが縦に立ち上がって膨張している。向こうには青い山が連なっている。そこへ向かって歩く。暑い。汗が流れる。山頭火も雲に負けないくらいの熱量を己の中に認めている。歩くよりは走って行きたいほどの衝動に駆られている。久しぶりだ、エネルギーがこんなに己の中心から溢れて来るとは。どうしてそうなったのかは分からない。でも、清々しい。今夜の宿へは予定よりずっと早く着けるかも知れない。首からぶら下げている鉄鉢(てっぱつ)が急ぎ足を受けてからんからんと音を立てる。風が渡って来てひんやり。

もりもり盛り上がるもの。これを見ている。これを己の中にも感じている。力が湧いて来るとき、そういうときがさぶろうにもある。

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餅を搗く日は12月30日で決まり

2016年12月14日 11時43分20秒 | Weblog

「忙(いそが)しい」と「忙(せわ)しい」は同じかしらん? どっちも多忙ということなのかしらん? 「忙(せわ)しい」の方が感情がこもっていそうな気もするが、果たしてどうか? 12月の年末は気持ちが急く。なんだか慌ただしい。なんにもしていない仕事なしのくせに。隠遁者の老爺のくせに。いっぱし世間並みの師走にいるように装って、あげつらう。足音ばたばたして掃除をしているのでもない。ごろんとして窓の外を見ているきりなのに。木を枯らす木枯らしが吹く。やたら吹き散らす。葉が落ちてしまうまで強引に吹いて吹きまくる師走の風。そこを山から里へ鵯が突進して来る。餅搗きの日をいつにしたらよかろうかと昨夜家族で話し合った。12月30日がよかろうということになった。我が家は家で餅を搗く。捏ねる。まるめる。もちろん電気餅つき器の世話になるのだが。

 

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