<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

因の位と果の位

2016年12月20日 04時27分24秒 | Weblog

菩薩は願いを持っています。仏に成ろうという願いです。仏に成らなければ、煩悩の己を断ち切れません。己にかかずらっているばかりでは、そこにたとえば苦悩する人がいたとしても、近くに寄って人を救うことはかなわないと自覚をしています。願いが実現するようにさまざまに修行をして己を高めます。法蔵菩薩は世自在王仏(せじざいおうぶつ)という師仏を仰がれました。仏に成ろうとして師仏を仰ぎ誓願を建て修行をしているときを「因の位のとき」と申します。仏に成ろうと誓願を建てている方はみな菩薩さまです。ですから、たくさんいらっしゃいます。師仏を仰いでいらっしゃいます。手ほどきを受けていらっしゃいます。ここに長い長いときを過ごされます。いわば見習い期間です。そしてとうとう師仏から受記を頂き、とうとう仏に成ったという認可をもらいます。誓願が結果したときのことを「果の位のとき」と申します。法蔵菩薩は阿弥陀仏に成られました。果の位に入ったら、人を導き人を救うという実行実践をなさいます。実行実践が伴わないと「果の位のとき」とは申せません。だから誓願成就ということは実行実践ということでもあります。行動を起こしてくださっています。「さぶろうを助ける」という行動を起こしてくださっています。苦悩するさぶろうが阿弥陀仏の相手方です。苦悩するさぶろうのところへ阿弥陀仏が届いて来られています。さぶろうが救われ助けられるのはもう間違いのないことです。阿弥陀仏は「果の位のとき」に就任しておられる方だからです。それを思ってさぶろうは涙になります。さぶろうを無縁衆生としてはおられないということが嬉しいのです。さぶろうが次に「因の位のとき」に就くようにしきりに誘(いざな)われ導かれています。因の位のとき、誓願のとき、修行のときが一番短い方でも億千万年もの長い期間続きます。

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脂汗を掻いて畏(かしこ)まる蝦蟇一匹

2016年12月20日 04時03分07秒 | Weblog

おはようございます。夢ばっかり見ておりました。劣等感の塊のさぶろうですから、夢にも魘(うな)されます。それでいささか寝苦しさを覚えてしまいましたので、なおかつそれでも寝ていなければならないということもあるまいと思って、起きてみました。偉い方の前に出ると竦(すく)んでしまうのです。夢の中でもそうです。そして決まって叱責をもらいます。弱点の急所を突かれます。隠していたのが露見してしまいます。脂汗(あぶらあせ)を掻いた蝦蟇(がま)になってじっと這いつくばっています。この高齢に達してもここを抜け出せていません。ふう。溜息になります。さ、さ、もういいよ。目を覚ましているから、大丈夫。もう悪夢の続きは見ないよ。さぶろうは蝦蟇の自分に言って聞かせます。パソコンからショパンのノクターンが鳴っています。ここが今朝の逃げ場です。

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