<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

のそのそ出掛けて行ったぞ 飲み会に

2016年12月22日 22時01分29秒 | Weblog

ただいまご帰還。「ご」をっつけるこたあないや。ただいま帰還いたしおり候。おいおい、今は明治じゃないぞ。候文にするこたあねえ。「こたあねえ」なんてべらんめえ調もいただけないな。とにかくいま帰宅した。酒をたらふく飲んじまった。なにしろそこが飲み放題の店。飲まなきゃ損だと思って、生ビール、赤ワイン、芋焼酎と立て続けに飲んでしまった。賤しい。どうも賤しい。鹿肉の赤身の肉のしゃぶしゃぶ料理。珍しくておいしかった。同じ部屋に幾組かの忘年会とおぼしき集まり。若い人たちの。やかましいこと騒がしいこと、たまったもんじゃなかった。元気がいいなあ。さすが若者。おのこもおみなも、ハッスルのし放題。こんなものなのかなあ、最近の若者というのは。こっちは鳩に鉄砲だった。盛り上がり具合が凄まじくて、目を丸くして過ごした。僕らは老人込みの6人組。それに比べりゃ、ひっそりしたもんだった。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車のキーレスキーの充電をしに

2016年12月22日 12時26分16秒 | Weblog

僕は午後から出掛けます。車の電動キーレスキーの電池充電のためです。運転席の表示板にピッカピッカのサインが表示されていました。キーは二つあるから急がなくともいいのですが。老人だからすぐに忘れてしまいそうなので。雨の勢いは弱くなっているようです。でも町まで半時間ほどかかります。車を買った店では、行くとおいしい珈琲と銅鑼焼きなどのお菓子類が出されます。美人の方が接待サービスをなさってくださいます。ついでに、美しいにんげんを見て、こころ和らげて来ます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬至と柚子と南瓜の因縁はどうしてなのかなあ

2016年12月22日 12時17分49秒 | Weblog

asaさんのところのブログに柚子ジャムのことが書いてありました。そうでした。昨日は冬至でした。昼の時間が一番短くなった日でしたよね、冬至って。我が家も南瓜が夕食の膳にありました。柚子湯に入りました。この柚子はでかい柚子です。我が家の庭に初めて実った柚子の実でした。南瓜と冬至はどんな因縁で結ばれているのでしょうね。たぶん、それが元気を呼び寄せるからなんでしょうね。その理由書きが気になりました。asaさん宅の柚子ジャムとパンがおいしそうでした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雲のように大きな溜息 自信喪失症の溜息

2016年12月22日 11時58分27秒 | Weblog

よく夢に魘(うな)されています。苦しがって溜息を吐きます。雲のように大きな溜息なので、その音量の高さに自分で目を覚ましてしまいます。苦しいのです。夢の中では鬼どもにこなされています。折檻を受けています。さぶろうには弱点がいろいろとあるのです。それをひた隠しに隠しているのに、鬼どもがそれを日当たりに持ち出して来ます。さぶろうは晒(さら)し者になります。よくまあ、毎日のように縛り首にされます。鬼が、努力をしなかったことを責めます。71年間も生きて来て階段を一歩も上がっていないのです。上がる努力をしていないのです。ずっとずっと怠け者を通していたのだから、責められるのは当然なのですが、この折檻がなかなか厳しくて、夜な夜な辛いのです。鬼が、この世で会ったことのある誰彼に姿を変えて現れてきます。責め立てている風でもないのですが、さぶろうがそれを感じていじけてしまうのです。拭いがたいトラウマがあるんですね。すこし病的かも知れません。

治療薬はないか。あるんです、これが。ベートーヴェンを聴いていることです。これは治療薬の効果を持っています。足が悪くなる前はジョギングをしました。ただしこれは昼間の話。夜は、一方的に攻め立てられているきりです。夜間の治療薬はないものかなあ。頭を捻っています。睡眠薬に依存していたこともありましたが、この依存症からは脱却しています。写経や写仏、読経、瞑想、座禅などがよさそうです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

籠もり虫の日光浴も大事

2016年12月22日 11時39分35秒 | Weblog

さっきのブログで、「さぶろうと遊んで下さる方がいないので」と書きましたが、これは「やんぬるかな」です。さぶろうに人様の中へ入って積極的に遊ぼうという気がまるでないのです。たまにそういう奇特な方がおられて、声を掛けてくださってもすぐに断ってしまいます。気が乗らないからどうにもしようがありません。失礼ですよね、まったくもって。

これはしかしさぶろうだけではないのです。さぶろうの母もそうでした。その母の母もそうでした。こういうのをこの辺りでは「つらわれ」といいます。「面割れ」とでも書くのでしょうか。でも、辞書にもありません。人に会わせる頑丈な面を持っていないのです、とにかく。すぐにもその面が真ん中から割れてしまいます。よほどの自信喪失家なのでしょう。

その代わり、じっとして家の中にいることができます。これも特技にはいるかも知れません。人前に出てあれこれ我が事を自慢をしなくともいいようにできています。吹聴、自己宣伝が苦手なのです。吹聴するに有効な我がプラス面を探し得ないのです。それで穴籠もりをしています。人から逃げて隠れているばかりで、可愛げがまるでありません。外面のいい家内などはよく「あなたはそんなに一日中じっとして部屋の中にいられるもんですね」と呆れますが、なんともないのです。

といいながら、一人でよく旅にも出ます。温泉湯治ですけど。こんなふうに気晴らしもするようです。そんなお金があるかというとそうとばかりは言えないので困りますが、拾う神もいるもので、この拾う神に縋(すが)ります。明日から連休ですね。またぞろこの手の気晴らし虫が這い出てきそうです。籠もり虫というども、ときには日光浴も大事なんですよね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢のように斜め斜めに大地を刺す雨

2016年12月22日 11時02分09秒 | Weblog

今日は雨。当地は雨が降っております。さぶろうには、さぶろうと遊んで下さる方がなく、もっぱら一人です。一人でおこたに足を突っ込んでいつものごとくうつらうつらして、耳でベートーヴェンのピノ曲を聴いておりました。さぶろうを慰めるにはこれが一番のようです。時折ざああっという雨音がひどくなると、瞑っていた目を開けて窓の外を見ています。雨脚がはっきり見えます。風もあって雨は斜め斜めに大地を刺してきます。数千本の矢のようです。これといって何にも考えていません。わざわざ出掛けて行ってするべきことも、したくなることも見つかりません。さっきは渡辺寶陽師の講演集を紐解いていました。大好きな法華経の話です。さぶろうに理解が出来る内容ではありませんが、これを解き明かしてお話になって下さる方がいらっしゃるということ、それがまずさぶろうを安らげています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする