ハガキに仏像の絵を描く。クレヨン水彩で。仏様のお顔を。幼稚園児のように。なかなか仏様にならない。仏様の澄み切った目にならない。最後に額の真ん中に第三の目を入れる。そしてそこにふうと息を注ぎ込んで入魂の儀式にする。そしてそれを安い額に収めて壁に吊して飾る。尊い仏様というよりは幼い童子だ。もうたくさんたくさん描いた。この頃はしかし描いていない。また新年から描こうかと思う。描いているとこころが安まる。
ピンポン玉くらい、鶏の卵くらいしかない薩摩芋であっても、これが捨てられない。我が家の畑で獲れたものだから、捨てられない。愛情をかけて育ててきたから、小さくても、不細工でも文句が言えない。食べてあげないと、悪い気がする。無視したようで。美味しく食べる。人様にはあげられないような傷物でも、丁寧に取り扱う。不思議だ。夕ご飯。米のご飯は食べずに芋ばかりを食べた。小さくても傷物でも甘くておいしかった。
雲仙までぶらぶらぶらぶら。高速に乗らず、下道を行ったので4時間も掛かってしまった。急ぐ旅ではなし。ゆっつらあ(これは佐賀弁)と行った。帰りは別のルートを辿った。これもそのくらい掛かった。明日の朝早くまた出る。7時出発の予定。好きだなあ。宿が空いてたら泊まりたいが、どうなるやら。暇男のすることは暇に任せてするから、予測は立たぬ。
朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上(しんしょう=身代・財産のこと)潰した。さぶろうはしかし朝酒はしない。したことがない。朝寝はよくする。朝湯も好き。温泉旅館に泊まっているときだけだけど。それも硫黄の臭いのぷんぷんする温泉がことのほか好き。じゃないと、温泉に行った気がしない。で、昨日はまたまた雲仙まで行って来た。連泊のつもりで出掛けたが、あいにく土曜日曜は空いていなくてすごすごと戻って来た。何度も何度も硫黄の湯に長時間浸かっていた。上がって来るときにもシャワーを使わなかったので、硫黄が肌に付いたまま。(戻って来たら臭い臭いと家族に言われてしまった。)宿の露天風呂から星が眺められた。一人はいい。何をするのも(しないのも)勝手気まま。宿の仲居さんが「お一人じゃさみかろう。お連れさん(奥さんのことはおいででないのですか」と心配をしてくださったが、なんのなんの。我が儘者はこれがいい。気を遣わずに済む。無言の行もできる。