大雨が大地を激しく叩いている。大雨洪水警報が出されたところもある。なるほど尋常一様ではない。草むらで朝方まで鳴いていた蟋蟀はうまく逃げおおせただろうか。逃げなければ流されてしまうであろう。畑にも川ができているようだ。草葉の陰くらいでは難を逃れられないだろう。
大雨が大地を激しく叩いている。大雨洪水警報が出されたところもある。なるほど尋常一様ではない。草むらで朝方まで鳴いていた蟋蟀はうまく逃げおおせただろうか。逃げなければ流されてしまうであろう。畑にも川ができているようだ。草葉の陰くらいでは難を逃れられないだろう。
この雨の中、家内の買い物の運転手をした。スーパーへ行って来た。出不精なので、無理に引っ張り出されてしまった。出て見るとそれはそれで刺激がある。野菜コーナーで買い物をする奥様を車椅子に乗せてご主人が押しておられた。そこに目が止まってしまった。二人ともかなりのご高齢のようであった。なんだか知れずこころ打たれてしまった。偉いなあと思った。奥様の指図通りにあちらへこちらへゆっくりゆっくりいたわるように車椅子を押しておられていた。婦唱夫随は仲のよい証拠。そのようにこちらには映った。荷物を加えて行くので、いやいや、身の細い、白髪のご主人様にはなかなか重たそうでもあった。この雨の中だから、車椅子を車に乗せたり下ろしたりするだけでも重労働のはずである。一日家の中にいては気が滅入る、そこを憶測されてご婦人を外に連れ出されたのであろう。奥様はなんらかの障碍がおありになるのであろうが、それをカバーしておられるご主人様の姿が、天上界より地上界へ下りて来られた神の一人に見えて、しばらくお二人の姿を追ってしまった。
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「人を見たら泥棒と思え」という諺もある。しかし、もちろん人がみな泥棒ではない。そういう目をして行き交う人を見ていれば保全安心には役立つだろうが、たまにはその真逆をこころみてもいいかもしれない。すなわち「人を見たら神だと思え」「見える形をとられた神だと疑え」という具合に。神は目には見えない。だが確実に人を守っている、導いている。愛情でやさしく包み込んでいる。その神が生活者にまぎれこんでいるということもあり得る話かもしれない。そういう目を眼鏡のようにインスタントにつければ、たとい刺々(とげとげ)しい人生であってもちょっとはほほえましくもなるかもしれない。
秋の歌をもう一首。大好きな西行の歌から。
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こころなき身にもあはれはしられけりしぎたつ沢の秋の夕暮れ 西行 新古今集より
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「心無き身」とは仏教に帰依した者のこと。仏門に入った者は決心して世を捨てた者のはずである。それでも「もののあはれ」はなおさらに身に滲みてくるというのだ。家族とするひともこころに宿を取る恋しい人もはっきり断ち切っているはずである。そうであってもなおさらにそういうものの情感の「あはれ」が隙間から侵入してくるのだろう。鴫が鳴いたくらいで揺れに揺れるのだ。もっとも鴫が飛び去っていくときには甲高い声で鳴くから、こころがいきなり驚くだろうが。仏に仕える身であったとしても秋の夕暮れにいると何もかもが物寂しいのだろう。鴫が一瞬飛び立つ。すると心無き身がすぐさま心ある身に変貌してしまったようだが、それでこそ人間のぬくもりである。
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さぶろうはどうだ。心無き身にもならず、ぐうたらぐうたらして過ごしているので、心ある身の「もののあはれ」にも疎くなっているばかりのようだ。鴫が鳴いたってどうともない。
秋の歌を拾う。
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むらさめの露もまだひぬ真木の葉に霧たちのぼる秋の夕暮れ 寂蓮法師 新古今和歌集より
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むらさめは秋口に降る雨。俄雨。驟雨、白雨とも。ひとしきり強く降って来る。真木は杉や檜などの常緑樹。
夕暮れ時、一陣さっと強い雨が降って過ぎて行った。葉っぱ葉っぱに丸い雫が垂れている。その露の玉がまだ乾いていない。そこへ気温が上昇してきて霧が発生してきたようだ。辺り一面が白くなってきた秋の夕暮れ。降り込められてわたしはとうとう何処にも行けなかった。誰も尋ねてこなかった。この寺院の内外の何処も静かでもの寂しい。
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みほとけに仕える法師さまでもときとして寂しいか。歌を歌って己を慰めておられるようだ。歌を歌ったら寂しさは消えて行くのか。明らかにものを見ることができたら、諦めが付くのだろうか。俗物のさぶろうはこうはいかない。霧が立ちのぼっていくのを見届けているばかりではおられずに、どこぞへ走り出して行くだろう。おっとっとっと、さぶろうは片足麻痺だから走り出しては行けなかった。では、杖を突いて一歩を踏みしめながら。
雨音が高い。いったい何に当たって、弾いて、音を出しているのだろう? パラパラ、パチパチ、シトトト、トントン。それはトタン屋根? スレート葺き庇? 瓦屋根? 里芋の葉っぱ? 夕顔の葉っぱ? 木々の梢? 桜の木の幹? 畑の土? アスファルト? 洗濯物干し? ビニール製プランター? 水たまり? 見回してみるけど、見つけられない。どこにも響き合いそうな乾いたものなどないのだ。雨樋(あまとい)を流れ下る音はしまいにピシャピシャ音を挙げている。降っては止み、止んでは亦降り出している。今日は一日降り込められるのかな。それでも悪くはない。一昨日市民図書館から借りてきている本が読み切れずにまだ残っている。お天気加減がどうあろうと僕の一人くらいは何とかなる。どうにでもなる。
夜中、寝たり起きたりトイレに通ったり音楽を聞いたり読書したりしているからか、めずらしく今朝は8時までも目が覚めなかった。ふふふ、だ。何時まで寝ていてもいいんだけど。夜をしている時間が長いと、螺子(ねじ)が緩んでだんらりする。やたら欠伸が出る。夜中は雨音が高かった。今し方やっと小止みになった。台風16号はその後どうなったのだろう。百舌鳥が甲高く鳴いている。ベランダに置いている鉢植えの黄菊が蕾を開いた。菊花はなんだか秋らしい。気温24度。涼風がおいしいので、胸の奥まで吸いこんでみる。