これはさぶろうのための講座であるから、他の人がこれを正式だと思っては間違いになる。これはあくまで迷妄の中に在るさぶろうを諭したものである。
「大悲心陀羅尼」 禅宗経典より
オーン。光り輝く観世音菩薩よ、光り輝く知恵を持つ菩薩よ、世間を超脱せるものよ、おお、獅子王よ。偉大な菩薩よ。真言を憶念したまへ。唱えたる真言を成就したまへ。勝者よ、偉大な勝者よ。真言を受持したまへ。自在の力を発揮したまへ。汚れなきものよ。垢(く)を離脱せるものよ。穢れなき身体を持つものよ。来たれ。世自在なるものよ。幸いあれ。スヴァーハー。 (一部の抜粋)
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陀羅尼は梵語のダーラニーである。呪文の呪である。真言マントラである。仏さまの国の言語である。だから、本来、その音韻だけが、響きだけが伝えられる。ここでは敢えてその意味が加えられているものを拾った。大悲心を持つ菩薩、すなわち観世音菩薩への語りかけになっている。この大悲心呪は「なむからたんのとらやあやあ なむおりや」のダーラニーで始まっている。読経の際はもちろんこのマントラが厳かに唱えられる。
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さぶろうはこれを唱える。ダーラニーをそのままに復唱することもあるが、ときにはその意味を拾ってみることもある。声に出しての朗読、音読である。音の響きを楽しんでいる。音韻のエネルギーを拝んで戴いている。そして読み終えるとこの真言マントラがたちまちに成就してエネルギーが己が身心に充満しているのを感じる。玄妙である。
経典というものはどれもいつも語りかけである。仏からの語りかけである。摩訶不思議、不可思議だからそれを思議したってどうにもならない。語りかけを聞いて素直になっているしかない。「さぶろうを守るぞ」「さぶろうを導くぞ」「さぶろうを助けるぞ」「さぶろうを仏にするぞ」「さぶろうを安心させるぞ」と語りかけてくる菩薩の言葉、仏の言葉に逆らわず感謝して頂くばかりである。さぶろうの懐疑が仏陀の智慧を超えようたって超えられるはずはないのだから。