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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

きりはたり はたり ちやうちやう

2015年12月04日 13時01分11秒 | Weblog

きりはたりはたりちやうちやう血の色の棺衣(かけぎ)織るとよ悲しき機(はた)よ  北原白秋

「きりはたり」は機織り機のことか。機織り虫の蟋蟀ことか。「はたりちやうちやう」は機を織る音の擬音語か。のっけから怪しくてなんだろうと思ってしまう。普通は「ばったんごっとん」か「こっとんこっとん」にしか文字化しないが、彼の耳は異常だから、そうは聞かない。そしてますます怪しい衝撃が続く。この機織り機は棺に入れる死に衣装を織る機械で、そうしてその衣装の糸が血の色をして真っ赤だと言う。最後の締め言葉が「悲しき機よ」である。悲しく悲しくしたのは作者なのに。死に衣装を織る悲しさの割には擬音語がからりとして明るく、一首をこころよく弾ませる。

きりはたり/はたり/ちやうちやう/血の色の/棺衣(かけぎ)/織るとよ/悲しき/機(はた)よ  5・3・6・5・3・4・4・3 不思議な音階をしている。彼は原色の赤が好きだったようだ。そこに血も流れている。彼の手にかかるとおぞましい世界がいとも簡単に構成される。たまらないほどの魔力を放つ文学者、北原白秋。

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しんと とろりとした油壺

2015年12月04日 12時39分03秒 | Weblog

油壺しんととろりとして深ししんととろりと底から光り    北原白秋

面白い歌だなあ。人の背丈ほどの大きな、黒光りのする油壺が置いてある。古い壺である。円形は真ん中が膨らんでいる。土蔵の奥に数個が置いてある。椿油か菜種油かを貯蔵していたものに違いない。蔵の中は納戸を開け放ってもそれでもまだ暗い。

土蔵も土蔵の中も人一人の両腕では回しきれないほどの油壺もしんとしている。村里の静寂を保ってばかりいる。眠っているようにとろりとしてもいる。蓋を取って覗いてみると油の匂いが立ちこめてきて、納戸から洩れて来た光がちらりと映る。光は深い底まで透して行かない。それなのに、ぎょろりとした目のようなものが底から浮かび上がって来た。百年棲んでいる鬼の眼光だった。

油壺/しんと/とろりと/して/深し しんと/とろりと/底から/光り

5/3/4/2/3/ 3/4/4/3 不思議な歌だなあ。

作者は福岡県柳川の人。造り酒屋には陶器の壺だとか土で焼いた壺だとかがたくさん列んでいたであろう。その夕暮れの土蔵に入ってひとり探検などをすることもあったであろう。なんだか神秘的だ。文学者の手にかかるとそこに置いてある古い油壺でさえもが文学というロマンチックな音楽を奏でてくる。

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わたしは神をつむぐ紡ぎ手

2015年12月04日 11時45分29秒 | Weblog

わたしは紡ぎ手/わたしは神を紡(つむ)ぐ紡ぎ手/生きている間の/これがわたしの仕事/わたしにできるわたしの仕事/見えない神を見えるようにする/聞こえない神を聞こえるようにする/わたしの手から神が紡がれる/この光栄を/神はわたしにさずけられた/わたしは紡ぎ手/わたしは神を紡ぐ紡ぎ手/まばゆい光が宇宙を紡ぐその傍にいて/約(つま)しいわたしが/神のちからを恵まれる/貧しいわたしが/神の力を恵まれる

詩を作ってみました。人はみな神を紡ぐ存在だろうと思います。生きていることがそのまま神を紡いでいることになっているのだろうと思います。実際は神に寄り添って神を讃えるだけなんだろうけれど。わたしはクリスチャンではないけれど、神の威光が降り注ぐ者のその一人です。

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僕を好きだと言ってくれ

2015年12月04日 10時51分44秒 | Weblog

日本でよく歌われている「冬の星座」はアメリカの作曲家ウイリアム・ヘイスの曲。英語名は「Mollie Darling(いとしのモーリー)」これを堀内敬三が日本語に直している。これもとってもいい。でもその元歌は愛の歌。「僕を好きだと言ってくれ」と迫っている。

「Mollie Darling」

1. Won't you tell me Mollie darling,
That you love none else but me?
For I love you Mollie darling,
You are all the world to me.

ねえ、いとしのモーリーよ。僕だけを愛しているって言ってくれよ。きみは僕の世界の全部。それほどに好きないとしのモーリー

O! tell me, darling, that you love me,
Put your little hand in mine,
Take my heart, sweet Mollie darling,
Say that you will give me thine.

僕を好きだって言ってくれ。可愛いその手を僕の手に重ねて。僕の気持ちはわかるだろう。いのちを預けるって言ってくれ。

(Chorus)
Mollie, fairest, sweetest, dearest,
Look up, darling, tell me this;
Do you love me, Mollie darling?
Let you answer be a kiss.

最愛の最上の最良の恋人モーリー。ねえ、顔を上げてごらんよ。僕を愛しているかい。キスで答えてほしいんだ。

Stars are smilling, Mollie darling,
Thro' the mystic vail of night;
They seem laughing, Mollie darling,
While fair Luna hides her light;

夜の神秘の帳を透かしてふたりを見ている星々。星でさえもがはにかんでいるよ、モーリー。月の女神が薄目を開けて見ているよ。

O! no one listens but the flowers,
While they hang their heads in shame.
They are modest, Mollie darling,
When they hear me call your name.

(Chorus)

愛の言葉を聞いているのは野の花たちだよ。恥ずかしそうにうつむき加減で。僕がきみの名を呼ぶときはいつもこうやっておしとやかにしているんだ。

(意訳はいい加減なさぶろう)

ああ、なんだかとってもいい気持ち。冬の星座に見守られながら若者が愛しい人モーリーに愛を告げている。こんなふうに美しい詩を紡いで愛情表現ができたらさぶろうだって愛しい人が口説き落とせただろうに。さぶろうにはこんなロマンチックな星の夜はついぞなかった。でも、歌を口ずさんでいるだけで若者になったみたいでなんだかとってもいい気持ち。

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冬の童謡唱歌「雪」を口ずさむ

2015年12月04日 10時28分24秒 | Weblog

冬の童謡唱歌「雪」   文部省唱歌

雪やこんこ あられやこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
山も野原も わたぼうしかぶり
枯木残らず 花が咲く

童謡は童が謡うためのもの。そのはずなのだが、大の大人もこれを歌ってあたたまる。老いたさぶろうにも格好の綿布団になる。さぶろうは日本列島の南に位置している九州に暮らしているから、冬が来ても雪や霰が降ってずんずん積もることは稀だ。でもうっすらの綿帽子なら山にも野原にも見かける。葉を落とした裸の木が真っ白い花を咲かせたようになるとめずらしくて興奮を覚える。なによりその夢のような新世界に侵入していけるのがいい。そこでしばらく逗留ができる。現実であって非現実。その境目のような処をぶらぶらできるのがいい。そしてそこで現実の年齢をも忘れてしまえるのである。いやいや夢見ているここが何処であるのかでさえも。

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ことばはこころのブドウ糖液

2015年12月04日 10時13分27秒 | Weblog

ことばは葡萄糖。グルコース。5~50%の溶液を注射すると虚脱や衰弱に効き目がある。自分のことばでも人のことばでもいい。糖分が含まれていればそれでいい。随時にこれを補っているとこころの健康が保てることになる。短歌や詩やエッセーなどの文学にはこれが多く含まれているので、愛用する者が多い。さぶろうもちょくちょく人様のそれを皮下注射して元気をもらっている。

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冬帽子

2015年12月04日 09時46分17秒 | Weblog

今朝から夏帽子が毛糸の冬帽子に替わった。寒いので室内でも被っている。禿げ頭がぽかぽかする。夏帽子5着は夏箪笥の奥に仕舞われた。外出するときにすぐ被れるようにそれまでは玄関の大きな靴箱の広めの檀に置いてあった。ここに冬帽子がやっぱり5着座を占めることになる。そのうちの1着はもうすでに頭にあってさっそく役立っている。それもこれも頭が無毛になってからのことだ。ストレスの結果こうなったのだと皮膚科医は説明をしたのだけれど、依然として毛が生えてくる様子はない。つるんつるんとしている。ということはまだそのストレスの真っ只中にいるということなのか。あるいは皮膚科医がいい加減な説明をしただけなのか。当方、育毛促進がさまたげられるほどの薬の服用もしていないのだが。まあどっちだっていい。冬帽子を被ってしまえばそれ相応にあたたかいのだし、つるんつるんを見咎めてくれるような美女連もこの1里以内には見当たらないのだから。

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ちょんまげ

2015年12月04日 08時48分12秒 | Weblog

NHK朝の連続テレビドラマ「あさが来た」をときどき見ている。その時間帯は朝ご飯タイムである。テレビがオンになっているので見てしまう。江戸末期から明治維新にかけて活躍をした人たちが主人公のようだ。そうか、あのちょんまげをざんばらにするには、なるほどよほどの時間がいったのだなあ。月代(さかやき)に生えて来る髪をあの頃の人たちは毎朝どうやっていたのだろう。気になった。

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盗人呼ばわりはできない

2015年12月04日 08時35分16秒 | Weblog

干し柿が干し上がって早く早く甘くならないかなあ。おいしいといってよろこんでくれる人に早く食べさせてあげたいなあ。好き嫌いがあるから誰にでもというわけにはいかないけれど。早々と狙っているのは空の鳥たちである。軒下に吊しているのに、人間に捕まってしまう危険を冒しておいでなさる。挑戦者のトップはカラスである。彼は怖じないで事を遂行する能力を持つ。まあ、同じ地球上の生き物なのだからお分けしてもいいのだが、鳥インフルエンザの心配を残されるとあとの者、つまり愛好家の人間が物怖じをされることになる。もともと、しかし、野にある柿の実は鳥を待って熟しているから、横取りをしたのは手前どもである。鳥を盗人呼ばわりはできない。

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人様のブログ読ませてもらいました

2015年12月04日 08時23分05秒 | Weblog

xanadu-23さんの文学館入選作品「たおやかに」を読ませてもらいました。その通りことばの文(あや)がたおやかに、しなやかに、しとやかに編み込まれていました。お母さんから鉢植えをいただかれたのですね。それが発芽して花を着けるまでが綴られていました。入選おめでとうございます。嬉しさをバネ仕掛けにしてこれからもご活躍くださいね。どんな方なのだろう、こういうレース編みのような文学を編むことができる人とは。

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