詩「わたしがさみしいと」
わたしがさみしいと/星がさみしい/わたしがさみしいと/月がさみしい/
わたしがさみしいと/みんなさみしい/わたしがさみしいと/誰もさみしい/
*
おんぷがおよぐよるのうみ しおんぷ はちぶおんぷ でくれっしぇんど ふぇるまーた
わたしがさみしいと/何処もさみしい/わたしがさみしいと/千夜さみしい/
詩「わたしがさみしいと」
わたしがさみしいと/星がさみしい/わたしがさみしいと/月がさみしい/
わたしがさみしいと/みんなさみしい/わたしがさみしいと/誰もさみしい/
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おんぷがおよぐよるのうみ しおんぷ はちぶおんぷ でくれっしぇんど ふぇるまーた
わたしがさみしいと/何処もさみしい/わたしがさみしいと/千夜さみしい/
民謡「鰊(にしん)漁師はよお」 作詞 さぶろう
えんやあ/呼べばよお/こたえる波の音/えんやあ/呼べばよお/聞こえる風の音/鰊(にしん)漁師はよお/ざんぶりこ/揺れる船ごと/ざんぶりこ/血が揺れる/
えんやあ/呼べばよお/こたえる月の影/えんやあ/呼べばよお/聞こえる星の笛/鰊(にしん)みたいにゃよお/ざんぶりこ/娘心は/ざんぶりこ/捕まらぬ/
えんやあ/呼べばよお/こたえるものがいて/えんやあ/呼べばよお/聞こえるぬしの声/鰊(にしん)追いかけよお/ざんぶりこ/アイヌの神の/ざんぶりこ/ぬしの声
(即興で作ってみました。曲が欲しいなあ)
「遙かな友に」 磯部 淑 作詞作曲
静かな夜更けに/いつもいつも/思い出すのは/おまえのこと/おやすみ安らかに/たどれ夢路/おやすみ楽しく/今宵もまた/
明るい星の夜は/遙かな空に/思い出すのは/おまえのこと/おやすみ安らかに/たどれ夢路/おやすみ楽しく/今宵もまた/
寂しい雪の夜は/囲炉裏のはたで/思い出すのは/おまえのこと/おやすみ安らかに/たどれ夢路/おやすみ楽しく/今宵もまた/
(昭和26年)
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いい歌だなあ。いい歌だなあ。歌っているといい気持ちになってくるよ。詩のことばの上にメロデイーが乗っているんだものね。なにしろダブル効果だから。
静かな夜更け。星の降る夜。寂しい雪の夜の囲炉裏はた。魅惑の状況がどんどん募る。思い出しているのは「あなた」ではなく「おまえ」。ずっと身近な存在のようだ。繰り返しリフレインがとても多くなっている。それだけそこがエンファサイズされていることになる。
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「あなたがいないと寂しい」「おまえがいないと寂しい」寂しいことに変わりはないのだけど。わたしは遠くへ働きに出ているのだろうか。思い出しているのは、家族? 奥さん? 娘さん? 息子さん? 恋人ではなさそうだ。昭和26年ならもう戦争は終わっている。
暗くて手もとが見えなくなるまで働いた。家屋敷の周囲をぐるりと取り巻く小径の草取りをして。暗くなってから、抜いた草の山を今度は笊に乗せて運んで行った、堆肥どころに。えっちらおっちら。靴の底には雨上がりの土がべったりくっついているので、重たい。よろよろよろつきながら一歩また一歩。麻痺の足ではこうしか歩けない。「さぶろうは偉い」とさぶろう。「よくここまで忍耐と我慢が出来る」「麻痺をしたおかげだ」と自分のことを再評価してあげる。誰も誰もそんなふうには見ていないのだけど。
誘いをかけて来るもののいないさみしさ。強引に誘われてみたいのに。奪おうとするもののいないさみしさ。奪われてもみたいのに。わたしの放つファンタジーがそれほどに乏しいということか。人魚は岩礁の続く入り江に来て、高く低く寄せてくる波音を聞いているだけだった。鬼でもいいから、わたしを見つけて、一目散に走り込んで捕まえてほしいと念じたが、夕日の光が雲から落ちて来るだけだった。なんのために美しくなったのか。なんのためにダンスの芸を磨いたのか。考え込むといっそう滅入った。このまま死んでいってしまうのかと思うと長い黒髪とふたつの丘の乳房が急に恨めしくなった。こうやってとうとう人魚の気品が萎んで、浜辺の砂の白い泡になった。
とろり。睡の快を貪った。小半時ほど。炬燵の掛け布団を肩まで被ったようにして。
お昼は「ecobito」なる洒落たレストランに立ち寄ってみた。今年4月のオープンだそうだ。ここでランチ・パスタ・セットを食べた。前菜のサラダとこってりした南瓜のスープが付いていた。偶然飛び込んだ店だったのだがすぐに興が乗った。もう一度来てみたいと思った。パスタの味もよかったし次代を先駆けたいといった雰囲気もあった。贔屓の客層を掴んだのだろう、客の出入りが絶えなかった。とりわけ若い女性客のグループが。「eco」は英語の「ecological」の省略で、「bito」は日本語の「人」だとレジの美人から説明があった。なるほど、その「環境に優しい人たち」が集まるところらしく、そういう製品が広い店内にずらりと陳列してあった。でも、この頃流行(はやり)の道の駅とは違って、やたらものを多く並べ立てて攻勢を掛けているふうではなかった。控え目控え目というのがこの店のイデオロギーのようだった。
とろり。睡眠の快から戻って来たら今度は、ぐるる。空腹を覚えてきた。ランチのパスタが控え目だったせいである。アンパンを頬張って食の快に走った。久しぶりに珈琲をも喫してみた。
お昼前に大型のスーパーへ行って鰺を買ってきた。客が大勢で賑わっていた。大安売りで、1パックに大きめのが5尾が入っていて、200円足らずだった。他に蛸も買った。おでんにいれるつもりで。魚ものの捌きはいつもさぶろうの担当になっている。上手ではないのに、どうしたわけだかそうなっている。エプロン掛けをして、さっそく鰺の5尾を捌いた。腹を包丁で割きジゴを取り出して背中の鱗を外す。容れ物ごとラップにくるんで冷蔵庫にしまう。これだけのことだ。でも、捌いた手指が生臭くてたまらない。石鹸をつけてゴシゴシやるのだがなかなか臭いが取れなかった。夕食時に家内に頼んで油で揚げてもらうことにした。これにサツマイモ、玉葱、人参などを加えて天麩羅にしたらバラエテイに富みそうだ。
幸福になる道具立ては揃っている。いつもいつも揃っている。完璧なまでに揃っている。これは不思議なことだ。
一番手っ取り早いのは幸福を感じ取ることだ。これだったら道具も要らない。「オレ・ハ・コウフク・デ・アル」を自分宛に打電するだけでいい。そしてそれをじっくり噛みしめていればいい。
1,おれは空を見ている。空があるところに暮らしている。これを幸福とし、そのまま幸福でいる。
2,おれは太陽が昇ってくる地平を見ている。地平があることを幸福とし、幸福でいる。
3、おれは大地に立っている。大地はへこまない。大地はおれを乗せてもひっくり返らない。これを幸福とするだけで幸福がやって来る。
4,おれはおれだけで幸福を独り占めするような狭さにはいたくない。みんなと共有し共用する幸福にしたい。分けてもらう分でいい。空が分けてくれる。太陽が分けてくれる。大地が分けてくれる。
5,そもそもおれはおれの幸福を主張するだけの人間か。生きている間に予定されているアセンションは進んだか。そっちを放りだしておいて、権利だけを主張するのか。しかし、それでいいと空も太陽も大地も寛容であった。
6、おれは大きな宇宙の寛容に押されているだけで幸福だった。
7、今日は12月15日。火曜日。今日も相変わらず幸福が揃っている。いつも揃っている。その気になりさえすればいいので、おれがその気になるのをみんなで待っていてくれる。
ブログを書くのは言葉の朝のラジオ体操だよ。おいちにおいちに。背伸びをする。首を回す。ことばが口の中で柔らかくほぐれてくるまで、にいにいさんに。はい、ごおろく。失語症にならないために。
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雨垂れの音が軒を伝う。すととと、ととすと。リズミカルだ。霧雨だ。でも、外へ出ては働けない。ぼんやり灰色の空を眺めている。先日粛々とした手紙が届いたから、その返事を書かねばならないが、相手が大物過ぎて書き出せない。構えているだけで日が延びる。それから小豆・黒豆のお礼状も。これはタブレットのメールでいいが、えいやっと書き出せない。
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弟は死んだ。生きていたかったのに死んだ。生きていたら今日をどうしていただろう。兄は生きている。生きているのに死んだようにして動かない。死なないでいるということを、無用の涎(よだれ)にして顎に引くばかり。結局は無駄にしている。顎に涎を引くのが生きていることではないはずだ。
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ではどうすれば、弟に背中を向けないでいられるか。このままじゃ、恥じられる。「おいおい、そんなことをしているくらいだったら、そりゃ死んだ者に申し訳が立つまいよ」と詰(なじ)られそうだ。じゃ、何をしていたらその「オレ・ハ・イマ・イキテ・イル」ということになるのか。死者に対しても堂々の申し開きが出来るのか。
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朝ご飯はご近所からいただいた小豆入りのおこわご飯だった。これに高菜の一夜漬けを載せた。味噌汁は里芋と隼人瓜を薄く切ったものが具になっていた。これに昆布出汁のふろふき大根煮物。デザートはふっくら焼き芋だった。緑茶をたっぷり飲んだ。死んだ弟は食べられなかった。兄は食べた。食べて一日の始まりとした。
ひとりで童謡唱歌を口ずさんでいるくらいが罪がないね。そうだね。たしかにそうだね。どんな現実の行動も起こさないのだからね。老いているとこうだね。そこにお日様を受けてひとり静かにしていられる。動き出すと愚行に走っている、ということもなくなった。罪を犯すこともなくなった。童謡唱歌を口にして、そこからおだやかな回想を辿っていれば一日が暮れていく。
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老いは夢 夢の小川を流れ行く枯れ葉いちまい罪を作らず 李白黄