分からない。楽しいことがなければ生きていられないということもないのだが。弟は死んだ。兄のさぶろうは生きている。生きているが、楽しいことがない。生きている者は楽しんでいるべきだと死んだ弟は言うだろう。生きていることが楽しいことであるべきだと。それはそうなのだが、何をしていたら楽しいのか。それが分からない一日を過ごした。これで生きていることになるのかどうか。生きたいと願って死んでしまった弟にすまない気がする。また雨が降り出して来たようだ。零時を回った。この楽しさを楽しむために今日の一日を生きたと言えるような一日にしたいものだ。今日は12月3日、木曜日。新しく廻って来た日。
雨はあがっているらしい。雨垂れの音がない。
昨日、玄関の鍵をなくしてしまった。家に辿り着いてドアを開けようとして、ポケットにない。何処で失ったやら。家に入れない。合い鍵が置いてあるところまで雨の中を歩いた。なんてことだ。鍵を閉めて出たんだからないはずはない。泥棒殿に拾われてもそれがどこの鍵かは分かるまいが、それでも危険極まりない。不注意だ。このことは家人には黙っておいた。呆けが始まったのだろうか。
明日は家内の誕生日。ついぞプレゼントをしていない。花の一つも。
空には雨の貯蔵ダムがあるんだな。降っても降っても降っても降り止まない。ダムは干上がらない。不思議だなあ。しかし、ダムらしい姿はない。頭上にまっ黒い雲が覆い尽くしているだけ。これがそうか。この絶妙のシステムが空に完備されているので、われわれは水分補給を心配しないですんでいる。
延び縮みすることができるステンレス製の洗濯物干し竿を買って来た。1・7mが4mにもなる。竹製だと虫が食ってしまってぼろぼろになって折れてしまう。これをベランダの屋根下に吊した。これで隣家の竹林に行って、2年越しに、もらい下げをねだらなくて済むことになった。竹林の竹は密生を嫌うから、間引きをしてやる方がいいのだが、「すみません」「竹を切らしてください」「ありがとうございました」を言うのが億劫なのだ。人にものをねだるには愛嬌がいる。愛嬌顔を作るのが嫌なのだ。ちょっとにこにこをすればそれですむものを、避ける。相手だって「いいよいいよ」「どうぞどうぞ」「好きなだけ切っていってちょうだい」と言われるけれども、頼み事をするのが気が引ける。さぶろうはどうも可愛げがない性格である。人は持ちつ持たれつなのだから、相手に凭れているのも悪いことではないのだ、決して。
み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり 参議雅経(飛鳥井雅経)
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吉野の山から山颪が吹き下ろして秋が深くなったふるさと。夜が更けるとしんしんと冷えてきて遠く近く家を守るおんなたちが衣を打つ砧の音が風の中に聞こえてくる。作者は鎌倉時代の人。砧の音とはどんな音なのだろう。聞いてみたい。貧しさ故に夜中にも労働を強いられた女たちの悲しみが籠もっているのかもしれない。
手毬唄かなしきことをうつくしく 高浜虚子
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女の子じゃなかったから手毬を突いたことがない。だから手毬唄にどんな歌があるのかあまり知らない。でも、それが島原の子守歌や中国地方の子守歌ふうの歌詞だったら、悲しみが込められている。それをあどけない少女が清らかな澄み切った声をして歌っていると、それだけで情景がうつくしくなってしまう。とすれば手毬唄や子守歌はかなしみを蒸発させてしまう蒸し器のようなものだ。あとには饅頭の湯気が残っている。遊び疲れた少女たちの背中が汗をしていてそこにも湯気が上がっている。
代表的な手毬唄は「毬と殿様」「あんたがたどこさ」がある。それはそんなに悲しい歌詞には思えない。
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だったら、これは手毬唄の歌詞がかなしいのではないのかもしれない。誰かが死んだのかも知れない。家族が貧乏で三度の飯が満足に食べられなくてそれで庭に出て毬を突いているのかも知れない。あるいは兄じゃや姉しゃにこづかれて泣いた後なのかもしれない。いろんな場面が想定されるが、手毬唄を歌って毬突きをしている少女を見ているとどれもが美しいことに思えてしまう。世の中の多くの出来事がこの手毬の情景に包まれて美化されてしまうということがあったのかもしれない。
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この作品は昭和14年の正月に作られている。ちょうど志那事変の最中である。知り合いの兵隊さんが戦死したという報が届いた後だったのかも知れない。そういう現実とは無関係にして遊んでいるこどもたちの無邪気さがただただ美しかく映ったのかもしれない。季語は手毬唄で春か。
雨は本降りになってきた。軒端の雨垂れの音が高い。せめて温泉入浴をと思って出掛けたのは出掛けたのだけど、お昼時が来て店に入って食べているうちに気が変わってしまった。遠くへ行って戻ってくるのがおっくうに思えてきたのだ。それで近くの苗物屋さんで小さな鉢植えシクラメンの3色を買って帰り、よいしょとベランダに腰を下ろして、雨音を音楽にして聞きながら、これをそれよりも大きな鉢に移し替えて遊んだ。この3鉢をお風呂場の出窓の飾り棚に置けるようにした。鉢や受け皿を選んだりこれを丁寧に洗ったりしてけっこう楽しめた。それから炬燵に入ってビデオに撮っていたNHK囲碁トーナメントを見た。見ている内に眠気を誘われて一番の佳境に入ったときにはもううつらうつらだった。24才の村松大介王座が最後でミスをして敗退した。その中押しの投げのところでやっと目が覚めた。いまは5時近く。外はもう暗くなっている。
諸々の仏土を見んと欲すれば、明王忽ちに出現して、行者を頂戴して能く之を見せしむ、如何に況んや、余に求むる事をや。持するに随って成就を得ん。 真言宗経典「不動尊秘密陀羅尼経」より
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「たくさんある仏の世界をたくさん見たい」と行者が言うと、すばやく不動明王がそのいかつい姿を現して、行者の背中に回り両手を脇の下に差し挟み「よいしょ」と抱え上げて「どうだ、美しい仏土は見られたかね」と聞いて来る。抱え上げた高さは百由旬。太陽系の直径ほどもある。行者は「たっぷりと見ることができました。諸仏の仏土はたしかに実在しておりました」と答えた。明王はやっと抱え上げていた両手を元に戻した。こんなことすらもあっさりと引き受けてくれるのだから、他のどんなことだって請け負ってくれるだろう。この不動尊秘密陀羅尼経の陀羅尼を唱えていさえすれば、すべては成就するのだ。
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陀羅尼はサンスクリット語のダーラニー。真言とも訳される。口密(くみつ)のマントラのことだ。仏の語る言語であるから、人間語には訳せないことになっている。
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人間の要求をこともなげに引き受けている不動明王。この経典には人間と明王というふたりの関係が明示されている。明王は知らん顔をなんかしていないのである。切実な声を聞いているのである。そして行者を、まるで子供を抱くようにして引き受け、頂戴してくれる。ただし、これは利他の要求に限っている。菩薩行をする修行者の要求に限っている。
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のうまくさあまんだ ばざらだん たらた あぼきゃ せんだまかろしゃだ そわたや あのうや あそぎゃ あさんまぎに うんうんび きんなん うんたらた かんまん
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これはこの経典にある3つの陀羅尼の最後の陀羅尼。唱えていれば身より光明を放って来る、と書かれてある。身より光明を放つとは即身の成仏の姿だ。人は誰もが光明を放っているのである。それが自覚できてくるということか。この自覚があれば、天上天下唯我独尊の自己肯定が徹底できるだろう。人間として生きていることの重大さ、歓喜と恍惚が浮かんで来ることだろう。己を蔑んだり卑しんだりはしないだろう。
海に出て木枯らし帰るところなし 山口誓子
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茫漠たる冬の海の風景が浮かんでくる。山からは木枯らしが吹き付けている。走り降りて来るが、断崖絶壁が待ち受けていてそこからはもう帰るべき道がない。途絶えているので沖へ沖へ突き進むしかない。山では木々とつかみ合いをして騒いでいたのだが、沖へ来るとそれもできない。行き場がない。波が立って白く泡を作って白砂の浜辺へ打ち寄せようとしている。これに逆らって更に更に沖合へと向かう木枯らしの一群。俳句はことばの風景画。写実なのにそこに叙情が湧き立ってくる。木枯らしこそは作者の投影だろうか。いや、それとも広大な海がそれだろうか。帰るところがない、そういうところへ立ち至ったのだろうか。帰るべきところを持たなくなったのであればその後をどうして過ごしたらいいのだろうか、これも気になる。この世の陸地を通り過ぎた木枯らしがあの世の海に出てしぶいている。「帰るところなし」という断定表現は言い放って手厳しい。
明日の夕方の約束を思い出した。うっかりしていた。これで吹っ切れた。旅には出て行けない。行くとしたらそれがすんでからだ。あやうく反故にするところだった。不興を買うところだった。メモに書いてあっても書いたことを忘れてしまっているからどうしようもない。障子戸に吊し柿がまるい影を造って揺れている。ほんのわずか。日は強まったり弱まったりしている。弱まると影はもう見えない。炬燵の火の勢いはさすがに最強でなくともすむようになった。かじかんでいた手指がとけてゆっくりの動きを取りだしている。