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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

こどものようによいしょと抱き上げてくれる明王

2015年12月02日 11時03分10秒 | Weblog

諸々の仏土を見んと欲すれば、明王忽ちに出現して、行者を頂戴して能く之を見せしむ、如何に況んや、余に求むる事をや。持するに随って成就を得ん。       真言宗経典「不動尊秘密陀羅尼経」より

「たくさんある仏の世界をたくさん見たい」と行者が言うと、すばやく不動明王がそのいかつい姿を現して、行者の背中に回り両手を脇の下に差し挟み「よいしょ」と抱え上げて「どうだ、美しい仏土は見られたかね」と聞いて来る。抱え上げた高さは百由旬。太陽系の直径ほどもある。行者は「たっぷりと見ることができました。諸仏の仏土はたしかに実在しておりました」と答えた。明王はやっと抱え上げていた両手を元に戻した。こんなことすらもあっさりと引き受けてくれるのだから、他のどんなことだって請け負ってくれるだろう。この不動尊秘密陀羅尼経の陀羅尼を唱えていさえすれば、すべては成就するのだ。

陀羅尼はサンスクリット語のダーラニー。真言とも訳される。口密(くみつ)のマントラのことだ。仏の語る言語であるから、人間語には訳せないことになっている。

人間の要求をこともなげに引き受けている不動明王。この経典には人間と明王というふたりの関係が明示されている。明王は知らん顔をなんかしていないのである。切実な声を聞いているのである。そして行者を、まるで子供を抱くようにして引き受け、頂戴してくれる。ただし、これは利他の要求に限っている。菩薩行をする修行者の要求に限っている。

のうまくさあまんだ ばざらだん たらた あぼきゃ せんだまかろしゃだ そわたや あのうや あそぎゃ あさんまぎに うんうんび きんなん うんたらた かんまん

これはこの経典にある3つの陀羅尼の最後の陀羅尼。唱えていれば身より光明を放って来る、と書かれてある。身より光明を放つとは即身の成仏の姿だ。人は誰もが光明を放っているのである。それが自覚できてくるということか。この自覚があれば、天上天下唯我独尊の自己肯定が徹底できるだろう。人間として生きていることの重大さ、歓喜と恍惚が浮かんで来ることだろう。己を蔑んだり卑しんだりはしないだろう。

 

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