なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

過ぎた話

2020-11-20 17:06:02 | 日記
過去が許せないのは変化を想定していないからでもある。
人も状況も、自分自身も変わる。変わってしまえば腹を立てるのも、目くじらを立てるのもあまり意味がなくなる。
変化を考慮に入れないから、過去に囚われ現在の認識がゆがむ。そして判断を誤る。


昨日と今日では大違いだ。何がどう違うかを見抜き感じ取る必要がある。
その上で過去は、データとして参照するにとどめる。変わっていない、との前提で考えるのは、自分自身が全く進歩していない証だ。


親が悪いのか

2020-11-19 17:24:49 | 日記
親のせい、というのなら親の親のせい、かもしれないし、親の親の親のせいかもしれない。どこまでも連鎖する。バカバカしい。
人のせいにしても同じだ。同様にバカバカしい。
けども、何でもかんでも自分のせい、というのも愚かであって、思い上がりでもある。
過度の他責も自責も周りを幸せにしない。問題は解決しないし、自分も幸せになれない。


自分ができることを最大限考える。そのうえで、それに近づけるように努力する。
自分がどうにもできないことは、考えても仕方がない。


たった2つのこの原則だけで十分だと思うが、これがまた・・・


人目

2020-11-18 16:12:19 | 日記
目の前のことに集中できれば、他人は気にならない。専念し没頭していると、人が何を言おうと雑音にすらならない。遠くで何か言っているな、程度だ。そのように集中できる時間をどれだけ作り出すことができるか。人目が気になっているのは、焦り、功名心、敵愾心、その他もろもろ、よけいな想念に振り回されている。当然、能力を100%発揮できるわけがない。そのように専念する時間をどれだけ持てるか、それが大事だ。

お茶

2020-11-17 17:04:42 | 日記
熱いお茶をすすって飲む。それが普通の毎日だ。
ぬるい方が飲みやすい。でも、熱いお茶が出てくるうちが花なのだ。
毎日毎日、やけどしそうなお茶が出てくるから、目が覚めてシャキンとする。


何の心配事もなく、平穏無事に過ぎていく毎日、というのは、絵に描かれたものである。
少しは何か波風は立っている。それが普通であり常態である。熱いお茶で舌がやけどしそうになりつつもゴクンと飲み干し、おいしい、とは言わぬまでもなにかありがたい気持ちになる。
それが当たり前の毎日だと思う。それもなくなってただただ穏やかに過ごす、ということは残り僅かな時間の中だけ、だろう。


ちょっと舌がやけどしそうでも、毎日すすって飲む、ものだ。



自分の意見

2020-11-16 17:00:54 | 日記
その意見、感想は本当に自分のものか。
うわさを聞き、レビューを読み、人目を伺って作られた感想が本当に自分のものだろうか。


特に、権威には弱い。ボスが右といえば右、左といえば左を向く。誰かに自分の頭の中まで決めてもらう、それはいわゆる識者とか知識人でもそうだ。
対象と向かい合い、自分が思ったそのままのことを自分の意見とすればいい、だけなのにそれがなかなかできない。
できないのは孤立するのが怖いからだ。
だが、だれだって、そもそも孤立している。連帯があるかのような錯覚の中に生きているだけで、本質的には孤立している。


だから、誰が何と言おうと、自分のアタマで考えたことを、自分の考えとすればいい。