なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

尊敬

2020-11-25 16:25:15 | 日記
尊敬する気持ちは年々薄れる。それが正常だ。年々高まる、というのは崇拝、宗教に近い。


生身の人間は何かしら欠点がある。尊敬の念が過度に高まるとそれらを全く見ずに、自分の理想だけを対象となる人物に投影する。
すると、目の前にいるのは神様、という状態になる。当然無理がある。


気持ちが薄まっても、「それでも・・・は見習うべきだ」という気持ちを持ち続けていれば、素晴らしい。反動で軽蔑、誹謗になってしまうケースがあるが、それは残念だ。
生身の人間を、ありのままの状態で尊敬する。それは思いのほかに難しい。



大騒ぎ

2020-11-24 16:51:30 | 日記
大騒ぎするほどのことではない。ほとんどのことがそうだ。日々の哀楽、嬉しいこと腹立たしいこと、事件、出来事、全てどこにでもありふれたことだ。当事者にとっては大きなことでも、俯瞰すれば、ごく普通のことに過ぎない。
ごく普通のことで喜んだり焦ったり、振り回されて生きている。でもすべて、大騒ぎするようなことでもない。達観するのは難しい。のではあるが、そんなことには一切関係なく、世の中は動いている。森羅万象が回っている。大騒ぎしたくなり、実際するのだが、それほどのことでもないのだ。

大言壮語

2020-11-23 14:51:02 | 日記
根性でやる、と言う言い回しが精神論だと嫌われるようになってから随分とたつ。
確かに、出来ないのには原因があり、それが足りないかを適切に分析し処方し実行する力の方が大事だ。
とはいっても、適切な分析と処方、というのはかなり難しく、実行するのはさらに難しい。精神論で泥臭く解決する、ほうが現実的である場合も多い。
が、心をこわばらせ、筋肉を固くしたのでは続かない。根性を出してるつもりでもあっさり折れる。継続のためにはいっとき心拍数を挙げるだけではダメなのだ。
力むことなくじわじわと取り組まねばならない。その場合、大言壮語はしない。いちいち根性という言葉を口にするのはここに通じるから嫌われるのかもしれない。
それでもなお、大事なのだが。



違いは何か

2020-11-22 15:39:01 | 日記
誰でもどこか優れていることがあるはずだ、というのは確かにその通りではあるが、基準を他者に取ればその限りではない。どこもさして優れていることはなく、凡庸、あるいはそれ以下、というのは珍しくない。
そもそもこうした言葉は多くの場合、慰めのために発せられる。自信があって揺らぐことのないものに対しては言わない。
だがそれでも、教訓とすべきことはある。十人十色、誰でも他の人とは違う。同時に同じでもある。共通項と差異を調整することによってその人のジンセイが拓ける。全く違うように、全く同じように、は不可能である。というより、スタンダードもまた想定上の存在に過ぎない。
だがそれでも、違いを自覚することで同質な部分も見えてくる。つまり己を良く知ることができる。己をよく知っているということはアドバンテージになる。どこか優れているところは確かにある。誰でも。


足りないもの

2020-11-21 17:18:31 | 日記
足りないものが、いつか自然に満たされることがあるだろうか。
あるかもしれない。だがそれには変化が必要だ。足りていないことをしばらく忘れていて、忘れているうちに大きく変わって、いつの間にか満たされていた、ということはある。むろん、長い時間も必要だ。
短期的に補うには、明確な意志を持った努力が必要になる。そして努力したとしても満たされるとは限らない。むしろ焦って余計にチャンスをつぶしてしまうことすらある。


足りないものを満たすのは、それほどに大変なのだ。
そう簡単にはいかない。
不可能でもないけれど。