ダイエットなんてあまりやりたくはなかったが、
歩いて往復3キロ通勤だと、ひざに負担がかかるようになり、
ある程度本気でダイエットすることにした。
早速、昨日日曜日は1食抜き。
さらに、ホームセンターで体重計を買ってきた。安かったので、デジタルでなく、針式。
今のところ、乗ると、
クルッと一回転。
アーラお見事
なんて言ってる場合ではない。
一回転しちゃダメだ。
夏までには一回転しないようになりたい。
夏まで、といったって、別に水着を着よう、というわけではないが。
ダイエットなんてあまりやりたくはなかったが、
歩いて往復3キロ通勤だと、ひざに負担がかかるようになり、
ある程度本気でダイエットすることにした。
早速、昨日日曜日は1食抜き。
さらに、ホームセンターで体重計を買ってきた。安かったので、デジタルでなく、針式。
今のところ、乗ると、
クルッと一回転。
アーラお見事
なんて言ってる場合ではない。
一回転しちゃダメだ。
夏までには一回転しないようになりたい。
夏まで、といったって、別に水着を着よう、というわけではないが。
新しいことに挑戦するかどうか、悩むとき、
年齢を言い訳に躊躇することが増えてきた。
これはいけない。
時間なんてのは近代以降の発明で、所詮は概念のひとつにすぎないのだから、
時計で推し量れる物理的時間で、
自分が体験していく現実世界を規定するのは愚かしいことだ。
なんてことはわかっていても、年を取ればいろいろ衰えてくるし、
年相応、ということもそれなりに必要だ。
しかし、残りの時間を気にするばかりで、
ひたすらブレーキを踏んで生きていたってつまらない。
体を壊さない程度にアクセルも踏まなければ
時の流れに歯止めをかけることもできない。
過ぎ去りゆくものに、自らの「生」を刻み付けていきたい。
ちょっと最近の自分を反省してみた。
私はマニュアルをかなり重視する人間だが、
料理だけはどうしてもレシピ通りに作る、ということができない。
なんか、やってる最中にどんどん思いつきで適当な方向に向かって行ってしまう。
だから、毎回作り方がちょっとずつ違う。
以前はカレーを週1回は作っていた。その頃はうまくできたと思う。
塾を経営するようになってからは、あまり作らなくなった。時間がかかるので。
でもたまに食べたくなって、作ってみるのだが、なんか、いまいちだ。
昔、うまくできていたころの作り方を忘れてしまっている。
適当な作り方、と書いたが、これを反省しているかというと、そんなことは全くなく、結構満足している。自分の食べるものくらい、好きに作っていいだろって感じだ。
ただ、カレーに関してだけは、せめてメモくらい取っておけばよかったと思う。
20代のころ、農業実習をコロラド州でやっていたのだが、大きなスーパーには2週間に一度、SBのカレーのルーが2つ入荷するので、ほぼ自分ひとりで買い占めていた。
あの頃作っていたのが一番おいしかった。
まあでも、気候のせいかな。コロラドは乾燥していて暑いから汗かくし、肉体労働だったから塩分は足りなくなっているし。
でもなんか、それだけではなかったような気がする。あの頃の自分にはわかっていた、必殺の隠し技、なんかあったような気がする。
年を取ったからと言って普段、「あの日に帰りたい」とは大して思わないのだけど、カレー作りスランプだけはあの日を取り戻したい、と思っている。
説明することを生業としているので、
説明した後で「わかりません」と言われると、スイッチが入ってしまう。
別の切り口から、あるいは例題を持ち出して、何とかわからせようとする。
これは、講師としての本能といってよいだろう。
でも、今日は、これが災いしてしまった。
はっきり言ってバランスから考えればスルーすべき問題もある。
それを知りたい、とリクエストがあった時、
相手の学習状況に応じて、きちんと説明するなり、スルーしていいことを教えてあげるなりの、適切な判断が必要だ。
しかし、なるべくスルーは避けたいという気持ちと、前述の講師としての本能のせいで、今日はしつこい説明をしてしまった。
反省しよう。本能は大事だが、冷静さがなければ相手にとってプラスになることを提示できない。
わからない、というとき、どのような状態なのか。
自分に照らし合わせて考えてみる。
①言葉を知らない。用いられている言葉の意味、定義を知らない。
②背景となる考え方を知らない。その考え方を知っていることを前提として論理が展開されている。(学術論文がそう)
③論理の流れをフォローできない。
などかな。
こうした理由でわからない場合、そこを丁寧に解説した本や、教えてくれる先生が必要になると思う。
しかし、
①論理の流れが多少複雑なため、途中で嫌気がさしてあきらめてしまった。
ということもある。
こういう場合は、違う本を読んでも人に聞いてもダメだ。粘り強く理屈を拾っていかなければならない。
まだまだ、自分自身も勉強していかなければ。