膨大な言葉数でありながら、中身が全くない話もある。
全て聞き終えた時、見事なまでに何も残っていない。
あれができるのも一種の才覚だろう。
幸か不幸か、このような才覚に恵まれた人は珍しいわけではない。
ポイントだけを突き詰めれば愛想のない話し方になる。
ムダがあってもいい。どの程度を好むかは人によるだろう。
残らない話に共通していることは、形式論理が破たんしていることだ。
いやそんなものは考えたこともない、という人でも実は考え事をする際には依拠している。
AならばB BならばC 故にAならばC と書くとお固いが誰だってこんな考え方をしている。
とりとめもなく話していると、ここからどんどん逸脱していく。するとわけがわからなくなって、結果として全く残らない話になる。
論理は、普段の会話の中だって役に立っている。
全て聞き終えた時、見事なまでに何も残っていない。
あれができるのも一種の才覚だろう。
幸か不幸か、このような才覚に恵まれた人は珍しいわけではない。
ポイントだけを突き詰めれば愛想のない話し方になる。
ムダがあってもいい。どの程度を好むかは人によるだろう。
残らない話に共通していることは、形式論理が破たんしていることだ。
いやそんなものは考えたこともない、という人でも実は考え事をする際には依拠している。
AならばB BならばC 故にAならばC と書くとお固いが誰だってこんな考え方をしている。
とりとめもなく話していると、ここからどんどん逸脱していく。するとわけがわからなくなって、結果として全く残らない話になる。
論理は、普段の会話の中だって役に立っている。
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