ヌーおぢさんは投稿する

ネタが尽きるまでで始まり、現在に間延びしている・・・

浜小路:居酒屋

2012-08-28 05:00:00 | 飲食店
福岡での夕食。ホテルの近隣紹介店として載っていた。

個人経営の居酒屋。カウンター主体の小さな店だが雰囲気が良い。


2・3人が席を。カウンター内には40代らしき主人と母親なのか、静かに調理をしていた。


店内では山笠の暖簾が掲げられていたが、ここの主人がやるのか?

聞きそびれた。


しかも、


主人は雰囲気的にこんな感じに近い?



突き出しのキャベツが甘く、ぱりぱりと頂く。

お任せの串焼きなどを注文。美味しい! だが塩味がちょいキツイ。



豆腐ステーキはシンプルなもめん豆腐の上に、そぼろ風に牛肉をトッピング。

手羽先は外がパリパリで、中はジューシーである。どれも、オリジナルな味が良い。


串も含めて、膳滝的に塩味や濃い目な味付けである。私は好きであるのネ。





博多と言えばもつ鍋である。漏れなく注文。これはお母さんが作る役目のようだ。

餃子の皮で覆われている!このようなのは初めてで、オリジナル。


〆はやはり雑炊だ。しっかりとタラフクと頂きました。

個人的には、とき卵を入れるのが良いな!などと思うのであった。




途中、常連客がやってきて主人と広島の話題で盛り上がっていた。

そこで、すかさず話題に乗り込む。

広島の話題・食事・観光地・土産物などと話が盛り上がった。


そのおかげなのか、酒を色々と注文するのに話題を投げかけてくれた。

その中で主人曰く「魔王」も良いけど「佐藤」そして次に「村尾」が良いと。

確かに、飲みやすく喉越しがよくて焼酎という感があるのは「佐藤」だと感じた。

佐藤も白と黒があるのだが、私にはその違いは良く分からん。だが、美味しい。


酒代が高くついた食事でした・・・・(飲み代は私が払うのであった)

けど、楽しい食事であった。




焼き鳥・もつ鍋「浜小路」

〒812-0023 福岡市博多区奈良屋町4-18    TEL 092-281-7015

営業時間:11:30~13:00(ランチ)/17:00~23:00

マリンホテル新館

2012-08-25 15:00:00 | お宿
鹿児島への旅行に際してワンクッション入れたホテル。

博多港近くで都市高速1・2号が近くを走る。

博多駅や中州に歩いて行くにはちょいと時間を要す。


街中のビル群にあるので、土地感の弱い人は地図で確認すると良い。


ホテルの受付は2階。エントランスは階段またはエレベーターで。

ドアを開けると目前に螺旋階段が。折角なので歩いていく。


シティホテルという如何にもと言う雰囲気が漂う。


出発前の無料モーニングコーヒーが(7:00~10:00/2Fロビー:セルフ)。

チェックインでのスタッフのオネイさんは笑顔で対応で気持ちよかった。

しかし、チェックアウト時の人は能面的な顔で、態度や言葉が非常に事務的で投げるような感

じであった。客に嫌な感じを与えるのは悲しいことである。




広さは13m2と決して広いとはいえないが、ちょい泊まりであれば十分である。

ベッドサイズ125㎝×200㎝なので余裕で寛げる。


ネットは無線LAN付、レディースセット(よくある小物である)サービス!




電気ポットがあるのだが電磁式湯沸し器が常設(今は使わないけど名残ですね)

懐かしく思わずスイッチを入れてしまう(物が載っていないので直ぐに切れるけど)。




マリンホテル新館

グルーポン利用3980円/2人(51%OFF)素泊まり、駐車料金1050円で計5030円でした。


福岡都市高速2号呉服町ランプから1分、都市高速1号築港ランプで降りて2分

地下鉄中洲川端駅7番出口より徒歩8分



福岡は何度も来ており、今回は福岡の街中を単純に車窓ドライブに徹する。

大宰府ICより一路、鹿児島を目指してひた走るのであった。

夏休暇は九州横断

2012-08-24 05:00:00 | レジャー/イベント
今年の夏休暇は九州・鹿児島。

世間では九州新幹線開通で盛り上がっていると言う話を耳にする。

実際、私の周りでも鹿児島方面に行ったとの話が出る。


私は車での移動なのでJRの恩恵は微塵?も無し。

観光地巡りでここは外せないでしょう!という場所にも行かず、好き勝手に車を走らせた。


宿から宿への移動過程を中心に、そこにある観光地を限られた時間でイザっ!と進む。

何せ、宿を堪能するのでチェックアウトは昼前となる。

チェックインは17時前後と設定しているので、移動を含めて5~6時間の観光である。


福岡・鹿児島・熊本の3県を泊まり歩く。

結構な広い範囲なのだが楽しめた。

のは良いのだが、兎にも角にも暑かった。

汗を噴出しながらの旅行であったので、風呂、取り分け温泉に入る心地よさは格別であった。


今回も色々とエピソードを積めるモノとなった。

写真館は売り物件

2012-08-21 05:00:00 | 雑記
以前、嫁さんのピアノ発表会の撮影依頼で、地元の写真館に依頼。

ところが、メモリーカード画像の誤消去憤慨事件があった。

謝罪も無く、経緯のみ話すだけに終始した写真館だった。




先日、1000円カットの店が近くにあるので通りかかると。。。。


潰れたのか、移転したのかは不明。



地元のことなので難癖と見られるのも嫌だったことから、声を荒げた言い方はしなかった。

とはいうものの、このようなことをアップしていると言うことは何らかのルートでこの文面を

知られて、面と言っているも同じなのではあるが・・・・

盆休みは鹿児島へ

2012-08-18 05:00:00 | レジャー/イベント
鹿児島へはなかなか行くことがない。

で、計画してみた。

鹿児島中心に3泊である。

無論、車で行く。

時間制限はホテルのチェックイン、チェックアウトのみである。

後は、どうしようと自由だ~っ!


と言うわけで、観光をテンコ盛りではなく景色や街を中心に点々と移動するのである。


さて、どんな旅となるのか楽しみである。





あっ、本日帰宅予定である。

銀杏の大木:柳井市・普慶寺

2012-08-17 05:00:00 | レジャー/イベント
柳井市は寺が多い。姫田町というところも寺が多い。

各寺院で巨木を配しているところも少なくない。

立派な銀杏の木を見かけた。



このときは5月の連休であったが、紅葉の時期は良いだろうなと。


ここは、国木田独歩が住んでいたと言う住居の観光処目前に見える。


巨木巡りで市内を散策するのも面白いかも。

デジカメ落下させる

2012-08-16 05:00:00 | 雑記
今年の春先である。

出かけようとデジカメを持った。

そのとたんに、私の意志とは無関係に指から(手ではない)するりと抜けて行った。


あっと思った瞬間、廊下の床に高さ約50cmから激突?!

しかも、本体の角が床と衝突。


あわわと思いながら電源を入れる。

レンズ繰り出し不良の表示が出て・・・・・(涙・ナミダ・なみだ






仕方ないので、新規購入と相成った。

八幡川酒造:純米酒・中生新千本米使用

2012-08-15 05:00:00 | 
広島市佐伯区にある酒蔵の純米酒。



シンプルでいかにも昔からある酒!というラベル。

燗酒コンテスト2011(スローフードジャパン・酒文化研究所主催)で、金賞取得とのこと。


原材料米・米麹  精米歩合:70%  原材料米・米麹  アルコール度:15度

酸度:1.8  日本酒度:+1.0





食用にも使われると言う中生新千本(なかてしんせんぼん)という地元米を100%使用。

「しっとりとしたふくみのある味」となっているが、ちょいとクセがある。


燗というので金賞だが、私は冷酒で飲むのが好きなので燗は無し。

燗での味も何となく予測が出来る。


香りは良いのだが、味に古酒的な感じがした。好みが分かれそうな感じである。


八剣伝:1000円食事券当たる!

2012-08-14 05:00:00 | 飲食店
チェーン店で至る所でみかける居酒屋。

大竹のみどり橋店へ前回食べに言ったときにアンケートに答えた。

で、1000円お食事券が当たる! いそいそと出かけるのであった。




あれやこれやと注文する。





甘辛の味付けで、私好みである。



サラダとササミが美味しく味付けされていた。



生馬刺し肉は旨い!胡麻油と玉子が合う。



串盛りは外せない。というより串モノは食べないと。



焼きムスビ(バターと味噌)はおしい。もう少し醤油が強いと旨さや香ばしさが広がるのだが。






カープとサンフレッチェのグッズで溢れている。大画面のTVもあって楽しめる。


他店はほとんど行った事が無いのでどのような様子かは知らんが。。。。

飲み代を差し引いて2人で約3000円と、1000円引きは懐に大きいのである。

また、当たれ!!

田舎の風呂は薪をくべる

2012-08-13 05:00:00 | 雑記
お盆には早いが、お袋さんを連れて田舎へ墓参へ。

祖父は既に他界しており、祖母は百寿を前にしているがホームに居る。

ので、田舎の家は誰一人としていない。

墓も含めて、隣の親戚が家を守ってくれている。


その親戚に挨拶を。

元気そうで何よりであったが、ふと見ると煙が。

いまだに、木をくべて湯を焚いてるんじゃの~と、街中に住むものにとって感動ものだった。

ゆめせんぼん:純米吟醸

2012-08-12 05:00:00 | 
世羅郡で作られた世羅産の品種「ゆめせんぼん」を使ったお酒。

「世羅郡純米酒を作る会」が山岡酒造と企画したもの。


飲みやすく、サッパリしている。

原材料:米・米麹  精米歩合:60%  アルコール度:15度以上16度未満

酸度:1.7  日本酒度:+8  アミノ酸度:0.9


世羅にある農園芸関連の施設で手に入れられるものと思われる。

5月に世羅へ行ったときに買い求めた。



山岡酒造のブランドは「瑞冠(ずいかん)」

カフェテラス北山

2012-08-11 05:00:00 | 飲食店
廿日市市栗栖といえば小瀬川温泉があり、近くの川沿いにログハウスのカフェが。



オープンして十数年になるのか?

それ以前は建物など違う飲食店だったような。




カレーが美味しいということで寄ってみた(17時頃)のだが・・・・

その日は大盛況だったとのことで、15時頃には売切れてしまったとのこと。




涙を流しながらケーキセットを注文。

深入りオリジナルコーヒーを注文。

旨い!ゴクゴクといきたいのだが、ケーキがあるので堪えながら口に運ぶ。


食器も凝っている。


「アールグレイのシフォンケーキ」と「バナナのチーズケーキ」


その前の週にも寄ったのだが、遅すぎて閉店の時間と重なった。

マスターより申し訳ないと言われたが、時間確認せずに寄ったこちらも不足であった。

で、割引券を頂く(謝!嬉

翌週に足を、と相成ったのである。


ワンちゃんも大人しく私たちを眺めていた。(名前を聞くのを忘れた)






カフェテラス北山 HPはこちら

広島県廿日市市栗栖114-181 tel:0829-40-1074

山で芝刈り除夜の鐘:吉和の森チェリーツリーGC

2012-08-09 05:00:00 | レジャー/イベント
ここは何度目だろう。会社のコンペで今回も。



スタッフに知人が居て、今回も会えた。

が、私が登場する前に私のことを会社の人達に吹聴していた。

「練習を全くしないのにスコアをまとめるぬっさん」と。

練習グラウンド集合前に皆からはやされてしまい、苦笑。

相変わらずの吾郎さんであった。



この日は陽射しも申し分もなく強情に降り注いでいた。

しかも、青い空と入道雲がはびこって紫外線が容赦なく降り注いでいた。

途中では空でゴロゴロと響いていたが、無事ラウンド終了。


当然ながら、私の白い玉のような肌が赤黒くひりひり肌になったのは言うまでもない。

湯に肌を当てると、ヒョエ~っ!!!タオルを柔らかく当てる。

体を一番に洗った後は、約5秒間にわたり肩まで湯に浸かる。

そして、そそくさと脱衣場へ。

あーっサッパリしたといいながら、噴出す汗を堪えるのであった。



汗をかくと言うことは気持ちがええの~なんて、ミーティングでつまみをパクパク、冷コー

(死語)をゴクゴクと。無事表彰式も終わり、帰宅の途へ。

心配していた雨も帰宅間際で通り雨としてサッと過ぎる。



佐伯の津田にある岩倉キャンプ場では佐伯水祭りが開催されていた。

人出があり賑やかであった。

そういえば、佐伯に20年以上前に住み始めたのだが一度も行った事が無い・・・・



スコア? タイトル通りである(OUT57・IN51)。

練習をしないぬっさんは100~110でまとめるのであった。

黒い雨に打たれて

2012-08-07 05:00:00 | 雑記
私の父は黒い雨に打たれている。それ以外の詳細は聞かされていない。

ただ、悲惨な惨状だったとだけ。聞いても口が非常に重く閉ざされていた。

母も父からはほとんど何も聞いていない。喋らなかったと。



6日、仕事帰りに実家に寄った時に、慰霊祭のニュースを見ながらお袋が語った。

母から初めて聞いた話が、幾つかあった。



母は旧 加計町の山奥に住んでいた。その日の朝は突然の強風が吹いた。

加計の街中の生徒(国民学校)らとともに麻を縫う仕事を手伝っていた。

何事だろうかと思った。午後、黒い雨が降った。

真っ黒では無くかなりの薄墨のようで、白い服が汚れると言うのが分かる程度。

黒い雨の範囲が取り沙汰されているが、加計での降雨は単なる埃を含んだだけのものなのか、

放射能物質を含んでいたのか。



お札が田んぼに落ちていたと後年、祖母が母に語った。

上昇気流に乗り、数十キロ先まで吹き飛ばされていたのである。



父は持病で痔ろう持ちであったが20代には年々悪くなり、出血も酷くなっていった。

夏でも股下(ステテコ)を何枚も持ち歩いて仕事をしていた。

医者からは40才までは元気で居られるかどうかと。

これが黒い雨によるものかどうかは不明。



父の祖父は50代で他界、長男の父は一家の大黒柱として年の離れた兄弟の面倒を。

皆が働けるようになり、30代になってからの結婚だった。

家族と自分の健康と言うことで結婚に対してどのような思いであっただろうか。

母は黒い雨のことを後年、父から聞いたそうだが私が無事生まれてからのこと。

幸いにも父は40代を無事乗り切った。



父が50代の時に精密検診を受ける機会が。

結果、何ら問題無いことに非常に喜んでいたと母から聞かされたことが印象的に残っている。

黒い雨に打たれていることから尚更、私の記憶に鮮明に残っている。



祖父(母の父)は満州より引き揚げ後、勤労奉仕で安佐南区(現 祇園小学校)にいた。

祖母が様子伺いで祇園小学校へ訪ねて帰宅した翌日に、原爆が投下された。

幸い祖父は無事であったが、直後から一ヶ月に亘り市内の片付けを行った。

亡くなった人を引っかき棒で山に積んで火葬。あちらこちらに人の山が。

異様な臭いが至るところに充満して酷かったと。

それ以降は、原爆についてほとんど話さなかったという。



父も祖父も語れないほど、口を閉ざすほどの惨状を見た。

その両名が逝って久しい。その口が開かれることは無い。

どのような思いであったのか。今では、それは定かでない。



今、その胸の内を勇気をもって開かれて語られる人が語り部として、次世代へ向かってと増え

ているという。

悲劇を過去のものとして封じ込めてはいけないのである。