ヌーおぢさんは投稿する

ネタが尽きるまでで始まり、現在に間延びしている・・・

るり渓

2013-04-14 14:00:00 | 旅行
京都の南丹市薗部町を流れる薗部川沿いの標高約500mあたりにある渓谷。

国道372号線から府道薗部能勢線を行く。


ド派手な看板がそそり立つ。


長さは4kmあり、るり渓十二勝という見所もあるが、旅行なのでそのような時間は無い。


このあたりは「るり渓温泉」の発祥であるようだが、閉店・閉館している場所が多くてゴースト

タウンのようであった。

もとは立派であったろうと思われる店・家も寂しく佇んでいた。


川沿いの岩場はそれなりの雰囲気で、下流部メインの鳴瀑までを散策。





渓谷は早くも昭和7年に名勝指定されており、石碑が古さを感じさせる。





鳴瀑(めいばく):数段に分かれており、落差4mくらい?

増水時には右手の流れも豪快であろう。


下流部の冒頭部分を見て雰囲気だけを堪能。上流部は民家が出てきて終了する。

最上流部は人造湖「通天湖」があり、ボートなどのレジャー施設もある。

突然に現れるので何かと思った。



この先は高原となり、新しい「るり渓温泉」?が。ゴルフ場もある。

ここの温泉で1泊して、温泉を堪能した。





(2012年11月下旬訪問)

山田の凱旋門

2013-04-12 05:00:00 | 旅行
明治37・38年に行われた日露戦争勝利の記念で作られた石造り門。



当時の山田村は交易上の地点の有益な一つで栄えていた。


国登録の有形文化財に指定される貴重なもの。

熊本宮崎鹿児島の3県で行われていたらしいが、現存しているのは少ないらしい。



戦争勝利は国威発揚の意義もあることから色々と行った一つであるようだ。

沖ノ島付近での戦いは大国ロシアに勝利で民意を促した。

しかし、誤った奢るれる思想にいつしか飛び込んで行った上層部の原点であろう。

それまでは極東の小さな勝利のみであったので。



それはともかく、無事に帰還した人々への労いも含めて多くがここをくぐったことであろう。


今は静寂漂うひっそりとしたなかに厳かに佇んでいるという感じを受けた。

歴史の過去という表現がひっそりと存在しているという佇まいが。


門の左奥山肌には防空壕?らしき穴が見れるが果たして何なのか。



地方に行くと色々なことが垣間見れるのである。



(2012年9月訪問)

商店街・通りの名前って

2013-03-12 05:00:00 | 旅行
銀・金座街などという名が付いた通りがあちらこちらに存在する。

ついでに「通り」もプラス命名されている場所も。

更には「商店街」という言葉が追加されたりして長いネーミングも。

どういう謂れで全国で採用されているのかは知らんが。

ともかく、その地名や由来ある名前を冠してないと、金座街といわれてもどこの?である。


車が通れる通り、通れない通り。人が歩くのがやっとという通り。

立派な屋根付き、ホロ張りの屋根、果てはブルーシート屋根など。

商店が軒並みという通りは、全国の何処にでもある。

そんな通りを自分の住む地元と比較しながら歩くのは楽しい。

比較しなくても、単純に楽しい。


紅葉の清水寺

2013-02-10 16:00:00 | 旅行
京都を代表する一つが清水寺。市街地東側に位置し、観光大定番だ。

車で東大路通りを南下したが、清水寺参道入り口付近は大渋滞。時間は午後2時頃。


参道入り口からは坂道となる。この寺までの道を清水道というらしい。で、数百m先に駐車場

Timesに空きがあった。丁度良かった! 会員登録して間が無く、入会キャンペーン100円券も

あったので利用。

スタッフが居て会員登録を勧めていたが、入会済みを告げるとパンフレットをくれた。京都市

内のTimesを網羅した小冊子。凄い数があるのね、などと感心仕切りであった。



それはともかく、寺へは2本の道があって上り左手は清水坂(松原通)といい、賑やかで人通り

も多く、土産物通りという印象だった。(途中で引き返したので全ては不明)

で、右手の新清水通(茶わん坂)を行くが、人も少なく歩きやすい。工芸・陶器・食べ物が多

いという印象。途中に、双方の道へ行き来できる石段通りが1本ある。



仁王門・西門(右奥)・三重の塔が見えるところが入り口となる。


田村堂(修復中)横で拝観受付(300円)した先が本堂・舞台である。

いきなり、清水の舞台が眼前に広がる。知らなかったが、床に段差があり前側に行くほど低く

されていた。三方開放で眺望も開けて絶景である。


定番の位置(奥の院より:修復中で仮歩道に)より撮影:京都市内も少し見える。


舞台より、前方の眺望を。


紅葉の時期に来て良かったとほくそ笑むのであった。

しかし、流石の有名所なので平日とはいえ紅葉の時期でもある。人出の量はハンパ無い。

歴史的建築物を観に来ているのか、人を見に来ているのか・・・(自身も人出の一人である




「清水の舞台から飛び降りる」の諺があるように、高い所にあるのが良く分かる。

柱はケヤキを139本使用しているとのこと。(140本だと丁度で良かったのにとつぶやく)


音羽の滝というのがあるのだが、事前調査なしだったので行くと・・・

湧水を落下させているだけだが、滝っちゃ滝か・・・(思惑と違ってたので画像は無し)



修復中の場所が多かった。二条城に行ったときもそうだった。

予算的に近年になっているのか?当分は頬被りしている建築物を観ることに。



帰路は午後4時前頃だったが、渋滞はほぼ解消されていた。

駐車退場の際にもスタッフが続けて勧誘を進めていた。男性から女性に替わっていた。

ところで、坂道上部の駐車場は空きが多く穴場であると。

道の駅・久米の里「Zガンダム」

2013-01-21 23:00:00 | 旅行
岡山県の山間、津山市の国道181号線沿いの道の駅「久米の里」にガンダム模型が設置。

地元の中元正一氏が7年掛けて製作した動く模型で、町に2000年に寄贈。


目立つ。でかい!凄い!

感謝状が出て顕彰銘もあるが、個人名でなく「ガンダム殿」となっている・・・・

ガンダムといっても、2作目のzガンダムを再現しているという。



7mで縮尺は1/3設定だが、アニメ設定では21mということに。

油圧式で稼動可能で、胸部は実際のようにコクピットが設けられている。

そんなことより、カンジキのような足元に感激したのであった。



油圧シリンダー?が搭載されているが、動かすのは大変かも。

また、コクピットに何処までの大きさが入るのか。(搭乗体験は年に一度だけらしい)


明治初期の基準点:京都・清水寺

2013-01-20 15:00:00 | 旅行
高舞台で有名な清水寺の入り口である朱色の仁王門。

記念撮影場所でもあり、ビシバシと撮影行列?順番があった。

修学旅行も多く、ごった返していた。







そんな仁王門の前に測量用基準点がある。

それを見ないで、または気が付いても大して気にも留めずに多くは門をくぐっていく。

一見してただの四角い石という印象を受けるが、これは明治初期の測量用基準点。



イギリスの測量技術を導入して、京都市街地図を作成するために設置された基準点とのこと。

当時の内務省地理量(地理局)が27箇所に設置し、現存して唯一残っている物だそうだ。

そんな歴史あるのものが何故に門の前に設置されたのか。

位置的にそんなに良かったのか。現状の景色、環境では計り知れない。

宮ヶ浜駅:JR指宿枕崎線

2013-01-10 05:15:00 | 旅行
指宿枕崎線は薩摩半島を巡れる単線で鹿児島駅発で、名の通りその辺りへ行く!という線名。

日本最南端の西大山駅もその一つ。


この方面だと指宿に宿泊するのがセオリー?だが、天邪鬼の私はそうは行かない。

「宮ヶ浜」という無人駅があり、その付近の宿に。が、宿は置いといて駅についてである。


「ゆくさおさいじゃした」という歓迎の言葉が案内看板に。


無人駅という静寂さと侘しさが同居するが、何かしら明るい雰囲気を醸し出していた。

付近は工事関係の人、パトが走る、二十歳前後のニイちゃんが駅で待つなどと変な感じ。



何やらちょいと賑やかな雰囲気ながら、駅前は殺風景な静かな様相を示している。

商店街という雰囲気もなく住宅が並び、違和感無く空気が流れている。


主要国道226号線よりも立派な道が、線路と海岸の間に並行に走っている。

結構、車の往来が多い。何のために出来たのかは不詳である。そこから撮影。




南国という雰囲気の一部を少し撒き散らしながらの土地であった。

私の住む街とは空気感が全く違うのであった。(当然なのだが

JR日本最南端の駅・西大山駅

2013-01-09 19:30:00 | 旅行
薩摩半島をJR指宿枕崎線が走っているが、西大山(にしおおやま)駅が最南端駅となる。

北緯31度11分という緯度が示されている。ここは指宿市の川大山という地とのこと。



駅舎は休憩所的な簡易な造りとなっておりショボイ。

簡易なプラットホームと簡易な屋根が一つ。

全て簡易である。よく言えばシンプル?である。

雨が降ったり止んだりの天候であったが、居た間は観光客が途切れることがなかった。

流石に小さい駅とはいえ有名地だと感心するのであった。



幸福の黄色いポスト(実用ポスト)や幸福の鐘(鳴らした)がある。

鐘は皆が鳴らすと流石に連続では五月蝿いのであった。

以前に紹介の「ぐりぶー(花かごしま2011マスコット)」看板が設置されていた。

生憎の天候とはいえ、開聞岳の姿を拝めたことは幸いであった。



20年位前にこの山を登って以来、この付近の地に足を踏み入れたことになる。

当時は開門駅で降りての登山だった。


格好の記念撮影場所でビシバシと撮り捲った。


駅前にプレハブ建て土産物店があり、漬物類メインで並んでいた。で、幾つかを買い求めた。

付近の風景写真や歴史関連を(ここでも)簡易だが展示してある。

寄ってみるのも良いかも。



2012年9月中旬訪問

京都御苑を散策

2013-01-08 05:30:00 | 旅行
苑内は緑が多いが、紅葉時期だったので素晴らしい色合いを見ることが出来た。

また、ビシバシと撮影する老若男女をあちらこちらで見かけることが出来た。








苑内は学習院跡、幕末公武合体で翻弄された皇女・和宮の橋本家跡も。(いずれも更地だが

また、何チャラという高貴な家柄の屋敷跡や庭園跡など散見できる。



クロマツ上部に植生した桜が、松の倒木後も元気に花を咲かすという「桜松」がある。

桜の時期は変わった感じで面白そうだ。




「車返し桜」

後水尾天皇があまりの美しさに、御車を引返してでも観賞するに値したという故事から命名。

時期的に観たくても観れない状況なので、引き返さない私であった。




「清水谷家の椋」という立派な樹が。屋敷がこの辺りにあったことからだという。

枝振りは良いが、樹齢300年で支えが必要な状況。




色々な様相を見せる御苑であった。



宮内庁の御苑事務所は平屋建てで周囲の景観に配慮しているらしい。


中立売の休憩所で一服して、苑内を紹介する隣に隣接する小さな展示ホールを見学。

そして、御苑を後に「清水寺」へ。時は昼過ぎであった。

京都御苑の門

2013-01-08 05:00:00 | 旅行
御苑は、規模や内容は違うが各地の都市にも見られる公園と通じる。

ジモティの散歩コースにもなっているようだ。

車で苑内に入れる。中立売御門(なかだちうりごもん)より入苑。(当然、有料!

大型のバスも入れる大きさの門である。でかい!


駐車開閉バーが異様な機械音的な金属を擦るような音を立てながら上下する。

喧しい!などと、ほざきながら苑内を散策し始めた。


隣の門は「蛤御門」で長州藩と会津藩の歴史的攻防「蛤御門の変」で知られる。

中立売御門とかなり似ている構造のようだ。


建柱は戦闘による鉄砲の傷跡が生々しく残っている。白く凹んでいるのが弾痕である。

歴史を感じるの~と感慨に耽っていると、近所の保育園生が元気に散歩に。

歴史的な建物とチビッ子達。えエ~雰囲気やの~っと。



苑内は大きく京都御所と京都大宮御所があり、白く分厚く高い築地塀で囲まれている。




結構、見応えあり。


大宮御所では参拝者が陸続と出入りしてた。警備員も陣取っている。

ここは事前に許可証を申請しないと入所できない。



御苑は門が多く、幾つかを紹介してみた。

御苑で門は10箇所、京都御所6箇所、大宮御所2箇所で、夫々趣の違う建築デザイン。

御苑、御所ともに兎に角、門、もん、モンがこれでもか!と言うくらいあって悶々に・・・



御苑は歩け歩け運動と相成る広さを持つ。

ひたすらに散策にと励むのであった。(ただ歩くだけでも30分以上は要する)

京都・二条城

2012-12-28 05:00:00 | 旅行
街のど真ん中にある京都代表の御殿の一つ。

堀川通り沿い駐車場へ車を。直ぐ横が入場口「東大手門」なので便利。


最初の「東大手門」をくぐると敷地内だが、門・もん・モンと続く。


3つ目の「唐門」は豪華絢爛だが・・・・修復中で全面防護シート!

再来年まで看板写真で我慢してね、ということであった・・・



で、残念さを抱きながらくぐると「二の丸御殿」が目前に。

絶好の撮影場所なので皆がビシバシと。私も負けずに。

安土桃山時代の書院造建築で屋根がゴッツイ!部屋33部屋・総畳数800畳とこれも凄い!

金襖・屏風・壁・彫刻等の装飾や、歩くと鳴く鶯張り廊下と「技術と金」を掛けている!

音鳴り(鶯張り)廊下は、侵入者や人の気配を感知する警報装置でもあるという。



TV「なんでも鑑定団」でも知られるようになった狩野派の壁画がふんだんにある。

歴史上の「大政奉還」の舞台ともなったが、ここの二の丸である。

感心しながら順路に従い、二の丸を出ると大きな池を抱く山紫水明の庭園が広がる。

周囲では欧州・アジア系の観光客が歓声を上げながらビシバシと撮影を。

私も漏れずに撮影していたら、思わずスルリと指からカメラが抜けていく?!

「ガッ!」という音に全身の血の気が引く。悪いことに足元は踏み石だ。

すかさず拾い上げあわてて確認操作を行うと、全て正常に作動・表示する。

「ホッ」と胸を撫で下ろす。側面からの落下で周囲のフレームが若干歪んだ。

{宿に戻ってから修正したが、見た目もどうにか復元できてラッキーだった!}


その後は気を取り直して散策を続ける。

奥の方は城壁や天守閣跡で、本丸や周囲の御殿内を展望でき、紅葉も綺麗であった。


内堀の周囲を巡ると静かな佇まいの「清流園」があり、銀杏の黄色も鮮やかだった。

「賀茂七石」という京都付近の産出石を庭石とした造園も。

しかし、小さすぎてショボク感じた・・・(造詣の無い私の感想である!



二の丸の裏手はちょいとショボイ。土塀で隠れているので助かるが。

くれぐれも裏木戸から中を覗くのはご法度である。(大概は悲しい雰囲気を

最後は土産物がある建物に入ってしばし休憩。

寒い時期であるので、暖房はありがたいのであった。


こうして、かの二条城という観光定番を見れて安心したのであった。

この日、次にまたもや定番の金閣寺観光へと向かった。

知林ヶ島と魚見岳

2012-12-25 05:00:00 | 旅行
鹿児島・薩摩半島の指宿近くの知林ヶ島(ちりんがしま)。

干潮時に2~3時間程度、約800mの砂州が現れる田良岬と島が陸続きに。

島の周囲3km、標高90mで遊歩道も整備されている。

2012年9月であったが、生憎の天候で時々雨に降られたりも。

が、幸いなことに雨足も大したことは無く堪能することが出来た。

砂州の手前にはハート型オブジェがあり、角度を調整して島をバックに撮影も。


島に渡る人も多いが、渡らない人も多い。私は渡らない派に属した。(天候が・・



島に行くにはオーストラリアの森?という大きな公園を横切る。

天気が良ければ人出が有りそうである。駐車場が広くて無料であったのが嬉しい。

後方の崖のような山は魚見岳という山並みの一部。太古の火山噴火の名残が。



サンビーチと呼ばれる海岸から指宿の町並みも眺望できる。




知林ヶ島は近くの山、魚見岳(うおみだけ)から俯角で観ることも出来る。

車で案内に沿って町道を走ると小ちゃな案内看板が。

展望所までの距離は差ほどでもないのだが、道は広くない。



魚見岳(標高214.8m)から見る風景も中々だ。


天候のせいなのか、ここまでやって来る人影はなかった。



と、思っていたらここで本格的に雨が落ちてきた。

そそくさと車に乗り込み、指宿の町へと足を向けた。

紅葉の金閣

2012-12-16 05:00:00 | 旅行
金閣寺(鹿苑寺:ろくおんじ)をお初に。

駐車場まで長い車列が。歩く人も凄い。平日の昼過ぎだが流石だな!と。


実は今まで、金閣寺・銀閣寺との位置関係が分かっていなかった。

京都の街を挟んで西に金閣寺、東に銀閣寺だったのね、と。


第一駐車場からだと道沿い左手に黒門、先は総門となり、寺!という雰囲気が漂う。

先の道を行くと左手に鐘楼があり、一突き100円!

はハっ(~_~;)・・と思っていたら、唐門前で拝観料の受付だ。400円である。



大本命は直ぐに顔を現す。観覧エリアに人・ひと・ヒト!

警備員が大声で誘導。が、英語圏外のアジア系が多い(意味が解らないだろうに)・・・

ので、行き交う道筋が乱脈となり益々渋滞していた(苦笑


立派で、成る程と思わせる豪奢な建物だと感心仕切りの私であった。

鏡湖池(きょうこち)を挟んで葦原島(あしはらしま)の向こうに見える金閣は絵になる。

度々に紹介される代表風景だが、そこに来ているんだなと言う実感が湧く。



広大な敷地を有するここ鹿苑寺は足利北山文化を残す庭園寺で、足利義満の別荘地。

黄金に輝く楼閣「舎利殿・金閣」は義満の別荘・迎賓建物のこと。

代表されて金閣寺の呼称・総称で広く流布。戦後に消失し、現在のものは復元建築。



鏡湖池周囲を行くと「陸舟の松」を要する小さな方丈庭園がある。

松枝の広がりを竹編み筏で支えている変わった風貌であり、度々紹介される風景でもある。

後方は写経場とされる建物で屋根が変わっており、櫓的部分に板塀のようなものが??



頂上の鳳凰の上に居るカラスで盛り上がっていた。人間様を見下ろす姿は見事である。

最初の金閣の画像をよく見るとテッペンに黒い影が。その時から居たようである。


裏手の金閣も趣がある。白砂・白石が松の緑と相まって見応えがある。

カラスの野郎が未だ居る。




ここを過ぎると小山を登ることに。

義満がお茶で使ったとされる泉「銀河泉」、上部の安民沢(あんみんたく)という池から流れ

落ちる「龍門滝」。どれもショボイが、小規模な中に景色を造るという小粋さでもあろう。

しかし、何処にでも命名される龍を関する名前。他に名案は無かったのか。



安民沢は白蛇の塚付近に雰囲気がある!と感じた。丸太の橋が意外にもとマッチしていた。



更に登ると夕佳亭(せっかてい)と呼ばれる茶庵があり、ここからの金閣眺望も良い。

ここからは下って行く。紅葉の素晴らしい木を見かけたが違和感が。

よ~く見ると手提げ袋が枝に!

傍らで、おばちゃま達が枯葉の清掃作業を。あんた等のか!!(T_T)



気を落として歩くとお茶所・土産物屋が出てくる中に不動堂が。

賑やかな雰囲気に気を取り戻す。

「お焚き上げ」の護摩法要が行われていた。

どうも「お焚き上げ」と聞くと霊障除去の場面を思い出す(TVの影響は大きい:苦笑)

ある意味、その意も含まれるとも云える行為であるが。

それは兎も角、ぐるりと境内を回ること約45分で駐車場に。

色々と、えエもんを見させて貰ったと地を後にした。



ところで、拝観チケットとして長さ30cmはあろうかという大きなお札をくれる。

それと、境内にゴミ箱が設置されいるがそこに札を捨ててもOK!と記載されている。

祈念入願されているという札をいとも簡単に、という記載はなんだかね・・・

確かに手に余るのだがネ。




2012年11月最終週だったが、紅葉は終わりを告げようとしていた。

鋸橋:嬉野温泉

2012-12-12 05:00:00 | 旅行
嬉野温泉に行った時に、市街地の外れを走っていたら偶然に。

名前が「鋸橋(のこぎりはし」である。謂れは特に調べていないので不明。

とりあえず放置しておく。気が向いたら調べるかも。



町外れの郊外線といった感じの、幹線道路の様相を呈している県道41号線に架かる橋。

市街地に入っていくことになる道で、田畑が広がる呑気な雰囲気の中の橋という感である。



欄干の四隅には備前古田焼きのオブジェが燦然と輝いていた。

笑えるものも一つあったが・・・




2003年(H15年)架け替えられている?





嬉野温泉はつるつるスベスベ湯として知られている。

嬉野は2度目で、大昔に会社の慰安旅行で来たことがある。

場所は忘却の彼方である・・・

名神高速で水琴窟を見る!

2012-12-04 05:00:00 | 旅行
京都へ出かけた折、名神高速を走行中にもよおしてきた。

桂川PA(上り)案内が目に飛び込む。車を緊急にPAに停める。

トイレへ駆け込む!(目の片隅に異様なおぼろげな光景が飛び込んでいたが無視!


用も終えて落ち着いたので、手洗い場でふと横を見るとナンジャこっこりゃ?!

異様な光景はこれだったのか!


水琴窟の音を暫し聴く。ステキな音だとウットリするのであった。


オッサンがトイレの片隅で耳を傾けている光景は・・・



で、何でトイレ?


水繋がり?。。。