新居浜市の山間にかつてあった別子(べっし)鉱山の東平(とうなる)地区。
「東洋のマチュピチュ」として近年、観光会社がブリバリと観光客を呼んでいる。
これを知ったのは数年前だった。
鉱山を記念してマイントピア別子が建設、東平も整備が行われた。
マイントピア別子へ行った後にここ東平に。
県道から外れて更に奥深い谷間の道を走るので、離合がキツイ箇所となる。
東平地区に近づくとスタッフが交互通行の誘導を行っている。
観光バスも来るので道を目一杯使った交通状況に。
帰路では、観光バスが上って来るというので20分程度の出発待機に。
先頭での待機だったのでスタッフと話が出来た。
この時(10月上旬)は紅葉前なので少ないほうなんだと。
G.W・盆休み・紅葉時期は悲惨な混雑状況が発生。
スムーズに行き来できないのでクレームの嵐に襲われるそうだ。
通常、県道から現地まで20分程度だが、ピーク時は1~2時間は軽く要するとのこと・・・
駐車場のある場所は、大きな石鎚山系の中腹に広がる鉱山の入り口エリアに過ぎない。
昔は30分掛けてトロッコ電車で山間へと。そのプラットフォーム駅跡が。今は観光館。
トロッコ電車の展示もある。(トンネル内は暗いので、よう見えんのーとボヤク)
駐車場奥に立派な建物の東平歴史資料館がある。
ここで、鉱山の概略を知って鉱山跡を散策すると良い。
家族で暮らす斜面に段々畑のように建つ社宅や、スペースを確保した学校や運動場。
暮らすための町が谷間に広がっていた。
このような光景が大小は別として昔は全国で見られている。
森林伐採、鉱山などがその代表となるが、特殊な状況では長崎県の軍艦島などがある。
ハンディタイプの採掘道具も展示されている。
駐車場前はかつての鉱山跡を見下ろせる。
谷のはるか向こう側に新居浜市街地が広がる。
階段があるので下って行く。
かつて、生活物資や資材を上げ下げしたケーブルカー:インクライン跡を階段としている。
全長約100mで、220段程度となっている。
ここを降りると跡地の上部になり、景色が大きく一望できる。
地盤の変化で壁がずれているのも見られる。その厚みも凄い物がある。
更に降りて行くとメインの建物が眼前に広がる。
鉱山建物の基本はレンガ造りなので、遺構と言う雰囲気が十二分に漂っている。
採掘した物を一時貯蔵する場所で、ここまで採掘用のトロッコ軌道が敷かれていた。
社宅跡地が更に一段下にあるが、訪れる人は少ない。
家屋は骨組みと屋根を復元した物で、当時のかまどもある(周囲にコンクリ流し台残骸が)。
更に下ると、社交場や病院跡の平地に出れるのだが止めておいた。樹木生い茂る平地だけだと。
階段類は整備されているので歩きやすい。
高度差数百mの範囲での山中生活の町があるというのは壮大な光景だ。
しかし、行き来に大変だったと思うがその中で生活が成り立っていたという驚きを感じる。
ここを後にして思う。
どこの地域でもそうだが、人はどんな深山でも土地を開拓し、逞しく生きている。
「東洋のマチュピチュ」として近年、観光会社がブリバリと観光客を呼んでいる。
これを知ったのは数年前だった。
鉱山を記念してマイントピア別子が建設、東平も整備が行われた。
マイントピア別子へ行った後にここ東平に。
県道から外れて更に奥深い谷間の道を走るので、離合がキツイ箇所となる。
東平地区に近づくとスタッフが交互通行の誘導を行っている。
観光バスも来るので道を目一杯使った交通状況に。
帰路では、観光バスが上って来るというので20分程度の出発待機に。
先頭での待機だったのでスタッフと話が出来た。
この時(10月上旬)は紅葉前なので少ないほうなんだと。
G.W・盆休み・紅葉時期は悲惨な混雑状況が発生。
スムーズに行き来できないのでクレームの嵐に襲われるそうだ。
通常、県道から現地まで20分程度だが、ピーク時は1~2時間は軽く要するとのこと・・・
駐車場のある場所は、大きな石鎚山系の中腹に広がる鉱山の入り口エリアに過ぎない。
昔は30分掛けてトロッコ電車で山間へと。そのプラットフォーム駅跡が。今は観光館。
トロッコ電車の展示もある。(トンネル内は暗いので、よう見えんのーとボヤク)
駐車場奥に立派な建物の東平歴史資料館がある。
ここで、鉱山の概略を知って鉱山跡を散策すると良い。
家族で暮らす斜面に段々畑のように建つ社宅や、スペースを確保した学校や運動場。
暮らすための町が谷間に広がっていた。
このような光景が大小は別として昔は全国で見られている。
森林伐採、鉱山などがその代表となるが、特殊な状況では長崎県の軍艦島などがある。
ハンディタイプの採掘道具も展示されている。
駐車場前はかつての鉱山跡を見下ろせる。
谷のはるか向こう側に新居浜市街地が広がる。
階段があるので下って行く。
かつて、生活物資や資材を上げ下げしたケーブルカー:インクライン跡を階段としている。
全長約100mで、220段程度となっている。
ここを降りると跡地の上部になり、景色が大きく一望できる。
地盤の変化で壁がずれているのも見られる。その厚みも凄い物がある。
更に降りて行くとメインの建物が眼前に広がる。
鉱山建物の基本はレンガ造りなので、遺構と言う雰囲気が十二分に漂っている。
採掘した物を一時貯蔵する場所で、ここまで採掘用のトロッコ軌道が敷かれていた。
社宅跡地が更に一段下にあるが、訪れる人は少ない。
家屋は骨組みと屋根を復元した物で、当時のかまどもある(周囲にコンクリ流し台残骸が)。
更に下ると、社交場や病院跡の平地に出れるのだが止めておいた。樹木生い茂る平地だけだと。
階段類は整備されているので歩きやすい。
高度差数百mの範囲での山中生活の町があるというのは壮大な光景だ。
しかし、行き来に大変だったと思うがその中で生活が成り立っていたという驚きを感じる。
ここを後にして思う。
どこの地域でもそうだが、人はどんな深山でも土地を開拓し、逞しく生きている。
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