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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

地の果てまで創造された永遠の神(2015.4.26 礼拝)

2015-04-27 15:00:56 | 礼拝メッセージ
2015年4月26日礼拝メッセージ
『地の果てまで創造された永遠の神』
【イザヤ40:21~31】

はじめに
 礼拝の聖書朗読では先週はイザヤ書40章の前の方の1節から11節までを読み、今週は40章の後ろの方を司会者に読んでいただきました。しばらくイザヤ書の学びを続けて行く予定ですが、来週の5月3日は憲法記念日、その翌週の5月10日は母の日ですから、イザヤ書からは離れます。また5月の後半から再開することになるのかなと思っています。しかし、いま私たちの教会は変化の激しい中を通っていますから、その状況に時々で必要になって来るメッセージもあると思います。必ずしも予定通りには行かないことを、ご承知おき願いたいと思います。

万物を創造された神の凄さ
 さて、きょう聖書朗読で読んでいただいた箇所の最初の21節には、「あなたがたは知らないのか、聞かないのか」とあります。そして、この「あなたがは知らないのか、聞かないのか」は28節に、もう一度出て来ます。そして、28節では続いて「主は永遠の神、地の果てまで創造された方」とあります。ですから、その前の21節から書かれていることも、主は永遠の神であり、地の果てまで創造された方であることが語られているのですね。
 21節と22節、

40:21 あなたがたは知らないのか。聞かないのか。初めから、告げられなかったのか。地の基がどうして置かれたかを悟らなかったのか。
40:22 主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。

 21節にあるように主は地の基を置き、22節にあるように天を薄絹のように延べました。つまり主は天と地を創造されました。
 このように主が天地を創造した御業を「あなたがたは知らないのか」とイザヤは私たちに問い掛けます。
 私たちは創世記の1章を知っていますから、主が天地を創造され、万物を創造された方であることを知っています。しかし、この御業がどれほど凄いことであるかを、私たちはどれぐらいわかっているでしょうか。そこで私がふと思い出したのは、ヨブ記のことでした。きょうの礼拝の聖書交読でヨブ記を開いたのは、それゆえです。

ヨブに語った神のことば
 きょうは、ここからしばらくの間、ヨブ記を見ることにしたいと思います。まず、きょうの聖書交読で開いたヨブ38章をもう一度開きましょう。1節から7節までを交代で読みましょう。

38:1 【主】はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
38:2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
38:3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
38:5 あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
38:6 その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
38:7 そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。

 4節と5節には、先ほど読んだイザヤ書の同じようなことが書いてあります。主が天地を創造したことを、あなたは知らないのか、というわけです。
 このヨブ記38章で主は沈黙を破ってヨブに語り掛けました。ヨブ記では1章と2章にヨブが襲われた災いのことが書いてあり、3章から37章まではヨブとヨブの友人たちとのやり取りが延々と綴られています。38章からの主のことばは、3章から37章までの長い長いヨブと友人たちとの間の論争の後であったものです。
 ヨブ記については皆さんのほとんどがご存知だと思いますが、ごく簡単に説明しておきますと、ことの発端は、主がサタンに対して1章の8節のように言ったことでした。1章8節、

1:8 【主】はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」

 それに対してサタンは、反論しました。ヨブが神を恐れ、悪から遠ざかっているのは、神がヨブを祝福しているからで、もしヨブがひどい目に遭えばヨブだって神を呪うでしょう、と言いました。すると神は何と、サタンがヨブをひどい目に遭わせることを許してしまいました。それで、サタンはヨブの大切な牛や羊やろばやらくだ達を、それらを世話する若い者たちと一緒に殺し、さらにはヨブの愛する子ども達をも事故で死なせてしまいました。それでもヨブは神に愚痴をこぼしませんでした。それで神はサタンに、そら見たことかヨブのように潔白で正しい者はいないと言いました。しかしサタンは、もしヨブの体を病気で打つなら、ヨブは神を呪うだろうと言いました。それで、神はそのことも許してしまいました。2章の6節と7節をお読みします。

2:6 【主】はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」
2:7 サタンは【主】の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。

 そうして3章から、悪性の腫物による激しい痛みにあえぐヨブの嘆きが始まるわけですが、このヨブの嘆きを聞いたヨブの友人のエリファズが4章でヨブに言いました。4章の7節をお読みします。

4:7 さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。

 友人のエリファズはヨブが罪を犯したために神がヨブを打ったのだと考えていました。だから、どんな悪いことをしたのだ。さあ、それを思い出せ、と言いました。この友人のエリファズは「因果応報」の考え方を持っていました。「因果応報」というのは、善いことをすれば神は善いことで報いて下さり、悪いことをすれば神は悪いことで報いるという考え方です。日本人にもよくある、「悪いことをするとバチが当る」という考え方ですね。

カバさえも造られた神
 しかし、1章と2章でヨブ記の読者には明らかにされているように、ヨブが悪性の腫物で苦しんでいるのは、ヨブやヨブの友人たちの想像を絶する事情によるものでした。そんな事情があったとは露知らず、ヨブと友人たちは延々と論争をします。なかなか読む気が起こらないようなたくさんのページ数の論争です。
 そうして38章になって主は仰せられました。2節、

38:2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。

 知識もない者が何をゴチャゴチャ言っているのだ、という感じですね。そして、これこれのことをあなたは知っているのか、と主はヨブに問います。それが聖書交読でも読んだ38章であり、39章以降も続きます。39章の1節では、主は、

39:1 あなたは岩間の野やぎが子を産む時を知っているか。雌鹿が子を産むのを見守ったことがあるか。

 ヨブは自分が飼っている牛や羊が子を産むところなら見たことがあるかもしれませんが、野にいるヤギやシカが子を産むところなどは、さすがに見たことがなかったでしょう。しかし、主はすべてのことを見ておられます。少し飛ばして19節、

39:19 あなたが馬に力を与えるのか。その首にたてがみをつけるのか。

 馬に力を与えたのも、首にたてがみを付けたのも主です。また、主は40章15節からは、ヨブにカバを見よと仰せられます。
 カバは、私たちが動物園で見ると大人しそうな愛嬌のある動物に見えますが、野生のカバは大変に凶暴なのだそうですね。インターネットを調べると、こんなことが書いてありました。
「アフリカで最も危険な動物、それはライオンでもヒョウでもゾウでもない。それはカバである。意外に聞こえるかもしれないが、野生動物の絡む事故で最も多くの人を殺しているのがカバなのだ。 カバは気性が非常に荒く、縄張り意識が強い。仲間同士でも頻繁に喧嘩をするし、近くに他の動物たちがいる事を決して好まない。(中略)
 カバは夜な夜な草を食べに陸に上がってくるため、水上、陸上の両方で事故が起きる。陸にいるカバは水中にいる時に比べてナーバスになっている。そんな時、水とカバとの間に人が立つと、カバは退路を遮断されたと思い攻撃してくる。早朝、陸上で人がカバに襲われるケースが多いのはそのためだ。さらに厄介なことに、一見鈍重そうに見えるカバは、その実、陸上での動きも非常に機敏で、かなりの速度で走る。口も巨大で、鋭い牙を何本も持つ。あんな口で咬まれれば、人間などひとたまりも無いのだ。」(「どうぶつのくに」より)
 
 ヨブ記の記者は、このカバの凶暴性を知っていたのでしょうね。15節から18節、

40:15 さあ、河馬を見よ。これはあなたと並べてわたしが造ったもの、牛のように草を食らう。
40:16 見よ。その力は腰にあり、その強さは腹の筋にある。
40:17 尾は杉の木のように垂れ、ももの筋はからみ合っている。
40:18 骨は青銅の管(くだ)、肋骨は鉄の棒のようだ。

 これは強烈ですね。人間は、単細胞生物でさえ、作り出すことはできません。iPS細胞も、もともとある細胞を利用して作り出すものです。もともとある細胞は、主が造られたものです。そして主は、このカバのような動物をも作り出すことができます。

私たちも聖霊の力を受ける
 このヨブ記を読んで、イザヤ書40章を読むなら、このイザヤ書40章の世界をより一層豊かにイメージすることができます。イザヤ書40章26節、

 40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。

 そして28節、

40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

 主はまさにその通りのお方であることを、いま私たちはヨブ記で見ました。29節と30節。

40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

 このイザヤ40章は、「慰めよ。慰めよ。」で始まります。主はバビロン捕囚で弱りきったユダヤの民に力を与えて下さいました。主が与えて下さる力は、尋常の力ではありません。強力な馬やカバさえ作るお方ですから、とても大きな力です。
 そもそも動物たちは、人間のように余計なことを考えずに、素直に神の力を受け入れますから、大きな力を得ています。
 またワシやタカなどの鳥たちは素晴らしく高い飛翔能力を持っています。彼らが羽ばたくのは飛び立つ時ぐらいで、あとは風に乗って、羽ばたくことなく高く舞い上がることができます。31節、

40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 この31節の「主を待ち望む者は新しく力を得」の新しい力とは「聖霊の力」である、と説教では良く語られます。本当にその通りだと思います。ワシやタカは上昇気流に乗ると、羽ばたくことなく高く舞い上がることができます。
 私たちも聖霊の力が与えられ、主が吹かせて下さる風に乗るなら、自分で頑張らなくても高く舞い上がることができます。自分で頑張ろうとする者は、ヨブたちが神に叱責されたように、「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くする者」です。

主の風を読まなければならない
 しかし、自分で頑張らなくても良いと言っても、ただ羽を広げていれば良いというわけではありません。飛び立つ時には多少は羽ばたかなければなりませんし、どこに上昇気流があるのか、風を読むこともしなければなりません。そうして、その風に乗る必要があります。
 この風を読むことを、私たちは会堂問題においてもしなければなりません。この沼津の地のどの場所に私たちを上まで運んでくれる主の風が吹いているのか、私たちは霊性を研ぎ澄まして読まなければなりません。そして、その場所に会堂を建てる必要があります。風が吹いていない場所や、良くない風が吹いている場所に会堂を建てても、教会の成長は望めないでしょう。
 主がどこに風を吹かせて下さっているのか、しっかりと風を読むことができる私たちでありたいと思います。最後に、28節から31節までを、もう一度交代で読んで、メッセージを閉じることにします。

40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 お祈りいたしましょう。
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