2014年11月23日礼拝メッセージ
『この戦いは神の戦いである』
【歴代誌第二20:14~22】
はじめに
教会は来週からアドベントに入ります。アドベントの期間、そしてクリスマスは新約聖書からのメッセージが中心になると思いますから、その前に今日はまた旧約聖書を開いておきたいと思います。
きょうのメッセージのタイトルは『この戦いは神の戦いである』です。教会の活動においては様々な戦いがあります。その戦いの中心は伝道の戦いです。私たちは新しい方々が教会に来て下さるように伝道します。その甲斐あって新しい方が来て下さっても、やがてまた離れて行ったりします。これはサタンとの戦いであるとも言えるでしょう。或いはまた、これらの戦いを続けて行くためには、会堂が古くなったら新しくする必要があります。この会堂問題もまた戦いです。このように私たちはいくつもの戦いの中にあるわけですが、今日のメッセージは、これらの戦いは基本的には「神の戦い」であって、私たちの戦いではないということを共に学びたいと願っています。そうして来年の2015年からの戦いに備えたいと思います。もし私たちが本当に2017年に献堂式を行いたいと願うなら、2015年には、かなり具体的な動きをしなければなりません。会堂問題に関して祈るだけでなく、実際の戦いを始めなければなりません。その戦いとは実は「神の戦い」なのだということを、きょうはご一緒に学びたいと思います。
主の道に励んでいたヨシャパテ王
旧約聖書の歴代誌第二を見て行きましょう。司会者に朗読していただいたのは20章の14節からですが、始めに、そこに至った経緯を簡単に見ておきたいと思います。
これは南王国ユダの王様のヨシャパテ王の時代の出来事です。南王国のヨシャパテ王の時代は、北王国のアハブ王の時代とほぼ重なります。アハブ王の時代には預言者のエリヤが預言をしていました。南王国のヨシャパテ王は北王国の預言者であったエリヤとは直接の関係はありませんでしたが、時代としてはエリヤの頃の時代です。そしてヨシャパテ王の時代の南王国は非常に繁栄していたことが、前の方に書いてあります。歴代誌第二17章の1節から6節までを交代で読みましょう。
17:1 そこで、彼の子ヨシャパテが代わって王となり、イスラエルに対して勢力を増し加えた。
17:2 彼はユダにあるすべての城壁のある町々に軍隊を置き、ユダの地と、彼の父アサが攻め取ったエフライムの町々に守備隊を置いた。
17:3 【主】はヨシャパテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、
17:4 その父の神に求め、その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。
17:5 そこで、【主】は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャパテに贈り物をささげた。彼には、富と誉れが豊かに与えられた。
17:6 彼の心は【主】の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。
3節に、「主はヨシャパテとともにおられた」とありますね。ヨシャパテは先祖ダビデの最初の道に歩みました。そこで、5節にあるように主は王国をヨシャパテの手によって確立されました。そして6節にあるようにヨシャパテの心は主の道にいよいよ励みました。ヨシャパテは、そのような、いわゆる善王、善い王様でした。
ピンチに主を求めたユダの民
では、歴代誌第二の20章に入って行きましょう。まず20章の1節を見て下さい。1節、
20:1 この後、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。
ヨシャパテ王のユダ王国はピンチの時を迎えていました。3節と4節、
20:3 ヨシャパテは恐れて、ただひたすら【主】に求め、ユダ全国に断食を布告した。
20:4 ユダの人々は集まって来て、【主】の助けを求めた。すなわち、ユダのすべての町々から人々が出て来て、【主】を求めた。
ピンチの時に主を求めることは正しい態度ですね。ヨシャパテの心がいつも主の方に向いていたから、このように主を求めることができました。5節、
20:5 ヨシャパテは、【主】の宮にある新しい庭の前で、ユダとエルサレムの集団の中に立って、言った。
きょうは、このヨシャパテの祈りを、じっくりと味わってみることにしたいと思います。
どのような神に祈るのか
6節、
20:6 言った。「私たちの父祖の神、【主】よ。あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。
ヨシャパテは、主がどのようなお方であるかを、自分たちはよく知っているということを、まず主に訴えています。日本人が神社の神やお寺の仏に祈る時、自分が何に向かって祈っているのか、あまり意識していないと思います。神社に祀られている神がどのような神か、多くの場合、漠然としか知らないと思います。よく知らない神仏に対して祈っています。しかし私たちには聖書がありますから、どのような神様に祈るのかを私たちは知っています。ヨシャパテは、まず、このことをはっきりとさせています。7節、
20:7 私たちの神よ。あなたはこの地の住民をあなたの民イスラエルの前から追い払い、これをとこしえにあなたの友アブラハムのすえに賜ったのではありませんか。
これはヨシュアに率いられたイスラエルの民がヨルダン川を渡って、カナンの地に入り、そこに住んでいた者たちを追い払ったことを指しますね。続いて8節と9節、
20:8 彼らはそこに住み、あなたのため、御名のために、そこに聖所を建てて言いました。
20:9 『もし、剣(つるぎ)、さばき、疫病、ききんなどのわざわいが私たちに襲うようなことがあれば、私たちはこの宮の前、すなわち、あなたの御前に立って──あなたの御名はこの宮にあるからです──私たちの苦難の中から、あなたに呼ばわります。そのときには、あなたは聞いてお救いくださいます。』
この9節の二重の鍵カッコの中にある祈りの言葉は、ソロモンが神殿を築いた時の、ソロモンの祈りの言葉です。このソロモンの祈りの中にある災いに襲われる時が、今まさに来たということで、ヨシャパテはソロモンの祈りを引用して、主に祈りました。10節、
20:10 ところが今、アモン人とモアブ人、およびセイル山の人々をご覧ください。(後略)
少し飛ばして11節、
20:11 ご覧ください。彼らが私たちにしようとしていることを。彼らは、あなたが私たちに得させてくださったあなたの所有地から私たちを追い払おうとして来ました。
そして12節、
20:12 私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」
この12節を読むと私は、この教会の会堂の状況と重ねたくなります。この会堂はこれまで、30年以上にわたって雨や風の攻撃をしのいで来ました。しかし、もはやしのぎきれなくなって来ています。それゆえ私たちの教会は、今の12節にあるように、
「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」
という状態にあると思います。ですから、きょうは、この箇所から学んで行きたいと思います。13節、
20:13 ユダの人々は全員【主】の前に立っていた。彼らの幼子たち、妻たち、子どもたちも共にいた。
この問題は男たちだけでなく、妻や子供たちにも及ぶことでしたから、全員が主の前に立っていました。
この戦いは神の戦いである
そして次の節から、司会者に朗読していただいた箇所に入ります。14節、
20:14 ときに、【主】の霊が集団の中で、アサフ族の出のレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。彼はマタヌヤの子エイエルの子ベナヤの子ゼカリヤの子である。
ユダヤの民が男だけでなく女も子供も全ての人々が一つになって主の前に立ち、主を求めた時に、主の霊が一人のレビ人の上に臨みました。15節、
20:15 彼は言った。「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。【主】はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。
きょうのメッセージのタイトルは、この15節から取っています。主は仰せられました。「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。」それゆえ、恐れてはならない。気落ちしてはならない、と主は仰せられました。これは、私たちにとっても、とても励みになる主のことばだと思います。
伝道は、神の働きのお手伝いをすることです。神様は、福音が一人でも多くの人に伝わることを願って、私たちに伝道の働きを委ねておられます。ですから、この伝道の戦いは神の戦いです。私たちの教会はこの沼津の地で50年近くに亘って戦いを続けて来ました。これからもその戦いは続きます。会堂はその戦いのための拠点ですから、新会堂を建設する戦いもまた、神の戦いです。ですから私たちは恐れたり気落ちしたりしてはなりません。
続いて16節と17節、
20:16 あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。
20:17 この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる【主】の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。【主】はあなたがたとともにいる。』」
この17節は本当に勇気付けられるおことばだと思います。私たちが戦うのではないと言っても、私たちは昼寝をしていれば良いというわけではありません。ちゃんと出陣はしなければなりません。しかし戦うのは主であると言って下さっています。18節と19節、
20:18 それで、ヨシャパテは地にひれ伏した。ユダのすべての人々とエルサレムの住民も【主】の前にひれ伏して【主】を礼拝し、
20:19 ケハテ族、コラ族のレビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、【主】を賛美した。
このように主は素晴らしいお方ですから私たちも主を礼拝し、賛美するのですね。
聖歌隊を前に出したユダの民
20節と21節、
20:20 こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、【主】を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」
20:21 それから、彼は民と相談し、【主】に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「【主】に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
この21節は、私が大好きな箇所です。ここでユダの民は、賛美する者たちを武装した者の前に出しました。そして、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と歌って主を賛美しました。武装していない聖歌隊が武装した者より前に出て讃美歌を歌うとは、何と大胆な作戦でしょうか。でも、このような戦い方を、主はとても喜んで下さるのですね。22節、
20:22 彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、【主】は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。
こうして主は敵を打ち負かして下さいました。
きょうは11月の23日です。そして今から2ヶ月後の1月25日に私たちは教会総会を予定しています。この教会総会の日が、恐らく私たちの出陣の時になるだろうと思います。私たちは、この出陣の時に向けて心を整えて行きたいと思います。
おわりに
これから私たちは出陣に備えて行きます。しかし出陣はしますが、戦うのは主です。私たちがすべきことは、主を礼拝し、賛美することです。私たちの全員が一つになって主を礼拝し、賛美することが、いかに大切なことであるかが、きょうの聖書箇所から良くわかると思います。主を賛美する者は、武装した者よりも前に立つべきであり、先ずは私たちは主を賛美すべきであるということです。
このように、主を礼拝し、賛美することを大切にしながら、来年の出陣の時に備えて行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
『この戦いは神の戦いである』
【歴代誌第二20:14~22】
はじめに
教会は来週からアドベントに入ります。アドベントの期間、そしてクリスマスは新約聖書からのメッセージが中心になると思いますから、その前に今日はまた旧約聖書を開いておきたいと思います。
きょうのメッセージのタイトルは『この戦いは神の戦いである』です。教会の活動においては様々な戦いがあります。その戦いの中心は伝道の戦いです。私たちは新しい方々が教会に来て下さるように伝道します。その甲斐あって新しい方が来て下さっても、やがてまた離れて行ったりします。これはサタンとの戦いであるとも言えるでしょう。或いはまた、これらの戦いを続けて行くためには、会堂が古くなったら新しくする必要があります。この会堂問題もまた戦いです。このように私たちはいくつもの戦いの中にあるわけですが、今日のメッセージは、これらの戦いは基本的には「神の戦い」であって、私たちの戦いではないということを共に学びたいと願っています。そうして来年の2015年からの戦いに備えたいと思います。もし私たちが本当に2017年に献堂式を行いたいと願うなら、2015年には、かなり具体的な動きをしなければなりません。会堂問題に関して祈るだけでなく、実際の戦いを始めなければなりません。その戦いとは実は「神の戦い」なのだということを、きょうはご一緒に学びたいと思います。
主の道に励んでいたヨシャパテ王
旧約聖書の歴代誌第二を見て行きましょう。司会者に朗読していただいたのは20章の14節からですが、始めに、そこに至った経緯を簡単に見ておきたいと思います。
これは南王国ユダの王様のヨシャパテ王の時代の出来事です。南王国のヨシャパテ王の時代は、北王国のアハブ王の時代とほぼ重なります。アハブ王の時代には預言者のエリヤが預言をしていました。南王国のヨシャパテ王は北王国の預言者であったエリヤとは直接の関係はありませんでしたが、時代としてはエリヤの頃の時代です。そしてヨシャパテ王の時代の南王国は非常に繁栄していたことが、前の方に書いてあります。歴代誌第二17章の1節から6節までを交代で読みましょう。
17:1 そこで、彼の子ヨシャパテが代わって王となり、イスラエルに対して勢力を増し加えた。
17:2 彼はユダにあるすべての城壁のある町々に軍隊を置き、ユダの地と、彼の父アサが攻め取ったエフライムの町々に守備隊を置いた。
17:3 【主】はヨシャパテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、
17:4 その父の神に求め、その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。
17:5 そこで、【主】は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャパテに贈り物をささげた。彼には、富と誉れが豊かに与えられた。
17:6 彼の心は【主】の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。
3節に、「主はヨシャパテとともにおられた」とありますね。ヨシャパテは先祖ダビデの最初の道に歩みました。そこで、5節にあるように主は王国をヨシャパテの手によって確立されました。そして6節にあるようにヨシャパテの心は主の道にいよいよ励みました。ヨシャパテは、そのような、いわゆる善王、善い王様でした。
ピンチに主を求めたユダの民
では、歴代誌第二の20章に入って行きましょう。まず20章の1節を見て下さい。1節、
20:1 この後、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。
ヨシャパテ王のユダ王国はピンチの時を迎えていました。3節と4節、
20:3 ヨシャパテは恐れて、ただひたすら【主】に求め、ユダ全国に断食を布告した。
20:4 ユダの人々は集まって来て、【主】の助けを求めた。すなわち、ユダのすべての町々から人々が出て来て、【主】を求めた。
ピンチの時に主を求めることは正しい態度ですね。ヨシャパテの心がいつも主の方に向いていたから、このように主を求めることができました。5節、
20:5 ヨシャパテは、【主】の宮にある新しい庭の前で、ユダとエルサレムの集団の中に立って、言った。
きょうは、このヨシャパテの祈りを、じっくりと味わってみることにしたいと思います。
どのような神に祈るのか
6節、
20:6 言った。「私たちの父祖の神、【主】よ。あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。
ヨシャパテは、主がどのようなお方であるかを、自分たちはよく知っているということを、まず主に訴えています。日本人が神社の神やお寺の仏に祈る時、自分が何に向かって祈っているのか、あまり意識していないと思います。神社に祀られている神がどのような神か、多くの場合、漠然としか知らないと思います。よく知らない神仏に対して祈っています。しかし私たちには聖書がありますから、どのような神様に祈るのかを私たちは知っています。ヨシャパテは、まず、このことをはっきりとさせています。7節、
20:7 私たちの神よ。あなたはこの地の住民をあなたの民イスラエルの前から追い払い、これをとこしえにあなたの友アブラハムのすえに賜ったのではありませんか。
これはヨシュアに率いられたイスラエルの民がヨルダン川を渡って、カナンの地に入り、そこに住んでいた者たちを追い払ったことを指しますね。続いて8節と9節、
20:8 彼らはそこに住み、あなたのため、御名のために、そこに聖所を建てて言いました。
20:9 『もし、剣(つるぎ)、さばき、疫病、ききんなどのわざわいが私たちに襲うようなことがあれば、私たちはこの宮の前、すなわち、あなたの御前に立って──あなたの御名はこの宮にあるからです──私たちの苦難の中から、あなたに呼ばわります。そのときには、あなたは聞いてお救いくださいます。』
この9節の二重の鍵カッコの中にある祈りの言葉は、ソロモンが神殿を築いた時の、ソロモンの祈りの言葉です。このソロモンの祈りの中にある災いに襲われる時が、今まさに来たということで、ヨシャパテはソロモンの祈りを引用して、主に祈りました。10節、
20:10 ところが今、アモン人とモアブ人、およびセイル山の人々をご覧ください。(後略)
少し飛ばして11節、
20:11 ご覧ください。彼らが私たちにしようとしていることを。彼らは、あなたが私たちに得させてくださったあなたの所有地から私たちを追い払おうとして来ました。
そして12節、
20:12 私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」
この12節を読むと私は、この教会の会堂の状況と重ねたくなります。この会堂はこれまで、30年以上にわたって雨や風の攻撃をしのいで来ました。しかし、もはやしのぎきれなくなって来ています。それゆえ私たちの教会は、今の12節にあるように、
「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」
という状態にあると思います。ですから、きょうは、この箇所から学んで行きたいと思います。13節、
20:13 ユダの人々は全員【主】の前に立っていた。彼らの幼子たち、妻たち、子どもたちも共にいた。
この問題は男たちだけでなく、妻や子供たちにも及ぶことでしたから、全員が主の前に立っていました。
この戦いは神の戦いである
そして次の節から、司会者に朗読していただいた箇所に入ります。14節、
20:14 ときに、【主】の霊が集団の中で、アサフ族の出のレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。彼はマタヌヤの子エイエルの子ベナヤの子ゼカリヤの子である。
ユダヤの民が男だけでなく女も子供も全ての人々が一つになって主の前に立ち、主を求めた時に、主の霊が一人のレビ人の上に臨みました。15節、
20:15 彼は言った。「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。【主】はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。
きょうのメッセージのタイトルは、この15節から取っています。主は仰せられました。「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。」それゆえ、恐れてはならない。気落ちしてはならない、と主は仰せられました。これは、私たちにとっても、とても励みになる主のことばだと思います。
伝道は、神の働きのお手伝いをすることです。神様は、福音が一人でも多くの人に伝わることを願って、私たちに伝道の働きを委ねておられます。ですから、この伝道の戦いは神の戦いです。私たちの教会はこの沼津の地で50年近くに亘って戦いを続けて来ました。これからもその戦いは続きます。会堂はその戦いのための拠点ですから、新会堂を建設する戦いもまた、神の戦いです。ですから私たちは恐れたり気落ちしたりしてはなりません。
続いて16節と17節、
20:16 あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。
20:17 この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる【主】の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。【主】はあなたがたとともにいる。』」
この17節は本当に勇気付けられるおことばだと思います。私たちが戦うのではないと言っても、私たちは昼寝をしていれば良いというわけではありません。ちゃんと出陣はしなければなりません。しかし戦うのは主であると言って下さっています。18節と19節、
20:18 それで、ヨシャパテは地にひれ伏した。ユダのすべての人々とエルサレムの住民も【主】の前にひれ伏して【主】を礼拝し、
20:19 ケハテ族、コラ族のレビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、【主】を賛美した。
このように主は素晴らしいお方ですから私たちも主を礼拝し、賛美するのですね。
聖歌隊を前に出したユダの民
20節と21節、
20:20 こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、【主】を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」
20:21 それから、彼は民と相談し、【主】に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「【主】に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
この21節は、私が大好きな箇所です。ここでユダの民は、賛美する者たちを武装した者の前に出しました。そして、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と歌って主を賛美しました。武装していない聖歌隊が武装した者より前に出て讃美歌を歌うとは、何と大胆な作戦でしょうか。でも、このような戦い方を、主はとても喜んで下さるのですね。22節、
20:22 彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、【主】は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。
こうして主は敵を打ち負かして下さいました。
きょうは11月の23日です。そして今から2ヶ月後の1月25日に私たちは教会総会を予定しています。この教会総会の日が、恐らく私たちの出陣の時になるだろうと思います。私たちは、この出陣の時に向けて心を整えて行きたいと思います。
おわりに
これから私たちは出陣に備えて行きます。しかし出陣はしますが、戦うのは主です。私たちがすべきことは、主を礼拝し、賛美することです。私たちの全員が一つになって主を礼拝し、賛美することが、いかに大切なことであるかが、きょうの聖書箇所から良くわかると思います。主を賛美する者は、武装した者よりも前に立つべきであり、先ずは私たちは主を賛美すべきであるということです。
このように、主を礼拝し、賛美することを大切にしながら、来年の出陣の時に備えて行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。