平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

神殿で始まり、神殿で終わる(2018.4.22 礼拝)

2018-04-23 12:15:11 | 礼拝メッセージ
2018年4月22日礼拝メッセージ
『神殿で始まり、神殿で終わる』
【ルカ1:5~10、24:44~53】

はじめに
 先週からルカの福音書の学びを始めました。ルカは福音書を書いた後で使徒の働きも書きました。私たちは使徒の働きを2年近くに亘って学んで来ましたから、学んだことを良く覚えている間に、使徒の働きの観点から福音書を眺める、ということをしてみたいと思います。ルカの福音書のどこを開くかは、その時その時で示された箇所を開くことにします。
 先週私はルカの福音書の始めから終わりまでを、また改めて読んでみました。私はいつも木曜日に次の聖日の礼拝プログラムを決めてブログにアップすることにしていますが、木曜の朝になっても、今日の礼拝メッセージの聖書箇所をどこにするか、なかなか決められないでいました。それで改めてルカの福音書を通して読んでみることにしました。
 そうして最初から最後までを読んでみて、きょうはルカの福音書の最初と最後を取り上げることにしました。ルカはこの福音書を神殿の場面から始めて、神殿の場面で終わるようにして書いていることを強く感じたからです。この構造からルカは何を表現しようとしたのかについて、きょうはご一緒に思いを巡らしてみたいと思います。

神殿の場面で始まるルカの福音書
 まずルカの福音書の始めの方を見ましょう。ご承知の通り、ルカの福音書はテオピロ殿への言葉から始まります。新しい聖書ではテオピロ殿がテオフィロ様になっています。1章3節にありますね。

1:3 私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。

 そうして、このテオフィロへの言葉の後の5節から福音書の本編が始まります。5節、

1:5 ユダヤの王ヘロデの時代に、アビヤの組の者でザカリヤという名の祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。

 このザカリヤとエリサベツの夫妻は、皆さんご承知の通り、バプテスマのヨハネの両親です。ザカリヤはレビ族の家系の祭司でした。少し飛ばして8節と9節。

1:8 さてザカリヤは、自分の組が当番で、神の前で祭司の務めをしていたとき、
1:9 祭司職の慣習によってくじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。

 祭司のザカリヤはくじ引きによって神殿に入って香をたくことになりました。そして10節、

1:10 彼が香をたく間、外では大勢の民がみな祈っていた。

 このようにルカの福音書は、バプテスマのヨハネの父親のザカリヤが、神殿の中で香をたいた場面から始まります。

聖霊を送る予告
 次に、ルカの福音書の最後の場面を見ましょう。24章の44節から53節までです。ここには復活したイエスさまが弟子たちの前に現れて、これから起きることを弟子たちに話している場面が描かれています。44節、

24:44 そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」

 イエスさまについて書いてあることとは、例えば週報p.3に載せたルカ4章18節と19節に書いてあるようなことです。ここでイエスさまはイザヤ書の巻き物を手渡されたので、イザヤ書61章を読みました。

4:18 「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、
4:19 主の恵みの年を告げるために。」

 この貧しい人に良い知らせを伝えるなどの働きはイエスさまの地上生涯においてだけでなく、イエスさまが天に昇った後も、聖霊を受けた弟子たちによって引き継がれて行きました。
 続いて45節から48節まで、

24:45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
24:48 あなたがたは、これらのことの証人となります。

 弟子たちはイエス・キリストの証人でした。そのための力は聖霊によって与えられました。49節、

24:49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」

 「わたしの父が約束されたもの」というのが聖霊のことですね。イエスさまは弟子たちに聖霊を送ると予告しました。そうしてイエスさまは天に昇って行きました。50節と51節、

24:50 それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。
24:51 そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。

神殿の場面で終わるルカの福音書
 そして次の弟子たちの様子を描写する場面でルカの福音書は閉じられます。52節と53節、

24:52 彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、
24:53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。

 弟子たちはいつも宮にいて神をほめたたえていました。「宮」というのは神殿のことです。ですからルカの福音書はザカリヤが神殿に入って香を焚いた場面から始まり、弟子たちが神殿で神をほめたたえていた場面で終わっています。
 神殿で始まり、神殿で終わる、つまり神殿という箱の中にイエスさまの言動が収められているという形になっています。ルカの福音書の全体が神殿という箱の中に収められているのです。このような構造を、使徒の働きの観点から眺めてみるなら、何が見えて来るでしょうか。続いて、そのことに思いを巡らして行くことにしましょう。

足の不自由な人を癒したペテロの中のイエス
 いま見たルカ24章でイエスさまが弟子たちに聖霊を送るとおっしゃった場面は、使徒の働きの1章でもう一度繰り返されます。有名な使徒の働き1章8節でイエスさまは、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とおっしゃいました。
 そうして弟子たちが祈っていると、ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が降ったことが使徒の働きの2章に記されていますね。こうして弟子たちの内に聖霊が入りました。そして、使徒3章でペテロは足の不自由な人を癒しました。先週の礼拝メッセージでは、この使徒3章のペテロが足の不自由な人が人を癒した場面と、ルカの福音書5章のイエスさまが寝たきりの中風の人を癒した場面とが並び立つ並行関係にあることを指摘しました。そして、この並行関係の構造からは、足の不自由な人を癒したペテロの中にはイエスさまがいて、イエスさまご自身が足の不自由な人を癒した様子が見えて来ると話しました。聖霊を受けた弟子たちの内にはイエスさまがいました。そして使徒たちの働きとは、実は弟子たちの内にいるイエスさまの働きのことなのです。

聖霊を受けた者の体は神殿
 自分の内に聖霊がいるクリスチャンの体は、体自身が神殿です。これはパウロが書いていることです。聖霊を受けた者は、その者自身の体が神殿になっているのだとパウロはコリント人への手紙第一の中で書いています。週報のp.3に第一コリント3章16節を載せておきましたので、ご一緒に読みましょう。

Ⅰコリ 3:16 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。

 もう一箇節、第一コリント6章19節でも、パウロは同様のことを書いています。ご一緒に読みましょう。

Ⅰコリ 6:19 あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。

 このように、聖霊を受けた者の体は、神殿で、その一人一人の神殿の内に聖霊がおられ、それはすなわち、イエスさまが住んでおられるということです。
 このことを理解した上で、ルカの福音書の神殿で始まり、神殿で終わる構造を意識しながら、ルカの福音書の全体を是非読んでみていただきたいと思います。ルカの福音書は神殿という箱の中にイエスさまの言動が収められています。その神殿という箱は聖霊を受けた私たちの体です。そうして私の体の中にルカの福音書のイエスさまがいて、イエスさまが私の体の中から語り掛けて下さっていると感じることと思います。
 同じく週報のp.3に載せましたが、ルカ17章20節でイエスさまはパリサイ人たちに対して言いました。ルカ17章20節、

ルカ17:20 パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。21 『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」

 イエスさまは聖霊を受けた私たちの中にいますから、そこは神の国でもあるのだということを、イエスさまは教えて下さっています。
 ルカはこのように、ルカの福音書と使徒の働きの二つの書を使って、聖霊を受けた者の中にはイエスさまがいることを、私たちに伝えてくれています。聖霊を受けた私たちが、イエスさまのことをとても身近に感じるのは、そのためです。そして、ルカが二つの書を使ってそれを示したのに対して、ヨハネは一つの書でそれを示しました。きょう、このルカの二つの書について学びましたから、いつも開いているヨハネの福音書4章のことが、一層よくわかっていただけるのではないかと思います。

ヨハネ4章のサマリア人の中のイエス
 最後に、いつも開いているヨハネ4章の39節から42節までを交代で読みましょう。

4:39 さて、その町の多くのサマリア人が、「あの方は、私がしたことをすべて私に話した」と証言した女のことばによって、イエスを信じた。
4:40 それで、サマリア人たちはイエスのところに来て、自分たちのところに滞在してほしいと願った。そこでイエスは、二日間そこに滞在された。
4:41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
4:42 彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと分かったのです。」

 いつも話していますが、この箇所は使徒の働き8章のピリポによるサマリア伝道の箇所と重ねられています。サマリア人たちは聖霊を受けましたから、サマリア人たちの中にはイエスさまが住み始めました。使徒の働きの時代のサマリア人たちは地上生涯のイエスさまと実際に出会ったことはありませんでしたが、聖霊を受けたことでイエスさまがサマリア人たちの中で住み始めました。そうして神としてのイエスさまと本当に出会うことができました。

おわりに
 イエスさまを信じて聖霊を受けた私たちの中にもイエスさまがおられます。それゆえ福音書を読む時、私たちはイエスさまをとても身近に感じることができます。
 この素晴らしい恵みを、もっともっと多くの方々と分かち合うことができるようになりたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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