知財判決 徒然日誌

論理構成がわかりやすく踏み込んだ判決が続く知財高裁の判決を中心に、感想などをつづった備忘録。

特許請求の範囲の解釈事例-唯一の実施例

2008-09-07 23:05:35 | 特許法70条
事件番号 平成19(ワ)32196
事件名 不当利得返還請求事件
裁判年月日 平成20年08月28日
裁判所名 東京地方裁判所
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
裁判長裁判官 阿部正幸

(1)特許法70条は,その1項において,「特許発明の技術的範囲は、願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。」と規定し,その2項において,「前項の場合においては、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮して、特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする。」と規定している。
 これらの規定によれば,特許発明の技術的範囲は,特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならないものの,特許請求の範囲の意味内容をより具体的で正確に判断する資料として,明細書の発明の詳細な説明の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意味を解釈すべきものと解するのが相当である。
 そして,公衆に発明の技術を開示した代償として当該発明に独占権を与えるという我が国の特許制度の趣旨や,特許発明は,発明の詳細な説明に,当業者が実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されたものでなければならないとする特許法36条の趣旨に照らすと,特許請求の範囲に記載された特許発明の技術的範囲は,明細書の実施可能に開示された技術に基づいて解釈されるべきである

ところで,前記第2の1前提となる事実(2)のとおり,
本件発明1の特許請求の範囲には,
「・・・ことを特徴とする図形表示装置。」
との記載があり,
 本件発明2の特許請求の範囲には,
「・・ことを特徴とする図形表示方法。」
との記載がある。

 しかしながら,これらの記載のうち,「垂直方向読出信号および水平方向読出信号」,「第1の読出信号」,「第2の読出信号」,「座標回転処理手段」,「図形発生手段」,「読出順序データ」等の用語は,特定の意味で使用されているものの,それ自体,抽象的かつ機能的な表現であるため,特許請求の範囲の記載だけでは,当業者において,いかなる技術的意義を有するのかを理解することができない
 また,「複数個のピクセルからなる区域毎に独立した表示内容を指示するデータ」,「図形データ」,「ピクセルデータ」等の用語については,それらの一般的な意味を理解することも可能であるものの,これら相互の関係,さらには,「第1の読出信号」,「第2の読出信号」,「読出順序データ」との関係が不明であり,特許請求の範囲の記載だけでは,当業者において,本件発明の技術的範囲を正確に理解することが困難であるといわざるを得ない。

 そこで,以下において,本件発明の技術的範囲の理解のため,本件明細書の発明の詳細な説明等を参照することとする。

(2)本件明細書(甲2)には,発明の詳細な説明として,次の記載がある(・・・)。
 ・・・

(3) 本件明細書の発明の詳細な説明の記載によれば,本件発明は,「マップと図形発生部とを用いて図形を回転表示することができる図形表示装置及び方法に関するもの」であり(前記(2)ア),従来の技術においては,「キャラクタジェネレータを用いた装置によって図形(文字を含む)を表示するために、・・・、ラスタスキャン方式によって図形として表示」していたところ(前記(2)イ),「・・・、図形を拡大・縮小表示することが可能であるかどうかも明らかでなく、まして、図形の回転表示など、当該技術分野の技術者の全く思い及ばないところであり、その手法は未知のものであった。」とされている(前記(2)ウ)。

 本件明細書には,前記(2)ウのとおり,「この発明は、マップとキャラクタジェネレータとを用いて図形の回転表示を可能とする装置及び方法を提供することを目的とする。」と記載されているものの,前記(2)エのとおり,課題を解決するための手段(段落【0009】)の記載内容は,本件発明の特許請求の範囲の記載と同一であって,それ以上に具体的な記載はされていない。そして,前記(2)オのとおり,本件明細書では,その大部分が実施例の説明に割かれており,この唯一の実施例が詳細に記載されているものである。

 このように,本件明細書の発明の詳細な説明及び図面を参照しても,実施例以外には十分な技術的事項の開示がされていないため,本件発明の技術的範囲の解釈に当たっては,この唯一の実施例の記載にあらわれた図形の回転表示の技術を考慮せざるを得ないというべきである

 そして,前記(2)オによれば,本件発明の技術的事項を具体的にあらわす唯一の実施例においては,ラスタスキャン方式の下で,・・・隣接した2つの図形データを一度に取り出すことにより,図形を回転して表示することを可能にする技術が開示されている。

 すなわち,本件発明の技術的な要点は,マップから隣接する2つの図形を表示するためのデータを取り出し,このデータに基づきキャラクタジェネレータから隣接した2つの図形データを一度に取り出して,2つの図形を同時に処理対象とすることによって,図形の回転表示を実現することにあるものと認めることができる。

 他方,原告は,本件明細書において,本件発明の基本的な考え方は,回転後の座標値からキャラクタコードと回転後のピクセルデータを取得し,これを1ピクセル毎に繰り返すことで任意の回転表示を実現することにあるのであり,実施例は,上記の基本的な考え方を前提とした上で,ハードウエアで実現するための速度を重視して,マップや図形発生手段で複数ピクセルをまとめて処理した例を記載したにすぎない旨を主張する。

 しかしながら,本件明細書中において,原告の主張する1ピクセル毎の繰返しの処理により回転表示を実現するとの技術思想を開示した記載を見出すことはできない。つまり,本件明細書において,本件発明の技術的事項を具体的に開示する唯一の実施例は,前記(2)オの段落【0058】ないし【0067】の記載にあらわれたとおり,図形の回転表示を実現するために,1ピクセル毎の繰返しではなく,いわば1キャラクタ幅(実施例では,16ピクセル)毎の繰返しをもって,隣接する2つのキャラクタの図形データを斜めに順次読み出す処理による技術を示したものにほかならないというべきである

 原告の主張は,本件明細書の開示に基づかないものであって,採用することができない。
そこで,以下においては,上記の技術的範囲の解釈を踏まえて,本件発明の構成要件の解釈をすることとする。・・・

引用例組み合わせの検討の教科書的事例

2008-09-07 23:04:51 | 特許法29条2項
事件番号 平成19(ワ)19159
事件名 特許権侵害差止請求事件
裁判年月日 平成20年08月28日
裁判所名 東京地方裁判所
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
裁判長裁判官 阿部正幸

引用発明1は「・・・ダイシングソウに関するもの」(乙9の1頁18行ないし20行)であり,引用発明2も「・・・ダイシングソウに関する」(乙15の2の1頁11行ないし13行)ものであって,両者の技術分野は同一であること,また,
 引用発明1は「圧電基板などの切り出しや切削などの加工が短時間にできるようにして生産性を向上することを目的とする」(乙9の3頁3行ないし5行)ものであり,引用発明2も「半導体ウエハの全体を切断して個々の半導体ペレットに分割する時間が短縮される」(乙15の2の4頁11行及び12行)ことを目的とするものであって,両者は切削時間の短縮という目的においても共通していることから,
 引用発明1に対し,具体的な切削方法として引用発明2の方法を採用することは,当業者が容易に想到することができたというべきである。

 ところで,引用発明1が,・・・との構成を備えていることを勘案すれば,引用発明1に対し引用発明2を適用することにより,引用発明2の「スピンドルを下降させる」ことは,本件発明の「該第一のスピンドル及び該第二のスピンドルを下降させる」こととなり引用発明2の「該第一のブレードと該第二のブレードとの間隔を維持」することは,本件発明の「該第一のスピンドルと該第二のスピンドルとの間隔を維持する」こととなることは,当然であるということができる。
 また,引用発明2に開示された切削方法においては,引用発明1と異なり,チャックテーブルをY軸方向に割り出し送りすることとなっているところ,上で述べたとおり,引用発明1は,2つのスピンドルをY軸方向に移動させるものであるから,チャックテーブルをY軸方向に割り出し送りすることに代えて,第一のスピンドル及び第二のスピンドルをY軸方向に割り出し送りすることは,設計上の選択事項として,当業者が適宜になし得たことであるというべきである。
 以上によれば,相違点3に係る構成は,引用発明1に対し引用発明2に開示された切削方法を適用することにより,当業者が容易に想到し得たものであると解するのが相当である。

・・・
以上によれば,本件発明は,引用発明1,2及び周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものというべきである(特許法29条2項)。したがって,本件特許は,特許無効審判により無効にされるべきものと認められるから,原告は,被告に対し,本件特許権を行使することはできない(特許法104条の3)。