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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

加藤神社と藤崎八旛宮

2014-01-05 15:50:15 | 歴史
 今年も加藤神社と藤崎八旛宮に初詣をした。わが家のある京町は、明治7年から昭和37年までの88年間、加藤神社が鎮座していて、とてもゆかりが深い。僕自身も子供の頃、加藤神社の境内が遊び場の一つでもあったから、加藤神社が熊本城内に再び遷宮される時には寂しさを感じたものだ。
 一方の藤崎八旛宮だが、祖母の生家が現在の藤崎八旛宮にほど近いところにあった。祖母が生まれた明治16年には既に藤崎台から井川淵に遷宮していて、祖母は幼い頃から藤崎宮への信仰が強かったらしく、七五三参りなどは藤崎宮で行うことがわが家の慣わしとなっている。そんなわけで、今でも何かお詣りする時に、どちらを優先すべきか迷うことがある。
 しかし、藤崎八旛宮は加藤清正公とゆかりの深い神社。熊本最大の祭り、藤崎八旛宮秋季例大祭は清正公の祭りと言ってもけっして過言ではないような祭りだ。清正公の八幡信仰が強かったのは、主祭神の応神天皇が武運の神とされることや、宇佐八幡宮に伝わる鍛冶翁の言い伝えなどから、清正公の出自である鍛冶の神でもあるとされることなどといわれている。
 ちょっと余談になるが、慶長15年に清正公が塩屋三丁目で催した能と歌舞伎の勧進興行の目的の一つは、藤崎八旛宮のためではなかったかと、だからこそ「八幡の国」などという他の史料では見い出せない名前が登場するのではないかと僕は推測している。
 それはさておき、これからもわが一家の産土神として、この二社を崇敬して行くことになるのだろう。


加藤神社


藤崎八旛宮