5年前の熊本地震で大きな被害を被った愛染院(熊本市中央区京町1丁目)本堂の再建がやっと完成間近となったようだ。3年前に解体が行われ、しばらく更地の状態が続いたので前を通る度に気になっていた。
宝聚山愛染院(高野山真言宗)は肥後細川家初代熊本藩主・細川忠利公が寛永9年(1632)に小倉から熊本へ転封された時に創建されたと伝えられる。この寺は旧藩時代、参勤交代の豊前・豊後街道の追分という要所にあり、明治に入っては西南戦争の激戦の舞台となるなど熊本の歴史を見続けてきた由緒ある古刹。
なお、細川忠利公は細川忠興公と玉(ガラシャ)夫人の三男である。
※右の写真は水前寺成趣園の細川忠利公像
完成も間近の新しい愛染院本堂
熊本地震前の愛染院。細川家の九曜紋と五七桐紋が見える。
宝聚山愛染院(高野山真言宗)は肥後細川家初代熊本藩主・細川忠利公が寛永9年(1632)に小倉から熊本へ転封された時に創建されたと伝えられる。この寺は旧藩時代、参勤交代の豊前・豊後街道の追分という要所にあり、明治に入っては西南戦争の激戦の舞台となるなど熊本の歴史を見続けてきた由緒ある古刹。
なお、細川忠利公は細川忠興公と玉(ガラシャ)夫人の三男である。
※右の写真は水前寺成趣園の細川忠利公像
完成も間近の新しい愛染院本堂
熊本地震前の愛染院。細川家の九曜紋と五七桐紋が見える。