徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

幻の振付師 ~ 山鹿灯籠踊り ~

2015-08-10 18:04:18 | 音楽芸能
 今週末の15・16日は「山鹿灯籠まつり」。このまつりの呼び物は何と言っても頭に灯籠をいただいた女性たちが踊る灯籠踊りだ。そこで3年前に一度ご紹介した灯籠踊りの誕生秘話を再度ご紹介したい。
 山鹿灯籠まつり自体は千年を超える歴史があるといわれるが、灯籠踊りが創られたのは意外と新しく、昭和28年のこと。かつて全国有数の温泉町だった頃の賑わいを取り戻そうと、山鹿市がその目玉として創案したのが灯籠まつりを彩る絵巻となる灯籠踊りの創作。そして、その創作の重責を担う人材として白羽の矢を立てられたのが、山鹿の検番で芸者さんたちに踊りを教えていた藤間富士齋さん(当時の名は豊太郎、現日本舞踊協会熊本県支部長)だった。この時、富士齋さんはなんと九州女学院高(現ルーテル学院高)を卒業したばかりの18歳。産みの苦しみは大変なものだったらしい。最も富士齋さんを悩ませたのが踊り手が持つ灯籠。ある日、富士齋さんは自宅にぶら下げた灯籠が偶然頭にぶつかったことから突然ひらめく。そうして出来上がったのが今日おなじみとなった頭に灯籠をいただくあのスタイルだ。しかし、あのスタイルを実現するまでには、それを作る灯籠師の協力を取り付けるなど、さらにひと苦労があったらしい。そしてもう一つの重要な要素である音楽は、明治時代からお座敷唄として唄われ、昭和8年に野口雨情によって温泉町の唄として改作された「よへほ節」を使うことになった。これがまた大成功の要因となった。
 こうしてスタートした灯籠踊りだったが、山鹿市は歴史のある灯籠まつりの幽玄性を損なわないよう、踊りの振付者がいることを公表しなかった。そして長い間、富士齋さんは灯籠踊りの幻の振付師として一般市民にその存在を知られることはなかったのである。

 下の映像で灯籠踊りを解説するのは、舞踊団花童の舞台でもおなじみ本條流名取の本條秀咲さん



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