FB友の森浩さんはたまに熊本の懐かしい写真を提供していただくのでありがたい。
▼蔚山(うるさん)町電停
慶長の役から帰還した加藤清正が連れて来た朝鮮・蔚山の人たちを住まわせたことから、かつて蔚山町と呼ばれていたが、町名変更により、現在は電停やバス停の名前にその名残りを残す。
前方に藤崎台の大楠が見えるが、昭和30年代の写真と思われる。僕は小学生の頃、新町の耳鼻科へバスで通っていて、一つ手前の停留所だったので特に懐かしい。
▼城見町通り
前方に大洋デパートが見える。昭和48年11月に多数の犠牲者を出した「大洋デパート火災」はいまだ記憶に新しい。かつては熊本を代表する百貨店だったが、火災から立ち直れず、結局、昭和51年に倒産・廃業した。
幼い頃、玉名から出てきた母方の祖父母と買物をして、この写真前方の三年坂辺りで別れたことを今でも思い出す。これも昭和30年代か40年代初めの写真と思われる。
▼蔚山(うるさん)町電停
慶長の役から帰還した加藤清正が連れて来た朝鮮・蔚山の人たちを住まわせたことから、かつて蔚山町と呼ばれていたが、町名変更により、現在は電停やバス停の名前にその名残りを残す。
前方に藤崎台の大楠が見えるが、昭和30年代の写真と思われる。僕は小学生の頃、新町の耳鼻科へバスで通っていて、一つ手前の停留所だったので特に懐かしい。
▼城見町通り
前方に大洋デパートが見える。昭和48年11月に多数の犠牲者を出した「大洋デパート火災」はいまだ記憶に新しい。かつては熊本を代表する百貨店だったが、火災から立ち直れず、結局、昭和51年に倒産・廃業した。
幼い頃、玉名から出てきた母方の祖父母と買物をして、この写真前方の三年坂辺りで別れたことを今でも思い出す。これも昭和30年代か40年代初めの写真と思われる。