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▼八雲
先生の教授法は一種独特のものであった。例えば文法を教えらるるにも教科書を用いらるるでなし、また口授筆記をさるるでなし、教場に入られて、出訣(欠)をつけらるる。それからクルリと振り返って、黒板に向い、チョークを取って、左の上の隅から文法を書き始められる。生徒は黙々としてそれを写す。その書かるるのはいささかの渋滞なく、時間の終わりの鐘のなるまで続く。鐘が鳴ると一礼して退出さるる。かくして写しきった筆記帳を放課後読んでみると、秩序整然、しかも日本学生にとって最も適切な文法上の注意が与えられている。先生は一片の原稿もなく、全時間いささかの淀みなく書き続けられ、しかもそれが極めて整ったものであったのは驚くべき技倆と思う。これは先生の天稟の文才もあったろうが、教場に出らるるまでには、頭の中で十分練って来られたことと思う。
「母校に於ける小泉八雲先生」 村川堅固
『龍南』第二百号(1926年)所収
『龍南』第二百号(1926年)所収
▼漱石
授業振りは、一言にして言えば、粗略であった。噛んで含める様な丁寧な教え方ではなくて、
「ザ、ネキスト。ザ、ネキスト。」
と次から次に読ませて、不審を聞けば、
「どの字が解らない?・・・・・・字引を引いたのか?」
という風に反問されるから、滅多に質問もされない。でその進むこと進むこと。
由来、教科書は中途または三分の一ないし三分の二しか済まないものときめていた。中でも英語の教科書はジ・エンド(終り)まで読んだことは臍の緒切って以来一度もなかった。然るに、夏目先生から教わった一年間に、「アチック・フィロソファー」や、「オピヤム・イーター」や、「オセロ」など皆ジ・エンドまで読んだ。その上「サイラス・マーナー」の半分まで進んだ。教科書を一冊終りまで読むことは、何でもないようだが非常に嬉しいものである。私はこの喜びを先生から授けて貰った。
「漱石先生と私」 八波則吉
1976年岩波『漱石全集月報』所収
1976年岩波『漱石全集月報』所収