文久4年(1864)、勝海舟は幕府の全権を受け、長州攻撃を目論む米・英・仏・蘭の4ヶ国との交渉のため、坂本龍馬らを引き連れて豊後街道を通り、長崎に向かった。その時目にした熊本の様子が「海舟日記」に記されている。熊本藩主の細川候に手厚くもてなされたハロー効果もあったのか、熊本のあらゆることについてエライ褒めようである。
それにしてもやっと新町の宿、本陣に着いたかと思いきや、横井小楠のいる四時軒まで約3里(12km)の道を使いにやらされた龍馬は可哀想・・・
勝海舟一行が城下に泊まった時から7年後(明治4年)の熊本城
それにしてもやっと新町の宿、本陣に着いたかと思いきや、横井小楠のいる四時軒まで約3里(12km)の道を使いにやらされた龍馬は可哀想・・・
勝海舟一行が城下に泊まった時から7年後(明治4年)の熊本城