今年も「山鹿灯籠まつり」の日が近づいてきた。県内外から多くの観光客が訪れることだろう。せっかく山鹿に来られるならば、まつりや踊りの見物だけではなく、ぜひ見ていただきたいポイントを3つに絞ってあげてみた。見物の時間的余裕がある方はぜひチェックしていただきたい。
▼ポイントその1・・・「山鹿灯籠まつり」のもう一つの起源説が伝わる金剛乗寺
「山鹿灯籠まつり」の起源は1世紀末の景行天皇の九州巡幸の際、行在所(現大宮神社)まで道案内をした地元民の松明が時代を経て灯籠に変化したという説がある。これに対し、室町時代、枯渇した温泉を祈祷によって復活させた、金剛乗寺中興の祖、宥明法印の没後、追善供養のために灯籠が奉納されるようになったという説がある。しかし、現在、「山鹿灯籠まつり」は大宮神社とその周辺で行われるため、まつり期間中でも金剛乗寺は閑散としている。
なお、この金剛乗寺の一角に山鹿温泉の源泉がある。(写真の左下にパイプが見える)
▼ポイントその2・・・豊前街道の宿場町として栄えた町並み
山鹿は12世紀中頃に温泉が発見され、温泉町として栄えるが、江戸時代になると参勤交代が通る豊前街道の宿場町としても栄えた。熊本県内では珍しく、往時を偲ばせる街道の町並みが今なお残っている。
▼ポイントその3・・・無電柱化が進む国道325号(さくら湯前)
山鹿市の中心市街地は、「歴史まちづくり法」に基づく重点区域に指定され、他に先駆けて無電柱化に取り組んでいる。スッキリした背景の中、これまで以上に情趣に富む灯籠踊りが見られることだろう。
▼豊前街道を中心とした町の見取図(クリックして拡大)
▼ポイントその1・・・「山鹿灯籠まつり」のもう一つの起源説が伝わる金剛乗寺
「山鹿灯籠まつり」の起源は1世紀末の景行天皇の九州巡幸の際、行在所(現大宮神社)まで道案内をした地元民の松明が時代を経て灯籠に変化したという説がある。これに対し、室町時代、枯渇した温泉を祈祷によって復活させた、金剛乗寺中興の祖、宥明法印の没後、追善供養のために灯籠が奉納されるようになったという説がある。しかし、現在、「山鹿灯籠まつり」は大宮神社とその周辺で行われるため、まつり期間中でも金剛乗寺は閑散としている。
なお、この金剛乗寺の一角に山鹿温泉の源泉がある。(写真の左下にパイプが見える)
(HIROさん撮影)
▼ポイントその2・・・豊前街道の宿場町として栄えた町並み
山鹿は12世紀中頃に温泉が発見され、温泉町として栄えるが、江戸時代になると参勤交代が通る豊前街道の宿場町としても栄えた。熊本県内では珍しく、往時を偲ばせる街道の町並みが今なお残っている。
▼ポイントその3・・・無電柱化が進む国道325号(さくら湯前)
山鹿市の中心市街地は、「歴史まちづくり法」に基づく重点区域に指定され、他に先駆けて無電柱化に取り組んでいる。スッキリした背景の中、これまで以上に情趣に富む灯籠踊りが見られることだろう。
【参考資料】
▼豊前街道を中心とした町の見取図(クリックして拡大)