「山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ
とかくに人の世は住みにくい。」
とかくに人の世は住みにくい。」
これは漱石の「草枕」の冒頭の一節だが、漱石は山川信次郎との小天旅行の時、島崎の岳林寺から鳥越峠まで沢沿いの急坂を登って行った。岳林寺からしばらく登ると、現在は、鎌研坂の登り口という標識が立っている。この鎌研坂が漱石の言う山路だといわれている。しかし、漱石の時代、岳林寺あたりは人家もまばらな山道で、鎌研坂は現在の登り口よりもずっと下から始まっていた。また、当時この道は芳野や河内の行商人などの往来が多かったとも聞く。漱石がこの一節を思いついたのが本当に鎌研坂だったとしても、今日、われわれがイメージするようなロケーションではなかったかもしれない。
そもそも鎌研坂という名前の由来は、地元では、鎌の刃を研いだように鋭く急な坂道という意味だという言い伝えがあるそうだが、道沿いの沢を覗いてみると水量は少ないが清流が流れ、鎌を研ぐには絶好の岩場が続いている。案外、本当にここで鎌を研いでいたのかもしれない。

草枕の道の出発点・岳林寺

現在の鎌研坂の登り口

前半は竹藪の中を進む道

後半は鬱蒼とした木々に覆われた道

ゴツゴツとした岩だらけの急坂が続く

山路沿いに流れる沢

鳥越の峠の茶屋