ブログ「津々堂のたわごと日録」さんの今日の記事に健軍神社前の「西南の役‐熊本隊出陣の場所」の植栽が全くなくなり、風情がなくなった様子が紹介されていた。
今日、上熊本方面へ歩いて行った帰り、久しぶりに上熊本から京町台へ登る釈将寺坂を通った時、風景がすっかり変わってしまったことに気付いた。
▼今日の釈将寺坂の様子
▼以前の釈将寺坂の様子
かつて季節の花々が植えられていた斜面がコンクリートで固められていたのだ。おそらく地震対策だと思われるのでやむをえないとは思うが、この坂を登る時、いつも癒してくれた花々が見られなくなったのは寂しい。
この釈将寺坂は、その昔、坂の上に釈将寺というお寺があったことから付けられた名前。釈将寺は江戸時代前期の談林派俳諧の祖、西山宗因が幼い頃修業したお寺で、俳人連歌師への道を歩き始めた由緒のあるお寺だった。
今日、上熊本方面へ歩いて行った帰り、久しぶりに上熊本から京町台へ登る釈将寺坂を通った時、風景がすっかり変わってしまったことに気付いた。
▼今日の釈将寺坂の様子
▼以前の釈将寺坂の様子
かつて季節の花々が植えられていた斜面がコンクリートで固められていたのだ。おそらく地震対策だと思われるのでやむをえないとは思うが、この坂を登る時、いつも癒してくれた花々が見られなくなったのは寂しい。
この釈将寺坂は、その昔、坂の上に釈将寺というお寺があったことから付けられた名前。釈将寺は江戸時代前期の談林派俳諧の祖、西山宗因が幼い頃修業したお寺で、俳人連歌師への道を歩き始めた由緒のあるお寺だった。