徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

出京町のはなし。

2023-05-26 21:36:03 | 熊本
 わが京町の北の外れ、江戸時代は城下町から張出した街だった「出町」。僕が子どもの頃、大人たちは「出京町」と呼んでいた。

 熊日新聞のサイトに「古地図で歩く城下町くまもと」という連載企画がある。日頃、このサイトで歴史の勉強をさせていただいているのだが、その中に「京町」を取り上げた回があり、「出京町」について紹介した一節がある。

▼出京町、「街道をゆく」に登場
 江戸時代、京町北端の構口(かまえぐち)から出た豊前街道沿いは「出京町」と呼ばれる町人町だった(現池田1丁目、出町、稗田町)。火打ち道具や紅・おしろい、手まり、羽子板などの店が並んでいたという。
 司馬遼太郎さんの人気シリーズ「街道をゆく」の「肥薩のみち」に、通り沿いにあった酒本鍛冶屋が登場する。司馬さんたちが店に入ると、金気くさい土間があり、片隅に昔風のふいごがしつらえてある。老店主が出てきて、400年続く店で自分は15代目だ、西南戦争の時も表で弾が飛び交う中、店では逃げずに鉄を打っていたと話す。「このまま黒沢明の映画に使えそうな店格好であった」と司馬さんは書いている。
 司馬さんが鍛冶店を訪れたのは「翔ぶが如く」を連載中の1972年で、今ではその店はもうない。ただ、カナダから訪れた若者が同店で修業した後、米国に渡り和包丁職人として活躍している-という話がネットに出ている。

 とあった。そこで気になったので米国に渡り和包丁職人として活躍しているという人物を調べてみた。モーリー・カーターという人で、カナダ出身で高校生の時に空手の修行で熊本に来日し、たまたま熊本の「肥後正宗」の登録商標を持つ吉本刃物製作所を通りかかり、興味を持ったそうだ。その後、肥後正宗16代目である酒本康幸さんに弟子入りし、6年の修業を経て、17代目の肥後正宗の職人になったという。帰国後は自分のブランドを持ち、包丁を作り続けているという。カーターさんについては日本のテレビ番組も何度か取り上げたらしい。
 わが街にもまだまだ知らないエピソードが埋もれている。




司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の取材に同行した須田剋太の挿絵「酒本鍛冶屋」


酒本鍛冶屋で修業したモーリー・カーターさん

酒本鍛冶屋のご近所「塩津米穀店」を出自とする喜多流能楽師塩津家三代目・塩津圭介さん

豊後街道 ~立田口構(たつだぐちかまえ)~

2023-05-19 20:30:56 | 熊本
 現在、国道3号線浄行寺交差点から子飼橋までの道路拡幅工事が進められている。これに伴い坪井の立町通りも拡幅の計画だという。既に用地買収され建物が解かれた箇所もあり、立田口大神宮の赤鳥居をくぐる道は脇道が設置され一方通行になる予定だそうだ。しかし、残りの用地買収は難航しそうだ。

 立町通りのこの辺りは、旧藩時代、豊後街道の立田口構が置かれたり、参勤交代行列の供揃えをする勢屯りがあった地点。大津街道(豊後街道)の杉並木はここから大津宿まで約四里にわたって続いていたという。
 この歴史ある立町通りが拡幅工事でどのように変貌するのか見ものである。


立田口大神宮の赤鳥居




四里にわたって続く杉並木を進む肥後細川藩の御行列



 万延元年(1860)10月の13代当主細川韶邦公の初御入部を描いた「御入国御行列之図」。「建町構」や「立田口構」の文字が見える。坪井竪町の立田口大神宮の赤鳥居前。跳ね上げ式の簀戸口が設けられ、御行列の到着を待つ家来たちが警備に当っている。


熊本城復旧の長い道のり

2023-05-15 19:04:23 | 熊本
 7年前の今日、つまり熊本地震発生から1ヶ月が過ぎた頃だが、下記のようなブログ記事を書いていた。思えばその当時は先のことなど想像もできないまま書いていた覚えがある。昨年11月には復旧完了時期が当初の計画から大幅に遅れ、30年後になるとの見通しが熊本市長からアナウンスされた。
 熊本地震から7年経った今、復旧工事の様子を見ながら、就中、石垣の復旧がいかに大変な工事で、この先長い長い道のりが続くことを実感している。

▼熊本城石垣のはなし。(2016.5.15)
 熊本地震により熊本城の最大の特徴である石垣が各所で崩れ、熊本の文化財専門家として著名な富田紘一さんも「熊本城の石垣は地震にもびくともしない、とさんざん喧伝してきた自分たちがまるでホラ吹きのようだ」と嘆く。それほど、かつて経験したことのない巨大地震だったということなのだろう。
 この崩れた石垣を文化財として復元するためには、ひとつひとつの石を、元あった位置に戻すことが必要なので、崩落前の写真等と照合しながら気の遠くなるような作業をしなければならないという。四百年前の加藤清正公の築城に携わったとされる石工集団、穴太衆(あのうしゅう)の末裔の方の話では、石垣だけで復元に10年かかるだろうという。もちろんそれに伴う費用も莫大なものになる。また、穴太衆の石積み技術は口伝であり、築城当時の技術は現在は伝わっていないそうなので、はたして同じ形に復元できるかどうかもわからないという。熊本城が元の姿に戻るのは何十年も先のことだろう。それを見るのはわれわれの世代ではないことだけは確かなようだ。


こんなイベントが再び行われるのはいつの日か?
(2011年10月1日 熊本城・竹の丸 秋のくまもとお城まつりオープニング)

あの頃の熊本城

2023-05-03 18:22:16 | 熊本
 GWも後半に入り、今日も熊本城は多くの観光客で賑わっていた。
 そんな中、二の丸広場や加藤神社などで観光ボランティアガイドに観光客のグループが案内されている光景をよく目にする。ガイドの話に耳を澄ましていると、よく聴こえてくるのが「修復工事中の熊本城は今しか見られませんよ!」という言葉。今はそう言うしかないのだろうが、聴きながら僕はやっぱり、観光客の皆さんには熊本地震前の美しかった熊本城を見ていただきたかったなぁと思うのである。平成時代に入ってから櫓や続塀などが次々と復元され、築城四百年に向けて本丸御殿などが築城時の建築工法で復元された。2006年から足掛け3年にわたった築城四百年祭の頃はそれはそれは見事な名城の姿を誇っていたのである。
 当時の写真を眺めながらふり返ってみた。


大小天守と宇土櫓の三天守の偉容


ライトアップされた三天守を背景に行われた薪能


二の丸広場では春秋のお城まつりなど様々なイベントが三天守を背景に行われた。


桜の開花時季には長塀前で大勢の市民が花見を楽しんだ。


二の丸北側の百間石垣は往時の偉容を残していた。


天守閣手前に構えた豪壮な本丸御殿


本丸御殿で最も格式が高い昭君之間


大広間は手前から「鶴之間」「梅之間」「櫻之間」「桐之間」、そして一番奥が藩主の部屋「若松之間」


大広間では季節ごとに宴が催され、各種芸能が披露された。

今日の1枚 ~古京町の石材置場~

2023-04-18 20:22:21 | 熊本
 このエリアはかつて熊本家庭裁判所があり、その後、熊本市役所古京町別館として使われていた建物があった場所である。建物は熊本地震で損壊し、解体撤去された。今は熊本地震で崩落した飯田丸五階櫓石垣の復旧工事のための石材置場となっている。
 このエリアに納まりきれない程あった石垣や裏込石が最近急激に減り始めた。それは飯田丸五階櫓石垣の復旧工事が進んでいる証なのだろう。予定では来年2月に石垣の積み直しが終わり、それから櫓建物の復旧に4、5年かかるという。飯田丸五階櫓が地震前の姿に戻るのはまだだいぶ先のことではあるけれど、この石材置場を見て、少しづつ少しづつ復旧が進んでいることを実感するのは楽しい。


飯田丸五階櫓石垣復旧工事のための石材置場


▼熊本地震前の飯田丸五階櫓


     ▼熊本地震で石垣がV字崩壊した飯田丸五階櫓


▼「奇跡の一本石垣」としてメディアに取り上げられる

桜と菜の花と芝桜

2023-03-31 20:58:33 | 熊本
 熊本市北区の「高平・坪井川遊水地花公園」は今、桜と菜の花と芝桜が咲きそろい、鮮やかなコントラストが観る人を楽しませています。
 土手道の向こうに見えるのは古刹浄国寺。江戸末期から明治時代に活躍した生人形師・松本喜三郎の傑作「谷汲観音」が鎮座する寺としても知られています。
 花公園を見物ついでに「谷汲観音」にお参りなどいかがでしょうか。


鮮やかな色模様を楽しんでいると時の経つのを忘れる


土手の向こうに見えるのが浄国寺


谷汲観音様にはいつも「すべてお見通しだ!」と言われそう。



8年ぶりの祭り風景

2023-03-26 19:12:30 | 熊本
 昨日は本妙寺で4年ぶりに桜灯籠(はなとうろう)が行われた。そして熊本地震から7年ぶりに仁王門をくぐることができた。熊本地震で被災した仁王門は昨年10月に修復工事が終わっていたが、石段下のバイパストンネル工事が行われていたため通行できない状態が続いていた。トンネル工事もやっと終わり、仁王門前の祭り風景は実に8年ぶりとなる。
 昨夜は雨も予想されたので、開始時刻の午後6時より1時間も早く着いて、準備真っ最中の参道を見て回った。花園地区で保育園を経営している親戚とバッタリ会った。園児たちが作った和紙灯籠を奉納しに来たそうだ。しばらく立ち話をしたが、本妙寺のイベントも運営メンバーの高齢化などで段々厳しい状況になっているらしい。


8年ぶりに見る仁王門前の祭り風景


仁王門から門前町を眺めるのも8年ぶり


桜馬場にギッシリ置かれた和紙灯籠


   ▼過去の頓写会や桜灯籠の状況がわかる映像です。

聖パトリックとハーン

2023-03-17 19:17:28 | 熊本
 今日は「聖パトリックの日」なんだそうな。そういえば数日前、熊本市の街中を「聖パトリックの日」のパレードが行われたというTVニュースを見た。聖パトリックとはアイルランドにキリスト教を広めた聖人で、命日は「聖パトリックの日」としてアイルランドでは盛大なフェスティバルが行われるらしい。熊本はラフカディオ・ハーンの父の祖国という縁があって、25年ほど前に設立された熊本アイルランド協会という団体が主にパレードを実施しているそうだ。
 実はハーンの本来のファーストネームは「パトリック」。父が聖パトリックにちなんで付けたものだそうだが、両親の離婚や生い立ちなどからハーンはカトリックに疑問を抱いており、後年、「パトリック」は使わなかったそうだ。

   アイルランドの代表的な民謡「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」
ルーシー・ホルシュのリコーダーとルートヴィヒ管弦楽団


   僕にとってアイルランドと言えばコレ!「静かなる男」
ジョン・フォード監督 ジョン・ウェイン モーリン・オハラ

新幹線が来たバイ!

2023-03-12 21:22:19 | 熊本
 昨日、東日本大震災から12年ということは、その翌日から開業した九州新幹線鹿児島ルートは今日12日が開業12年ということになる。何しろ大災害の翌日とあって開業記念イベントはすべて中止、祝賀ムードを自粛し、喜びも極めて抑制された形でのスタートだった。当初は前途多難を危ぶむ声も多かったが、その後利用者は順調に増え、観光やビジネスの足として定着した。近年の新型コロナの影響で利用者の落ち込みはあったものの徐々に回復して行くものと思われる。12年経った今、九州新幹線開業で地域振興を図る「新幹線くまもと創りプロジェクト」はどの程度の成果を上げたのだろうか。


通り過ぎる新幹線の疾走音にも慣れた


熊本駅新幹線口


新幹線到着も初めは熊本の風景とは思えなかった

1年後、くまもと森都心プラザのイベント広場で行われた開業1周年イベントでのザ・わらべのステージ

町興しなるか 企業進出

2023-03-04 16:49:02 | 熊本
 一昨日の熊日新聞は「世界的な半導体メーカーTSMCの熊本県菊陽町進出に絡み、関連企業として、半導体の製造工程で生じる排ガスの浄化装置を製造するカンケンテクノ(京都府)の新工場が1日、玉名市安楽寺の梅林小学校跡地で着工した。操業開始は10月を予定で約1万平方㍍の敷地に5年で計5棟を建設する計画。地元から約100人を雇用する予定。」と報じた。

 実はここは僕の妹夫婦が住む段丘の真下に当たり無関心ではいられない。工場要員の雇用や移入などにより地域の町興しにつながればありがたいことだ。また、この地区の伝統行事であり熊本県指定重要無形民俗文化財でもある「梅林天満宮流鏑馬」は近年、人口の減少や高齢化、少子化などで、祭りの担い手が減少し継承していくことが極めて厳しくなっている。若い人たちがこの地域に移入することによって新しい祭りの担い手が増えればこんなに喜ばしいことはないのだが。


梅林小学校跡地


梅林天満宮鏑流馬(梅林天満宮例大祭)


400年近い歴史を有する鏑流馬

水が出ない「鳴岩の湧水」

2023-03-02 18:20:00 | 熊本
 平成の名水百選に選ばれている「金峰山湧水群」の一つ「鳴岩の湧水」(熊本市西区花園町)の湧水が止まってもう2、3ヶ月経っているようだ。
 昨年暮れ久しぶりに覗いてみたら水が止まっていたので驚いた。そのうちまた出るようになるかなと思っていたが、今日再び訪れてみたら排水溝には落葉がうずたかく積もり長い間水が止まっていることをうかがわせた。
 熊本地震の前までここによく水を汲みに来た。地震の後、赤水が出たという話を聞いてから汲みに行かなくなった。赤水はその後出なくなったらしい。この湧水は江戸時代から名水として知られていたらしく、肥後国志にも次のように書かれている。

 柿原村「鳴岩 懸巌ノ内ニ常ニ流水激瀬ノ音ノミアリテ巌壁ノ間ヨリ小流ノ清水湧出ス」

 下を流れる成道寺川は相変わらず清流が流れているが、たしか成道寺川と同じ水系と聞いていたので、市の担当課にたずねてみた。何らかの理由で水脈に変化があったのだろうと推測しているが調べようがないという返事だった。
 いつの日かこの湧水が復活してくれれば嬉しいのだが。


鳴 岩


成道寺川

7年ぶりに夏目漱石内坪井旧居へ

2023-02-10 18:11:09 | 熊本
 昨日から「夏目漱石内坪井旧居」が7年ぶりに公開されたので、さっそくその復旧状況を見に訪れた。熊本地震前、いつ行ったのか調べてみたら2016年1月7日に訪れていた。この年から始まった「漱石記念年」に合わせて熊本市が作成したPRパンフレットをもらうのが目的だった。この年は夏目漱石の没後100年および来熊120年に当たる年で「漱石記念年」として様々なイベントが行われたのだった。
 さて復旧ぶりだが、小説「道草」(大正4年)の漱石直筆原稿などの展示はあるものの以前に比べるとまだちょっと殺風景な印象。これから徐々に充実して行くのだろう。
 

授業の一環なのか、お隣りの熊本中央高の女子生徒たちがクラス全員で来ていた。


座敷から庭を眺める。長女筆子が産湯に使った井戸が見える。庭全体にまだ緑が足りない印象。


南に面した縁側。門人たちが陽光を浴びながら談笑したことだろう。


洋室。在熊の画家松永健志さんが描いた漱石の肖像画が展示されている。


座敷の掛軸の句「菫ほどな小さき人に生まれたし」


寺田寅彦ゆかりの馬丁小屋

宇土櫓石垣復旧 工法見直し

2023-02-02 20:32:33 | 熊本
 今日の熊日朝刊の「宇土櫓石垣復旧 工法見直し」という記事が目を引いた。そして「やっぱりな…」と思った。


 昨年9月、熊本市は熊本城宇土櫓石垣の復旧について「はばき状石垣のコンクリート工法」による復旧で検討を進める方針であることを熊日紙が伝えた。それを読んで、「はばき石垣」で修復する方が現実的なのかもしれないが、あの宇土櫓石垣の美しい曲線の美観が損なわれはしないかとブログに書いた。「はばき石垣」というのは地震で膨らみなどの変化が表れた石垣の外側にさらに石垣をかぶせるように築いて安定させる工法のことだ。江戸時代から何度も地震に見舞われた熊本城には「はばき石垣」で修復した石垣が何ヶ所もある。例えば下の「櫨方三階櫓跡(現加藤神社)」の石垣などである。
 やはり、熊本城修復検討委員会の中でも美観を損なうことを懸念する意見も出たようだし、また、空堀の下に遺構が埋まっているという新しい発見もあったようで今後の工法検討の推移に要注目だ。


櫨方三階櫓跡(現加藤神社)のはばき石垣


現在、櫓を鉄骨の素屋根を組み立てて覆う工事が進行中

「はばき(脛布)」というのは脚絆のこと。御田植祭の早乙女たちのように脛に巻きつけて紐で結んだ布のこと。

新世界の復活

2023-01-19 21:11:22 | 熊本
 昨日、熊日デジタルニュースで次のような記事を目にした。

 熊本市中央区手取本町の熊本パルコ跡地で進められてきた新ビルの建設工事が20日、完了する。名称は「Shinsekai(シンセカイ)下通GATE(ゲート)」。3~11階は星野リゾート(長野県軽井沢町)の都市型ホテルが入居。地下1階~地上2階にはパルコ(東京)が新業態の商業施設をオープンさせる予定で、春の開業に向けて内装工事を進める。

 僕が映画少年だった頃、あの場所には洋画の映画館「新世界」があった。下通入口を挟んで市役所側には同じく洋画の「大劇」があり、新作映画の公開で張合っていた。大劇の経営者が僕の母の知り合いだったこともあって大劇に行くことが多かったが、それは当時の洋画配給会社のメジャーどころが大劇がワーナー・ブラザース、パラマウント、MGM、20世紀フォックス、コロンビアと多かったのに対し、新世界の方はユニバーサルやユナイテッド・アーティスツなどとやや劣勢だったことにもよる。どちらの映画館も忘れられない名作があったが、大劇は「ベン・ハー」や「風と共に去りぬ」「シェーン」など。新世界は「アラモ」や「ウェストサイドストーリー」などが忘れられない。
 新世界の名前が復活したことは僕らの世代には嬉しいニュースだと思う。


1953.6.26 大水害直後の「通町筋電停」付近の様子(前方に鶴屋百貨店や新世界映画館が見える)

夏目漱石内坪井旧居 公開再開

2023-01-18 23:06:36 | 熊本
 2016年4月の熊本地震で被災し、以来ずっと閉館が続いていた「夏目漱石内坪井旧居」(熊本市中央区内坪井町)の復旧工事が完了し、いよいよ来月2月9日(夏目漱石の誕生日)に公開が再開される予定です。これまで県内外から訪れる旅行者が館外から覗き見る場面に何度も遭遇することがあり、何か申しわけないような気がしていましたのでホッとしました。


庭園から


正門から


映画「うつくしいひと」の1シーン。漱石内坪井旧居の玄関前で(石田えりと橋本愛)