のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

犬の歌

2006年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 До свиданья, друг мой, до свиданья.
 Милый мой, ты у меня в груди.
 Предназначенное расставанье
 Обещает встречу впереди.

 До свиданья, друг мой, без руки, без слова,
 Не грусти и не печаль бровей,-
 В этой жизни умирать не ново,
 Но и жить, конечно, не новей

 「さようなら 友よ さようなら
 なつかしい友 きみを忘れない
 定められた別れの時
 それが ぼくらの再会を約束している
 さようなら 友よ 手もにぎらず 言葉もかわさないけれど
 哀しまないでくれ 眉もひそめないでほしい
 この世で死ぬなど ことあたらしくはない
 けれど生きることも むろん ことあたらしくはないはずだ 」

051227_1

 まずははじめにBGM代わりにエセーニンの詩にワジム・ロツキンがメロディーをつけ、アンナ・レスニコワが歌う「犬のうた」歌詞は下に掲載しておきます。

 ここをクリック(MP3で音楽が聴けます

 1925年の12月27日、詩人セルゲーエセーニンは自らの血でこの詩を書き残して自殺したと言われています。
  エセーニンは数奇な人生を歩んだ詩人で、牧歌的な農村の色合いの濃い詩を生み出していた人生の半分と、ソビエト革命以降の半生の落差が極端です。

 自殺とされるその死も謎に包まれており、没80年だった昨年の今頃にはエセーニンの死に関するドラマがロシアのテレビで放送されて大評判でした。

 1912年にモスクワに出てきたエセーニンはさまざまな仕事をしながら詩を作り、14年にはいくつかの詩を発表しています。1915年にペトログラード(現在のサンクトペテルブルグ)に移り翌年には処女詩集「招魂際」で文壇にデビューしました。

 性格的には酒乱だったようで、性格破綻スレスレのタイプだったようです。ペトログラードで兵役に付きソビエト革命を迎えます。1917年の2月革命で脱走兵になりペトログラードに戻ってきます。

 1922年に17歳年上のアメリカ人の舞踏家、イサドラ・ダンカンと結婚しドイツ・フランス・アメリカを旅します。イサドラ・ダンカンはモダンバレエを作り出した舞踏家と呼ばれ、「踊るヴィーナス」としてその世界では今でも著名な人物。

 USA側や舞踏家たちの目線で見れば、イサドラ・ダンカンが若い飲んだくれのアル中のロシア人にひっかかったと見ています。

 エセーニンはソビエトの放つ新しい理念に希望や憧れは持っていたものの、それはつまり工業化によって彼の愛していた農村文化を破壊させていくジレンマに悩んでいたそうです。キリスト教国でありながらロシア人の自然観は日本人に近いものがあり、自然に対する感性が原始的で宗教的(シャーマニズム的)な面があります。エセーニンもこうした自然観を持っている人物だったと思います。

 後半の人生の中で生み出す詩は工業化にとって購買していく田園を歌ったものや、鉄の馬(鉄道)と競走して敗れる子牛の姿をうたったものなど、素朴から悲壮感へと変わって行きます。

 ただでさえエキセントリックな性格にアルコールが加わり絶望感の中で著名な舞踏家のヒモのような暮らしをしていて長く続くはずもありません。1925年イサドラに見捨てられます。その年の12月27日、手首を切り、その血で最後の詩をしたため30歳の生涯を終えます。

 エセーニンの詩はロシアの人々に愛され、ソビエト時代にはさまざまな歌曲となって世に出たり、たまたま聴いた曲がエセーニンの詩だったなどよくあることです。現在でも新しいポップスにエセーニンの詩が取り上げられていることもあります。

 エセーニンの詩を愛するロシア女性も多いですが、そのほとんどは農村詩人と呼ばれていた初期の頃の詩を好みます。革命以降の詩にはトゲトゲした含みや、切実で悲壮な詩が多いので読んでいて心が苦しくなるそうです。

 「犬のうた」はまだ農民詩人と呼ばれていた初期の頃の作品(1915年)で、「涙を流さずにこの詩は読めない」とロシア人が言う名作です。慈しみが涙と共にあふれます。

 飼い主に逆らえない不憫な犬を農奴を重ねてみることができます。私は最後の部分の人に面白半分に石を投げつけられながらも、生きるために耐えなければならない不憫な犬の姿が目に浮かんでなりません。

 犬のうた

 金色の麦のむしろが、ならんでる。

 穀物小屋の朝まだき。

 雌犬が七ひきの子を産んだ。

 赤毛の子犬を七ひき産んだ。

 一日じゅう、雌犬は仔犬をかわいがり、

 舌で、うぶ毛をなめていた。

 雌犬のあたたかいおなかの下で、

 雪がとけて流れていた。

 日が暮れて、にわとりが、

 とまりぎにねむるころ、

 おやじが、ふきげんな顔をして、

 七ひきごっそり袋にいれた。

 ふりつんだ雪のなか、

 おやじのあとから、雌犬は走った・・・

 来てみれば、まだ凍らない沼の水、

 いつまでもいつまでもふるえてた。

 おなかの汗をなめながら、

 力もぬけた帰り道。

 わら家の上に出た月が、

 仔犬のひとつに思われて。

 クンクン悲しく泣きながら、

 青い空を見ていると、

 しずかにすべる細い月。

 丘のむこうに見えなくなった。

 ふざけて石を投げられて、

 泣いてるように音もなく、

 雌犬の目からはらはらと、

 ころがりおちた金の星。

ПЕСНЬ О СОБАКЕ

<mytag var="text"></mytag>Утром в ржаном закуте,
Где златятся рогожи в ряд,
Семерых ощенила сука,
Рыжих семерых щенят.

До вечера она их ласкала,
Причесывая языком,
И струился снежок подталый
Под теплым ее животом.

А вечером, когда куры
Обсиживают шесток,
Вышел хозяин хмурый,
Семерых всех поклал в мешок.

По сугробам она бежала,
Поспевая за ним бежать...
И так долго, долго дрожала
Воды незамерзшей гладь.

А когда чуть плелась обратно,
Слизывая пот с боков,
Показался ей месяц над хатой
Одним из ее щенков.

В синюю высь звонко
Глядела она, скуля,
А месяц скользил тонкий
И скрылся за холм в полях.

И глухо, как от подачки,
Когда бросят ей камень в смех,
Покатились глаза собачьи
Золотыми звездами в снег.
<mytag var="year"></mytag>
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