夫の母校 野蒜小学校のその時の様子が 今日の毎日新聞朝刊に載っていました
津波の勢いはギャラリーの床面ギリギリで止まった。無事に逃れた200人以上の人たちは窓の遮光用カーテンや 卒業式用に張っていた紅白の幕を引きちぎってロープ代わりにし 津波の中に投げ込んだ。 「野蒜小ファイト。」 別の児童たちも「ファイト!」と一斉に励ました。ジャンパーをぬいだ児童たちは互いに袖を結びつけて投げ込んだ。
体育館ではステージのどんちょう(縦5・4メートル 横10メートル)などにしがみついて生き延びた人も30人~40人いたと伝えられる。当時 同小5年だった北条未都さん(14)はその一人だ。首まで海水につかり必死に上を目指した。怖くて後ろを振り向けなかった時 「頑張れ ファイト!」の声が届いたという。
あの日 家でとてつもない大きな津波が押し寄せる様子を テレビで見ていました
どうすることもできず でも 不安に押しつぶされそうになって
「大丈夫かな~?」と打った私のメールに
「わたしも 心配しています」と 夫が返信してきました
向こうは地震に慣れているから と いつも地震の情報に 不安がるわたしを 安心させてくれていた夫が動揺している様子が伝わってきて
「これは いつもと違う」と 感じました
もう3年
まだ3年
人それぞれ 感じる年月の長さは 違うけれど・・・
命の瀬戸際でも
「ファイト!」と 友を励ます言葉を忘れなかった子ども達の心を 忘れず 生きていきたいと思います。
大きく揺れる講堂のライトが落ちそうで
来賓も生徒も
みんなが椅子の下にもぐりました。
そのあとは電車が一切動かず
帰宅難民になり 何時間もかけて家にたどり着いたのをいまでも覚えています。
今朝もニュースでまだまだ復興したと言えど変わらない風景の中で
必死で前を向いて生活している被災地の皆さんに
私たちは 決して忘れてはいけないのだと
思います。
山形県内にも福島からの避難者がまだ大勢います
早く元の故郷へ帰れることを願うだけです
話変わりますが貴女さんも鉄撮りのメンバーでしたね
てくっぺさんのブログで知りました
しかし、まだあの時は覚えてます。
公園を通過してるときでしたがね。^±^;
地面が揺れたので、めまいかと思ってました。
しかしベンチに座ってもめまいがなおりませんでした。
で、家に帰って、初めてそれが地震と気がつきました。
しかも、うちのほう、震度6でした。^±^…後ほど震度5強に訂正になったようですが
kouくんの 卒業式だったのですね
それぞれの人の心に残る震災
思いを馳せるだけでも 復興への力になると思います
忘れず見つめて行きたいですね
気にかけて 覚えてくださっていて感謝です
遠く離れていても
思いを馳せることが 復興への力になると信じたいです
鉄写同好会 ほんと さぼってばかりの部員ですが
また 記事をアップしようと思います
よろしくお願いいたします
実際に あの時の揺れを感じた方は
決して忘れることが出来ないのでは と 思います
地震酔いという言葉も 出ていました
年月がたっても 決して忘れてはいけない
あの日 です