norinorimiffyの日記

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3・11に思う

2014年03月11日 | Weblog

夫の母校 野蒜小学校のその時の様子が 今日の毎日新聞朝刊に載っていました

 

津波の勢いはギャラリーの床面ギリギリで止まった。無事に逃れた200人以上の人たちは窓の遮光用カーテンや 卒業式用に張っていた紅白の幕を引きちぎってロープ代わりにし 津波の中に投げ込んだ。 「野蒜小ファイト。」 別の児童たちも「ファイト!」と一斉に励ました。ジャンパーをぬいだ児童たちは互いに袖を結びつけて投げ込んだ。

体育館ではステージのどんちょう(縦5・4メートル 横10メートル)などにしがみついて生き延びた人も30人~40人いたと伝えられる。当時 同小5年だった北条未都さん(14)はその一人だ。首まで海水につかり必死に上を目指した。怖くて後ろを振り向けなかった時 「頑張れ ファイト!」の声が届いたという

 

あの日 家でとてつもない大きな津波が押し寄せる様子を テレビで見ていました

どうすることもできず でも 不安に押しつぶされそうになって 

「大丈夫かな~?」と打った私のメールに

「わたしも 心配しています」と 夫が返信してきました

向こうは地震に慣れているから と いつも地震の情報に 不安がるわたしを 安心させてくれていた夫が動揺している様子が伝わってきて

「これは いつもと違う」と 感じました

 

もう3年

まだ3年

人それぞれ 感じる年月の長さは 違うけれど・・・

命の瀬戸際でも

「ファイト!」と 友を励ます言葉を忘れなかった子ども達の心を 忘れず 生きていきたいと思います。

 


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6 コメント

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ちょうど3年前のこの日 (koumama)
2014-03-11 21:51:15
kouの卒業式の最中で
大きく揺れる講堂のライトが落ちそうで
来賓も生徒も
みんなが椅子の下にもぐりました。
そのあとは電車が一切動かず
帰宅難民になり 何時間もかけて家にたどり着いたのをいまでも覚えています。

今朝もニュースでまだまだ復興したと言えど変わらない風景の中で
必死で前を向いて生活している被災地の皆さんに
私たちは 決して忘れてはいけないのだと
思います。
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こんばんは (喜サンタ)
2014-03-11 23:09:43
思い出しました確か東松島でしたね
山形県内にも福島からの避難者がまだ大勢います
早く元の故郷へ帰れることを願うだけです

話変わりますが貴女さんも鉄撮りのメンバーでしたね
てくっぺさんのブログで知りました
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こんばんはです。^±^ノ (てくっぺ)
2014-03-11 23:11:24
3.11から3年がたちましたね。^±^
しかし、まだあの時は覚えてます。
公園を通過してるときでしたがね。^±^;
地面が揺れたので、めまいかと思ってました。
しかしベンチに座ってもめまいがなおりませんでした。
で、家に帰って、初めてそれが地震と気がつきました。
しかも、うちのほう、震度6でした。^±^…後ほど震度5強に訂正になったようですが
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koumamaさんへ (norinorimiffy)
2014-03-17 14:12:05
ありがとうございます

kouくんの 卒業式だったのですね
それぞれの人の心に残る震災

思いを馳せるだけでも 復興への力になると思います
忘れず見つめて行きたいですね
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喜サンタさんへ (norinorimiffy)
2014-03-17 14:13:55
ありがとうございます

気にかけて 覚えてくださっていて感謝です
遠く離れていても
思いを馳せることが 復興への力になると信じたいです

鉄写同好会 ほんと さぼってばかりの部員ですが
また 記事をアップしようと思います
よろしくお願いいたします
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てくっぺさんへ (norinorimiffy)
2014-03-17 14:15:55
ありがとうございます

実際に あの時の揺れを感じた方は
決して忘れることが出来ないのでは と 思います

地震酔いという言葉も 出ていました
年月がたっても 決して忘れてはいけない
あの日 です
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