norinorimiffyの日記

きょう
だれかに ちょっと聞いて欲しいお話
お届けします  

お花畑 (ホテイアオイ)

2015年08月28日 | 奈良

毎年 8月の中旬ぐらいから咲き始める花です。

今年はいつもより ちょっと開花が遅かったのか PCの情報で今が見ごろと知りました。

幸いなことに 我が家からは車で 15分ぐらいで行ける場所

思い立ったが吉日。早速 その場所へ Go! 

 

お昼前でしたが 皆さん 情報通らしく 結構たくさんの人たちが来ていました。

お目当ての お花はこれ  ホテイアオイです。

 

この写真では 様子がちょっとわかりづらいので

2011年の マイブログから写真を拝借

 これは2011年8月17日に撮ったものですが

こんな風に 薄紫の絨毯を敷き詰めたように 咲きます。今年も 同じように咲いていました。

 

ホテイアオイは 昔 理科の教科書で 水に浮かぶ植物で勉強した覚えがあります。

数年前に この花畑を知るまでは ほとんどなじみのない花でした。

この場所を知ってからは 毎年の見に行くようになり おなじみの花になりました。

 

ここは 本薬師寺跡。

本薬師寺とは 現在西ノ京にある 薬師寺の前身にあたる寺で

天武天皇が 皇后(後の持統天皇)の 病気平癒を願って 690年 建立に着手。

しかし 完成を待たずして天武天皇が崩御したため 持統天皇がその遺志を継いで完成させたそうです。

今は 建物は残っていませんが 金堂の礎石や 塔の心礎などが 残っています。

詳しくは 本薬師寺跡クリックしてね) を ご覧ください。

 

一つ一つは そんなに派手な花ではありませんが

こんなふうに 一斉に咲くと 見ごたえがあります。

 

 


蕪村と若冲

2015年08月24日 | 芸術

随分 ブログ ご無沙汰してしまいました

今年のはじめは 毎日書くぞなんて がんばってたのですけれど

一日 あき 二日 あき 1週間 あき 2週間 あく頃には

もう ブログ やめちゃおうかな~なんて 思ってしまったり

でも せっかくここまで続けたし ここでの お友達も出来たし・・・

そんなこんなで やっと 今日 「書こう」という気持ちになって PCに向かっております。

 

8月16日 お盆明けの日曜日。ちょっと珍しいところに行って参りました。

かねてから お友達が教えてくれていて 行ってみようと思っていました。

ミホ・ミュージアムという所です。滋賀県の信楽にあるということで

夫のスマホのナビを頼りに 連れて行ってもらいました。

 

山の中を 奥へ奥へと進みます

「こんな所に 博物館?」と思う所に それはありました。

私たちと同じように ここでの展示物を見ようと たくさんの人たちが来ていました

チケット売り場で切符を買うと 切符売り場の方がおっしゃるのには

ここから更に500㍍ほど先に博物館があるとのこと。

歩いてでもいけるし 電気自動車の送迎もありますよ。ということでしたが

その電気自動車に乗る人たちの長い列を見て 歩くことにしました。

なだらかな坂を登って行くと・・・

 不思議なトンネルが・・・

実は このミュージアム あとで分かったことですが 新興宗教が絡んでいるようで

このトンネルも そういうことを頭に入れて見ると 何か意味があるように思えてきます。

トンネルを抜けると そこは 雪国? まさか

 これが博物館です。まさに異次元な空間。

 

当日の お目当ては これ。

 生誕300年 同い年の 絵師。蕪村と若冲です。

この二人の絵が かなりの数 展示されていて 見応えがありました。

どんな絵なのか 興味のある方は チラシのサイトがありましたので ごらんください。チラシクリックしてね

 

帰りは 琵琶湖を見ました。奈良に住んでいるわたしは 琵琶湖を見ても感動します

 

どんなところなのか よく分からないまま 蕪村と若冲の絵に引き寄せられて行きましたが

思いがけない場所にあり 面白かったです。

教えてくれた お友達に 感謝

 

この展示は 8月30日まで。もうすぐ終わりですが もしお時間があれば どうぞ。

 

 

 

 


八月六日に 思う

2015年08月06日 | 日常

いつのことだったのか 正確には覚えていません。

十歳下の妹がまだ生まれていなかったと思うので

わたしは 小学校のまだ低学年の頃だったと思います。

日曜日だったか 夏休みだったか とにかく学校が休みの日でした。

父母がテレビの前に座っていて わたしもそこに座る様に促されました。

 

テレビの画面に 原爆投下後の映像が映し出されました。

もちろん白黒でしたが その中のいくつかは今もわたしの脳裏に焼き付いていて

非情に 残酷なものでした。

 

わたしが原爆について 持っている考えは

たぶん その時に見せられた映像に起因するものであると思います。

父は 戦中 戦後のことをあまり語りたがりませんが

原爆投下の時は 呉に在住していて

キノコ雲も実際に見たといいます。

 

あの時 幼いわたしに なぜそんな映像を見せようと 両親が思ったのか

今も健在でいてくれている両親に 聞こうと思ったこともないので 

その理由は 定かではありませんが

わたしは 残酷であっても それを見せてくれたことに 今も感謝しています。

 

NHKの世論調査によると 広島に原爆が投下された日付を正しく覚えている人は

広島69% 長崎50パーセント 全国では30パーセント だったそうです。

その数字を見た時 最初 わたしは「30パーセントの人が覚えていないんだ」と 誤解したほどでした。

70年もたつのだから 当たり前なのかもしれない。

 

でも それでいいのかな?

 

世界遺産 とか あれだけ残すことにこだわっている人間が

戦争について忘れてしまうことを 「仕方がない」 とか 「そろそろ忘れようよ」と言ってしまうことに

私は 危機感を 覚えます。

 

今日は 八月六日。