norinorimiffyの日記

きょう
だれかに ちょっと聞いて欲しいお話
お届けします  

31日 の 言葉

2015年01月31日 | 言葉

1月も 最終日になりました。

1日から ずっと自分の好きな詩や言葉を追いかけてきました。

ある意味 初心に返ったのかな・・・と思っています。

2月からは 毎日言葉をご紹介というわけには いかないかもしれませんが

自分が その時に いいな~と思った言葉を 出来るだけ 載せることが出来るように

こころのアンテナを 立てていきましょう

さて 本日の 言葉

当然といいましょうか やはり 工藤直子さんで 行こうと思います。

 

さよなら三角

またきて四角

またあえるね と

うたってた

 

さよなら春 さよなら夏

さよなら秋 さよなら冬

 

さよならを くりかえし

さよならを つみかさね

  

また あいたくて なにかに

きょうも あるいていく

(工藤直子「また あいたくて」)

 

明日から 2月。

寒さも 本番ですが

少しずつ 春の兆しも感じられてくるかも。

では また ・・・。


30日 の 言葉

2015年01月30日 | 言葉

1日から 毎日 言葉や詩をご紹介してきました。

いつ挫折するかな~って 自分でも思っていたけれど

思いがけなく 30日まで続けてきました。

昔に書いたブログからヒントをもらうことも 多々あって

その度 自分の書いたことも振り返り それも また楽しかったです。

今日を入れて あと 2日となりましたので 2月からのことはさておき

とりあえず 今日と明日は 日や今日あったことに関係なく 自分の好きな詩を ご紹介しようと思います。

 

私が両手を広げても

お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は私のように

地面(じべた)をはやく走れない

 

私が体をゆすっても

きれいな音はでないけど

あのなる鈴は私のように

たくさんの唄は知らないよ

 

鈴と 小鳥と それから私

みんなちがって みんないい

(金子みすず「私と小鳥と鈴と」)

 

「みんなちがって みんないい」はわたしの座右の銘です。

 

 


29日 の 言葉

2015年01月29日 | 言葉

前にも 書いたと思うのですが

わたし 音楽を聞くのは 車の中で聞くことが一番多いんです

家の中で聞いても よさそうなものなのですが

車 運転しながら聞く時間が 細切れなんですけど 一日のうちで音楽を聞く時間としては 一番確保されていると思います。

そんなわけで 今日も運転中 音楽を聞いておりました

ご存知の方もおられると思いますが

2010年に 毎日放送の「ちちんぷいぷい」と言う番組の放送開始10周年を記念して

「すごくおいしいうた」というCDアルバムが発売されました。

それを この前ちょっと思い出して 車のデッキに入れてあったので 運転中それが流れてきました。

その中で 「あ これ大事だな」と思う一節が流れて来て 心に残ったので

今日は その一節を 本日の 言葉にしようと思います。

城南海(きずき みなみ)さんの歌です。

 

高い枝を 見上げるあまり

足下の花を 踏んでないか

だれかにとって 大事なものを

はかりにかけて 汚してはないか

 

強さの意味を 違えてないか

守ることで 奪ってないか

勝ろうとして ひざまずかせて

あなたに一体 何が残ろうか

(歌 城南海 作詞・作曲 川村結花 「アイツムギ」より)

 

 

 


28日 の 言葉

2015年01月28日 | 言葉

今日 ふと気づいたんですけど

わたし 初めてのブログを書いたのは 一月なんです。

ブログ何周年とか 普通 意識するものだと思うんですけど あんまり考えずにやってきたので

そういえば 何年の何月何日に始めたんだろうって 振り返ってみました

2009年1月7日に このブログは始まりました。

一番最初の記事 リンクする必要なし だってとっても短いんです。


300円

きょう 雑貨屋さんで 300円のちゃんちゃんこを 買いました/ピンクのフリースです
 かわいいです

 こ・れ・だ・け

 

でも ここから始まって 6年。

結構 がんばったな~なんて・・・

ブログを通じて 知り合った方々 みんなに感謝です

 

だれかに あいたくて

なにかに あいたくて

生まれてきた・・・

そんな気がするのだけれど

 

それが だれなのか なになのか

あえるのは いつなのか・・・

 

おつかいの とちゅうで

迷ってしまった子どもみたい

とほうに くれている

 

それでも 手のなかに

みえないことづけを

にぎりしめているような気がするから

それを手わたさなくちゃ

だから

 

あいたくて

(工藤直子「あいたくて」)

 

 


27日 の 言葉

2015年01月27日 | 言葉

こんな詩を ご紹介すると

何か あったのかしら?と 思われるかもしれませんが

特に何もなく 平々凡々と暮らしております

でも 工藤直子さんのこの詩を 読むたびに

今まで 幾たびかあった この詩と同じような時を

少し 愛おしいような気持ちで思い出す自分がいます。

「あ・・・ こういう時ってあるよね」と そんなふうに思える詩。

 

「こころが くだける」というのは

たとえばなしだと思っていた ゆうべまで

今朝 こころはくだけていた ほんとうに

 

ひとつひとつ かけらをひろう

涙がでるのは

かけらに日が射して まぶしいから

 

くだけても これはわたしの こころ

ていねいに ひろう

(工藤直子「こころ」)

 

 

 


26日 の 言葉

2015年01月26日 | 言葉

生きていれば いろいろなことがある。

最近 そう思うことが多くなりました。

昨日の 叔父の法事も 叔母の方は わたしの夫の側の叔母で 宮城県の出身のため

宮城からの 叔父叔母も来ていました。

前の3回忌が 同じように一月で あの東日本大震災はその年の3月にあったのです。

地震も津波も あまりにも理不尽な天災。

人は それでも 乗り越え 生きていかなくてはならない。

昨日来た 叔父叔母は無事でしたが あの時 亡くなった叔父叔母もいます。

ある日突然 奪われてしまった命。生き残った人は その思いも受けて頑張って生きていかなくてはなりません。

でも 人は 一人ではない。

そんなことを 考えていたら こんな詩に出会いました。

 

 

他のひとがやってきて

この小包の紐 どうしたら

ほどけるかしらと言う

 

他のひとがやってきては

こんがらがった糸の束

なんとかしてよ と言う

 

鋏で切れいと進言するが

肯じない

仕方なく手伝う もそもそと

 

生きているよしみに

こういうことが生きてるってことの

おおよそか それにしてもあんまりな

 

まきこまれ

ふりまわされ

くたびれはてて

 

ある日 卒然と悟らされる

もしかしたら たぶんそう

沢山のやさしい手が添えられたのだ

 

一人で処理してきたと思っている

わたくしの幾つかの結節点にも

今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで

(茨木のりこ「知命」) 

 

 

さりげなく添えられた たくさんの手に

助けられていること

忘れないでいたい。

 


25日 の 言葉

2015年01月25日 | 言葉

今日は 私たち夫婦が大変お世話になった 叔父の 7回忌でした。

寒い日が 続いていたのに 今日は 暖かい日差しがあふれて

やさしかった叔父の 人柄が偲ばれました。

そういえば 1回忌も 3回忌も あたたかい日でした。

法事の後 お墓参りに行ったとき ふと一回忌の時のことを思い出しました。

お墓のあるお寺の掲示板に載っていた詩。

今日は さすがにもう貼っていませんでしたが

一回忌の時と同じように ちょっとせつなくなるほど いいお天気だったので

その詩のことを 思い出したのでした。

帰ってから その日のブログを辿って見ると ちゃんと記録がありました。

こういうことがあると やっぱりブログをやっていてよかったな~と思います。

ブログには こうあります。

 

明るい冬の日差しの中
叔父が 私の背中をポンと押してくれたようで


5年たって また わたしの背中を押してくれたのですね。

「この詩を 思い出させてくれて ありがとう」


 これでいいのだ。
それは、赤塚不二夫さんが、
漫画の中で幾度もくり返してきた言葉。

 現実はままならない。
うまくいかないことばかり。
毎日のほとんどは、これでよくないのだ、の連続だ。
自分を責めて、誰かを責めて、何かを責めて。
そして、やっぱり自分を責めて。 

だけど、ためしてみる価値はある。
これでいいのだ、という言葉のちからを。
信じてみる価値はある。
あなたが、もうこれ以上どうにもならないと
感じているのなら、余計に。

胸を張る必要はないし、立派になんて、別にならなくたっていい。 

「あなたは、あなたでいいのだ。」

あなた自身がそう思えば、世界は案外、笑いかけてくれる。 

人生はうまくいかないことと、
つらいことと、つまらないこと。
そのあいだに、ゆかいなことやたのしいことが
はさまるようにできているから。 

どうか、あなたの人生を大事に生きてほしい。

(acコマーシャル「あなたはあなたでいいのだ」より)


叔父の好きだった 蠟梅の花

そろそろ 咲いているかしら 今度 見に行ってみよう。




24日 の 言葉

2015年01月24日 | 言葉

我が家の 沈丁花は まだ・・・

 

一昨日か スーパーの駐車場から 店内に入ろうとしたとき

沈丁花の香りが どこからかやってきました。

「寒い日だけれど 春は 少しずつやってきているのね」と ちょっとうれしい気分

その時 思い出した詩。

工藤直子さんが 続きますが ご紹介したいと思います。

 

ジンチョウゲが匂い

ハコベの白い花が咲いていたりすると

なんだか「よし! よし!」とうなずいて

じつに気合がはいるのである

 

麦の金いろの穂がゆれ

アリが荷物をかついで歩いていたりすると

なんだか「うん! うん!」とうなずいて

じつに張りきっちまうのである

 

じつにもう なにか・・・

なんでもよいから始めたくなるのである

そして 太陽をみあげ

(なにはともあれ ともかく)なんて

わけもなく つぶやいて

わけもなく 安心するのである

 

今日もちゃんと 今日だな と

(工藤直子 「今日」)


23日 の 言葉

2015年01月23日 | 言葉

冬の木を見ていると 思い出す詩があります。

冬枯れの枝は 寒々しくて 寂しく見えるけれど

この詩に出会ってからは また違う気持ちで 眺めるようになりました。

 

葉がおちた はだかの冬の木の

枝のさきは 寒くて淋しいか?

いいえ はればれ笑っています

枝先に 春夏秋が あつまって

出番をまって 遊んでいるから

(工藤直子 「冬の祭り」)


22日 の 言葉

2015年01月22日 | 言葉

昨日 ご紹介した 長田 弘さんの詩の中に

「嘘でしょう イソップさん」という詩があるらしくて

その一節が 長田さんを検索しているうちに 幾度か目にするのですが

長詩であるからか 全文を読むことが出来ていません

でも 紹介されている詩の一節に 「なるほど」と思えるものがあったので

全文を読まないうちに ご紹介するのも どうかと思いましたが

実は 昨日の毎日新聞にも 同じ一節が引用されていて その言葉に私がこころ惹かれて長田さんを調べてみようと思ったので

今日は それを 本日の言葉にしようと思います。

 

 

気をつけたほうがいいのだ

何事も きっぱりと 語る人には

 

です。であります。なのであります。

 

語尾だけを きっぱりと 言い切り

本当は 何も 語ろうとしていない。

 

ひとは 何を きっぱりと語れるのか

 

語るべきことを もつ人は

 

言葉を さがしながら むしろ

 

ためらいつつ 語る。

(長田 弘「嘘でしょう イソップさん」より)

 

 

きっぱりと 言い切らなければ 「自信がないのか」と責められる。

どう語ればよいのかと 言いよどむと 「どうしたいのか」と言われる。

そんな 世の中になってきたような 気がします。

言葉を選びながら 語ることの大切さを 考えています。