norinorimiffyの日記

きょう
だれかに ちょっと聞いて欲しいお話
お届けします  

笑っていいとも

2014年03月28日 | Weblog

一週間に一回 ぐらいのペースになってしまいましたが

自分の記録として また 脳トレ として

少しずつでも 書き残していきたいな~ と 思いつつ

PCに向かっております

 

さて

みなさんも ご存知だと思いますが

(画像は他サイトから お借りしました

来週の月曜日で 最終回ですね

32年間 続いたそうです

月曜日から金曜日までの 毎日 しかも 生放送

ギネスブック記録を 着々と延ばされていたのは ご承知の通り

 

この番組がはじまった時 私は ちょうど勤め始めたころで

お昼に テレビを見るという環境ではありませんでした

でも 「みんなで広げよう 友達の輪」の言葉とともに 何か面白そうな番組であることは知っていました

勤めを止めて 主婦になってからも 慣れない家事や子育てに追われ

なかなか 午後0時にテレビに向かうということも ありませんでしたが

ここ数年 時間に余裕ができて 毎日ではありませんが よくチャンネルを合わせるようになりました

同じ時間帯に NHKではニュース 他局では 芸能界やスポーツ界 政治などに関する ゴシップ的な番組をやっている中で

途中から見はじめても また 途中から見るのをやめても楽しめる この番組をよく見るようになりました

見るようになると それまであまり好感を持てなかった タモリさん(森田和義さん)の

人を笑わせる力 また 司会者として 他の出演者の魅力を引き出す力に惹かれるようになりました

 

ある時 タモリさんが言いました

「お笑い芸人と 料理人はよく似ている どちらも 人が喜ぶのを見るのがうれしいから」

それを 聞いて

「なんて 素敵な気持ちなんだろう」 と 思いました

人が喜ぶのをみるのが うれしい 

その気持ちが この番組の中には満ち溢れているから

だから こんなにも長く続いたんだな

そう 思います

 

今日の番組の中での あるコーナーで

「笑っていいとも」を 今日のレギュラーがそれぞれ自分の言葉で説明する場面があったのですけれど

皆 それぞれ愛情を持って 「笑っていいとも」の番組は こんな番組 みたいなことを書いておられましたが

タモリさんだけが

「観ていないから わからない」 と・・・ それが また会場の笑いを誘っていました

そうですよね

タモリさんは ずっと出演してきたから 観たことがことがなくて

だから 説明のしようがない と・・・

最後の 最後まで 人をくすっと笑わせることに 徹した人だからこそ言える言葉だよな~

 

いつまでも 続くことは無理だとは思っていたけれど

やっぱり ホントに終わっちゃうとなると 寂しいな・・・

と 思う norinorimiffyでした

 

 

 

 


鉄写同好会 3月

2014年03月14日 | Weblog

喜サンタさんから 「貴女も鉄写同好会だったんですね」と コメントをいただき

もう 何年か前に お仲間にいれていただいてから ホント数えるほどしか投稿していない幽霊部員の私に

いつも あたたかいコメントをいれてくださっている てくっぺさんに 申し訳ない気持ちでいっぱいです

みなさんのところにお邪魔するのを 楽しみにしてまだしがみついている私です

本当に 本当に ごめんなさい

 

というわけで 3月も 11日は 震災のことをアップしたため 大変遅くなりましたが

遅ればせながら 投稿したいと思います

 

山陽新幹線の 新大阪~博多で運行している ひかり号の一種です 愛称 ひかりレールスターで 親しまれていますね

奈良には 新幹線が走っていないので

新幹線を見ると 写真でもうれしくなってしまうのですけれど

いつも 眺めておられる方々には 何の変哲もない写真かもしれません

ちなみに この写真は 

つい2週間前 職場の旅行で広島に行った夫が 撮ってきてくれた 写真です(結局人に撮ってもらった写真を使っている 私です

 

ちょっと 話は変わりますが 大阪にある交通科学博物館が 4月6日で閉館しますね

子ども達が 幼いころ 本当にお世話になった博物館です

是非 閉館までに訪れて この同好会で記事をアップしようと 思っていますが

実現するかな~

とっても 素敵な博物館で いろいろ思い出もあるので なんとか時間を作って行ってみようと 思っています

鉄写同好会の方々は もっといろいろご存知かもしれませんが

よかったら 交通科学博物館 クリックしてね

 

 


3・11に思う

2014年03月11日 | Weblog

夫の母校 野蒜小学校のその時の様子が 今日の毎日新聞朝刊に載っていました

 

津波の勢いはギャラリーの床面ギリギリで止まった。無事に逃れた200人以上の人たちは窓の遮光用カーテンや 卒業式用に張っていた紅白の幕を引きちぎってロープ代わりにし 津波の中に投げ込んだ。 「野蒜小ファイト。」 別の児童たちも「ファイト!」と一斉に励ました。ジャンパーをぬいだ児童たちは互いに袖を結びつけて投げ込んだ。

体育館ではステージのどんちょう(縦5・4メートル 横10メートル)などにしがみついて生き延びた人も30人~40人いたと伝えられる。当時 同小5年だった北条未都さん(14)はその一人だ。首まで海水につかり必死に上を目指した。怖くて後ろを振り向けなかった時 「頑張れ ファイト!」の声が届いたという

 

あの日 家でとてつもない大きな津波が押し寄せる様子を テレビで見ていました

どうすることもできず でも 不安に押しつぶされそうになって 

「大丈夫かな~?」と打った私のメールに

「わたしも 心配しています」と 夫が返信してきました

向こうは地震に慣れているから と いつも地震の情報に 不安がるわたしを 安心させてくれていた夫が動揺している様子が伝わってきて

「これは いつもと違う」と 感じました

 

もう3年

まだ3年

人それぞれ 感じる年月の長さは 違うけれど・・・

命の瀬戸際でも

「ファイト!」と 友を励ます言葉を忘れなかった子ども達の心を 忘れず 生きていきたいと思います。

 


トビウオの ぼうやは びょうきです

2014年03月01日 | Weblog

今日は この絵本をご紹介したいと思います

 

米国が 太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で行った核実験 

付近で操業していた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被爆した事件から

今日で60年になります

この絵本は その時海で起こった出来事を トビウオの視点から描いた物語です

海の中に降り積もった白い灰の中を面白がって泳ぎ回ったトビウオの坊やは病気になってしまいます

でも その病気の治療法もわからず

絵本の最後は

「だれか トビウオの 小さい ぼうやを たすけて やれる ひとは いないでしょうか」

と 結ばれています

 

世界で初めての原子力爆弾が 人々の住む町に落とされたのが 1945年

それから 10年もたたないうちに それよりも強力な水爆の実験

アメリカ製の その水爆の名は 「ブラボー」と呼ばれていたそうです

 

人の死に涙し 人を思いやる優しい心を持っているのも

人の頭上に たくさんの人を殺す爆弾を落とすのも

みんな 同じ人間

人は皆 どちらにも向き得る 危うさを持っています

 

その危うさを 決して忘れてはいけない

「トビウオのぼうやはびょうきです」

もし 機会があれば 是非ご一読ください