norinorimiffyの日記

きょう
だれかに ちょっと聞いて欲しいお話
お届けします  

わたしがわたしになるために

2016年07月21日 | 詩 etc.

今日から 夏休み

二人の息子たちが 社会人になった我が家では あまり関係がありませんが

我が家は小学校の向かいにあるため いつも蝉の声をかき消すほどの 登校時の賑やかさが今日はなく

「あぁ 夏休みに入ったのだな~」と 実感。

 

先日 ふと こんな詩に出会いました。

1) 独り言  をさ はるみ

わたしが わたしに なるために 
じんせいの しっぱいも ひつようでした 
むだな くろうも ほねおりも
みんな とおとい けいけんでした

わたしが わたしになれた いま


あるお寺が発行されているパンフレットに この詩はありました。

調べてみると 詩はもうすこし続き こんな風に結ばれていました。

 

すべて あなたの おかげです
おんじんたちに 掌(て)をあわせ
ありがとう ございましたと ひとりごと


失敗すればやり直せばよいと 若いころは思っていました。

年齢を重ねて 失敗してもやり直すことが難しいと思うことが増えてきました。

でも

無駄だと思ったことも いらぬ苦労をしたと思ったことも 必要だったのだと・・・。

わたしがわたしになるために。

 

 


冬が来た

2016年01月25日 | 詩 etc.

寒い日が続いています

今年は暖冬だと思っていたのに 昨日のニュースでは長崎や奄美大島でも雪がふっていました

寒いのは 好きじゃないですけれど きりっとした冷たい空気は 実は嫌いではありません。

 

春や秋には 人に寄り添うあたたかさがあるけれど

冬には 己を譲らない強さと孤独がある。

夏の日照りは 一方的で 容赦ない感じがあるけれど

冬の寒さには ただ我を張るだけではない 何か意味があるような そんな気がする。

 

とはいえ 雪の被害や寒さの被害にあっている地域ではそんなどころではないですよね。

ここ奈良盆地は 底冷えはしていますが 雪も積もらず 有り難く過ごしております。

寒気からの脱出。祈るような気持ちです。

 

冬といえば 思い出すのは やっぱりこの詩。

 

冬が来た

高村光太郎

 

きっぱりと冬が来た

八つ手の白い花も消え

公孫樹の木も箒になった

きりきりともみ込むような冬が来た

人に嫌がられる冬

草木に背かれ 虫類に逃げられる冬が来た

冬よ

僕に来い、僕に来い

僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

しみ透れ、突きぬけ

火事になれ、雪で埋めろ

刃物のような 冬が来た

 

本当は 初冬にこそこの詩はふさわしいと思うのですが

暖冬から いきなりの寒さと戦うため この詩を ご紹介しました。 

 


あけましておめでとうございます

2016年01月01日 | 詩 etc.

あけましておめでとうございます

 

マイペースなブログですが

今年も どうぞ よろしくお願いいたします。

 

まいにち「おはつ」

(工藤直子 まいにち「おはつ」より)

 

目がさめて せのびして 

「きょう」という日の 扉をあけると

生まれたばかりの そよかぜが

世界中に お日さまのにおいを

とどけているところでした

さあ いちにちが はじまるね

まいにち「おはつ」

まいにち あたらしい

 

 


長田 弘さん

2015年05月12日 | 詩 etc.

昨日の朝刊に 「長田弘さん死去」の記事がありました。

最近 ちょっと気になる詩人でした。

詩集を持っていないので 時々引用された詩を読むだけでしたが

なんとなく 心惹かれる そんな気がしました。

今日の 毎日新聞の「余録」は 長田弘さんへの追悼文でした。

その中に 興味深い文章がありました。

福島県出身の長田さんの3・11は 入院先の東京都内の病院で手術を受けることを決め 準備のために一時帰宅した15分後のことだった。自身の大手術と重なる震災後の日々は幼少期の記憶の森の木が次々と倒されていったかのような思いとともに過ごしたそうだ

「・・・いつも考えるようになった。/ほんとうに意味あるものは/ありふれた 何でもないものだと。/魂のかたちをした雲。/木々の 枝枝の 先端のかがやき。/すべて小さなものは偉大だと。」(猫のボブ)。2年後に出した詩集名は「奇跡ーミラクルー」だった。

 

気になっているといいながら 彼が福島県出身ということすら 知らなかったわたしです。

でも ここで引用されている詩の一文も やはり心惹かれます。

「ほんとうに 意味あるものは ありふれた何でもないものだと」

見えるもの わかりやすいものが もてはやされる昨今。

長田さんの目を通して世の中を のぞいてみたい私。

 

ご冥福をお祈りいたします。        合掌


快適

2015年04月24日 | 詩 etc.

今朝 ふと 時計を見ると・・・

 気温21.5℃ 湿度47%。快適マークのところに△印

他にも 風邪引き注意 カビ・ダニ注意・熱中症注意 の 項目があって

その どれでもない日が結構 多い。

快適に △印がつくのは 一年のうち数えるほど。

快適 と 時計に教えられ そういえば 暑くもなければ 寒くもない。

洗濯物も 乾きそう

 

ああ本日は晴天なり晴天なり

カタクリもアリンコも

いっしょうけんめいに生きる

レンゲソウもミツバチも

いっしょうけんめい生きる

それらを ながめる わたしも

いっしょうけんけい生きる

地球では

いつもだれでも いっしょうけんめいだ

 

そんな気がした すこしうれしい日

(工藤直子 「いっしょうけんめい」より抜粋)


ランドセル

2015年04月02日 | 詩 etc.

4月 といえば

桜 入学式 と 思い出されます。

もうすこししたら 真新しいランドセルを背負った子ども達を見るようになりますね。

ランドセルといえば 思い出す詩があります。

 


ランドセル

 石垣りん

あなたは 小さい背中に

 はじめて 
 何か、を背負う

 机に向かってひらく教科書
 それは級友と全部同じ持ちもの
 なかには
 同じことが書かれているけれど
 読み上げる声の千差万別 
  
 入学のその翌日から
 ほんの少しずつ
 あなた達のランドセルの重みは
 違ってくるのだ

 手を貸すことの出来ない
 その重み

 かわいい一年生よ


このごろのランドセルは 色もさまざま キラキラストーンがついたりして オシャレですね。

私が幼いころは 女の子は赤 男の子は黒 それ以外は あまり見かけなかった記憶があります。

この前 テレビを見ていたら 若い子達が ファッションでランドセルを背負っていました。

ランドセル一つにも 時代がありますね。

 


ひとりぼっち

2015年03月06日 | 詩 etc.

わたしは 幼いころから 誰かがそばにいてくれる生活を送ってきたので

ひとりぼっちに 慣れていません

結婚したときも 自分の両親と一緒に生活していました。

子どもが二人生まれて だんだん 大きくなって

二世帯にするには ちょっと狭いね ということで 両親はスープの冷めないぐらいの場所に引っ越しました。

というわけで

お昼間は ほとんど一人でいることが 多くなりました。

そんな日が もう結構続いているのに まだまだ ひとりぼっちに慣れることが出来ません。

もう 大人も大人 いくつになるの?っていう 年なんですけど

 

そんなことを考えていると 昨日 ご紹介した詩集の中に こんな詩を見つけました。

 

ひとりぼっち

工藤直子

 

「ひとりぼっち」は さびしいね

「ひとりぼっち」は せつないね

あなたも どこかで そう思っているのかしら

だとしたら「ひとりぼっち」が

ふたり いるのね

 

「ひとりぼっち」は さむいわね

「ひとりぼっち」は なきたいね

みんなも どこかで そう思っているのかしら

だとしたら「ひとりぼっち」は

いっぱい いるのね

 

そう思ったら

なんだか にぎやかな「ひとりぼっち」

そう思ったら

なんだか あたたかい「ひとりぼっち」

 

ちょっと さびしくなくなったかも・・・

工藤直子さん ありがとうございます。

 


そばにいる

2015年03月05日 | 詩 etc.

本棚を整理していたら

工藤直子さんの詩集が出てきました。

「そういえば 前に買ったことがあったっけ」

買ったときに読んだけれど 本棚の隅に置いたまま 数か月 いや 数年?

久しぶりに開いた詩集は まだ 手になじまない パリッとした表紙

 

 

そばにいる

工藤直子

 

せなかにのころ

「てのひら」の記憶がある

まいごになった

わんわん泣いた

五歳のわたしの肩のまんなか

ちいさなくぼみをさすってくれた

おおきな「てのひら」

だいじょうぶ そばにいるらね

だいじょうぶ そばにいるからね

「だいじょうぶ」という ことばにゆられて

五歳のわたしは泣きやんだ

「そばにいる」それだけでうれしくて

 

だいじょうぶ そばにいるからね

だいじょうぶ そばにいるからね

「てのひら」から伝わった

あれは なにだったのだろう

 

もしかして ひとはみな

こころの ふかいところに

ちいさな海を 持っているのかな

そしてそれは あつまって

ひとつの おおきな

海になっているのかな

「だいじょうぶ」と ささやきあう

・・・そんな海

「そばにいるからね」と うなずきあう

・・・そんな海

 

悲しい事件を聞くたびに 被害者も加害者も

どこか 孤独の寂しさを 抱えていたような そんな気がする。

こころの中のちいさな海の存在を 教えてくれる誰かがいれば

大切な命が 奪われることもなかったのでは

海の存在を教えられなかったのは 私たち 大人の責任。だと 思う。 

 

 


なんとかなる

2015年02月24日 | 詩 etc.

今日は いいお天気ではなかったけれど 比較的あたたかい一日でした。

知り合いに会えば 「暖かいですね」「そうですね」「このまま暖かくなればいいですね」

そんな言葉を交わし合います。

 

しばらく 進路のことで悩んでいた次男が なんとか進む方向を見つけることができたようです。

人間関係にも 行き詰まり 見ているわたしも随分悩んだこともありましたが

同じ年頃の子を持つママ友達からも

「きっと笑ってあんなこともあったな~って 思える日がくるわよ」と励まされ

何とか 乗り切ることができました。

結局 親は子どもの応援団なのだと 思います。

季節に春が巡ってくるように 道はきっと開ける。がんばって

 

なんとかなる

工藤直子

 

なんとかなるか? の 泣き顔も

なんとかなるさ と 笑ったら

なんとかしよう と 日が暮れて

なんとかなった! と 日がのぼる

 

しんぱいない しんぱいない

あさは かならず やってくる!

 

決心したり くだけたり 

行ったり来たりの ブランコだ

「中途半端」も 愛しちゃえ

花も嵐も あって人生

 

しんぱいない しんぱいない

あさは かならず やってくる!

なんとかなる なんとかなる

まてば かならず なんとかなる!

 

 

 

 

 


今日は立春

2015年02月04日 | 詩 etc.

足ぶみ

金子みすず

 

わらびみたよな雲が出て、

空には春がきましたよ。

 

ひとりで青空みていたら、

ひとりで足ぶみしましたよ。

 

ひとりで足ぶみしていたら、

ひとりでわらえてきましたよ。

 

ひとりでわらってしていたら、

だれかがわらってきましたよ。

 

からたちかきねが芽をふいて、

小みちにもはるがきましたよ。

 

 

 

ここ奈良は ポカポカあたたかい一日でした。

この春が どんどん広がって みんなに春が 来るといいなと思います。

今日は 立春。