norinorimiffyの日記

きょう
だれかに ちょっと聞いて欲しいお話
お届けします  

道標(みち)

2011年03月31日 | Weblog

被災地では ここ何日かの間に

卒業式が 行われているようです

朝から ニュースを見ていたら 昨日行われた岩手県のある中学校の卒業式の映像が流れていました

あの日 体調を崩して学校を休んでいた子が 流されて亡くなり・・・

その子の 卒業アルバムに皆が 寄せ書きをしていました

制服ではない 体操服での 卒業式

三年生のはじめから 練習していたという「道標」という合唱曲を

一心に歌う姿が とても印象的でした

 

先が見えない不安があるのは 確かですが

卒業という言葉には 未来がある と 信じます

YOUTUBEにも ありましたので ご紹介します

とても 素敵な 歌です            道標(みち) クリックしてね  

 

 

     道標(みち)

  清水宏美 作詞・作曲

 

いつも ぼくの前を歩いていた
後ろ姿にあこがれて
ただ ひたすらに 努力して
ほめられたい 自分がいた
 
月日 過ぎて 振り向けば
頼りにされる 嬉しさから
カッコつけ 優しさをもって
守りたい 想いわいた
 
あるとき ふと 気付いた
僕の前、後ろ、道標(みち)がある
愛情という名の きずなで結ばれた
人のぬくもりを
 
ありがとう ありがとう
ぼくは この道標 忘れない……
見守って 育てて 心から 感謝します
 
あるとき ふと 気付いた
僕の前、後ろ、道標がある
愛情という名の きずなで結ばれた
人のぬくもりを
 
さようなら またいつか
めぐり逢えると 信じてる
歌をうたい 人を愛し
自分らしく 生きてゆく
 
ありがとう ありがとう
ぼくは この道標 忘れない……
想い残し 願いたくし 誇りもって
歩んでゆく
 
この道標に ありがとう……
 

 


今 出来ること

2011年03月24日 | Weblog

あの日から 十日以上過ぎました

でも まだまだ 落ち着かず この先の道のりの長さを 思います

夫の郷里が 東松島市にあるため

悲しい知らせ うれしい知らせが 交錯してやってくると 先日のブログに書きました

今のところ 叔父二人の訃報が届き 叔母一人が 行方不明

あとは 皆 無事だったようです

心配したり 励ましのメールを下さった方々 ほんとうにありがとうございます

 

無事な親戚が比較的多かったとはいえ その 悲しみが癒えるわけではなく

特に 夫は 自分の生まれ育った場所が 濁流にのまれ 流されていく映像を見て

まだ 現実におこったことだと 思い切ることができず 苦しんでいるようです

自分をこれまで育ててくれた 町々や人々が 一瞬にして流されていく

思い出の中では いつまでも 生き続けているよ と 言っても

それは さらに現実の厳しさと空しさを実感させるだけで・・・

時が 解決していくのでしょうか 関西では 日にち薬と 言います

とはいえ まだ 向こうに行く手だてもなく 物資を届けるすべもなく

もどかしいまま ただ 過ぎていくのは 時だけ

とにかく 一日でも早く 被災した方々が 今よりも 暖かく安心した生活が出来るように

こちらから 祈り また 出来ることからはじめていこうと 思います

 

今日 スーパーへ 行ったら 

水が 無い・・・原発事故の 放射能汚染が影響していると思うのですが

ここ奈良で なぜ 水を買い占めるのか・・・

店頭の棚に 水が無くなる それが また不安を呼んで 並ぶとすぐに買う

気持ちは わかるのですが これでは 本当に必要な所に 届かない

石油ショックのときの トイレットペーパー 冷害のときの米不足 を 思い出します

無駄な 買い占めは 自分で自分の首を絞めるようなもの

本当に必要なところに 必要なものが届くように それもまた 今 出来ることの一つだと 思います

 

 


アタミザクラ

2011年03月20日 | Weblog

少し あたたかい日射しの中で 咲いていました

幹に下がっている名札に アタミザクラ と ありました

ほのかに薫る 濃いめのピンク

うつむき加減に 咲いているのが 愛らしい

 

さくら

茨木のり子

 

ことしも生きて

さくらを見ています

ひとは生涯に

何回ぐらいさくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら

どんなに多くても七十回ぐらい

三十回 四十回のひともざら

なんという少なさだろう

もっともっと多く見るような気がするのは

祖先の視覚も

まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう

あでやかとも妖しとも不気味とも

捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下を ふららと歩けば

一瞬

名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態

生はいとしき蜃気楼と

 

 

悲しい知らせ うれしい知らせ が 交錯しながらやってきます

心がそのたびに 揺れます

心落ち着かせたいと 思いつつ 

向こうの状況を思えば 落ち着いている場合じゃないと また揺れる 

 

そんな時 見つけたアタミザクラ

 

たんたんと 咲く 桜の下で

今は ただ そのままに 全てを受け入れるしかないのだと・・・

 


空より高く

2011年03月18日 | Weblog

夕べ 向こうに住む おじの訃報が飛び込んできました・・・

残念な結果になってしまいましたが 遠くからおじの冥福を祈りたいと思います

みなさんも いろいろご心配くださり 暖かい言葉もかけていただき

ほんとうにありがとうございます

まだ 行方のわからない親戚もいますが 祈りながら待ちたいと思います

 

 

家の前は 道をはさんで 小学校になっているので

我が子達が卒業した今も 行事があると 雰囲気が伝わってきます

今日は 卒業式

部屋の窓から 巣立っていく子ども達をながめていました

長男が 幼稚園を卒園するとき 園庭に流れていた歌を

今も 時々 この季節になると 思い出します

 

空より高く

新沢としひこ作詞 中川ひろたか作曲

 

人は空より高い心をもっている

どんな空より高い心をもっている

だからもうだめだなんて

あきらめないで

涙をふいて歌ってごらん

君の心よ 高くなれ

空より高く 高くなれ

 

人は海より深い心をもっている

どんな海より深い心をもっている

だからもういやだなんて

背をむけないで

見つめてごらん 信じてごらん

君の心よ 深くなれ

海より深く 深くなれ

 

だからもうだめだなんて

あきらめないで

涙をふいて歌ってごらん

君の心よ 広くなれ

空より広く 広くなれ

君の心よ 強くなれ

海より強く 強くなれ

 

歌詞を打ちながら 以前はあんなに憧れていた 海という言葉に 強い恐怖を感じました

この歌は 途中から 蛍の光のメロディになり 別れの響きも感じられて

今の自分には ちょっと胸に応える部分もありますが

卒業=新しい出発 再生 の 意味を込めて ご紹介いたしました

少ない動画でしたが 幾つかありましたので その中の一つを載せます 「空より高く」

 ( しばらくの間 コメント欄は 閉じさせていただきます 一方的な更新になります ごめんなさい)

 

 


桜 咲く

2011年03月16日 | Weblog

今日は またまた 寒い日

時折 雪交じりの 雨が降ります

被災地でも 雪が降っていました

少しでも 暖かい方がいいのに この天候

太陽にさえ 一言言いたくなります

何度も繰り返される 余震

何とかならないのか 事態の収まらない 原発

じっとテレビを見ていても 時折 何もかもから逃げ出したくなり

しばらく消して 心を落ち着かせます

ここでは テレビを消せば逃げることが出来る

でも 被災地では追いかけてくる現実と 戦い続けている人たちがいる

そう思うと また 心がざわついて来ます

 

そんな中 咲いていました

10日の マイブログ「小さな 小さな春」でご紹介した 桜の蕾が

北風の中 咲いていました

「何も今日咲かなくても・・・」そう思うのは 人間

咲くときが来れば咲く

その愛らしい姿からは 想像できない したたかさ そして 強さ

 

 これまで私たちは さまざまなむずかしい局面に立ち向かい 乗り切ってきた

 どんな状況からも 必ず立ち直れる 底力を持っている それが 人間であり 人間がつくる社会なのだ

 自分を信じよう 自分たちを信じよう そして 助け合い 支え合おう できることを ひとつひとつやっていこう

 かならず 希望はあるはずだ

これは 人間の「奇跡の回復」を 自分の診察室で何度も何度も見てきた香山リカさんの言葉です(15日毎日新聞地方版)

 

パンドラの箱の底に残ったのは 希望

わたしは この国の「奇跡の回復」を 信じようと思います

 


ご報告

2011年03月13日 | Weblog

先ほど 奈良にいる おば(義父の妹)から 電話があり

向こうの 姪から連絡が あって 義父と義兄 は 無事とのこと

やれやれ と ホッと一安心

 

まだ 連絡のとれない おじ おば達はいますが

希望を 持ち続けられそうです

昨日の 記事を読み コメント メール など 下さった方々

読んで ご心配くださった 方々

ほんとうに ありがとうございました

 

コメントの お返事 遅れていて ごめんなさい

もう少し 落ち着いたら お返事いたします

 

とりあえずは ご報告まで・・・


祈る

2011年03月12日 | Weblog

私が 住んでいるところは 奈良ですが

夫の故郷は 宮城県東松島市です

昨日から ずっと 連絡を取ろうと努力していますが

義父 義兄 おじ おば だれとも 連絡がつきません

 

テレビと パソコンにかじりついて 何とか情報を得ようとしていますが

なかなか 知りたいことを 知ることができず

もどかしいばかりで・・・

 

とにかく 少しでも早く復旧が進んで

うれしい便りが 聞けるように

ただ ただ 祈るばかりです

 

被災地の みなさん どうか がんばってください

このブログを読んで どんな 些細な情報でもいいです

なにか ご存じなことがあれば 教えてください

 


償う

2011年03月11日 | Weblog

今日の毎日新聞一面の記事は

元少年3被告 死刑確定へ でした

 

同新聞の朝刊では 「時代を駆ける」というシリーズで 

いろんな方の生き様を紹介しています

今は 吉松 政春さん(56才)という 北九州視覚特別支援学校の全盲の校長先生のお話です

3月10日に こんな記事がありました 引用します

 

 点字を覚えて少しは読書の喜びを取り戻しましたが(注:この方は途中で失明された方です) なかなか読みたい本は点訳されない。本を読むのが唯一の趣味だったので 失明は大きな痛手でした。そんなとき手を差し伸べてくれたのが 中退した高校の副校長。先生は福岡拘置所で死刑囚に週一回話をする教誨師(きょうかいし)で 拘置所では当時多くの死刑囚がボランティアで点訳をしていたので 「君の分も頼んでみようと」言ってくれたのです

読みたい本を担当の死刑囚に依頼すると 数日から二ヶ月ほどで点訳本と 手紙が送られてきました。感動という言葉で表現できないほどうれしかった。

 

こうして 読書の喜びを 再び味わえるようになった 吉松さんなのですが

盲学校在学中の夏 拘置所から送られる点訳本が途絶え 間に入ってくれた先生に聞くと

「刑が執行されたんだよ」という 答えが返ってきました

ショックで 寄宿舎までの帰り道は涙が止まらなかったそうです

本を 点訳したからといって

犯した罪は 消えるわけではありません

被害者の方や その周りの方々の気持ちが

そのことで 癒えるわけでもありません

わたしは 死刑の是非・・・ を 今 ここで 述べるつもりもありません

でも

罪を 償うということは どういうことなのか

ちょっと 考えてしまった norinorimiffyでした

 

 


小さな 小さな 春

2011年03月10日 | Weblog

冬を押しのけ なかなか 来ることの出来ない

内気な今年の春

でも 控え目に 顔を出しています

2月23日に マイブログでご紹介した コップの中の水仙

庭でやっと花を咲かせました (お水をやった後なので 湯上がり美人いや水も滴る美人でしょ

 

水仙

星野富弘

 

なぜか わからないけれど

土の中から

生まれたものは

みんなきれい

 

そして・・・

これは何の蕾? そう 桜です

我が家には サクランボが実る 小さな桜の木があって

去年は 3月4日には もう花が咲いていたのに(記事:春を届けてくれました

今年は まだこんなにかたくなに意地を張っています

 

来ることを 思いとどまっている 春を応援したくて

小さな 小さな 春便りを お届けいたしました

 

 

 

 


ここ・いま・春

2011年03月09日 | Weblog

3月に入ってから 寒い日が続きます

春なのに~ 春なのに~ 意味が違うか・・・

3年目の 浮気 いえ 3年目のシクラメン 咲きました

今年は 咲かないのかな~と 思ってました  

シャコバサボテンも とうとう 咲かなかったし・・・

シクラメンも そろそろ終わりかな~ という時期になって ようやく 咲いてくれました

この シクラメンは まさに 真綿色 すがしいものはない~(今日は歌がよく浮かぶわ~

 

寒いとはいえ 3月 この花も 咲いてました

ナズナ 花も 名前も やさしいです ここには 春があります

 

ここ・いま・春

工藤直子

太陽のまわりを 地球が

ひとまわりすると

しゃがんだ地面のここにほら

春がいちまい ふってくる

まわるたんびに春春春春春春・・・・・

ああキリもなく

まわる地球のしゃがんだ地面の

ここに ほらほら太古から

百万の春が ふっていた

 

その春をいちまい

いまわたしは着たのだが

さらにまた春春春春春春・・・・・

わたしのいない地面のここに

百万の春は ふりつむか?