norinorimiffyの日記

きょう
だれかに ちょっと聞いて欲しいお話
お届けします  

映画「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」 を観て

2014年08月24日 | テレビ・映画

久々の 投稿です。

投稿が間遠になっているのは ともかく

皆さんのところに お邪魔するのも 遠ざかっていて 

また 行きます。 

だって お邪魔すれば たくさんたくさん得るものがあるから・・・

 

ちょっと前に ロビン・ウイリアムさんが お亡くなりになりました。

彼の映画は そんなに数多く観たわけではないけれど

観た映画(テレビで放映されたものばかりですが)は 心に残るものばかりで

「亡くなった」「自殺?」の記事に ショックを受けました。

そんな折 NHKで 夜中「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」と言う映画を

彼の追悼ということでやっておりましたので 録画をして

昨日 観ました。

 

いい映画でした。

YAHOO映画によると 

深い心の傷を負った天才青年と、同じく失意の中にいた精神分析医がお互いにあらたな旅立ちを自覚して成長してゆく姿を描く感動のヒューマン・ドラマ。

と あります。

ウィキペディアによれば アカデミー賞やゴールデングローブ賞において 脚本賞も受けたとか

詳しく 知りたい方は ポチっとしてくださいませグッド・ウィル・ハンティング

 

映画の内容については 省略しますが

天才青年と 精神分析医(この役がロビンさん)が お互いに新たな旅立ちをするのに やらなければいけなかったこと

それは 自分と向きあう と言うことでした。

傷ついた過去をもつ青年は 知識も豊富で天才ですから

相手のことを分析したり ほんの知識で言い負かしたりすることはできますが

自分がどう思っているのか どう感じたのかを話すことが出来ませんでした。

「わたしが・・・」 「僕が・・・」

分析医が青年に求めたこと それは 一人称で話すこと

「一人称で話をすれば聞いてくれるんだね」と はじめは茶化していた青年も

やがて 心を開いて 自分の気持ちをぶつけるようになります。

 

自分と向き合う。一人称で話す。

そういえば わたしも避けていたような気がする。

自分に向かって 傷つくのがこわいから・・・

 

ロビン・ウイリアムさんが 実際にどんな方だったのかはわかりません。

晩年は うつ病であったとか アルコール依存症の病院に入院していたとか

初期のパーキンソン病であったとか いろいろ言われていますが (詳しくはロビン・ウイリアムズ

やさしい人であったのでは と想像します。

 

やさしい人は やさしすぎる人は

自分に飛んでくるボールを人に当てたくなくて

避けることも よそに投げることもできず

受け止めるか 自ら当たっていくことになるのかな・・・

 

いろいろ 考えさせられた映画でした。

ロビン・ウイリアムさん ご冥福をお祈りいたします。 合掌

 

 


8月がくるたびに

2014年08月09日 | 

8月9日は 長崎に原爆が投下された日。

この日が来ると どうしても思い出してしまう本があります。

多分 小学校の5年生か6年生の頃だったと思います。その本は 読書感想文コンクールの課題図書でした。

題名は 「8月が来るたびに」でした。

その本が手元にあればよいのですが 記憶に残っているばかりで 現物はもうありません。

何か 手がかりは・・・と PCで 「8月が来るたびに」で引っ張ってみました。

amazonで 販売している様子 「8月がくるたびに」2001年版です。

でも そこに出ている本は 私の記憶する本ではありません。

もっと 強烈なインパクトのある本でした。少なくとも表紙は全く違うという記憶がありました。

そこで これが PCの便利なところ 「8月が来るたびに」初版 検索すると 

おおえひで作・篠原勝之え「8月がくるたびに」1971年初版を記事にしているブログがありました。(リンクさせていただきました

記憶は正しくて 1971年ということは 5年生の時です。(年がばれるな~

篠原勝之さんといえば くまさんの愛称で知られる方ですよね。

あの方の挿絵が本当に印象強くて それが 今もなお私の心にこの本が残っている最大の理由だと思います。 

上記の 2001年版と 1971年初版のところをクリックしてくださるとわかりますが

同じ くまさんの絵でも 初版と現行版とでは 表紙を見ても 全く迫力が違います。

初版の本は 確かにちょっとめくって行くのが 「怖い」 という感覚がありましたが

私の中では どうしても 初版の方が本当の 「8月がくるたびに」だという気持ちがあります。

30年の歳月の中で 厳しさが薄れたのは なぜなのでしょう。

69年が過ぎ 記憶が薄れる こんな時代だからこそ

もう一度 「8月がくるたびに」を 自分の中で反芻しようと思いました。

今の 子ども達にも 是非読んでほしいと思います。

初版の復刊を 願います。

 

 

 


なかにし礼 平和の申し子たちへ!

2014年08月04日 | 詩 etc.

先ほど 届いた 8月4日付 毎日新聞夕刊に

大反響 なかにし礼さんの詩 という見出しで

なかにし礼さんの 「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」という詩が紹介されていました。

最近の 何かしらきな臭い世の中で なんとかしなくては と 思いつつ

具体的にどうすればよいのかもわからず 悶々としているわたしですが

この詩を読んだとき 「これは記事にしたい」と 強く思いました。

少し長い詩ですが ご紹介します。

 

平和の申し子たちへ!

泣きながら抵抗を始めよう

 

2014年7月1日火曜日

集団的自衛権が閣議決定された

この日 日本の誇るべき

たった一つの宝物

平和憲法は粉砕された

つまり君たち若者もまた

圧殺されたのである

こんな憲法違反にたいして

最高裁はなんの文句も言わない

かくして君たちの日本は

その長い歴史の中の

どんな時代よりも禍々しい

暗黒時代へともどっていく

そしてまたあの

醜悪と愚劣 残酷と恐怖の

戦争が始まるだろう

ああ 若き友たちよ!

巨大な歯車がひとたびぐらっと

回りはじめたら最後

君もその中に巻き込まれる

いやがおうでも巻き込まれる

しかし君に戦う理由などあるのか

国のため? 大義のため?

そんなもののために

君は銃で人を狙えるのか

君は銃剣で人を刺せるのか

君は人々の上に爆弾を落とせるのか

若き友たちよ!

君は戦場に行ってはならない

なぜなら君は戦争にむいていないからだ

世界史上類例のない

69年間も平和がつづいた

理想の国に生れたんだもの

平和しか知らないんだ

平和の申し子なんだ

平和こそ君の故郷であり

生活であり存在理由なんだ

平和ぼけ? なんとでも言わしておけ

戦争なんか真っ平ごめんだ

人殺しどころか喧嘩もしたくない

たとえ国家といえども

俺の人生にかまわないでくれ

俺は臆病なんだ

俺は弱虫なんだ

卑怯者? そうかもしれない

しかし俺は平和が好きなんだ

それのどこが悪い?

弱くあることも 

勇気のいることなんだぜ

そう言って胸をはれば

なにか清々しい風が吹くじゃないか

怖れるものはなにもない

愛する平和の申し子たちよ

この世に生れ出た時

君は命の歓喜の産声をあげた

君の命より大切なものはない

生き抜かなければならない

死んではならない

が 殺してもいけない

だから今こそ!

もっともか弱きものとして

産声をあげる赤児のように

泣きながら抵抗をはじめよう

泣きながら抵抗をしつづけるのだ

泣くことを一生やめてはいけない

平和のために!

 

 

 


藤原京跡 キバナコスモス

2014年08月03日 | 

先日 蓮の花を見に行った 藤原京跡の近くを 車で通り過ぎた時

「わぁ」と 思わず声をあげてしまいました。

その時は 他に目的があったのでただ通り過ぎただけでしたが

昨日 その光景をもう一度見たくて 雨模様の中 再び車を走らせました

そこには・・・

 そう キバナコスモスの花畑です。

花畑の向こうに見えている山は 大和三山のひとつ 耳成山(みみなしやま)です。

ここは毎年 キバナコスモスは咲いているのですが こんなにたくさん咲いているのを見たのは初めて

しかも コスモスは秋だと思っていたのですが 夏真っ盛りのこの季節に出会えるなんて 感激でした

写真からもお分かり頂けると思いますが キバナコスモスと言っても オレンジから黄色レモン色までそれぞれ色が微妙に違います。

それがまた 愛らしくて 夏の暑さもしばし 忘れました

 花言葉は 野生美 だそうです。そういえばお転婆な女の子って感じです。

ピンクのコスモスは やっぱり秋を感じますが キバナコスモスは夏が似合います。

お天気は雨模様で 傘をさしながらでしたが

今度は 青空の下で キバナコスモス 味わってみたいです