本棚を整理していたら
工藤直子さんの詩集が出てきました。
「そういえば 前に買ったことがあったっけ」
買ったときに読んだけれど 本棚の隅に置いたまま 数か月 いや 数年?
久しぶりに開いた詩集は まだ 手になじまない パリッとした表紙
そばにいる
工藤直子
せなかにのころ
「てのひら」の記憶がある
まいごになった
わんわん泣いた
五歳のわたしの肩のまんなか
ちいさなくぼみをさすってくれた
おおきな「てのひら」
だいじょうぶ そばにいるらね
だいじょうぶ そばにいるからね
「だいじょうぶ」という ことばにゆられて
五歳のわたしは泣きやんだ
「そばにいる」それだけでうれしくて
だいじょうぶ そばにいるからね
だいじょうぶ そばにいるからね
「てのひら」から伝わった
あれは なにだったのだろう
もしかして ひとはみな
こころの ふかいところに
ちいさな海を 持っているのかな
そしてそれは あつまって
ひとつの おおきな
海になっているのかな
「だいじょうぶ」と ささやきあう
・・・そんな海
「そばにいるからね」と うなずきあう
・・・そんな海
悲しい事件を聞くたびに 被害者も加害者も
どこか 孤独の寂しさを 抱えていたような そんな気がする。
こころの中のちいさな海の存在を 教えてくれる誰かがいれば
大切な命が 奪われることもなかったのでは
海の存在を教えられなかったのは 私たち 大人の責任。だと 思う。
不思議に
小さなころぜんそくで苦しんでた時に魔法のように
楽になったんですよね。
今の子供たちの心が
知らない間に 苦しくなってるのを
大人の大きな掌で 優しくなでてあげること
大事なんじゃないかなって思う
そばにいる
手のひらでトントン
それだけで まっすぐな道進めていけるのにね。
わかります
背中をトントンってしてもらうだけで
何だかとても安心できました
ひとりじゃない どの子もそう思えるような社会になってほしいです