飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

日向薬師の彼岸花(後編)

2017年09月25日 | Weblog
 「日向薬師の彼岸花(前編)」から続く。

 日向薬師の門柱からバス道路に出ましたが、未だ14時前だったので彼岸花を探しながらバス道路を南下することにしました。
 ⇒ バス道路は道に迷わないし、歩き疲れたらバスに乗れますからね!?

<彼岸花を求めて南下>

 歩き始めると直ぐに大門橋があって、橋の先には「伊勢原マス釣り場」がありました。
 ここはレストハウスを兼ねていて食事も出来そうでした。
 ⇒ 事前に分かっていればここで昼食が取れましたね!


 橋の近くに、素晴らしい萩の花が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 大門橋から5分程歩くと、ご覧のような十二神橋がありました。


 散策路(?)に彼岸花の群生地がありそうなので、日向川沿いを歩いてみることにしました。


 散策路に咲いている彼岸花を撮ってみました。


 素晴らしい彼岸花だったのでアップで撮ってみました。


 又、緑色の葉っぱに映える彼岸花もあったのでこちらも撮ってみました。


 日向川にご覧のような堰があったので撮ってみました。
 散策路の先に行ってみましたが、お墓で行き止りになっていたので戻ることにしました。


 十二神橋を下から撮って、元のバス道路に戻りました。


 道路を南下していると、ご覧のような看板ゲートがあったので撮ってみました。


 道路を暫く進むと、「関東ふれいあいの道」の道標<よろい塚へ 日向薬師へ>、彼岸花散策路入口<日陰道>の案内が出ていました。
 日陰道に行くと元のスタート地点に戻ってしまうので、道路をそのまま南下しました。


 道路を歩いていると、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 道路の左側奥に、ご覧のような彼岸花の群生地がありました。
 手前に見える白い畑は蕎麦の花畑ですね!


 道路から大分離れていて行き方も分からなかったので、行くのは諦めてアップで撮ってみました。
 



 バス停「藤野入口」の近くは、彼岸花ではなく蕎麦の花が見頃を迎えていました。


 バス停を過ぎると、道路の反対側に神社があったので行ってみました。


 道路を渡ると、ご覧のような石塔群がありました(三浦先生頌徳碑は誰でしょうね?)。




 社殿に着いたので扁額を確認すると諏訪神社になっていました。


 取り敢えず、お参りしてから神社の内部を撮らせていただきました。


 道路を歩いていると、石材店に可愛らしい大黒様と布袋様がいたので撮ってみました。


 バス停「洗水(あろうず)」の近くに遣って来ると、ご覧のようなサルビアが咲いていました。


 赤色の素晴らしいサルビアだったのでアップで撮ってみました。

 交通誘導員が何故いるのか分かりませんが、電柱に盛徳寺の矢印が出ていたので行ってみることにしました。

<盛徳寺に向かう>

 ご覧のような道路から盛徳寺に向いますが、道に迷わないことを願うだけです。


 道なりに5分程歩くと、民家の傍らに彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 道路は舗装されていますが、道幅はだんだん狭くなってきました。


 土手に、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 真っ赤な素晴らしい彼岸花をアップで撮ってみました。




 白色の彼岸花も咲いていたのでアップで撮ってみました。


 舗装された狭い道路を更に5分程上ると、紅葉が始まりかけたモミジがあったので撮ってみました。


 モミジの後ろに、トタン屋根の大きな納屋(?)があったので撮らせていただきました。


 ご覧のような待避所のある坂道を更に上りますが、盛徳寺は未だ見えません。

<盛徳寺>

 盛徳寺の矢印案内から15分程で、盛徳寺の霊園の入口に着きました。
 ここにも交通誘導員が立っていたので、急勾配の狭い道路なので出入口で車を規制しているようでした。


 霊園の右側にあった「迦葉山盛徳寺 伊勢原霊園の由緒」には、『当霊園は、西暦1598年(慶長2年)現東京都港区赤坂の地に開山された曹洞宗迦葉山盛徳寺の移転(昭和47年)に伴い誕生した超宗派霊園であります。・・・西暦1655年(承応3年)には初代藩主伊豆守真田信之公(真田幸村公の兄)により中興開基が行われ、以来同藩の江戸での菩提所となりました。・・・』と書いてありました。


 霊園入口の左側には「信州 松代藩 真田家之墓」がありました。


 盛徳寺の本堂は、霊園の横の坂道を上ったところにありました。


 坂道の途中に、素晴らしい彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 本堂前の広場に着いたので、盛徳寺の石柱を撮ってみました。


 石段の右側に、不動明三尊堂があったので行ってみました。


 失礼して、堂内の不動明王(?)を撮らせていただきました。


 石段を上って本堂に向かいますが、中央に山門、左には鐘楼堂、右には庫裡があります。


 石段を上って山門を撮ってみました。




 山門に立っている金剛力士像を撮ってみました。


 山門の扉に、真田家の六文銭がありました。


 山門をくぐると、左側に山門より立派な鐘楼堂があったので撮ってみました。


 鐘楼堂にもご覧のような六文銭が付いていました。


 ご覧のような階段を上って本堂に向かいますが、階段の下に小さな盛徳寺と迦葉山の石柱がありました。


 立派な本堂を撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。




 本堂でお参りしてから坂道を上ると、右側に立派な寺務所(?)があったので撮ってみました。


 坂道を更に上ると、麗盛観世音菩薩の幟のあるご覧のような階段がありました。


 階段を上ると左側に、眞田家御霊屋があったので撮ってみました。


 更に上の方に行くと、ご覧のような麗盛観音堂がありました。


 失礼して、堂内の観音様をアップで撮らせていただきました。


 下に眞田家御霊屋が見えたので撮ってみました。


 手前に、小さなお地蔵さんが置いてあるご覧のような石があったので撮ってみました。

 本堂前の広場に戻って来たので、坂道を下って霊園入口に向かいました。


 霊園入口に戻って来たので、霊園側から霊園門を撮ってみました。


 霊園の下に、ご覧のような庚申堂があったので撮ってみました。

 盛徳寺を後に、来た道を戻りますが、帰りは下りなので楽です。


 彼岸花が咲いていた土手に戻って来ると、アゲハ蝶が飛んでいました。


 アゲハ蝶がじっとしていた(気持ちが通じた?)ので、アップで撮ることができました。


 サルビアのプランターが置いてあるバス停「洗水」に着きました。
 ⇒ このサルビアは、盛徳寺入口の目印かも知れませんね!?


 折角なので、素晴らしいサルビアをアップで撮ってみました。

 伊勢原駅北口行きバスの時刻表を見るとバスが行った後でした。
 仕方がないので、更にバス道路を南下することにしました。

<道路を南下>

 道路を南下していると、ご覧のような金剛力士像の置いてある石材店がありました。
 ⇒ この道路には、石材店が多いような感じがするのですが・・・


 バス停「洗水」から道路を10分程南下すると、道標<よろい塚へ>がありました。


 「よろい塚」の高台に行ってみると、いろんな碑が建っていました。


 取り敢えず、忠魂碑を撮ってみました。


 忠魂碑の後ろに、鎧塚神社と彫られた石碑があったので撮ってみました。


 石碑の後ろには、ご覧のような石の観音様(?)がありました。
 尚、台石に何か彫られていましたが判読(長運霊?)できませんでした。


 忠魂碑の右に、記念碑らしきものが建っていたので撮ってみました。


 斜めになっていますが、馬頭観世音もあったので撮ってみました。


 又、三浦英蔵先生頌徳碑も建っていましたが、諏訪神社近くにあった碑と同一人物ですかね!?


 「よろい塚」にも彼岸花が咲いていたので撮ってました。

 バス道路に戻って暫く歩くと、バス停「高部屋小学校前」がありました。
 バスが遣って来たので乗ってしまいましたが、17時前なので伊勢原駅に着いても居酒屋は遣ってなさそうです。

<伊勢原大神宮>

 バス停「大神宮前」で途中下車して、時間調整を兼ねて伊勢原大神宮に行ってみました。


 手水舎に行ってみると、参拝の順序が<外宮内宮>となっていたので、外宮から参拝することにしました。


 未だ9月なのに、境内にはご覧のような「七五三詣」の看板がありました。
 尚、右にあるのが外宮(げくう)で、左にあるのが内宮(ないくう)です。


 又、「ひとりよりふたり」、「ひとつよりふたつ」をイメージしたご覧のようなものが置いてありました。


 階段の下から外宮を撮ってみました。


 取り敢えず、外宮の御祭神と御利益を撮ってみました。


 外宮拝殿を撮ってお参りをしました。


 拝殿の内部も撮ってみましたが、右にある白い卵のようなマークは何ですかね!?


 外宮でお参りしてから内宮に行ってみました。


 ご覧のような大きな干支のある内宮拝殿を撮ってみました。


 内宮の御祭神と御利益も撮ってみました。


 お参りしてから、拝殿の内部も撮ってみましたが、右には赤い卵のようなマークがありました。


 内宮と外宮を撮って境内に戻りました。


 参拝時間が過ぎているのか(?)巫女さんも後片付けをしていました。

 伊勢原大神宮を後に、歩いて伊勢原駅北口に向かいました。駅前近くの居酒屋に入って一杯遣って帰りました。

 今回の「日向薬師の彼岸花」は、素晴らしい彼岸花が見れたのといろんな所が散策できたので満足しています。
 尚、万歩計は、それなりに歩いたので14,000歩を超えていました。
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日向薬師の彼岸花(前編)

2017年09月24日 | Weblog
 9月23日(祝)は、朝は小雨が降っていましたが(午後は曇り予報)、伊勢原市の日向薬師に彼岸花を見に行ってみました。
 日向薬師は、2015年8月「大山(2日目)」、同年9月「日向薬師・見城ハイキング」などで来ていますが、彼岸花を見に来たのは10年以上も前のことになります。

 日向薬師の参道入口付近に彼岸花の群生地があったので、小田急線の伊勢原駅北口から「日向薬師行」のバスに乗って終点まで行ってみました(バスの乗車時間は約30分)。

<散策路の彼岸花>

 終点に着いたので、折り返しのバスロータリーを撮ってみました。
 臨時観光案内所に行って、伊勢原歴史史跡マップと彼岸花の群生地案内図を貰いました。
 又、案内図の日向薬師には「本堂が新しくなりました。」のコメントも載っていました。


 取り敢えず、トイレの近くにあった案内看板で現在地を確認しました。


 案内看板の左側に「彼岸花散策路入口」の案内が出ていました。


 散策路の入口には、ご覧のような鹿柵があって彼岸花の見頃には開けているみたいです。


 田んぼの脇に咲いている彼岸花を眺めながら散策路を進みます。


 田んぼの奥に、彼岸花の群生が見えたのでアップで撮ってみました。


 見頃は過ぎていますが、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 彼岸花はあまり咲いていませんが、彼岸花を探しながら散策路を進んでみました。




 散策路に、ご覧のような彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 又、青白い花と一緒に彼岸花が咲ていたのでアップで撮ってみました。


 彼岸花がメインなので、取り敢えずアップで撮ってみました。


 ここからは、ご覧のような用水路の脇を通って散策路を進みます。


 柿の木の下に彼岸花が咲いていたので撮ってみましたが、もう秋ですね~


 柿の木の下に、ご覧のような彼岸花の群生があったので撮ってみました。




 素晴らしい彼岸花だったのでアップで撮ってみました。


 折角なので、度アップでも撮ってみました。


 見事な彼岸花を眺めながら散策路を進みます。




 散策路を暫く進むと、ご覧のような彼岸花が咲ていたので撮ってみました。


 素晴らしい彼岸花だったのでアップでも撮ってみました。


 ついでに、度アップでも撮ってみました。


 右側の田んぼの奥に、彼岸花の群生があったので撮ってみました。
 



 ここの散策路にも、今が見頃の彼岸花が咲いていました。




 傍に、ツボミの彼岸花もあったのでアップで撮ってみました。


 この辺りの田んぼには、ご覧のような彼岸花が群生地が多くあります。


 散策路の脇に咲いている彼岸花を眺めながら先に進みます。


 散策路の入口から15分程で散策路の外れ近くに遣って来ました。


 散策路の突き当りにも、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
 右に行けば、日向渓谷から伊勢原に行ける一般道に出ます。


 散策路を右に曲がって暫く進むと、沢に見事な彼岸花が咲いていました。
 写真を撮っている人達がいたので私も撮ってみました。




 ここにも素晴らしい彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 一般道に出る手前の土手に、ご覧のような彼岸花の群生地がありました。


 良く見ると、サルビアやコスモスなどの秋の花も咲いていました。


 一般道に出ると、土手にご覧のような彼岸花が咲いていました。


 折角なのでアップでも撮ってみました。


 又、反対側に電気柵のある蕎麦の花畑があったので撮ってみました。


 電気柵越しに蕎麦の花畑をアップで撮ってみましたが、この電気柵は鹿避けですかね!?

<薬師林道>

 一般道を少し上ると、右側にご覧のような薬師林道があったので、日向薬師の新しくなった本堂を見に行ってみることにしました(日向薬師まで約15分)。




 右側の杉林を眺めながら、ご覧のような舗装された林道をひたすら上ります。


 林道に、ご覧のような道標<坊中0.45k 日向薬師0.34k、七沢温泉6.0K>があったので撮ってみました。


 林道を10分程上ると、ご覧のような案内図があったので現在地を確認しましたが、もう少しで日向薬師に着けそうです。


 左側に林間広場があったので行ってみましたが、立入禁止で沢の上には行けそうにありません。


 林間広場の入口に未だ紅葉していませんが、ご覧のような大きなモミジがあったので撮って林道に戻りました。


 林道の脇に、ご覧のような芙蓉が咲いていたので撮ってみました。


 素晴らしい芙蓉の花だったのでアップで撮ってみました。


 木々の間に、ご覧のような大きなキノコ(?)が見えたのでアップで撮ってみました。

<日向薬師>

 林道を暫く上ると、ご覧のような門柱のある日向薬師の裏に着きました。


 坂道を下ると、無料休憩所があって座れたので、軽く飲みながら昼食を取ることにしました。


 昼食を取って一息入れたので、宝殿(宝物殿)の前を通って本堂(薬師堂)に行ってみました。


 新しくなった本堂の茅葺き屋根と軒下をアップで撮ってみました。


 又、本堂の外陣の奥をアップで撮ってみました。


 取り敢えず、新しくなった本堂を撮ってみました。


 ご覧のような手水舎で身を清めてから本堂に行ってみました。


 新しくなった本堂を正面から撮ってみました。


 外陣を撮ってからお参りをしましたが、残念ながら本堂は撮影禁止になっていました。
 本堂で、お参りを済ませたので境内を散策することにしました。


 南無大師遍照金剛の旗が奉納されていたので、弘法大師(空海)像ですね!?


 近くに、ご覧のような相模歌碑があったので撮ってみました。
 『指して来し 日向の山を頼む身は 目も明らかに 見えざらめやは』と詠まれているようですが・・・


 ご覧のような大きな洞にある虚空蔵菩薩に今回も行ってみました。


 祠に『なうぼう あきゃしゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか』(?)の御真言がありますが、やはり意味不明です。


 鐘堂の修復工事(含む、茅葺き屋根)は終わっていているようで、銅鐘も吊り下がっていました。


 鐘堂の傍に、県指定天然記念物の「宝城坊の二本杉」があるので撮ってみましたが、この角度からだと一本杉にしか見えませんね!


 取り敢えず、境内を一回りしたので、ご覧のような急な石段の参道を下ります。




 ご覧のような寺林の参道を下りますが、道幅が広いので比較的歩き易いです。 




 又、参道にご覧のような歌碑(?)があったので撮ってみました。
 何と書いてあるのか参拝者は立ち止まっていましたが、私はスルーしてしまいました。


 参道の下の方に、仁王門が見えたので撮ってみました。


 仁王門に着いたので後ろ側を撮ってみました。


 後ろからでは何なので表に回って仁王門を撮ってみました。
 尚、朱漆の金剛力士像は伊勢原市の文化財に指定されています。




 取り敢えず、口を開いている阿形(あぎょう)像と口を閉じている吽形(うんぎょう)像をアップで撮ってみました。


 仁王門の下は、ご覧のようにかなり急な階段になっています。


 階段の踊り場から振り返って仁王門を撮ってみました。


 急な階段を下りると、右側に「いしば(衣裳場)」の説明案内板がありました。


 説明案内板には、『頼朝公が日向薬師参詣の時、ここにおいて旅装を脱ぎ白装束に衣裳を着替えたとことから「衣裳場(いしょうば)」といわれ、現在は訛って「いしば」と呼ばれています。・・・』と書いてありました。


 参道を歩いていると、見事な竹林があったので撮ってみました。


 又、参道にはご覧のような石仏群も祀ってありました。


 参道の入口に着いたので、門柱を撮って日向薬師を後にしました。

 「日向薬師の彼岸花(後編)」に続く。
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円海山ハイキング

2017年09月17日 | Weblog
 9月15日(金)は、実家(横浜市磯子区杉田)に行く用事があったので、ついでに円海山(えんかいざん)まで歩いてみました。
 子供の頃、円海山は遠足などで行っているので行き方は特に調べませんでしたが、円海山は「峰」を通って行ったような気がします。

<「峰」に向かう>

 スタート地点は、実家近くの市道環状3号線の栗木交差点からです。


 環状3号線を直進して道なりに進むと、峰入口の信号近くに萩台トンネルがありました。


 萩台トンネルを通るわけではありませんが、トンネルの入口をアップで撮ってみました。


 峰入口の信号からは、バスが通っているご覧のような道路を進んでみました。


 坂道を下ると、磯子CCのバス停「ゴルフ場入口」がありました。
 歩いてきた道路の上にあったのはゴルフ場の橋ですね!


 右側に、磯子CCの石碑があったので撮ってみました。
 磯子CCは昭和35年(1960)にオープンしましたが、遠足で来た時には未だ出来ていなかったような気がします。


 道なりに暫く歩くと、ご覧のような道標がありました。
 バスが走っている方が無難なので<善正山 休憩所>の方に行ってみました。


 バス停「坂下」に着いたので、行先を確認しました。
 行先に、バス停「峰」や「峰の郷」があったので、ここまでは順調に来ています。


 バス停「坂下」から暫く歩くと、右側に案内図が出ていたので現在地を確認しました。


 案内図で確認すると、このまま進んで横浜横須賀道路を過ぎれば円海山に行けそうでした。


 案内図の下には、トレイルやハイキングの色ルートの説明が載っていました。
 今回の「峯市民の森ルート」や先日の「六国峠ハイキングコース」もありました。


 右側に小さな工場(?)があるご覧のような道路を進みます。


 バス停「更新橋」辺りからは、ご覧のような道路になります。
 ⇒ この辺りになると、子供の頃に来た感じがしました。


 暫く歩くと、右側にご覧のような住宅が建っていましたが、宅地開発がここまで進んでいたのですね!


 横浜横須賀道路の手前に遣って来ると、右側に峯公園がありました。


 ”峰公園”ではありませんが、取り敢えず中に入ってみました。


 小さな公園ですが、ベンチがあったので一休みすることにしました。
 一休みしてから、目の前にあった小さな池を見に行ってみました。




 池を撮ってみましたが、あまり綺麗な池ではありませんでした。


 石橋を渡って、池の反対側に行ってみました。


 池の反対側はトイレがあるだけで、ご覧のように特に見るべきものはありませんでした。


 公園の脇を通って、ベンチのある場所に戻ることにしました。


 ご覧のような石塔があったのでアップで撮ってみました。


 公園脇に、ご覧のような遊歩道があったので行ってみましたが、横浜横須賀道路の下で行き止りになっていました。


 栗木交差点からは、1時間程でバス停「峰」に着きました。

 ここから円海山に向いますが、歩行ルートが良く分かりません。
 円海山には電波塔があったので、高い山にある電波塔を目指して歩くことにしました。

<円海山に向かう>

 道路を歩く出すと、後ろに横浜横須賀道路が見えたので撮ってみました。


 取り敢えず、ご覧のような道路を歩いて行けば高い所に着けそうです。
 

 道路を歩いていると、道路脇に竹林があったので撮ってみました。


 道なりに高い所を目指して5分程歩くと、特別養護老人ホーム「峰の郷」に着きました。
 ⇒ 「峰の郷」は、新しい施設のようで聞いたことがなくて当然です。


 「峰の郷」を後に、電波塔の見える高い所を目指して、ご覧のような舗装された道路を上ります。
 尚、山道は道に迷う恐れがあったので避けました。


 見晴らしの良い場所に着いたので、市街地をアップで撮ってみました。


 遠くに、横浜ランドマークタワーが見えたのでアップで撮ってみました。


 「港南台ひよどり団地」の左手に、ご覧のような道路がありましたが道標は見当たりません。


 フェンスの掲示板に、現在地とご覧のような矢印案内が出ていたのでホッ!としました。
 ⇒ 立入禁止の中に書いてあったのには笑えますね!


 ご覧のような道路を上って円海山に向かいました。

<円海山>

 バス停「峰」から20分程で円海山の電波塔に着きましたが、この電波塔の事業者は不明です。


 事業者不明の電波塔をアップで撮ってみました。


 更に、上部を度アップで撮ってみました。


 富士山が見える方向を撮ってみましたが、残念ながらご覧のような状態でした。


 仕方がないので、目の前の円海山(?)を撮ってみました。




 近くに別の電波塔が建っていたので、アップで撮って行ってみました。


 手前の電波塔の事業者はKDDI(株)でした。




 こちらの電波塔の入口には、円海山無線中継所の看板が掛かっていましたが、事業者は分かりません。


 綺麗な電波塔だったので、真下から撮ってみました。


 円海山無線中継所の横に、ご覧のような「通行止め」がありました。


 「通行止め」を越えて暫く進むと、尾根道は二手に分かれていました。




 ご覧のような道標があったので、行き先を確認しました。
 鎌倉天園に行っても仕方がないので、左手の氷取沢方面に行ってみることにしました。


 ご覧のような尾根道を少し進むと、右側に見晴らしの良さそうな広場がありました。
 

 広場に、ご覧のようなベンチあったので一休みすることにしました。
 

 広場にあった案内図で現在地を確認すると、ここが「いっしんどう広場」のようでした。
 ⇒ 先程の道標に騙されたような感じがしました。

 ここからは「氷取沢市民の森」の尾根道(氷取沢-いっしんどうルート)を下って氷取沢に向います。
 所で、氷取沢(ひとりざわ)の地名の由来は、この地域の沢から氷を取って、北条高時に献上したと聞いたことがあります。

<氷取沢に向かう>



 ご覧のような尾根道を下って氷取沢に向います。


 尾根道を歩いていると、ご覧のような電波塔が見えたので撮ってみました。


 「いっしんどう広場」から15分程で電波塔の下に着きました。
 この電波塔は、昭和45年(1970)に開局したNHK円海山FM放送所でした。


 取り敢えず、真下から電波塔を撮ってみました。


 近くにあった案内図で現在地を確認すると、北の方に行けば「峯市民の森」に出れそうな感じがしました。


 尾根道は二股に分かれていて、左手(峰方面)の方が歩き易い感じがしたのですが、<峰方面へ通り抜けできません(※散策コースではありません)>の案内が出ていたので止めました。
 

 尾根道を暫く下ると、ご覧のような道標があったのでホッ!としました。


 尾根道を更に下ると、今度は東京ガスの円海山無線中継所がありました。


 こんな場所に、何故、東京ガスの無線中継所があるのか分かりませんが、取り敢えず、木々の間から塔を撮ってみました。


 ご覧のような落ち葉が積もった尾根道を更に下ります。




 「いっしんどう広場」から15分程で、ご覧のようなベンチのある「ふじづか休憩所」に着きました。


 「ふじづか休憩所」で一息入れて、近くにあった案内図で現在地を確認しました。




 「ふじづか休憩所」の階段の下は、ご覧のような舗装された道路になっていました。


 道路を下っていると、能見台高区配水槽が見えたのでアップで撮ってみました。




 又、左手に、ご覧のような電波塔が見えたのでアップで撮ってみました。
 入口には、横浜国道事務所の円海山無線中継所の看板が出ていました。


 バス停「氷取沢」まで15分の所に下りて来ました。
 ここからは、磯子台パークハイツの中を通ってバス停に向います。

<氷取沢神社>

 笹下釜利谷道路の氷取沢の信号に着くと、近くに氷取沢神社があったので行ってみました。


 参道にはご覧のような赤い橋がありました。


 社殿で、道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。 


 左側に、赤い鳥居のある祠があったので撮ってみましたが、何を祀ってあるか?です。


 社殿の前に、立派な銀杏があったので社殿と一緒に撮ってみました。


 ついでに、社殿を横から撮ってみました。


 社殿の右側に、天照大神の鳥居のある祠があったので撮ってみましたが、この祠も?です。

 氷取沢神社を後に、バス停「氷取沢」からバスに乗ってスタート地点(栗木)に戻りました。

 今回の「円海山ハイキング」は、資料もなく円海山まで行けたのは、地名(栗木、峰、円海山、氷取沢)を知っていたからだと思っていますが、道に迷わなくて良かったです。
 尚、万歩計は、ハイキング以外に他も回ったので22,000歩を超えていました。
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六国峠ハイキング(能見堂緑地~金沢自然公園)

2017年09月10日 | Weblog
 9月9日(土)は、京急線「金沢文庫駅」の近く行く用事があったので帰りに、六国峠ハイキングコースの一部(能見堂緑地~金沢自然公園)を歩いてみました。
 尚、今回のハイキングコースは次の通りです(全長約5km)。
 金沢文庫駅-(0:35)-能見堂跡-(0:10)-能見台不動池-(0:20)-能見台高区配水槽-(0:30)-金沢自然公園-(バス)-金沢文庫駅

 ところで、六国峠の名前は、六つの国(武蔵、相模、上総、下総、安房、伊豆)が眺められたことに由来しています。


 スタート地点の金沢文庫駅西口の階段下を撮ってみました。
 取り敢えず、左側の線路沿いを歩いて踏切を目指します。


 線路沿いを歩いていると、川にハゼより少し大きな魚が集団で泳いていました。
 釣りをしていた人に聞くと、鰡(ボラ)と教えてくれました。


 線路沿いを暫く進むと、目指す踏切に着きました。


 左側に、ご覧のような道標が出ていたので撮ってみました。


 住宅街の中を歩くので、方向が少し不安になりますが、5分程歩くとご覧のような道標が出ていました。


 近くに、六国峠入口の看板があったのでホッ!としました。

<能見堂跡に向かう>

 能見堂緑地の入口は、ご覧のような草が生い茂っていました。


 草が生い茂った能見堂緑地の尾根道を歩くとは思っていませんでした。






 暫く進むと、ご覧のような尾根道になって来たのでホッ!としました。


 尾根道には、落石防止フェンスも張ってありました。


 能見堂緑地の入口から尾根道を7分程歩くと、能見堂緑地の園名柱が建っていました。
 尚、奥にある白いものは、落石注意の看板です。


 尾根道を暫く歩くと、道は二手(階段、平坦な道)に分かれていました。


 近くにあった案内板で現在地を確認すると、どちらの道からでも能見堂跡には行けそうでした。
 取り敢えず、平坦な道の方から行ってみることにしました。


 尾根道を歩いていると、落ち葉が積もって出来た地層があったのでアップで撮ってみました。

<緑地広場>

 能見堂緑地の入口から15分程で、ご覧のような緑地広場に着きました。




 緑地広場にベンチがあったので休憩したついでに、雑木林を撮ってみました。




 ご覧のような案内板があったので現在地を確認しました。


 ご覧のような尾根道を通って能見堂跡に向かいます。

<能見堂跡(のうけんどうあと)>

 尾根道を暫く進むと、「金沢八景と能見堂」の案内のある能見堂跡の下に着きました。


 左側に、金沢八景を一望する明治時代の写真があったので撮ってみました。


 木々の間から金沢八景方面を撮ってみたのですが・・・


 右側に能見堂跡があったので上ってみました。




 ご覧のような「金沢八景根元地碑」と標柱が建っていたので撮ってみました。


 ご覧のような石碑(一方句碑?)があったので撮ってみました。


 左手に、小さな石碑が3基あったので撮ってみました。


 奥に石碑の説明板がありましたが、各石碑との対応は分かりません。


 近にあった能見堂跡の説明案内板には、『・・・「能見堂」の名が出てくる一番古い資料は、室町時代の文明18年(1486)「梅花無尽蔵」で、これに「能見堂」の名が出てくるので、この時代には能見堂があった事が分かります。・・・』と書いてありました。


 小さな石碑の脇を通って、元の場所に戻りました。


 根元が剥き出しになったご覧のような木があったので撮ってみました。


 ベンチの手前に、山室宗珉居士の墓碑がありました。


 下に「井戸の跡」があったので撮ってみました。




 近くに、ご覧のようなモチノキがあったのでアップでも撮ってみました。


 又、ご覧のようなアカガシ(ブナ科)もあったので撮ってみました。


 能見堂跡を後に、尾根道に戻って不動池に行ってみることにしました。

<能見台不動池に向かう>

 下にあった案内板で現在地を確認しました。
 不動池へは、尾根道を下っても良かったのでが、そのまま平坦な道を進んでみました。




 尾根道を暫く進むと、開けた場所があったので左側の景色を撮ってみました。


 尾根道を抜けると、ご覧のような園名柱がありました。


 更に、ご覧のような「通行止め」を通って尾根道を進みます。
 

 尾根道を暫く進むと、案内板があったので現在地を確認しました。


 近くに、<関ヶ谷不動尊、お不動池へ>の道標がありました。


 道標に従って、ご覧のような山道を下ります。


 山道を暫く進むと、ご覧のようなノボリの立っている関ヶ谷不動尊に着きました。


 関ヶ谷不動尊の不動堂で、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから堂内の不動尊も撮ってみました。


 境内に、ご覧のような小さな瀧があったので撮ってみました。


 瀧の左側に、瀧不動があったのでアップで撮ってみました。


 関ヶ谷不動尊を後に、ご覧のような急な石段を下りてみました。


 石段の下には「谷津関ヶ谷不動尊」の石柱が建っていました。
 又、無病息災と家内安全の石柱も建っていました。

<能見台不動池>

 関ヶ谷不動尊の隣には、ご覧のような不動池がありました。


 東屋から池を撮ってみましたが、ご覧のように透明度は高くありません。


 池の左の方にベンチがあったので、そこで昼食を取ることにしました。


 目の前で亀が日向ぼっこしていたので撮ってみました。


 昼食を食べ終わると、日向ぼっこしていた亀はご覧のように一列に並んでいました。


 不動池に、ご覧のような能見堂緑地の標識があったので撮って不動池を後にしました。

 不動池からは、関ヶ谷不動尊の急な石段を昇らないので、別のルートからハイキングコースに戻ることにしました。

<能見台高区配水槽に向かう>

 取り敢えず、能見台隧道を通ってハイキングコースに向かいます。


 能見台隧道を抜けて、能見台南小の横から山の方へ行くと能見台緑地の入口がありました。


 山道を暫く上ると、ご覧のような道標があってハイキングコースに戻ることが出来ました。




 整備されているご覧のような尾根道を上下しながら金沢自然公園に向かいます。


 尾根道を20分程歩くと、能見台高区配水槽に行ける分岐に着きました。

<能見台高区配水槽>

 漏斗(じょうご)形の大きな配水槽が見えたので行ってみました。
 門には横浜市水道局能見台高区配水槽の看板が出ていました。


 少し離れて全体を撮ってみました。


 ついでに、配水槽の上部をアップで撮ってみました。


 ご覧のような道から先程の分岐に戻って、金沢自然公園に向かいました。


 取り敢えず、右側にあった案内図で現在地を確認しました。

<金沢自然公園に向かう>

 ここからは「釜利谷(かまりや)市民の森」に入ります。
 ご覧のような歩き易い尾根道を下って金沢自然公園に向かいます。


 分岐から尾根道を5分程下ると、「釜利谷市民の森」周辺案内図があったので現在地を確認しました。
 又、北側に円海山(えんかいざん)、氷取沢(ひとりざわ)や峰などの懐かしい名前もありました。


 尾根道は横浜横須賀道路の下も通るので橋桁を撮ってみました。


 尾根道を5分程下ると、釜利谷JCTのアプローチ道路の脇に出ました。


 遠くに、ご覧のような塔があったので撮ってみました。


 上部をアップで撮ってみましたが何でしょうね!?


 尾根道を更に下ると、ご覧のような道標のある「こがね台広場」に着きました。


 広場にベンチがあったので一休みすることにしました。


 広場から先程の塔を見ると、釜利谷料金所に建っていました。


 ご覧のような尾根道を下って金沢自然公園に向かいます。


 「釜利谷市民の森」の説明案内板があったので撮ってみました。

<金沢自然公園>

 尾根道を下っていると右側に、金沢自然公園の駐車場がありました。


 金沢自然公園に着いたので、案内図を撮ってみました。


 バス停「金沢動物園」は、ご覧のようなゲートから入って「ののはな館」の先にあります。




 途中、金沢の市街地が見えたのでアップで撮ってみました。

 バス停「金沢動物園」に停まるバスは、土・日・祝のみの運行で本数が少なかったのですが、大して待つことなく座れて金沢文庫駅西口に着けました。

 今回の「六国峠ハイキング」は久しぶりのハイキングでしたが、道に迷うこともなく踏破できたので満足しています。
 尚、万歩計はハイキングコース以外も歩いたので20,000歩を超えていました。
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観音崎をぶらり(番外編)

2017年09月07日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅱ)」から続く。

<観音崎大橋>

 ご覧のような浦賀水道を眺めながら観音崎大橋を渡ります。


 振り返って、歩いて来た観音崎大橋を撮ってみました。

 反対側から観音崎大橋を渡って来た人に、浦賀駅までどの位かかるのか聞いてみると、「30分以上かかるので、お寺の前のバス停からバスで行った方が良い。」と教えてくれました。


 観音崎大橋を渡ると、ご覧のような砂浜が見えたので撮ってみました。


 県道209号線を歩いていると、駆逐艦「村雨」の石柱があったので撮ってみました。


 バス停を探しながら県道209号線を歩いていると、鴨居港が見えたので撮ってみました。


 ご覧のような鴨居港の入り江も見えたので撮ってみました。

<鴨居八幡神社(かもいはちまんじんじゃ)>

 県道209号線の反対側に、八幡神社の立派な鳥居が見えたので行ってみました。


 二ノ鳥居もご覧のような立派な鳥居でした。


 左側の狛犬が可愛らしかったのでアップで撮ってみました。


 片方だけだと縁起が悪そうなので、右側の狛犬も撮ってみました。


 八幡神社由緒に依ると、『祭神は譽田別尊(第15代應神天皇) 治承4年(1180)源頼朝が鎌倉に入った頃、三浦大介義明の第4子多々良四郎義春が、鴨居の領主として三浦一円を治めていて、八幡神社は義春が源家の命を受け養和元年(1181)鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。』と書いてありました。


 ご覧のような手水舎で身を清めて社殿に向いました。


 立派な社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 社殿の左手に、ご覧のような天満社があったので撮ってみました。


 天満社の奥に神輿庫が見えたので行ってみました。


 お神輿が見えたので撮ってみました。


 又、神輿庫の左手に稲荷神社があったので撮ってみました。


 境内には、ご覧のような立派な御神木の銀杏もありました。


 最後に、社殿と天満社を一緒に撮って八幡神社を後にしました。

<醍醐不動院> 

 県道209号線に戻って、バス停を探していると、ご覧のような由緒ありそうな門がありました。
 扁額を見ると、真言宗の寺院のようなので入ってみました。


 門をくぐると、赤い橋があったので撮ってみました。


 下には、ご覧のような立派な川が流れていました。


 橋を渡ると、ご覧のような拝殿(?)があったので撮ってみました。
 取り敢えず、拝殿でお参りしてから県道209号線に戻りました。

<西徳寺(さいとくじ)>

 県道209号線の向かい側にバス停「鴨居」があって、傍に西徳寺の案内も出ていました。
 浦賀方面行のバスが略10分間隔で出ていたので、取り敢えず、西徳寺に行ってみることにしました。


 西徳寺はご覧のような階段の上にあります。


 階段を上ると、立派な本堂があったので撮ってみました。


 参道に「会津藩士の墓」の案内が出ていたので、お参りをしてから行ってみることにしました。


 本堂で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから本堂の扁額を撮ってみました。


 西徳寺の説明案内板には、『鎌倉の光明寺の末寺として、永禄3年(1560)法誉順性上人により開かれました。・・・』と書いてありました。


 「会津藩士の墓」へは、ご覧のような案内が出いるお墓の中を通って行きます。


 お墓を通り過ぎると、今度は山道を昇るみたいです。


 取り敢えず、下の方に見えた本堂とお墓を撮ってみました。


 ここからは、ご覧のようなかなり急な山道を昇ります。


 「会津藩士の墓」に着いたので説明案内板を撮ってみました。
 説明案内板には、『19世紀に入ると日本の沿岸に異国船が相次いで姿を現すようになり、文化7年(1810)幕府は会津藩に江戸湾警備の任務を命じ、会津藩は大勢の武士や家族を移住させ三浦半島沿岸を警備することになりました。それらの人々の子弟を教育するために、三崎に集義館、観音崎に養正館という藩の学校も建てられましたが、文政3年(1820)沿岸警備の任務が会津藩から浦賀奉行に移って任務は解かれました。その間、病死した藩士やその家族が西徳寺の墓地にも葬らています。』(概要)と書いてありました。








 「会津藩士の墓」を撮ってみましたが、頭が下がりますね!


 お墓の手前に、ご覧のような奉納経がありました。


 折角なので、奉納経をアップで撮って「会津藩士の墓」を後にしました。


 境内に戻ると鐘楼があったので撮って、バス停「鴨居」に向いました。
 バス停に着くと、浦賀駅行のバスが時間通りに遣って来たのには驚きました。

<浦賀駅前>



 浦賀駅前に着いたので、ご覧のような地図で現在地を確認しました。
 この地図には、観音崎コース以外に、東浦賀コース、西浦賀コースや吉井・久里浜コースの散策コースが出ていたので機会があれば挑戦してみます。

 浦賀駅近くで、お刺身があって飲めそうなお店を探したのですが見つけられませんでした。
 仕方がないので、串揚げ屋に入って喉を潤すことにしました。
 ⇒ お店の人に聞くと、お刺身は西浦賀の方に行かないとダメみたいでした。

 今回の「観音崎をぶらり」は、台風15号の影響で風は強かったのですが、大した雨に降られなくて、いろんな所が回れたので良かったです。
 又、観音崎の京急バスは、時間通りに遣って来るのには感心しました。
 尚、今日(2日)の万歩計は、それなりに歩いたので17,000歩近くになっていました。
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観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅱ)

2017年09月06日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅰ)」から続く。

<海岸園地>

 観音崎レストハウスで昼食を食べた後、目の前の観音崎海水浴場を撮ってみました。


 近くに道標があったので撮ってみましたが、”観音崎灯台”でなく”観音埼灯台”となっていました。


 案内板も”観音埼灯台”となっていたので、こちらが正式名称かも知れませんね!?


 ご覧のような海岸沿いの遊歩道を歩いて観音埼灯台に向かいます。
 尚、後ろに見えるのは、観音埼灯台ではなく東京湾海上交通センターのレーダー塔です。




 途中で海辺に降りて歩いてみることにしました。
 

 海辺を歩いていると、タンカー船が遣って来たので撮ってみました。


 又、浪が打ち寄せている岩場も撮ってみました。


 ついでに、左側の岩場も撮ってみました。


 海辺からは、ご覧のような遊歩道に戻って観音埼灯台に向かいます。


 遊歩道に、あまり垂れていませんが乳銀杏があったのでアップで撮ってみました。


 遊歩道の脇に、ご覧のような洞窟があったので見に行ってみました。


 「洞窟の由緒」には、『洞窟に住む大蛇が漁師や船人を妨害して苦しめていたという話を行基が聞き入れ退治たと言う大蛇の霊、この洞窟の沖で入水して荒れ狂う海を鎮めたという日本武尊の妃の弟橘媛が祀られている。』と書いてありました。


 遊歩道から房総半島が見えたのでアップで撮ってみました。


 正面に観音埼灯台が見えたので、こちらもアップで撮ってみました。


 遊歩道の右側に、ベンチがある東屋が見えたので一休みすることにしました。


 東屋の近くに、観音手跡の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板には、『観音崎の地名は、奈良時代の僧行基が船の安全のため、十一面観音(船守観音)を海蝕洞穴に納めたことに由来すると伝えられています。・・・』と書いてありました。


 東屋で一休みしてから、遊歩道沿いのご覧のような岩場を眺めながら観音埼灯台に向かいます。


 遊歩道の脇に、西脇順三郎文学碑「燈台へ行く道」があったので撮ってみました。


 遊歩道を暫く歩くと、ご覧のような分岐<観音埼灯台150m 展望園地700m>が出ていました。




 ここからは、ご覧のような舗装された山道を上って観音埼灯台に向かいます。

<観音埼灯台>

 観音埼灯台に着いたので入口を撮ってみました。


 説明案内板に依ると、『・・・観音埼灯台は、横須賀の近代化に貢献した例のフランソワ・ヴェルニーが建設を担当し、明治元年(1868)に完成しました。・・・初代灯台は、大正11年(1922)4月の地震により大亀裂が生し、翌年3月に2代目の灯台が改築されましたが、9月の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の灯台は、大正14年6月に完成した3代目のものです。・・・』と書いてありました。


 取り敢えず、灯台を真下から撮ってみました。 


 ついでに、灯台の頭部をアップで撮ってみました。
 参観料(200円)を払って灯台に昇りますが、風が強いので飛ばされないように注意して下さいと言われました。


 左奥にご覧のような見晴らしの良い場所があったので行ってみました。


 『点燈明治己巳年正月元日』と刻まれた礎石があったので撮ってみました。
 ⇒ 明治己巳年は明治2年(1869)のことですね!


 隣りに、「汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな」、「霧いかに深くとも嵐強くとも」の句碑があったので撮ってみました。




 ちょうど東京湾から出る船が遣って来たのでアップで撮ってみました。


 壁にいろんな灯台の写真が展示してある螺旋階段を昇って上に行きます。


 灯台の頭部に着いたので灯台のレンズを撮ってみました。
 

 又、ご覧のような免震装置もありました。


 展望台から下を眺めていると、房総半島がぼんやりと見えました。


 又、芝生の広場があって碑のようなものが建っていて、先の方には小屋がありました。
 ⇒ この広場が何なのか良く分からないので、後で行ってみることにしました。


 房総半島をアップで撮っていると、手前に潜水艦のハッチのようなものがありました。


 取り敢えず、アップで撮ってみましたが何だか良く分かりません。


 下の方に、歩いて来た遊歩道が見えたので撮ってみました。
 右上に見えるのは、東京湾海上交通センターのレーダー塔ですね!


 遊歩道をアップで撮ってみましたが、東屋があった場所ですね!


 灯台の下に降りて、別の角度から灯台を撮ってみました。


 灯台の下に、ご覧のような「灯ろう」があったのでアップで撮ってみました。
 ⇒ 「灯ろう」は、灯台頭部のレンズや電球を風雨か守るためのものみたいでよ!


 右側に、ラッパのような霧信号吹鳴器があったので撮ってみました。
 この吹鳴器は、平成元年4月まで観音埼霧信号所で使われたいたものみたいです。


 ~日本最初の近代灯台~と書かれた説明案内板を撮って、観音埼灯台を後にしました。

<展望園地に向かう>

 観音埼灯台からは山道を下って分岐まで戻り、ご覧のような岩礁を見ながら展望園地に向いました。
 

 海辺に、人工岩のようなものがあったのでアップで撮ってみました。


 近くにご覧のような建物の残骸があったので撮ってみました。


 取り敢えずアップで撮ってみました。
 ⇒ 気になったので後で調べたら、関東大震災で崩壊した2代目の灯台の残骸でした。


 ご覧のような海岸沿いの遊歩道を歩いて展望園地に向います。
 遊歩道の先の方に海辺に降りられそうな柵(?)が見えたので、後で下りてみることにみました。


 遊歩道を歩いていると、灯台から見えた潜水艦のハッチのようなものがありました。


 これもアップで撮ってみました。
 ⇒ 後で調べると、第2次世界大戦当時に造られた潜水艦の音を調べる施設(水中聴測所)でした。


 この辺りの海辺の透明度は、ご覧のように比較的高いです。


 遊歩道を歩いていると、灯台から見えた芝生の広場と小屋が見えてきました。


 遊歩道から海辺に降りれそうな場所があったのですが、フェンスがあって海辺は歩けそうにありません。
 ⇒ 先程、見えた柵はこのフェンスだったのですね!


 遊歩道を暫く進むと、ご覧のようなフェンスがあって残念ながら立入禁止になっていました。


 遊歩道の先に行くしかありませんが、先の方はご覧のような鬱蒼とした道になっていました。


 左に曲がると、ご覧のような素掘りのトンネルがありました。


 取り敢えず、素掘りのトンネルを正面から撮ってみました。


 トンネルを出たので素掘りのトンネルの開口部を撮ってみました。


 トンネルの先は、ご覧のような道路になっていて海辺の遊歩道とは大きな違いですね!

<展望園地>

 道路を暫く進むと、左側に展望園地があったので入ってみました。


 展望園地から房総半島が見えたので撮ってみました。


 左側に、先程の水中聴測所が見えたので房総半島と一緒に撮ってみました。


 説明案内板に依ると、展望園地には南門砲台があったみたいです。


 近く、南門砲台のような跡があったので撮ってみました。


 奥にあった黒いものは”展望園地”と彫られたオブジェでした。


 展望園地を別角度から撮って、観音崎自然博物館に行ってみました。

 観音崎自然博物館は、観音崎の自然や生物の標本、資料が展示してある子供向け(?)の博物館です。
 受付で、ゴジラの足跡のことを聞くと外まで来て場所を教えてくれました。
 申し訳なかったので博物館(入館料は、大人400円、高校生300円、小人200円、幼児100円)に入ってしまいました。

<観音崎自然博物館>

 第2展示室に、ご覧のような三浦半島中心の地図がありました。


 地図上に、来館した小学校や幼稚園の名前が置いてあったので撮ってみました。


 第3展示室には、食べたら美味しそうなタカアシカニが展示されていました。


 館内から外にでると、ご覧のようなモニュメント芝生広場がありました。


 取り敢えず、館内を一回りしたので、ゴジラの足跡を見に行ってみました。


 初代ゴジラが上陸した大きな足跡(1/10サイズ)を別角度から撮ってみました。

<たたら浜>

 初代ゴジラの足跡の先に、海辺が見渡せる場所があったので行ってみました。


 「たたら浜」はご覧のような砂浜で、海辺で遊んでいる母子もいました。


 第6駐車場の奥に「たたら浜園地」があったので行ってみました。


 「たたら浜園地」はご覧のような芝生広場になっていましたが、特に見るべきものはありませんでした。


 第6駐車場の先に、ご覧のようなトーチカがあったので撮ってみました。
 ⇒ トーチカ(ロシア語)は、コンクリートで堅固に構築した防御陣地のことです。


 観音崎公園の外れまで遣って来たので、ご覧のような観音崎大橋を渡って浦賀に行ってみます。

 「観音崎をぶらり(番外編)」に続く。
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観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅰ)

2017年09月05日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(走水編Ⅱ)」から続く。

 昨日は夜から雨が降っていたようですが、飲んでぐっすり寝てしまったのでよく分かりませんが、朝起きたら雨が降っていました。
 天気予報だと午後には雨が上がるようなので、午前中は横須賀美術館で時間を潰すことにしました。
 取り敢えず、横須賀美術館まではバスで行くことにしました。

<横須賀美術館>

 バス停「横須賀美術館前」に着いたので、周辺案内図で現在地を確認しました。


 国道16号線から東京湾をアップで撮ってみましたが、ご覧のように荒れていました。


 美術館の外観を撮ってみましたが、閑散としていたので閉館しているかと思ってしまいました。


 美術館の前にある「海の広場」を撮ってみましたが、ご覧のように人っ子一人いませんでした。

 チェケット売り場で観覧料(310円)を払いますが、受付嬢が展示品と館内の説明を丁寧にしてくれたのには驚きました。
 本館の各展示室では、朝井閑右衛門らの油絵や水墨画が展示されているようでした。又、谷内六郎館では週刊新潮の表紙絵が展示されています。

 取り敢えず、本館の各展示室を見て回ることにしましたが、撮影禁止なので写真を撮ることはできませんでした。
 絵画の観賞は不得手なのですが、それでも30分以上掛けて各展示室を見て回りました。


 空模様がどうなっているのか気になったので、屋上に行ってみました。
 ”恋人の聖地”の銘板があったので、東京湾と一緒に撮ってみました。
 ⇒ 何故、”恋人の聖地”があるのか分かりませんがデートスポットだからですかね!?


 屋上にある「山の広場」から東京湾を撮ってみましたが、どんよりした天気で見晴らしは良くありません。




 小雨が少し降っていますが、「山の広場」を散策してみました。




 山側に地層が見える箇所があったのでアップで撮ってみました。




 「山の広場」には、ご覧のような芝生もあるので、晴れていればお弁当を食べたり子供は遊んだり出来ますね!

 未だ少し小雨が降っていたので、谷内六郎館に行って時間を潰すことにしましたが、谷内六郎館も撮影禁止でした。


 谷内六郎館で20分程時間を潰してから外に出ると、小雨も止んでいたので散策路を上って「山の広場」に戻ってみました。

<三軒家園地>



 散策路の上に着くと<三軒家園地>の案内が出ていたので上ってみました。


 散策路を歩いていると、左手にビューポイントのような場所があったので行ってみました。


 海の散歩道「ボードウォーク」が見えたのでアップで撮ってみました。


 散策路に戻ると、ご覧のような<三軒家砲台跡>の案内が出ていました。


 散策路を歩いていると、休憩所(?)がありましたが、柵があったので入るのは止めにしました。
 ⇒ 壁に十字架のような跡(?)がありますが何ですかね!?


 散策路に砲台跡があったので撮ってみました。


 散策路には、こんな跡もありましたが弾薬庫跡ですかね!?


 こちらの砲台跡はかなり綺麗に整備されていました。


 

 迷彩色(?)が付けられているような感じがしたのでアップで撮ってみました。


 倉庫跡のようなものがあったので撮ってみました。


 散策路の右側に、秘密基地(?)に行けそうな通路があったので撮ってみました。


 散策路の左側にある三軒家園地に着きました。標識のデザインは河童のようですね!?


 右側に、砲台跡に造られたような休憩所がありました。


 休憩所の前にあった説明案内板に依ると、観音崎岬と富津岬の距離は6kmしかないのですね!


 ご覧のような緑地になっているので、一回りしてみることにしました。


 緑地には草花は殆ど咲いていませんが、萩が咲き始めていたのでアップで撮ってみました。


 園地に「第3海堡」の説明案内板がありました。海堡(かいほう)とは兵備を施した人工島です。
 説明案内板には、『第3海堡は、明治25年~大正10年までかかって建設されました。しかし、長い年月と巨額の費用を投じたにもかかわらず、完成から2年後の関東大震災で崩壊し、廃墟となってしまいました。』と書いてありました。


 第三海堡らしき島が見えたのでアップで撮ってみました。


 三軒家園地を後に散策路に戻り、更に上の方に行ってみました。


 散策路に、三軒家砲台跡の説明案内板があったので撮ってみました。


 砲台跡を撮ってみましたが、ここの砲台跡にも迷彩色が施されていました。


 近くに、ご覧のような壕の開口部がありました。
 装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための掩蔽壕(えんぺいごう)ですかね!


 三軒家園地の頂上らしき場所に着きました。
 右のオブジェ(?)には薄っすらと”三軒家園地”と記されていました。


 左側に立派な建物があったので撮ってみましたがトイレでした。

 天気も良くなってきたので、散策路を下ってボードウォークに行ってみることにしました。


 散策路を上って来る時には気が付かなかったのですが、砲台入口の門柱があったので撮ってみました。


 帰りは三軒家園地からスロープを通って下に降りましたが、途中、ビューポイントがあったので東京湾を撮ってみましたが・・・

<ボードウォーク>

 ボードウォークに着きましたが、右側は波しぶきでご覧のように濡れていました。


 取り敢えず、左側のボードウォークを歩いて、先端まで行ってみることにしました。




 右側に東京湾海上交通センターのレーダー塔が見えたのでアップで撮ってみました。


 ボードウォーク脇にご覧のような岩礁があったので撮ってみましたが、降りることはできません。


 沖に貨物船(?)が見えたのでアップで撮ってみましたが、海はご覧のように荒れていました。


 又、強風に煽られるフェニックを撮ってみました。


 ボードウォークの先端には、ご覧のようなベンチが置いてありましたが人っ子一人いませんでした。


 取り敢えず、東京湾海上交通センター方面を撮ってみました。


 正面の荒れている海も撮ってみました。


 先程の貨物船の後からタンカーが遣って来たので一緒に撮ってみました。
 ところで、船の間に見える島影は第3海堡ですかね!?


 ついでに、左手の御所ヶ崎方面も撮ってみました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。正面に見える建物は走水小学校ですね!


 波しぶきでボードウォークの先へは行けそうもないので、ボードウォークを戻ることにしました。


 ボードウォークを後に、国道16号線を歩いて観音崎灯台に行ってみることにしました。


 国道16号線を歩いていると、先の方に観音崎レストハウスが見えたので昼食を食べることにしました。

 「観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅱ)」に続く。
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観音崎をぶらり(走水編Ⅱ)

2017年09月04日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(走水編Ⅰ)」から続く。

<御所ヶ崎>

 国道16号線を歩いていると、手前に旗山崎公園のある御所ヶ崎に着きました。


 入口に「走水番所・旗山崎台場跡」の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板に依ると、この場所は江戸に下る船を検査する船番所や江戸湾海防のための台場があった所で、旗山崎の名前は日本武尊が上総(千葉)に渡る時、海が荒れて進めず臨時の御所を設けて軍旗を立てたことに由来しているようです。


 公園の背後の柵から走水砲台跡に入ると、ご覧のような阪路(入口)があったので撮ってみました。


 砲座の下に弾薬庫があったので撮ってみました。


 又、近くのご覧のような兵舎(棲息掩蔽部)もあったので撮ってみました。




 上にあった砲座に行ってみました。尚、走水砲台跡には4門の砲台があります。


 この砲座には、ご覧のような鉄階段が付いていたので上ってみました。


 上に行くと説明案内板があって、写真付きの大砲(27cm加農砲)が載っていたのでアップで撮ってみました。


 27cm加農砲を意識して上から砲座を撮ってみました。


 砲台からの見晴らしが気になったので、ご覧のような散策路を通って浦賀水道を見に行ってみました。
 散策路の途中にも、ご覧のような砲座(?)の跡がありました。


 浦賀水道は、木々が生い茂っていて見晴らしは良くありませんでした。


 折角なので、手前に見えた岩礁をアップで撮ってみました。




 散策路の先にも別の砲座があったので撮ってみました。


 近くにあった揚弾井に、ご覧のような吊金具があったので撮ってみましたが使途は不明です。

 一番北側にあった砲座を見ていなかったので行ってみました。




 途中に、ご覧のような弾薬庫があって内部が見えたので撮ってみました。


 取り敢えず、一番北側の砲座を撮ってみました。




 台座の近くに、ご覧のような建物の跡らしき場所があったので撮ってみました、こちらも使途不明です。


 取り敢えず、走水砲台跡を一回りしたので旗山崎公園に戻りました。
 旗山崎公園から魚が獲れそうな海辺を撮ってみましたが、釣りは禁止の注意書きが出ていました。


 旗山崎公園の近くに、伝説の地「御所ヶ崎」の説明案内板がありました。
 説明案内板には、『古事記・日本書紀によれば、日本武尊が東国征伐のおり、走水から上総(千葉)へ船で渡ろうとした時、海が荒れて進めず、弟橘媛は海神の怒りを静めるために身を投じ荒れ狂う海を静めました。・・・』と書いてありました。

 旅館に戻っても良かったのですが、未だ雨が降り出していないので走水神社に行ってみることにしました。

<覚栄寺(かくえいじ)>

 国道16号線を歩いていると、右側の奥に覚栄寺があったので行ってみました。




 取り敢えず、お参りをして立派な扁額を撮ってみました。


 覚栄寺は浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀三尊です。永正110年(1513)に載誉屋道上人が念仏を広めるために道場として開いたといわれています。


 大震災の立派な供養塔があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような六地蔵尊があったので撮って覚栄寺を後にしました。

<円照寺(えんしょうじ)>

 覚栄寺の近くに、円照寺があったので階段を上ってみました。


 円照寺は、ご覧のようなこじんまりしたお寺でした。傍らに、日蓮上人の銅像があったので日蓮宗のお寺ですね!


 取り敢えず、お参りして扁額を撮ってみました。


 説明案内板には、『応永5年(1398)、日海上人によって開山されたお寺で、本尊は三宝(仏・法・僧)のです。・・・』と書いてありました。


 若しかしたら日蓮上人ではなく日海上人の銅像だったかも知れませんね!?

<大泉寺(だいせんじ)>

 円照寺を後に、右側の山道(?)を上ると大泉寺本堂の階段下に着きました。
 ⇒ どうやら参道を通らないで本堂に来てしまったようです。


 取り敢えず、立派な本堂を撮ってお参りすることにしました。


 お参りしてから、赤い梵字(?)を撮ってみましたが、何と書いてあるのか分かりません。


 ガラス越しに本堂の内部も撮らせていただきました。
 「先祖代々菩提霊位」と「三界萬霊」の位牌(?)が祀られていました。


 本堂の横に、ご覧のような外水道(?)があったので撮ってみました。


 又、外水道の先は、玉砂利を敷いた休憩所になっていました。

 本堂を後に、帰りは参道を通って外に出てみることにしました。


 ”一字一石法華塔”と彫らている石塔があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような六地蔵尊もあったので撮ってみました。


 振り返ると、本堂の屋根が見えたので撮ってみました。


 水車の回転に合わせて杵をうつ音が家の中から聞こえていたので撮ってみました。


 大泉寺の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板には、『天正18年(1590)徳川家康が関東に入国した際に三浦郡代官頭・長谷川七左衛門長綱が逗子・海宝院の伝英和尚を招き開山した寺・・・』と書いてありました。

<走水神社>

 大泉寺の参道から道路に出ると走水神社は右側にありました。
 説明案内板によると、走水神社の祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)とその后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)の2柱です。


 可愛らしい愛嬌がある狛犬だったのでアップで撮ってみました。


 片方だけだと縁起が良くなさそうなので、右側の狛犬も撮ってみました。


 右側に社務所、左側に手水舎のある境内を撮ってみました。


 取り敢えず、手水舎で身を清めてからお参りすることにしました。
 尚、この水は深さ30mより湧き出ている真水みたいです。


 鳥居の先には、ご覧のような立派な石灯篭がありました。


 参道の右側に、宝物殿と「針の碑」があったので撮ってみました。
 「針の碑」には、『草枕 旅の丸寝の 紐絶えば あが手とつけろ これの針持し』の歌が彫ってありました。




 「針の碑」の隣りに、ご覧のような弟橘媛命「舵の碑」があったのでアップで撮ってみました。


 石段の下にも、ご覧のような石灯篭がありました。
 『地震を感じたら「石灯篭」から直ちに離れて下さい』の注意書きが出ていました。




 社殿に着いたので、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 社殿の右側に、日露戦争の時の「露國機械水雷」が奉献されていました。


 珍しいのでアップで撮ってみました。


 「露國機械水雷」の隣りに、稲荷神社があったので撮ってみました。


 一番奥に、ご覧のような水神社がありました。


 水神社に可愛らしい河童がいたのでアップで撮ってみました。


 社殿の左側に行ってみると、ご覧のような別宮があったので撮ってみました。
 尚、別宮は弟橘媛命に殉じた侍女をお祀りしてあります。


 「弟橘媛命の記念碑」の案内が出ていたので行ってみました。


 この記念碑は、弟橘媛命の御遺蹟を偲奉して、東郷平八郎、乃木希典ら7名が発起人となって建立(明治43年6月5日)したものです。
 記念碑には、弟橘媛命の今際の御歌が刻まれていました。


 「弟橘媛命の記念碑」を後に、山道を昇るとご覧のような神明社の鳥居がありました。




 山道を登っていると、ご覧のような説明案内板が出ていたので行ってみました。


 山道の上に着くと、ご覧のような三社がありました。


 取り敢えず、左から諏訪神社、神明社、須賀神社を撮ってお参りをしました。

 ここからは昇ってきた山道を戻って下に行くしかありません。


 山道から社殿が見えたので撮ってみました。


 石段の上から下の境内を撮ってみました。


 境内の右側に、日本武尊と弟橘媛命の愛の貴さをたたえる「顕彰の碑」があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような庖丁塚があったので撮ってみました。


 小雨がパラついて来たので、背後の社殿を撮って走水神社を後にしました。


 大した雨でなかったので、走水漁港を見ながら旅館に向いました。

 ほぼ予定通りの時間に旅館に着くことができて良かったです。
 又、万歩計は13,000歩を超えていたのでそれなりの運動にはなりました。
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観音崎をぶらり(走水編Ⅰ)

2017年09月03日 | Weblog
 9月1日(金)~2日(土)は、三浦半島の観音崎に行ってみました。
 1日(金)は、台風15号が小笠原諸島に留まっていて今後の進路が気になったのですが、雨が降っていなかったので取り敢えず出掛けてみました。

 今回の工程は、次のようにしました。
 馬堀海岸駅-(8分)-「うみかぜの道」(海辺の散歩道)-(25分)-馬頭観音堂-(20分)-走水水源地-(12分)-御所ヶ崎-(8分)-旅館-(8分)-走水神社-(8分)-横須賀美術館-(16分)-県立観音崎公園-(25分)-観音崎灯台-(30分)-浦賀駅
 尚、旅館を走水海岸近くに予約してあったので、雨の降り具合で旅館の早・遅着で調整することにしました。

<馬堀海岸>

 馬堀海岸駅に着いたので駅舎を撮ってみましたが、今のところ雨は降っていません。
 尚、走水砲台跡のツアーに参加すれば、弾薬庫や兵舎の内部が見学できそうだったので案内所を探したのですがありませんでした。
 ⇒ 今日は台風が来ているので、いずれにしても中止でしたね!?


 ご覧のような、閑静の住宅街を通って馬堀海岸に向います。


 馬堀海岸二丁目東の信号に着いたので、「よこすか海岸通り(国道16号線)」を渡って「うみかぜの道」(海辺の散歩道)に行ってみました。


 国道16号線を撮ってみましたが、ご覧のように道路は閑散としていました(台風の影響?)。

<うみかぜの道(海辺の散歩道)>

 取り敢えず、走水方面を撮ってみましたが、歩いている人はいませんでした。
 それにしても、護岸の整備状況は見事ですね!


 ついでに、反対の横須賀方面も撮ってみましたが、海辺の散歩道は波が打ちつけていて歩くことは出来ません。


 海辺の散歩道と一緒に荒れている海を撮ってみました。
 

 遠くに、2016年5月の「横須賀をぶらり(猿島編)」で渡った猿島が見えたのでアップで撮ってみました。
 雨は降っていませんが、波飛沫が強風で煽られて飛んで来るので小雨が降っている感じがします。


 「うみかぜの道」を歩いても仕方がないないので、国道16号線を渡って次の馬頭観音堂に行ってみることにしました。

 国道16号線を走水方面に向かって暫く歩き、馬堀海岸四丁目東の信号で右に曲がって馬頭観音堂を目指します。

<浄林寺・馬頭観音堂>

 道なりに坂道を暫く上ると、浄林寺の石碑が建っている馬堀小学校前に着きました。


 取り敢えず、石碑を撮って浄林寺に行ってみました。


 説明案内板には、『・・・馬頭観世音菩薩が本堂に祀られ、坂上の馬頭観音堂には、「馬堀」の地名の由来となる名馬・生唼(いきづき)の像や「蹄の井」があります。・・・』と書いてありました。
 坂の上に馬頭観音堂がありそうなので行ってみました。


 坂道を暫く上ると、左側に馬頭観音堂の説明板がありました。 
 説明案内板には、『平安末期、上総国(千葉)の暴れ馬が村民に追われ浦賀水道を泳ぎ渡り、小原台に着いたという伝承があります。のどが渇いた荒馬は蹄で地を掘ると清水が湧き出し、のどを潤すと駿馬に変わりました。そこを「蹄の井」と呼び、「馬堀」の地名の由来となりました。・・・』と書いてありました。
 尚、この駿馬は、源頼朝に献上され「池月」と命名されたみたいです。


 馬頭観音堂はご覧のような石段の上にありました。


 石段の左に「蹄の井跡」があったのでアップで撮ってみました。
 

 又、右に「湯殿山供養塔」の碑があったので撮ってみましたが、何故、出羽三山の一つの供養塔がここにあるのか分かりません。




 観音堂が見えたのでアップで撮ってみました。


 観音堂に行く坂道の右側に、名馬「池月」の像があったので撮ってみました。


 観音堂に着いたので、取り敢えず、内部を撮ってみました。
 

 観音様のお顔が見えなかったのでしゃがんで撮ってみました。


 失礼してアップでも撮らせていただきました。

 馬頭観音堂を後に、浄林寺に戻ることにしました。


 浄土宗浄林寺は、三浦地蔵尊第29番、三浦薬師第5番、三浦観世音第20番の札所にもなっていました。


 立派な本堂を撮って、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 残念ながら本堂の内部を見ることは出来ませんでした。


 浄林寺の門柱の脇に4基の庚申塔があったので撮ってみました。
 真ん中の2基は主尊が掘られている庚申塔で、端の2基は文字碑(青面金剛)の庚申塔でした。

 浄林寺を後に、県道209号線に出て走水水源地に行ってみることにしました。

<県道209号線>

 県道209号線は、浄林寺の脇を通っているので道に迷うことはありません。
 県道を暫く進むと、ご覧のような旧水道トンネル(走水隧道)がありました。


 トンネルの手前に地層が見える大きな岩があったのでアップで撮ってみました。


 このトンネルは、明治9年(1876)に走水の湧水を横須賀造船所に引くために造られたもので、明治29年(1896)に拡張されて現在の規模になったみたいです。
 尚、工事の計画は、フランス人技師のヴェルニーが立てたみたいです。


 取り敢えず、トンネルの内部を撮ってみましたが、下半分は補修工事が行われているようです。


 最初のトンネルを出ると、ご覧のような別のトンネルがありました。




 こちらのトンネルは、内部が補強されていてご覧のような状態になっていました。


 トンネルの出入口を撮ってみましたが、この走水隧道は一方通行みたいです。


 トンネルを出ると、右側に稲荷神社の赤い鳥居が見えたので上ってみました。


 取り敢えず、お参りしてから祠を撮ってみました。


 失礼して、玉姫稲荷大明神が祀られている祠の内部も撮らせていただきました。

 県道209号線に戻ると、左側に国道16号線が見えたので行ってみました。

<走水水源地>

 猿島方面の海を撮ってみましたが、ご覧のように海は荒れていました。


 国道16号線の右側に水源地の跡のような小さな丘がありました、柵があって入ることは出来ませんでした。


 国道を歩いていると、走水水源地の案内があって「ヴェルニーの水はあちらです」の案内も出ていました。
 ⇒ 走水水源地は小さな場所と考えていたのですが、どうやらこの辺り全体が走水水源地の敷地みたいです。


 国道の左側に、ご覧のような走水水源地管理センターがありました(扉が閉まっていて中へは入れません)。


 国道の反対側に、ご覧のようなレンガ造りの建物があったので撮ってみましたが、何の建物(貯水池?)なのか分かりません。
 「登録有形文化財 走水水源地」の標識が建っていて立入禁止となっていました。


 管理センターの駐車場はご覧のようにガラガラでした。
 取り敢えず、案内が出ていた「ヴェルニーの水」に行ってみることにしました。


 「ヴェルニーの水」は、ミネラル分を多く含む硬度の高い走水の湧き水で飲むことができました。
 駐車場に停まって車は、「ヴェルニーの水」を貰いに来ていたみたいです。

 走水水源地を後に、国道16号線に戻らないで走水海岸を歩いてみました。

<走水海岸>

 走水海岸を歩いていると、海側にご覧のような伊勢町橋があったので行ってみました。


 橋の手前に潮干狩り受付のテントがありましたが、営業していませんでした。


 ご覧のような入口から伊勢町橋を渡りますが、先がどうなっているのかワクワクしますね!


 伊勢町橋から左側の走水海岸を撮ってみましたが、人影はありませんんでした。


 又、橋の先の方も撮ってみましたが、台風の影響で小さな漁船が船着き場に避難していました。
 ⇒ どうやら、伊勢町橋は走水海岸と走水漁港の船着き場を結ぶ橋のようでした。


 伊勢町橋から右側の走水海岸も撮ってみました。


 奥の方に、御所ヶ崎が見えたのでアップで撮ってみました。


 伊勢町橋の端に着くと、御所ヶ崎の手前にある走水小学校(?)が見えたのでアップで撮ってみました。


 船着き場に行っても仕方がないので、走水海岸に戻ることにしました。

 走水海岸から国道16号線沿いの道を歩いて御所ヶ崎に行ってみることにしました。

<破崎緑地>

 高台に着くと、ご覧のような見晴らしの良い場所に着いたので東京湾を撮ってみました。


 暫く歩くと、展望デッキのある破崎緑地に着きました。


 展望デッキから東京湾を撮ってみましたが、ここからの眺めは素晴らしいですね!


 ついでに、アップでも撮ってみました。


 近くに、最近あまり見かけたことのないアサガオの群生があったので撮ってみました。


 珍しかったのでアップでも撮ってみました。

 破崎緑地を後に、御所ヶ崎に行ってみることにしました。

 「観音崎をぶらり(走水編Ⅱ)」に続く。
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