飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

柴又七福神めぐり

2015年01月25日 | Weblog
 1月24日(土)は「柴又七福神めぐり」に行って来ました。
 今年の「七福神めぐり」は、「藤沢七福神めぐり」、「相模七福神めぐり」に続いて3回目になります。

 「柴又七福神めぐり」の巡排ルートは次のようにしました。
 高砂駅-(6分)-観蔵寺(寿老人)-(23分)-医王寺(恵比寿)-(3分)-宝生院(大黒天)-(7分)-万福寺(福禄寿)-(4分)-題教寺(毘沙門天)-(2分)-真勝院(弁財天)-(6分)-良観寺(寶袋尊)-(6分)-柴又駅

 又、御朱印色紙(200円)は各寺院に置いてあるので最初の寺院で手に入れて、寺院を回りながら色紙に御朱印(200円)を押して貰います。

<高砂駅(たかさごえき)北口>

 高砂駅で「柴又七福神めぐり」専用の案内があるかと思って探してみたのですが、「柴又マップ」しかありませんでした。
 裏面の「柴又周辺観光」の下の方に「柴又七福神めぐり」の地図が載っていたので、少し不安だったのですがそれを頼りするしかありません。
 

 高砂駅北口の階段を降りるとご覧のような案内が出ていたのでホッ!としました。

<観蔵寺(かんぞうじ)>

 案内に従って、京成線沿いを5~6分歩くと「観蔵寺」の山門がありました。


 取り敢えず本堂で無事に「柴又七福神めぐり」が出来ますようにお参りをします。


 七福神の寿老人を探したのですが見つけられなかったので、代わりに本堂の手前にあった石碑を撮ってみました。


 境内に立派な水子地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。


 水子地蔵尊の後を京成線が通ったので一緒にアップで撮ってみました。


 「観蔵寺」で「柴又七福神めぐり」の御朱印色紙を手に入れました。
 色紙を入れる封筒の裏面に、ご覧のような「柴又七福神めぐり」専用の地図が載っていました。

 次は、「柴又七福神めぐり」で一番長く歩く(23分)「医王寺」に行くので道に迷わなければ良いのですが・・・

<観蔵寺から医王寺へ>

 「観蔵寺」からは、再び高砂駅まで戻って、都道307号線を歩いて「高砂8丁目」の交差点を目指します。
 「高砂8丁目」の交差点名が出ていなかったので通り過ぎて「住吉稲荷」まで行ってしまいました。
 道に迷わないように「住吉稲荷」でお参りをしましたが、後の祭で、引き返す破目になってしまいました。


 交差点まで戻って伊勢屋さんを左折して暫く歩くと「柴又七福神めぐり」の「さくらみち」に出ました。


 「さくらみち」を道なりに歩いて京成金町線と北総線を越えると北総線の新柴又駅に着きました。
 「医王寺」は新柴又駅から直ぐの所にあります。途中、ご覧のように剪伐した大きな木があったので撮ってみましたが、アンテナより高い木はどのように剪伐するのか興味ありますね!?
 
<医王寺(いおうじ)>

 「観蔵寺」から40分近く掛かって「医王寺」に着きました。 ⇒ 道を間違ったので仕方ありませんね!


 「医王寺」の山門はご覧のように中々立派です。




 山門の左右に堂々した仁王様がいたのでアップで撮ってみました。


 山門をくぐって見上げると鐘楼を突く撞木(しゅもく)のようなものが出ていたので撮ってみました。
 又、山門の四隅には四天王が立っていました。




 取り敢えず本堂でお参りしてから、七福神の恵比寿の御朱印を貰いました。
 又、「医王寺」でも恵比寿を探してみましたが、見当たりませんでした。

 次は、大黒天が祀ってある「宝生院」に向かいます。

<宝生院>

 「医王寺」を後に、新柴又駅まで戻って北総線の下をくぐって暫く歩くと「宝生院」に着きました。


 本堂でお参り済ませると本堂の左手に金色の七福神の大黒天がいました。


 ガラス越しだったのですが、撮り忘れるといけないので金色の大黒天をアップで撮りました。
 御朱印を貰いに寺務所に行くと、本堂に上がって大黒天を拝んでいって下さいと云われました。


 写真撮影もOKと云われたので正面にあった祭壇を撮ってみました。


 祭壇の左手奥にご覧のような七福神の大黒天が祀られていたので撮ってみました。
 

 又、祭壇の奥にはご覧のような全身は真っ黒で、真っ白い歯に紅い口が鮮やか出世大黒天が祀らていました。


 折角なので出世大黒天をアップで撮ってみました。


 祭壇の右手奥には、弘法大師が祀られていたのでついでに撮らせて頂きました。
 「宝生院」では本堂に上がらせて頂き、しかもいろんな大黒天を拝むことが出来たので感謝しています(有難う御座いました)。

 「宝生院」を後に、次の福禄寿が祀ってある「万福寺」に向かいました。
 取り敢えず、柴又街道に出て途中で右に曲がって住宅街にある児童遊園を目指すことにしました。

<宝生院から万福寺へ>

 住宅街は案内が出ていないので不安でしたが、どうにか児童遊園が見えてきました。
 児童遊園脇の道路に、ご覧のようなピンク色の花を付けた梅が咲いていました。


 今年初めて見る梅なのでアップで撮ってみました。
 

 今度は暫く歩くと、民家の庭先に毛が生えた風船がいくつも枝になっているフウセントウワタがありました。
 フウセントウワタは花より風船状の果実の方が面白いですね!


 少し、グロテスク(?)な感じがしたのですが、こちらもアップで撮ってみました。

<万福寺(まんぷくじ)>

 児童遊園を越えて道なりに歩くと「万福寺」の山門が見えてきました。
 「宝生院」からは10分以上もかかってしまいました。


 境内に入ると本堂の階段の下にご覧のようなマニ車(マニぐるま、摩尼車)がありました。
 このマニ車を回すとお経を唱えたのと同じ効果があると云うので、取り敢えず「七福神めぐり」なので7回回してみました。 ⇒ 不精者(無精者)には有り難いですね!


 本堂の前に先客がいたので暫く待ってからお参りすることにしました。
 その間、七福神の福禄寿を探したのですがここでも見つかりませんでした。


 本堂でお参りしてから福禄寿の御朱印を貰いました。

 次は、柴又帝釈天で有名な「題教寺」に向かいます。

<題教寺(だいきょうじ)>

 「題教寺」は「帝釈天参道」を通らないで脇道から行ったので二天門の脇に出ました。
 二天門には二天像(四天王のうちの増長天と広目天)があったのですが、上手く撮ることが出来ませんでした。


 二天門をくぐると正面にご覧のような立派な帝釈堂が建っていました。
 取り敢えず境内を散策してから帝釈堂に上がって、七福神の毘沙門天の御朱印を貰うことにしました。


 先ず、左手にあった浄行菩薩に行ってみました。
 浄行菩薩は、病をかかえている場所を磨けば痛みが和らぐと云われています。


 次に、浄行菩薩の隣にあった御神水を撮ってみました。
 御神水の奥に小さい白いものが沢山見えましたが何でしょうね?


 近づいてみると、金塊(どう見ても、うん○)の周りに、とぐろ巻いた双頭の白蛇の置物が置いてありました。
 ⇒ 何でこんなもが置いてあるのか・・・ ⇒ 人に聞く訳にもいきませんよね!


 今度は、境内の右手の方に行ってみることにしました。
 魚河岸と書かれた大きな花瓶(?)を持ち上げている幼児の青銅(?)があったので撮ってみました。
 何故か髪のない幼児の頭が光っていました。 ⇒ 撫でると頭が良くなるのですかね?


 更に、奥に行くとご覧のような観音菩薩像が祀ってあったので撮ってみましたが詳細は?です。


 取り敢えず境内を一回りしたので帝釈堂に戻って、毘沙門天の御朱印を貰うことにしました。
 帝釈堂の入口に立派な瑞龍松があったので撮ってみました。


 帝釈堂に上がって御朱印を貰いますが、堂内は撮影禁止なので入口だけ撮りました。


 帝釈堂で毘沙門天の御朱印を貰ったので出口の二大門に向かいました。


 二大門の右手にある西門近くにご覧のような大鐘楼がありました。


 こんなに立派な鐘楼を見たのは初めてなのでアップで撮ってみました。

 「題教寺」を後に、帝釈天参道を通って次の「真勝院」に向かいました。

<帝釈天参道>

 帝釈天参道から振り返って二大門を撮ってみましたが、参道はご覧のような人出で賑わっていました。


 映画「男はつらいよ」の「寅さん」の実家として有名な「とらや」の前を通ったので撮ってみました。
 参道には、団子屋、せんべい屋、土産物屋等があって軒を並べていました。
 又、食事処もあったので昼食を食べよう思ったのですが、何処も混んでいそうなので参道で食事処に入るのは諦めました。
 結局、「真勝院」に行く途中の柴又街道沿いにあった中華料理店で遅い昼食を取りました。
 
<真勝院(しんしょういん)>

 柴又街道を暫く歩くと右側に「真勝院」の山門がありました。


 山門を入ると右側に鐘楼があって鐘楼の前に沢山のお地蔵さんが祀ってあったので一緒に撮ってみました。




 取り敢えず本堂でここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
 七福神の弁財天の御朱印を貰いましたが、ここでも弁財天を見つけることは出来ませんでした。


 帰りがけに、五智如来石像が祀ってあったので撮ってみました。

 次は、「柴又七福神めぐり」最後の寶袋尊が祀ってある「良観寺」に向かいました。

<良観寺(りょうかんじ)>

 「真勝院」を後に柴又街道に出て10分位歩くと京成線の踏切越しに「良観寺」の山門が見えました。


 踏切を越えて正面から「良観寺」の山門を撮ってみました。


 本堂の手前左にご覧のような大きな寶袋尊が立っていました。


 又、隣には子ずれの寶袋尊もいました。




 「良観寺」では立派な寶袋尊も拝めたので本堂で丁寧にお参りをしました。


 「良観寺」には太子堂もあったので聖徳太子像(?)をアップで撮ってみました。

 
 七福神の寶袋尊の御朱印も貰ったので、境内にあった水子地蔵を撮って「良観寺」を後にしました。

 これで「柴又七福神めぐり」が終わったので京成線沿いに柴又駅に向かうことにしました。

<良観寺から柴又駅へ>

 来る時に撮れなかった金町浄水場を帰りがけに撮ってみました。


 又、帝釈天参道の交差点の前を通るのでこちらも撮ってみました。


 帝釈天参道の入口近くに帝釈天王安置の大きな石碑があったので撮ってみましたが由来等は?です。


 帝釈天王安置の石碑から暫く歩くと、ハイカラ横丁の看板が出ているお店がありました。
 2Fは、おもちゃ博物館とハイカラ劇場になっていました。


 取り敢えず1Fに入ってみると、そこは昔懐かしい駄菓子が所狭しと置いてありました。

<柴又駅>

 ハイカラ横丁でブラブラ関係で、良観寺からは30分以上もかかって柴又駅の駅前に着きました。




 駅前に「寅さん」の銅像が建っていたのでアップで撮ってみました。




 又、子育地像のおりつ地蔵尊が祀ってあったのでこちらもアップで撮ってみました。


 駅前にお土産の「柴又たま屋」があって、柴又帝釈天の御神水の奥にあった例の金塊(開運・金運を掴む金のうん○が置いてあったのでつい買ってしまいました。
 ⇒ 何故、御神水の奥に置かれていたのかこれで納得しました。
 

 これで「柴又七福神めぐり」は無事終了しました。

 今回の「柴又七福神めぐり」は、「寅さん記念館」や「矢切の渡し」が廻れなかったのは残念ですが、開運・金運の金のうん○を手に入れることが出来たので大変満足しています。
 今年は、うんが付いているので良いことがあるのは間違いありませんね!?
 尚、万歩計は16,000歩を越えている程度でした。
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二宮:ウォーキングとスタンプラリー(後篇)

2015年01月20日 | Weblog
川匂神社(かわわじんじゃ)>

 [西光寺」からの山道は、足元が悪く行けるかどうか不安だったのですが、どうにか「川匂神社」の鳥居の下に着くことが出来ました。


 鳥居の手前に、伊藤博文揮毫(きごう)の「川匂神社」扁額が置いてあったので撮ってみました。


 鳥居をくぐり階段を登ると、珍しい藁葺屋根の随身門がありました。
 神門の左右に、豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)、櫛磐間戸命(くしいわまとのみこと)と書かれた御祭神があったのですがガラス張りの中にあって上手く撮れていませんでした。


 随身門を越えると境内はご覧のような広さで、奥に拝殿がありました。
 取り敢えず、社務所に行ってスタンプラリーの台紙に2つ目の記念スタンプを押しました。


 手水舎の手前に神輿殿があって立派な神輿が飾ってあったので撮ってみました。


 手水舎の脇に、『ここから富士山が、きれいにみえます。』と書かれた黄色い紙が張ってありました。
 更に、ご丁寧に2014年5月27日に撮られた富士山の写真もありました。 


 書いてある通りに撮ってみましたが、富士山は撮れませんでした。




 小雨がぱらつき始めたので、どうにか小雨が止みますように拝殿で丁寧にお参りをしました。
 ⇒ お蔭でその後は本降りにはなりませんでした。


 境内にご覧のような石鳥居があったので撮ってみましたが、何故鳥居がこんな所に置いてあるのか?です。

 小雨が本降りになる前に、次の「金剛院」、「ふたみ記念館」に行くことにしました。

<袖切地蔵>

 「川匂神社」を後に、参道を暫く下ると「西光寺」の手前にご覧のような「袖切地蔵」の祠がありました。


 「袖切地蔵」をアップで撮ってみました。
 『この道が開通した頃は石ころ道で子供が良く転んで怪我をしたそうですが、転んで着物の袖が切れても怪我が無くてよかった、と袖を供えてお参りした。』と伝えられているようです。

 「金剛院」に行くには、「川匂神社入口」の案内が出ていた所まで戻り、今度はそこを左折して「釜野橋(かまのばし)」を目指します。
 「釜野橋」から川沿いのバス道路を北上すれば左側に「金剛院」、右側に「ふたみ記念館」がある筈です。
 ⇒ この川は「小澤寺」の短歌にうたわれていた梅川かも? 

<金剛院(こんごういん)>

 「川匂神社」からは道に迷うこともなく30分位で「金剛院」に着きました。


 「金剛院」はご覧のような殺風景なお寺でしたが、取り敢えずここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

ふたみ記念館

 「金剛院」を後に暫く歩くと右側に「ふたみ記念館」がありました。
 「ふたみ記念館」では、二宮町出身の画家、二見利節(ふたみとしとき)の作品の展覧会を遣っていました。
 記念館の出入口で、スタンプラリーの記念スタンプを押せたのですが気後れして押せませんでした。
 「ふたみ記念館」は、「菜の花ウォッチング」の期間中(1月10日~2月8日)は入館が無料なので入ってから記念スタンプを押すことにしました。
 ⇒ 絵心のない私には作品を理解することは出来ませんでしたが、記念スタンプは押しました。

 次は「吾妻山公園」に向かいます。「ふたみ記念館」からは、先程通った「釜野橋」まで戻り、その道を南下して東海道本線沿いを道なりに進めばに「吾妻山公園 梅沢登り口」に着けます。

<吾妻山公園 梅沢登り口>

 「ふたみ記念館」から20分程歩くと、見覚えのある「吾妻山公園 梅沢登り口」に着きました(ホッ!)。
 

 階段の上にある「神明社」にお参りしてからご覧のような急な参道を登れば「吾妻神社」に着きます。

<吾妻神社>

 「吾妻神社」の手水舎には前に来た時と同じように手ぬぐいが掛かっていました


 今日もここまで来れたお礼を兼ねて拝殿でお参りをしました。


 又、首の代わりに石が載せてある首なし地蔵も撮ってみました。

吾妻山公園

 「吾妻山公園」に着いたので早速いつものビューポイントに行って富士山と菜の花のコラボレーションを撮ってみました。
 ⇒ 富士山に雲はかかっていますが、肉眼ではそれなりに富士山は見えたのですが・・・


 アップでも撮ってみましたが、上手く写っていませんでした。




 仕方がないので富士山の代わりに菜の花をアップで撮ってみました。


 富士山にかかる雲が晴れるのを期待して山頂方面に行ってみることにしました。


 途中まで来ると富士山が少しハッキリ見えるようになりました。




 この機会を逃さず、富士山と菜の花のコラボレーションをアップで撮ってみました。


 ついでに目の前の菜の花もアップで撮ってみました。


 取り敢えず標高136.2mの山頂に行ってみました。


 山頂から富士山を撮って、スタンプラリーの3つ目の記念スタンプが貰える管理棟に向かいました。


 管理棟に行く途中に「吾妻山公園」の案内図が出ていました。
 案内図には、山頂に行く登り口は、「梅沢口(山頂まで約500m)」、「役場口(山頂まで約700m)」、「中里口(山頂まで約1,000m)」、「釜野口(山頂まで約900m)」の4ヶ所がありました。
 「釜野口」からも行けたようですが「梅沢口」よりは時間が掛かったかも?


 管理棟の前に、ご覧のようなクロガネモチの実が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 ウサギが屯して美味しそうに餌を食べていたので撮ってみました。
 以前来た時は別の場所に小動物園があってウサギもいました。
 ⇒ その小動物園がここに移転したのかも知れませんね!?

<浅間神社(せんげんじんじゃ)>

 管理棟から散策路を通って「浅間神社」の裏に出れるので行ってみました。
 

 今日は「浅間神社」の内部も撮ってみました。何故か焼酎の「さつま白波」が置いてありました。


 裏から「浅間神社」に行ってしまったので帰りがけに鳥居を撮って散策路に戻りました。


 今年も散策路に水仙はありましたが、今年は寒いのか花は殆ど咲いていませんでした。


 花の咲いている水仙をどうにか見つけて撮ってみました。


 散策路の途中で、JR二宮駅に上りの東海道線が入って来るのが見えたので撮ってみました。
 手前に見える建物は二宮町立二宮小学校です。


 「役場口」から「吾妻山公園」を出て、スタンプラリー最後の「徳富蘇峰記念館」に向かいました。

 JR二宮駅北口の前の道路を通って、葛川に架かる新原田橋を渡って県道71号線の二宮駅北口の交差点まで行くと、交差点を越えた先の細い道に「徳富蘇峰記念館」の案内が出ていました(ホッ!)。

徳富蘇峰(とくとみそうほう)記念館

 住宅街を歩くので少し不安になりましたが、所々に「徳富蘇峰記念館」の案内が出ていたのでどうにか着けました。


 入口の手前にスタンプラリーのスタンプ台が置いてあったので取り敢えず最後の記念スタンプを押しました。
 記念館では『吉田松陰とその大いなる系譜』展を遣っていたのですが、時間がなかったのと入場料(700円、庭園入園料だけで100円)が少し高かったので入るのは止めにしました。


 代わりに入口の脇に大蘇鉄があったの撮ってみました。


 又、階段の両脇にご覧のような水仙の花束が置いてあったので撮ってみました。


 これでスタンプラリーの台紙に全ての記念スタンプが押せたので急いで観光協会に行って記念品を貰うことにしました。

 16時過ぎにJR二宮駅北口の前にある観光協会に着いたのですが入口は閉まっていました。
 入口の案内よると16時迄は開いていたみたいでした。そのような訳で残念ながら今日は記念品を手に入れることは出来ませんでした。

<伊藤時彰徳の碑>

 この時間だと未だ居酒屋は遣っていないので、忘れていたJR二宮駅南口の「ガラスのうさぎ像」の後ろにある「伊藤時彰徳の碑」を撮って帰ることにしました。
 「伊藤時彰徳」は、明治維新以降に二宮の発展と社会福祉に貢献した人みたいです。

 帰りはJR藤沢駅で途中下車していつもの居酒屋で一杯遣って帰りました。

 今回の「二宮:ウォーキングとスタンプラリー」は、「吾妻山公園」だけでなくいろんな所を廻れたのでそれなりに満足しています。 
 又、万歩計は23,000歩を越えていたので運動不足解消にもなりました。
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二宮:ウォーキングとスタンプラリー(前篇)

2015年01月18日 | Weblog
 今年(1月17日)も富士山と菜の花のコラボレーションが素晴らしい二宮の吾妻山公園に行ってきました。

 吾妻山公園に行くのは今年で4年目になりますが、行くだけではもったいないので今年はウォーキングとスタンプラリーを兼ねることにしました。

 ウォーキングルートは、二宮駅南口から国道1号線に出て川西を通って「川匂神社入口」の交差点まで行きます。交差点を北上して川匂神社まで行き、今度は川西を通って吾妻山公園から二宮駅北口に戻るルートにしました。
 ウォーキングルートの詳細は次の通りです。
 JR二宮駅南口-ガラスのうさぎ像-(10分)-東海道松林の名残り-(10分)-小澤寺-(5分)-等覚院-(10分)-薬師堂-(10分)-西光寺-(3分)-川匂神社-(30分)-金剛院-(3分)-ふたみ記念館-(45分)-吾妻神社-(3分)-吾妻山公園-(5分)-浅間神社-(30分)-徳富蘇峰記念館-(15分)-JR二宮駅北口

 尚、下線部分はスタンプ押印箇所で、スタンプラリーの台紙は二宮駅に置いてありました。


 JR二宮駅の南口に降りるのは初めてなので取り敢えず撮ってみました。

ガラスのうさぎ像



 「ガラスのうさぎ像」は、戦争の悲惨さを綴った高木敏子の「ガラスのうさぎ」の像で、手に持っているいびつな「ガラスのうさぎ」は母と姉を失った空襲の火炎熱を表現しています。
 ここでスタンプラリーの最初の記念スタンプをゲットします。

<ガラスのうさぎ像から小澤寺へ>

 「ガラスのうさぎ像」を後に国道1号線に出ます。
 昔の旅人になったつもりで「東海道松林の名残り」を撮ってみました。


 「吾妻神社入口」の交差点に着くと、国道1号線の先の方にご覧のような山頂がフラットな山が見えました。 


 山の名前は判りませんが(以下、F山と記す)取り敢えずアップで撮ってみました。


 又、こんなところに「吾妻神社」の鳥居があるとは思っていなかったので近く行って撮ってみました。


 国道1号線から旧東海道に入ると右側に醤油蔵元「ヤマニ醤油」がありました。
 こんなところに醤油の蔵元があるとは思っていなかったので撮らせて頂きました。


 ついでに門の脇にあった大きなお釜も撮ってみました。

<小澤寺(おざわでら)>

 旧東海道を暫く歩くと大きな<トイレ>が出ている「小澤寺」がありました。
 トイレの案内が出ていなければ「小澤寺」とは判りませんでした。 ⇒ もしかしたらお堂だけなのかも?
 しかも、トイレはお堂の中(鍵が掛かっていて中には入れませんでした)にあるみたいで裏にはありませんでした。


 お堂の脇に『いくたびもまいりておがむ観世音 心のあかをすすぐ梅川』の短歌(?)があったので撮ってみました。
 その昔、お堂には観音様があって近くに梅川が流れていたみたいですね!?

<等覚院(とうかくいん)>

 「小澤寺」を後に旧東海道を暫く歩くとご覧のような「等覚院」の山門がありました。


 取り敢えず本堂でウォーキングとスタンプラリーが完遂出来るようにお参りをしました。


 本堂にご覧のような珍しいお飾りがあったので撮ってみました。


 二宮町の重要文化財に指定されている梵鐘があったので撮ってみました。
 尚、梵鐘には寛永8年(1631)の銘があってかなり古いみたいです。


 境内に推定樹齢400年の藤の木があったので撮ってみました。
 花は紫白の二色あるようですがあまり大きな藤の木ではありませんでした。

<等覚院から薬師堂へ>

 旧東海道から再び国道1号線に出て暫く歩くと「川匂神社入口」の交差点の手前に「東海道一里塚の跡」がありました。
 『江戸より18里』となっていたので歩けば約9時間掛ることになります。


 歩いていると潮の匂いがしたので相模湾を見に行ってみることにしました。
 途中、民家に庭先に「松屋本陣の跡」があったので失礼して撮らせて頂きました。


 相模湾の降り口はご覧のような階段になっていました。


 階段を降りると相模湾は見えたのですが、手前に西湘バイバスがあって海には行けませんでした。
 仕方がなかったので相模湾を撮って「川匂神社入口」の交差点のある国道1号線に戻りました。


 「川匂神社入口」の交差点は横断歩道がないので歩道橋を渡ります。


 歩道橋の上から先程見えたF山が見えたのでアップで撮ってみました。

<薬師堂(やくしどう)>

 歩道橋を渡ると階段の下にご覧のような「薬師堂」が見えました。


 入り口の隙間から中の薬師如来像を撮ろうと思ったのですが、中から話し声が聞こえたので諦めました。
 代わりに入り口の上にあった立派な龍を撮ってみました。


 薬師堂の狭い境内に石仏群があったので取り敢えず撮ってみました。

<薬師堂から西光寺へ>

 「薬師堂」を後に道なりに暫く歩くと東海道線を跨ぐ跨線橋がありました。
 跨線橋の上から先程見えたF山が見えたのでここでもアップで撮ってみました。
 良く見ると右側の山の上には塔のようなものが建っていました。


 折角なので跨線橋の上から東海道線の線路も撮ってみました。


 跨線橋を渡ると目の前にご覧のような「密厳院(みつごんいん)」がありました。


 山門の前に、龍が巻き付いた碑があったのでアップで撮ってみました。


 境内には目新しいものはありませんでしたが、取り敢えず本堂でお参りをしました。


 「薬師堂」を後に道なりに進むと右側の畑の真ん中に「川匂神社入口」の案内が見えました。
 辺りに「西光寺」らしきものは見当たらず案内に従って「川匂神社」に行くことにしました。

<西光寺(さいこうじ)>

 案内に従って暫く進むと右側に「西光寺」がありました。
 山門は右の道の奥にありますが、手前に立派なお堂(大日堂)があったので上ってみました。
 

 大日堂の内部にはご覧のような三重塔があったので撮らせて頂きました。


 これが「西光寺」の山門ですが、趣があって中々良いですね! 左手に本堂が見えます。


 山門の手前に「子育延命地蔵尊」があったの撮ってみました。
 この「子育延命地蔵尊」は、寛政9年(1797)の大津波と厄病で命を落とした多くの子供の供養と子育て延命、厄除けを願い、建てられたものみたいです。


 山門をくぐると目の前に、二宮町の天然記念物に指定されている樹齢が500年の大きな「かやの木」がありました。
 「かやの木」の周りには 面白い顔をした陶製の羅漢像が並んでいました。




 羅漢像は、何故か文字の書かれた札を持っていました。
 取り敢えず『あした天気にしておくれ』、『浜までは海女も蓑きる時雨かな』の札を持った羅漢像を撮ってみました。




 本堂でお参りしていると中から聞こえたのはピアノの音色(練習?)だったので少しビックリしました。


 本堂の左に不動橋があってその先に洞窟(?)のような「三寶洞」が見えたので行ってみました。






 洞窟の中程に「慈光殿」があってお地蔵様が沢山祀られていました。
 ⇒ 何の為に祀られているのか?です。

 洞窟を抜けるとそこは墓地になっていて、ちょっとした高台なので眺めは良いです。
 左手の先に「川匂神社」の鳥居が見えたので、山道を通って「川匂神社」に行ってみることにしました。

 「二宮:ウォーキングとスタンプラリー(後篇)」に続く。
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相模七福神めぐり(後篇)

2015年01月12日 | Weblog

 ファミレスで昼食を食べて人心地付いたのでご覧のような県道408号線を通ってJR相模線社家駅に向かいました。
 
<浄土寺(じょうどじ)>

 JR相模線の入谷駅で降りて県道51号線を南に向かって10分位歩くと左側に「浄土寺」はありました。
 山門の奥の正面に本堂、左側に鐘楼が見えます。


 鐘楼の奥に七福神の旗が見えたので行ってみました。


 七福神の恵比寿を撮ってみましたが、旗の影で顔半分が暗く撮れていました。


 アップで撮ると素晴らしい恵比寿顔の恵比寿様が撮れました。


 本堂でお参りしてから恵比寿の御朱印を貰います。




 辺りに誰もいなかったのでここでも本堂の内部を撮らせて頂きました。


 御朱印を貰うために寺務所の玄関で待っていると「大笑顔の恵比寿」がいました。
 注釈には、『舌を出して笑っています。これを大笑顔(だいしょうがん)といいます。この上ない喜びを表現したお顔です。』と書いてありました。


 当然、「大笑顔の恵比寿」を度アップで撮ってみました。
 
 陽が落ちる前に残りの2ヶ所を廻りたかったので急いで次の「宗仲寺」に向かいました。

 再び、県道51号線の戻りJR相模線を越えて県道42号線に入り「相武台下駅入口」の信号まで行きます。
 県道42号線は「相模の大凧まつり」や「座間の大凧まつり」で通ったことがあるので道に迷うことはありません。
 
<宗仲寺(そうちゅうじ)>

 「相武台下駅入口」の信号近くで少し遠回りしましたが「浄土寺」からは50分位で「宗仲寺」に着きました。


 早速、本堂でお参りを済ませてから七福神の寿老人の御朱印を貰いに行きました。
 時刻は16時35分で、16時は回っていたので御朱印は受付て貰いないかと思っいたら大丈夫でした(ホッ!)。




 寺務所で御朱印を貰ってから境内にあった七福神の寿老人をアップで撮ってみました。


 寿老人の近くの説明板に、『この銀杏の木は国立国会図書館・古文書により徳川家康公のお手植えと判明いたしました。 宗仲寺』と書いてありました。


 折角なので銀杏の木の上の方も撮ってみました。


 「宗仲寺」へは少し迷ってお墓から入ってしまったので帰りはご覧のような山門から外に出ました。
 後は「龍源院」を廻るだけになりましたが、時間だけが気がかりです。

 再び県道42号線に戻り市立座間小学校を越えて座間2丁目の信号を左折して急な坂道を登れば「龍源院」に行けます。
 市立座間小学校を越えて暫く歩くと17時を告げるチャイムが鳴りました。
 「相模七福神めぐり」の受付時間が16時迄なので間に合わないと思っていると、運良くタクシーが来たので手を上げてしまいました。
 
<龍源院(りゅうげんいん)>

 タクシーに乗ると直ぐ「龍源院」に着きましたが、「龍源院」はご覧のような工事現場になっていました。


 工事現場を回り込むように後ろまで行くと寺務所がありました。
 時刻はとうに17時を回っていたのですが、寺務所に入って御朱印が貰えるかどうか尋ねるとOKとのことでした(ここでもホッ!)。
 ここで始めて「龍源院」を小田急線座間駅から徒歩5分の所にある「星谷寺(しょうこくじ)」と勘違いしていたことが判りました。
 「星谷寺」はタクシーに乗らないで歩いたら急な坂道もあるので優に20分以上はかかります。
 しかも、「星谷寺」から場所も判らない「龍源院」を探しながら夜道を歩くのは無理で「龍源院」に行くのは諦めていたかも知れません。
 「龍源院」の御朱印が貰えたのと、「相模七福神めぐり」完遂の記念品まで貰うことが出来ました。


 取り敢えず薄暗くなった本堂に行って「相模七福神めぐり」完遂のお礼も兼ねてお参りをしました。


 再び、寺務所の前を通って七福神の弁財天を撮りに行きました。


 「龍源院」の弁財天は、ご覧のように大蛇の上に天女の顔が乗った不思議な弁財天でした。
 「相模七福神めぐり」の最後にこのような弁財天が見れるとは思っていなかったので少し感動しました。

<鈴鹿明神社>

 「龍源院」の近くに以前来たことがある「鈴鹿明神社」がライトアップしていたので行ってみることにしました。




 昼間の社殿よりライトアップされた社殿の方が良いですね!


 参集殿もライトアップされていたので撮ってみました。


 ご覧のように鐘楼もライトアップされていて、節分祭の準備も始まっていました。


 「厄よけ明神」の提灯の下を通って「鈴鹿明神社」を後にしました。

 当然、「鈴鹿明神社」からは急な坂道を登って勘違いしていた「星谷寺」の前を通って小田急線座間駅に向かいました。


 こちらは手書きの御朱印が押されている御朱印色紙です。
 下に敷いてあるのは「相模七福神めぐり」完遂の記念品として頂いた「洗心」と書かれた小ぶりの手拭です。

 今回の「相模七福神めぐり」は、偶然や運が重なって「七福神めぐり」が1日で出来たこと、「大谷観音堂」や「貴日土神社」の霊感スポットに行けたことなどで大変満足しています。
 そのような訳で、今年は何か良さそうなことがあれば嬉しいのですが・・・
 尚、万歩計は31,000歩を越えていました。
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相模七福神めぐり(前篇)

2015年01月11日 | Weblog
 先週廻った「藤沢七福神めぐり」が中途半端だったので、1月10日(土)は各お寺の手書きの御朱印が貰える「相模七福神めぐり」に挑戦してみました。

 「相模七福神めぐり」の参拝期間は1月1日~2月3日、受付時間は10時~16時です。

 「相模七福神めぐり」のルートは次のように、小田急線厚木駅から出発して海老名市にある4ヶ所のお寺を廻ってから、JR相模線で入谷駅まで行って座間市の残り3ヶ所のお寺を廻ることにしました。

 小田急線厚木駅-(10分)-増全寺-(40分)-妙元寺-(30分)-善教寺-(30分)-本覚寺-(40分)-JR相模線社家駅-(電車10分)-JR相模線入谷駅-(10分)-浄土寺-(徒歩50分)-宗仲寺-(40分)-龍源院-(10分)-小田急線座間駅

 尚、相模七福神の案内図は相模七福神HPからダウンロードしました。


 めったに降りたことのない小田急線厚木駅を撮ってから出発しました。
 JR相模線を越えて海老名団地を左に見ながら道なりに少し歩くと右側に「増全寺」はある筈です。


 この道は左に海老名団地、右に住宅地があってお寺がありそうな感じではありませんでした。
 最初から道に迷ってはまずいと思ってJR相模線の踏切まで戻り、スマホで地図を再確認してから出直すことにしました(このような場合、スマホは便利ですね!)。
 先程の道には小さな川があって川に架かる橋を渡って右に曲がると「増全寺」はありました。

<増全寺(ぞうぜんじ)> 



 取り敢えず、本堂で「相模七福神めぐり」が完遂出来ますようにお参りをしました。


 七福神の福禄寿を撮ってから、寺務所に行って御朱印色紙(色紙500円、御朱印料300円)を貰いました。


 帰りがけに福禄寿のアップも撮ってみました。


 珍しいペット供養塚があったのでついでに撮ってみました。


 「増全寺」へは川沿いの駐車場から入ってしまったので帰りは参道をから出ました。
 次は「増全寺」から東の方向にある「妙元寺」に行きますが少し距離がありそうです。 

<諏訪神社>

 「増全寺」から暫く歩くと「諏訪神社」がありました。
 境内には、大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災で倒壊した柱の記念碑がありました。




 ここまで来るのに少し手間取ってしまったので再度、社殿で丁寧にお参りをしました。


 「諏訪神社」も裏から入ってしまったのでここも参道から出ることになりました。

<東興寺>

 県道46号線に出て南に行くと道路沿いにお寺があったので入ってみました。


 山門を越えると奥にご覧のような立派な本堂が見えました。


 本堂に向かう途中に洗心童子(お掃除小僧)がいたので撮ってみましたが、本物の竹箒を持っていました。


 本堂でお参りしてから県道407号線に出て「妙元寺」に向かいます。
 田んぼの中を突っ切って県道407号線に行っても良かったのですが、不安だったので広い道路に出て海老名高校、厚木ナイロンの前を通って行くことにしました。


 「東興寺」を後に広い道路に出て15分位歩くと厚木ナイロンバス停のある工場前に着きました。
 厚木ナイロンを越えてバス通り(県道407号線?)を右に曲がります。


 このバス通りからは右側に富士山が所どころに見えました(送電線が邪魔になってアップは上手く撮れていませんでした)。
 
<大谷観音堂(おおやかんのうどう)>

 バス通りを20分位歩くと道路脇に大谷立木観音が建っている「大谷観音堂」があって面白そうなので行ってみました。


 大谷立木観音は由来書によると、観音様は境内の榎の木の供養として約2年(H18年9月~H20年12月)かかって制作されたみたいです。


 境内に入ると右側に、「縁組み、出産、子育て」などに霊験あらたかな霊木の「相生の榧(あいおいのかや)」があったので撮ってみました。尚、樹齢は400年以上みたいです。


 正面には古びた荒れ果てたような観音堂がありました。 ⇒ 霊感スポット!?


 観音堂にはいろんな書き物が張られていました。中から人の気配がしたので少しビックリしました。


 観音堂の横に閻魔(えんま)堂があったので撮ってみました。


 「笑う閻魔様」の説明書きが張ってあったので閻魔様をアップで撮ってみました。
 上手く撮れていませんでしたが、口角が上がっているので笑っているようにも見えますが・・・


 又、「疣(いぼ)とり地蔵様」もいたのでついでに撮ってみました。


 大谷立木観音の後に、ご覧のような石のアート作品がありました。
 左の作品は下に、『あ・うん 井上玲子 2001年設置』とありましたが私には?でした。


 「大谷観音堂」を後にバス通りを更に進み、坂下バス停を越えて左に入ると「沖の坂」に出ました。
 昔、「沖の坂」はこの坂から海の沖が見えたのでこの名前が付けられたみたいです。

<妙元寺(みゅうげんじ)>

 「沖の坂」を上り切って道なりに暫く歩き2本目の道を左に曲がると「妙元寺」がありました。


 いろいろ寄り道をしてしまったので「増全寺」からは1時間程掛かってしまいました。
 取り敢えず「妙元寺」の山門と本堂を撮ってみました。


 立派な手水舎があったので撮ってみました。


 手水舎に『白水 満つる時 双鷺下り 緑槐高き処 一蝉吟ず』と彫られた板があったので撮ってみました。
 内容は『二羽の鷺(さぎ)が川に降りて来て、こずえで一匹の蝉が鳴いている』と風景を詠んでいるようですが、深い意味は判りません。




 手水舎の奥に七福神の大黒天がいたのでアップでも撮ってみました。




 大黒天を撮ってから本堂をバックに観世音菩薩像と日蓮上人像を撮ってみました。
 ここで2つ目の御朱印(300円)を貰いましたが、朱肉がタップリ付いていたので擦らないように注意深く歩かなければなりませんでした。
 「妙元寺」を後に次の「善教寺」に向かいますが、目標は先ずは東名高速道路の下に出ることです。
 

 「妙元寺」から20分位歩くと東名高速道路の下をくぐるトンネルがあったので取り敢えず行ってみました。
 トンネルをくぐると不動明王の祠(?)の隣に<善教寺>の案内が出ていました。
 ⇒ 偶然とは言え驚きました。不動明王が案内してくれたのかも知れませんね!?


 感謝の気持ちを込めて不動明王の祠を撮りました。

<善教寺(ぜんきょうじ)>

 不動明王の祠から道なりに暫く歩くと右側に「善教寺」がありました。




 取り敢えず本堂でここまで無事来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 本堂の階段の上に小さな布袋尊がいたのでアップで撮ってみました。


 御朱印(300円)は本堂の中で貰えましたが、本堂にはご覧のような二柱の布袋尊も祀ってありました。
 尚、本堂の中で御朱印を書いて貰えたのは「善教寺」だけでした。


 本堂の左奥にご覧のような東司があったので入ってみました。
 「善教寺」を廻ったので海老名市にある残りのお寺は「本覚寺」だけになりました。


 「善教寺」を後に県道407号線から県道43号線を横切って細い道を道なりに歩いて行けば市立有馬小・中学校の裏に「本覚寺」がある筈です。
 有馬小・中学校を越えたのですが「本覚寺」らしき建物がなく不安になりましたが、「自然と歴史のさんぽみち」に<→本覚寺>が出ていたのでここでも助かりました。
 尚、下に出ている「定国寺」は間違えたと思って行ったり来たりしてしまいました。

<本覚寺(ほんがくじ)>

 「本覚寺」のお墓を右に見ながら回り込むように道を進むと山門が見えました。
 尚、正面に見える建物は有馬小・中学校の校舎です。


 山門を通ると左側に本堂がありました。




 本堂でお参りしてから七福神の毘沙門天の御朱印を貰い行きますが、辺りに誰もいなかったので本堂の内部も撮ってみました。


 境内には二柱の毘沙門天の祀ってある社がありました。




 後ろの大きな毘沙門天はアップでは上手く撮れていませんでしたが、手間の小さな毘沙門天はご覧のように上手く撮れていました。

 これで海老名市にある4ヶ所の七福神は廻れたので、後は、JR相模線で社家駅から入谷駅まで行って座間市にある残りの3ヶ所の七福神を廻るだけになりました。
 お腹も空いてきたので途中で遅い昼食を食べること考えながら社家駅に向かいました。

<貴日土神社(きびつじんじゃ)>

 「本覚寺」を出てから北に向かって歩き市立有馬小学校の脇を通り過ぎると、右側に由緒ありそうな「貴日土神社」があったので行ってみました。


 取り敢えず鳥居と木々の生い茂った参道を撮ってみましたが、心霊スポットのような感じがしますね!?


 拝殿でお参りをしましたが、不気味な感じがしました。


 社頭掲示板の由緒書きを撮りましたが、後で見ると何故か二重に撮れていました。


 ここまで来る間に何ヶ所か富士山は見えたのですが、「貴日土神社」からの富士山が一番素晴らしかったのでアップで撮ってみました。

<貴日土神社からJR相模線社家(しゃけ)駅へ>

 「貴日土神社」からは川を渡り海老名市中河内に入り、「有馬小学校入口」の信号を右に曲がってバス通りを県道408号線まで歩きます。
 このバス通りにはイチゴ直売所が結構ありました。「有馬小学校入口」の信号から10分位歩くと、道路脇にご覧のような案山子が置いてありました。 ⇒ 「海老名かかし祭り」で使った物ですかね?

 県道408号線に着くとファミレスがあったのでここで遅い昼食を取ることにしました。

 「相模七福神めぐり(後篇)」に続く。
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藤沢七福神めぐり

2015年01月04日 | Weblog
 新年明けましておめでとう御座います。今年も宜しくお願いします。

 大晦日から飲みっぱなしなので3日(土)は運動不足の解消も兼ねて「藤沢七福神めぐり」をしました。
 「藤沢七福神めぐり」の地図も兼ねたスタンプの台紙は小田急線藤沢駅で手に入れましたが、スタンプラリーは1月7日(水)~1月31日(土)なのでスタンプは押せないかもしれません。

 「藤沢七福神めぐり」は、次のように藤沢駅周辺を巡ってから江ノ島に行くことにしました。
 感応院-諏訪神社-常光寺-白旗神社-養命寺-皇大神宮-本鵠沼駅-(小田急江ノ島線)-片瀬江ノ島駅-江島神社-龍口寺

<感応院(かんのういん)>

 藤沢駅北口から藤沢街道(国道467号線)に出て大和方面に向かって藤沢橋まで歩きます。
 藤沢橋を右折して県道30号線を少し歩くと右側奥に「感応院」の山門が見えました。


 山門をくぐると右側に由緒ありそうな鐘楼があったので撮ってみました。


 鐘楼の左奥に三嶋大明神の鳥居が見えたので行ってみました。


 三嶋大明神は源頼朝が建てたものとされ、お堂が回転するように造られていますが、階段の手前に鎖が掛かっていて入れませんでした。


 弘法大師像の左奥にある本堂に行ってみることにしました。


 山門をくぐった正面にあるのが本堂がと思って拝んでいると、左側にお賽銭箱が見えたのでこちらは本堂ではないようでした。 ⇒ もしかしたら玄関かも?


 本堂に行って改めてお参りを遣り直しましたが、玄関の唐破風の方が大きくて立派でしたよ!
 普通、本堂の横に玄関があるものですが、「感応院」は向拝が左端に寄っている珍しいお寺でした。
 

 「感応院」には七福神の寿老人が祀ってあるので裏庭まで行って探してみましたが見つけられませんでした。
 代わりに六地蔵を撮ってみました。石に六地蔵尊が描かれて(彫られて?)いましたが薄くなっていて上手く撮れませんでした。

<諏訪神社(すわじんじゃ)>

 「感応院」を後に県道30号線を更に5分程坂道を上ると「諏訪神社」はありました。


 急な階段の上に立派な鳥居があったので撮ってみました。


 「感応院」の初詣客は殆どいなかったのですが「諏訪神社」にはご覧のようにそれなりに初詣客はいました。


 取り敢えずお参りしてから別角度から拝殿を撮ってみました。


 拝殿の左に四神剣(しじんき)展示館があったので展示品を撮ってみました。
 説明書には、『右から神社旗、剣、東の青竜、南の朱雀、西の白虎、北の玄武』と書いてあったのですが、どれが四神剣なのか判りませんでした。


 展示館の中央に七福神の大国天が二柱(ふたはしら)祀ってあったのでアップで撮ってみました。


 境内に大黒天社があったのでここでもお参りをしました。


 大黒天は神様なので失礼とは思ったのですがアップで撮らせて頂きました。


 普通、大黒さまは右手に打出小槌を持っているのですが打出小槌が二つあったのでこちらも撮ってみましたが、大黒さまと打出小槌の大きさがアンバランスですね!
 次は再び、藤沢橋に戻って藤沢街道に出て常光寺に行くことにしました。

<諏訪神社から常光寺へ>

 来る時に撮らなかった藤沢橋を撮ってみました。




 藤沢街道には所どころにご覧のような版画絵が描かれていて藤沢宿の名残を感じさせます。


 歌川芳虎の「東海道名所会図」の背後に昔の蔵のような建物があったのでこちらも撮ってみました。
 ⇒ 何屋さんか判りませんが今でも営業しているような感じがしますね!?

<常光寺(じょうこうじ)>

 「諏訪神社」から藤沢街道を15分位歩くと消防署の裏に「常光寺」はありました。


 山門をくぐると右側ご覧のようなブタの石ベンチがあったので撮ってみました。


 お尻を突き上げているブタより石を持ち上げている方がしんどそうな顔をしていたのでアップで撮ってみました。


 ご覧のように本堂は工事中で 人っ子一人いませんでした。


 本堂の手前右側に小さな七福神の福禄寿がいたのでアップで撮ってみました。


 境内の奥にお坊さんのお墓があったので撮ってみました。こんなに沢山のお坊さんのお墓があるのを見たのは初めてです。


 境内に彫刻家イサム・ノグチによって建てられた、父、野口米次郎辞世碑があったので撮ってみました。
 碑には、『鐘が鳴る かねがなる これを即ち警鐘と言うです これが鳴ると皆ねます さぁみんな眠りましょう』と彫られていました。
 辞世碑でなければつまらない詩ですね! ⇒ これは大喝!になりますかね?


 藤沢市指定天然記念物に指定されている樹高25m、胸高周囲5m、樹齢350年のカヤの木があったので撮ってみました。


 又、境内には塔身に笠石をのせた由緒ありそうな庚申供養塔があったので撮ってみました。
 右が万治2年(1659)、左が寛文9年(1669)に造られた庚申供養塔です。

 「常光寺」を後に再び藤沢街道に戻り、更に進んで「白旗神社」に向かいました。

<白旗神社(しらはたじんじゃ)>

 「常光寺」から10分位歩くと「白旗神社」の立派な鳥居が見えて来ましたが、鳥居の下まで初詣客が並んでいました。どうやら「茅の輪」をくぐる為に並んでいるようでした。


 「茅の輪くぐり」は諦めて社殿に向かいましたが、ここも階段の下まで初詣客が並んでいました(アチャ!)。


 列の脇を通って社殿に向かいましたが、社殿手前の階段もご覧のように初詣客が並んでいました。
 仕方がないので遠くからお参りして脇の階段から下に降りました。


 下に降りるとご覧のような拝殿(?)があって初詣客もいなかったのでここで改めてお参りをしました。


 境内に七福神の毘沙門天を探したのですが見つからなかったの諦めました。
 帰り掛けに狛犬がいた階段の左側に藤沢市重要文化財に指定されている寛文5年庚申供養塔が並んでいたので撮って「白旗神社」を後にしました。

 次は「養命寺」に向かうことにしました。
 今度は藤沢街道を少し戻り、白旗交差点を右折して県道43号線に入り引地川に架かる引地橋を目指します。

<養命寺(ようめいじ)>

 県道43号線に入ってから20分位歩くと引地橋に着きました。
 大和の「ふれいあいの森」や「千本桜」を流れいた時の引地川の川幅はえらく狭かったのですが、ここまで来るとご覧のような川幅になっていたので橋の上から撮ってみました。


 引地橋を渡って暫く歩くと右側に「養命寺」の細い階段がありました。




 境内には「常光寺」と同じように人っ子一人いないお寺でしたが別角度から撮ってみました。
 又、七福神の布袋様も探したのですが見つけられませんでした。
 境内にベンチがあったので小休止してから次の「皇大神宮」に向かうことにしました。
 
<養命寺から皇大神宮へ>

 再び引地橋まで戻り、今度は引地川沿いを下流方面に向かって引地川に架かる上村橋(かむらばし)まで歩きます。
 この道はご覧のように車道と歩道が完全に分離されていて大変歩き易い道でした。


 途中、「藤沢・大和 自転車道案内図」がありましたが、どういう訳か現在地は載っていませんでした。
 案内図に載っている上の川が引地川で下が境川で、いずれも相模湾に流れ込んでいます。


 「養命寺」から引地川沿いを15分位歩くと上村橋に着きました。 


 上村橋の欄干にお祭(?)を描いたオブジェがあって珍しかったので撮ってみました。
 上村橋を渡ってバス通りを道なりに進めば右側に「皇大神宮」がある筈です。

<皇大神宮(こうだいじんぐう)>

 上村橋からバス通りを道なりに10分位歩くと右側に「皇大神宮」の境内の外枠が見えました。
 境内は木々がうっそうとして参道や社殿などは見えませんでした。
 結局、外枠を回り込むように更に5分位歩く三の鳥居のある参道に出ました。


 ここも、ご覧のように初詣客が並んでいて列に加わって参拝するのは時間がかかりそうなので諦めました。


 仕方なく遠くからお参りすることにしました。


 折角なので別角度から社殿を撮ってみました。 


 境内で七福神の恵比寿様を探したのですが見つけられませんでした。
 代わりに、境内社の「恵比須ノ宮」があったので撮ってみましたが、恵比寿様とは直接関係ないみたいで、これは喝になりますね!?


 参道の途中から「皇大神宮」に入ってしまったので帰りがけに一の鳥居から参道を撮ってみました。

 これで藤沢駅周辺の七福神を巡ったので後は江ノ島に行って残り二ヶ所(江島神社、龍口寺)を巡るだけになりました。
 ここからは小田急線の本鵠沼駅に出て江ノ島線に乗って片瀬江ノ島駅に向かいます。
 本鵠沼駅へ行く道は、東海道線を越えて県道30号線を横って細い道を行くしかありません。
 案内も無く少し不安だったのですが道に迷うこともなく本鵠沼駅に着けました。

<江ノ島>

 片瀬江ノ島駅には15時少し前に着きました。
 残りの江島神社と龍口寺は何回も来ているので余裕も出てきました。
 昼食も食べていなかったので弁天橋の近くの食事処で腹ごしらえをしてから出発することにしました。 


 食事処で日本酒を飲んでしまいお店を出たのは16時を大分過ぎていました。
 江ノ島弁天橋からの景色はご覧のような夕焼け空になっていました。


 今日は富士山も撮っていなかったのでアップで撮ってみました。


 江ノ島弁天橋の外れに来ると日が沈むのが見えたので撮ってみました。
 ⇒ めったに見られない光景なので感動してしまいました。


 写真を撮っている余裕はなかったのですが、ここでも富士山をアップで撮ってしまいました。

<江島神社>

 取り敢えず江ノ島の「青銅の鳥居」を撮ってみましたが、参道はご覧のような人でごった返していました。


 人を掻き分けて「江島神社」の階段下に着きました。朱色の鳥居と提灯の灯りが良いですね!


 朱色の鳥居をくぐって階段を上ると竜宮城のような瑞心門(ずいしんもん)があります。


 瑞心門をくぐるとここもご覧のような初詣客が並んでいました(アチャ!)。
 下り階段から上に行ってみましたが、手水舎にも人が並んでいるのか(?)これ以上は上れず参拝は諦めました。
 当然、七福神の弁財天は探せませんでした。


 帰りがけに瑞心門から朱色の鳥居を撮ってみましたが、この時間(16時45分)になっても上って来る人はいました。


 写真を撮っている場合ではなかったのですが、カップルが並んで夕暮れの富士山を眺めていたので私も眺めてしまいました。
 江ノ島を後に再び江ノ島弁天橋を渡って「龍口寺」に向かいました。
 
<龍口寺(りゅうこうじ)>

 「龍口寺」の仁王門に着きましたが、ここは初詣客はいませんでした。




 仁王門の左右に建っていた仁王様を撮ってみました。


 仁王門の先にある山門も撮ってみましたが暗くて上手く撮れていませんでした。




 本堂でここまで無事に来れたお礼も兼ねてお参りをしました。
 又、この暗がりで七福神の毘沙門天は探せませんでした。


 本堂の右手に鐘楼堂があったのを思い出したので行ってみました。
 ライトアップされていたので「藤沢七福神めぐり」の打上げを兼ねて思い切り鐘を突いてしまいました。
 側らの注意書きに、『お題目(南無妙法蓮華経)をお唱えして あまり力をいれず 一回お突き下さい』と書いてありました(すいません)。 ⇒ これは大喝ですね!

 これで「藤沢七福神めぐり」は無事終了しました。
 「龍口寺」から藤沢駅に戻るのは、江ノ電(江ノ島駅)で行くのが早そうだったのですが、江ノ電が混んでいたので小田急線(片瀬江ノ島駅)で帰ることにしました。

 藤沢駅で駅の近くにある馴染みの居酒屋で一杯遣って帰りました。
 新年早々、「藤沢七福神めぐり」が出来た(中途半端ですが・・・)ので今年は何か良いことがありそうな予感がしますが、何事も中途半端にならないように気を付けたいと思います。
 尚、万歩計は23,000歩を越えていたので運動不足の解消にもなりました。
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