飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

相模線沿いを散策(相武台下駅~原当麻駅)

2017年12月24日 | Weblog
 12月23日(土)は、神奈中バスの情報誌「くるーず」(No.64)を参考に、歴史遺産や相模川の絶景を見ながら相模線沿い(相武台下駅~原当麻駅)を歩いてみました。

 今回の散策コースは次のようにしました。
 相武台下駅-(15分)-常福寺-(30分)-史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅-(20分)-三段の滝展望広場-(10分)-八景の棚-(15分)-瓢禄玉-(5分)-浅間神社-(10分)-原当麻駅

<相武台下駅>

 相模線の相武台下駅は、これまで「ひまわりまつり」や「相模の大凧まつり」等で何回も乗り降りしていますが取り敢えず撮ってみました。
 
<常福寺に向かう>

 情報誌「くるーず」には、常福寺は載っていませんが、途中にあるので行ってみることにしました。
 常福寺へは、相模線の東側にある竹林沿いの道から行ってみました。


 相武台下駅から10分程歩くと、第1下磯部ガードがあるので「相模の大凧センター」に行ってみました。


 大凧センターの前には宝くじ売り場がありましたが、こんな場所で売れるのですかね!?

<常福寺(じょうふくじ)>

 ガードから元の道に戻って少し歩くと、常福寺の石柱のある裏門(?)に着きました。
 常福寺は、2015年4月の「相模川散策(さくら編)」で来ています。


 階段の上には、前に来た時にはなかった立派な門が建っていました。


 又、六地蔵も新しい門の手前に移動していました。


 かながわの名木100選の「しばの木」もあったので撮ってみました。
 

 永代供養墓は、前に来た時もありましたが撮ってみました。


 永代供養墓の隣りには、三界万霊碑と戦没者供養塔がありました。




 参道の先に、素晴らしい紅葉があったのでアップで撮ってみました。


 右側に、天満宮があったのでお地蔵さんと一緒に撮ってみました。


 素晴らしい紅葉と一緒に山門を撮って境内に入ります。


 取り敢えず、常福寺ライブが開かれる本堂を撮ってみました。


 本堂でお参りしてから、本堂内部を撮ってみました。


 本堂の前には、ご覧のような見事な砂紋がありました。




 又、境内の右側にはご覧のような苔生した庭もありました。


 苔生した庭から本堂を撮って、本堂の正面にある石柱門(正式な入口?)に行ってみました。


 取り敢えず、石柱門を撮って常福寺を後にしました。

 常福寺からは、神奈中バスが走る県道46号線に出て、下溝駅方面に向かいました。

<県道46号線>

 県道に出て20分程歩くと、鳥居の脇に「八王子道」の標石がありました。
 横には<八王子方面、座間方面>と書いてありました。


 鳥居の奥に碑があったので、中に入ってみました。


 「表忠碑」と刻まれている碑が2基あったので撮ってみました。
 表忠碑には、日清・日露戦争の戦没者を祀っているようなことが書いてありました。


 県道を更に10分程歩くと、新磯小学校入口の交差点の近くに道祖神(?)がありました。


 又、交差点に<史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅>の案内が出ていました。

<史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅に向かう>

 案内に従って、鳩川に架かる七橋を渡って、先の方に行ってみることにしました。


 七橋を渡ると、民家の入口の塀にご覧のようなキウイが成っていました。


 鈴なりのキウイを見るのは初めてなので、失礼してアップで撮らせて頂きました。


 坂道の途中に、ご覧のような案内板が出ていました。
 取り敢えず、旧中村家住宅に行って、後で勝坂遺跡(D区)に行くことにしました。


 案内板の後ろに、ご覧のような「ねこ坂」の標石が建っていました。
 標石の横には『昔、この坂で猫が踊っていたので、ねこ坂といわれています。』と書いてありました。


 「ねこ坂」は、ご覧のようなかなりの急坂になっていました。

<旧中村家住宅>

 「ねこ坂」を上って左手に行くと、ご覧のような旧中村家住宅の長屋門がありました。


 主屋と同時期の慶応年間(1865~1868)に建てられた長屋門を撮ってみました。


 旧中村家住宅の主屋は、幕末期の擬洋風建築です。
 建築当時は3階建てでしたが、関東大震災で3階部分は取り除かれ現在は2階建てになっています。


 素晴らしい主屋なのでアップでも撮ってみました。


 庭の右側に、「国登録有形文化財中村家住宅主屋と長屋門」の案内が出ていたので撮ってみました。
 ⇒ 確かに、主屋の写真は3階建てになっていました。




 主屋の1階の内部を撮ってみました。確かにガラス障子のガラスは波打っていました。


 当時の家具が置いてありましたが、左側は菊の御紋のある長持(3段+2段)です。


 絵が描けそうな見事な天井を撮って主屋を後にしました。


 主屋の後に、お稲荷さんがあるので行ってみると、ご覧のような大きな祠がありました(立入禁止)。

 旧中村家住宅を後に、来た道を戻って勝坂遺跡(D区)に向いました。

<勝坂遺跡(D区)>

 先程の案内板からも、ご覧のようなかなり急な坂道を上ります。


 坂道の上に着くと、ご覧のような勝坂遺跡公園の入口がありました。


 近くにあった案内マップで現在地を確認すると、管理棟から一番遠い竪穴住居の近くにいました(管理棟まで行かなくて得した感じです)。


 右側の山道を登ると、ご覧のような復元された竪穴住居がありました。


 縄文時代中期後葉(約4700年前)の竪穴住居(3号住居)を撮って、中に入ってみました。


 3号住居の内部はご覧のようになっていて、石囲いの炉もありました(下に降りることも出来ます)。


 続いて、同時代の竪穴住居(1号住居)に行ってみました。


 1号住居の説明案内板に依ると、構築順序は2号→1号→3号の順で、いずれも古い住居が埋まった後に造られているようです。




 取り敢えず、1号住居の内部も撮ってみました。


 管理棟の方に向かって歩いていると、廃絶住居の窪地がありました。
 説明案内板に依ると、窪地は縄文人がゴミ捨て場として利用していたみたいです。


 縄文時代中期末葉(約4500年前)の敷石住居(30号住居)の跡がありました。


 管理棟の手前に遣って来ると、ご覧のような大木があったので撮ってみました(名前は分かりません)。
 尚、右の奥に見えるのが管理棟です。


 管理棟にはトイレはありますが、他に見るべきものはありませんでした。
 勝坂遺跡公園の入口を撮って、勝坂遺跡(D区)を後にしました。

<県道46号線>

 公園から広い道路に出て道なりに5分程歩くと、相模線の踏切のある県道46号線に出ました。


 県道を歩いていると、相模川に架かる5連続アーチの相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。


 県道を歩いて下溝踏切の近くに遣って来ると、ご覧のような形をした送電塔がありました。
 相模線の上にある送電線なのでご覧のよう形をしているのですかね!?


 ご覧のような下溝踏切を渡りますが、トラックが多く歩道が狭いので渡るタイミングが難しいです。


 踏切を渡って暫く進むと、「三段の滝展望広場」のある新磯橋入口の交差点に着きました。

<三段の滝展望広場>

 横断歩道を渡ると、『三段の滝展望広場』の名前が出ている入口ゲートがありました。
 

 ご覧のような急な階段を下りて、「三段の滝」を探すことにしました。


 階段の途中から、眼下に広がる相模川の景観を撮ってみました。


 ここからも相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。
 尚、手前に見える橋は昭和橋ですかね!?


 左側には、ご覧のような橋がありましたが「三段の滝」が何処にあるのか分かりません。


 芝生広場に着いたので、下りて来た階段の方を撮ってみました。


 近くにあった相模川散策総合案内板(現在地は左端)で「三段の滝」を確認しました。
 「三段の滝芝生広場」や「三段の滝下広場」はありましたが、「三段の滝」は確認できませんでした。

 仕方がないので、階段から見えた橋を渡ってみることにしました。


 途中、ご覧のような相模川八景のモニュメントがあったので撮ってみました。


 これから渡る橋を撮ってみましたが、名前は「新三段の滝橋」となっていました。
 尚、下に流れているのは鳩川分水路です。


 橋を渡っていると、ご覧のような人工の滝がありました。
 どうやら、分水路の放流の勢いを緩衝するために段差(三段)が造られていることから「三段の滝」と呼ばれているみたいでした。
 尚、「二段の滝」のようですが、この橋の下にもう一段あるみたいなので後で確認してみます。


 「新三段の滝橋」を渡ると、今度は「三段の滝橋」がありました。


 「三段の滝橋」からは、辛うじて「三段の滝」が見えました。




 折角なので、アップで撮ってみました。


 「三段の滝橋」を渡って「新三段の滝橋」の下にあったもう一段を確認して「三段の滝芝生広場」に戻りました。

 「三段の滝展望広場」からは、再び県道46号線に戻って、次の「八景の棚」に向かいました。


 急な階段を上って、新磯橋入口の交差点に戻ると「相模の大凧」の看板があったので撮ってみました。

<八景の棚>

 県道46号線を10分程歩くと、ご覧のような展望台のある「八景の棚」に着きました。


 取り敢えず、丹沢山系を撮ってみました。


 ここからも相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。


 左手に、昭和橋と新昭和橋が見えたのでこちらも撮ってみました。


 大山(?)が見えたのでアップで撮ってみました。


 展望台の近くに、「浄水の碑」があったので撮ってみました。


 展望台から少し歩くと、ご覧のような「はけ通り」の標石がありました。
 名前「はけ」の由来は分かりませんが、横には<南 座間方面、北 八王子方面>と書いてありました。


 又、近くに「景勝 八景の棚」の看板も出ていました。

<さいかちの碑>

 「八景の棚」を後に少し歩くと、ご覧のような「さいかちの碑」と「さいかちの木」がありました。


 「さいかちの碑」には、『「さいかちの木」は、武田信玄が小田原進攻の戦勝を祝い植えたもので、次の戦も再び勝てるようにとの願いが込められている。』と刻まれていました。


 取り敢えず、朽ちかけた「さいかちの木」を撮ってみました。

 「さいかちの碑」を後に、県道を10分程歩くと瓢禄玉の案内が出ていました。
 案内に従って坂道を下ると、途中に浅間神社がありましたが瓢禄玉の帰りに行くことにしました。

<瓢禄玉(ひょうろくだま)>

 案内に従って坂道を更に下ると、ご覧のような瓢禄玉に着きました。
 瓢禄玉は、川魚料理の専門店ですが、営業時間が15時迄なのでそれ以前に入る必要がありました(当然、今回の目的の一つです)。


 店内はお座敷のみで、窓の外は丹沢の山並みと田園風景が広がっていました。
 先客はいましたが、ご覧のように空いていたので助かりました。


 取り敢えず、日本酒と看板料理の「ますの唐揚げ」と「わかさぎの天ぷら」を頼んでみました。
 一段落したところで、土・日曜日限定の紅富士丼とこれも看板料理の「鯉のあらい」を頼んでみました。

 美味しい川魚料理が食べれたので、昼食を食べないできた甲斐がありました。


 もう一度、店内を撮ってお店を出ることにしました。
 結果的に、14時頃に入って15時過ぎまでいたことになります。


 お店の外に出ると、ご覧のような池があったので撮ってみました。




 又、ご覧のような川魚の養殖池(?)があったので撮ってみました。


 夕焼けが迫っている大山(?)が見えたのでアップで撮ってみました。

<浅間神社(せんげんじんじゃ)>

 瓢禄玉を後に、来た道を戻ると、浅間神社に行けそうな石段があったので上ってみました。


 石段の上に着くと、浅間神社の鳥居がありました。


 鳥居の左側に、ご覧のような舞台(?)があったので撮ってみました。


 鳥居に先に、手水鉢のようなものがあったので撮ってみましたが・・・


社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから扁額を撮ってみましたが、ビニールで覆われている紙垂がありました。


 社殿の右側に境内社の秋葉神社(?)があったので撮ってみました。


 浅間神社を後に、原当麻駅に向かいました。
 途中に、ご覧のような石像があったので撮ってみました。
 
 原当麻駅からは相模線で海老名駅まで行って、相鉄線に乗り換えて帰りました。

 今回の「相模線沿いを散策(相武台下駅~原当麻駅)」は、歴史遺産や相模川の絶景が見れて、瓢禄玉で美味しい川魚が食べられたので満足しています。
 又、万歩計が19,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
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相模川沿いの寺院巡りと黄金井酒造(厚木・七沢)の酒蔵見学

2017年12月17日 | Weblog
 12月16日(土)は、「まなたび日本酒会」の厚木市七沢にある黄金井酒造の酒蔵見学があったので参加してみました。
 「まなたび日本酒会」のスケジュールは次の通りですが、13時まで時間があったので、相模川沿いの寺院を回ってから本厚木駅に行ってみました。
 13:00 本厚木駅出発-(送迎バス)-黄金井酒造で酒蔵見学・試飲→レストラン(セルバジーナ)でお酒・お食事-(送迎バス)-本厚木駅解散(17:00頃)

<県道>

 本厚木駅の一つ前の厚木駅で降りて、歩いて20分位のところにある有賀神社に行ってみました。


 厚木駅前の県道を北上しますが、この県道には3路線の案内標識が出ていました。

<総持院(そうじいん)>

 厚木駅から15分程歩くと、見覚えのある総持院がありました。
 総持院は、昨年11月の「本厚木駅~海老名駅をぶらり」で来ていましたが、別のルートだと総持院に着くまで分かりませんでした。
 又、この辺りの寺院はその時に回っていますが、ここまで来て戻る訳にはいきませんよね!


 取り敢えず、立派な山門を撮って境内に入ってみました。


 境内には、六地蔵と東大寺型八角大灯籠がありました。


 手前にあった六地蔵をアップで撮ってみました。


 本堂を撮っていると、手前にピンク色の花が咲いている十月桜がありました。


 折角なので、十月桜をアップで撮ってみました。


 八角大灯籠と一緒に本堂を撮ってみました。


 八角大灯籠に、笛を吹いている天女(?)がいたのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。


 お参りしてから向拝を撮ってみました。


 昨年、来た時も境内はご覧のようになっていましたが、新年を迎える準備ですかね!?




 境内に水子地蔵菩薩が祀られていますが、柔和なお顔の菩薩さまだったのでアップで撮ってみました。
 
<有賀神社(あるかじんじゃ)>

 総持院を後に、有賀神社(本宮)に行ってみました。
 尚、有賀神社は、本宮、奥宮、中宮からなる相模国最古級の神社みたいです。


 取り敢えず、鳥居越しに拝殿を撮ってみました。


 立派な手水舎で身を清めて拝殿に向かいました。


 手水舎の向かい側に、鐘楼があったので撮ってみました。


 参心殿に、ご覧のようなパンダ宮司が立っていましたが、昨年はパンダ宮司はいませんでした。


 写真のパンダ宮司を正面から撮ってみました。


 折角なので、愛くるしいパンダ宮司をアップで撮ってみました。




 ご覧のような狛犬を撮って拝殿に向かいました。


 拝殿で、酒蔵見学で美味しいお酒が飲めますようにお参りしました。


 お参りしてから、有賀大明神と書かれている扁額を撮ってみました。


 拝殿に貼ってあった初天神の案内には、パンダ巫女連が写っている写真がありました。


 社殿の裏に行ってみると、昔の手水舎と石碑があったので撮ってみました。


 境内にあった有賀天神社を撮って、有賀神社を後にしました。

 有賀神社からは、総持院の横から圏央道の下の道に出て本厚木駅に向かうことにしました。

<海老名氏霊堂>



 圏央道の下の道に出る手前に、鎌倉時代の名武将の海老名氏の霊堂があったので行ってみました。


 今回も堂内の宝篋印塔を撮ってみました。

<神武神社>

 圏央道の下の道に戻って歩いていると、児童公園にご覧のような神社がありました。




 社殿に、御神体の神武天皇碑があったので撮ってみました。

 神武神社の近くに、海老名市立の歴史資料収蔵館があるので行ってみることにしました。

<歴史資料収蔵館>

 歴史資料収蔵館に着いたので、ご覧のような入口から館内に入ってみました。


 1階の閲覧コーナーには、市の歴史、文化等に関する資料が収蔵されていましたが、土器や装飾品等の展示物はありませんでした。
 ガッカリした様子が分かったのか、係の人が江戸時代に書かれたこの地域の地図を持って来て説明してくれました(有難う御座いました)。

 歴史資料収蔵館を後に、圏央道の下の道に戻りました。
 圏央道の下の道を歩いていると、相模川沿いの散策路(?)に出れる道路があったので行ってみました。

<相模川沿いの土手>

 ここからは、ご覧のような相模川沿いの土手を歩いて、先の方に見える「あゆみ橋」を目指します。


 土手から、丹沢山系が見えたのでアップで撮ってみました。
 

 「あゆみ橋」の近くに遣って来ると、橋の影がご覧のように見えたので撮ってみました。

<あゆみ橋>

 「あゆみ橋」は、隣りの相模大橋(1955年6月開通)の上流にある海老名市と厚木市を結ぶ橋で1996年2月に開通しています。




 この橋は、ご覧のような2車線ですが、歩行者道は片方しかありません。




 橋の上から大山(?)が見えたのでアップで撮ってみました。


 「あゆみ橋」の中程に遣って来たので、相模川の上流を撮ってみました。
 尚、相模川にいる白い鳥は白鷺ですかね!?


 取り敢えず、白鷺をアップで撮ってみました。


 ついでに、マガモも撮ってみました。


 「あゆみ橋」の端まで遣って来たので、相模川の上流を撮って、厚木神社に向いました。

<厚木神社>

 厚木神社に着いたので鳥居を撮ってみました。


 取り敢えず、ご覧のような手水舎で身を清めました。


 手水舎の右奥には厚木稲荷神社があります。


 厚木稲荷神社の右側に、ご覧のような水神宮があったので撮ってみました。
 

 拝殿で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから拝殿の扁額を撮って厚木神社を後にしました。
 厚木神社からは、近道をして本厚木駅に向かうことにしました。

<大鷹神社(おおわしじんじゃ)>

 県道601号線の1本先の細い道を歩いていると、お賽銭箱も置いていない小さな神社がありました。
 

 大鷹神社は、鳥居に<大鷹神社>の扁額がなければ分かりませんでした。


 帰りがけに、ご覧のような木(杉?)があったので撮って大鷹神社を後にしました。

 本厚木駅近くの食事処で軽い昼食を取って、集合場所(本厚木駅南口改札口)に向かいました。 
 南口改札口に着くと、旗の周りに人が集まっていたので問題なく「まなたび日本酒会」に合流できました。
 本厚木駅から送迎バスに乗ると、30分程で黄金井酒造に着きました。

<黄金井酒造>

 杉玉が吊るされているご覧のような中庭で、黄金井社長から杉玉や酒蔵見学の説明がありました。
 

 杉玉は、スギの葉(穂先)を集めてボール状にした造形物で、新酒が出来たことを知らせる役割があります。
 又、吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色に変化するので新酒の熟成具合も分かるみたいです。


 ご覧のような年季の入った漆喰の壁のある酒造庫から見学しました。
 又、酒蔵見学は社長自らが案内してくれるみたいです。


 年季の入った漆喰の壁を横から撮ってみました。




 酒造庫には、ご覧のような貯蔵タンクが置かれていました。
 今は、こちらのタンクでは酒は造っておらず、貯蔵庫になっているみたいです。


 別のスペースにはご覧のような4斗樽が置いてありました。


 貯蔵タンクの近くには、醪(もろみ)をしぼる圧搾機も置いてありました。




 酒造庫の次は、お酒を瓶に詰めるベルトコンベアーのある工場に案内されました。
 ここでは、瓶にお酒を詰め、栓をして、加熱処理、ラベル貼りまでを行っています。




 次は、別の棟に行って、実際に使われている仕込タンクをガラス越しに見学してから、お酒の出来るまでの工程の説明がありました。


 お酒の造り方は、昔の造り方(写真参照)と基本的には同じで、精米、洗米、蒸飯、製麹、酒母、仕込、上槽(しぼり)、粕むき、貯蔵の順で造られているみたいです。
 又、日本酒の種類で、酒造好適米を50%以下に精白したお酒が大吟醸酒、60%以下に精白したお酒を吟醸酒と呼んでいます。尚、原料米を70%以下に精白したお酒は本醸造酒です。
 そして、黄金井社長は、お酒造りで大事なことは、米、水(東丹沢の軟水)、人(杜氏)だと言っていました。


 酒蔵見学(約1時間)の後は、お楽しみの試飲タイム(約30分)になりました。
 いろんな種類のお酒(盛升)が試飲が出来たのですが、最後はお酒の違いが分からなくなっていました。


 試飲の後に、黄金井酒造の奥を撮って、レストラン(セルバジーナ)に向かいました。

 レストランでは、お酒(さがみビール、盛升)を飲みながらの食事になりましたが、写真を撮るのを忘れていました。

 今回の「相模川沿いの寺院巡りと黄金井酒造(厚木・七沢)の酒蔵見学」は、寺院を散策した後の酒蔵見学だったので、いつも以上にお酒が進んだ感じがしました。
 尚、万歩計は15,000歩近くになっていたので、それなりに歩いたのですね!
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上野原ハイキング(旧甲州街道編)

2017年12月11日 | Weblog
 「上野原ハイキング(桂川の水辺編)」から続く。

<上野原市役所に向かう>

 八幡神社を後に東の方に10分程歩くと、先の方に八ツ沢橋のある坂道に着きました。


 右側に、ご覧のように補修されている崖があったので撮ってみました。


 後方に中央自動車道が見えたので撮ってみました。


 又、前方の八ツ沢橋を撮ってみましたが、下に流れているのは桂川です。


 取り敢えず、これから渡る八ツ沢橋を撮ってみました。


 八ツ沢橋を渡ると左側に、魚類供養塔があったので撮ってみました。


 山口延勝翁の背中しか見えなかったので、前に回って撮ってみました。




 右側に桂川フライルアー釣り場を見ながら、ご覧のような坂道を上ります。
 尚、上に通っている道路は甲州街道です。


 交通量の多い甲州街道は避けて、畑道を歩きながら中央自動車をくぐる道を探すことにしました。
 畑道の脇に、ご覧のような石塔群があったので撮ってみました。




 新田倉公民館横の坂道を上ると、中央自動車道をくぐれそうな道があったので行ってみました。


 滅多に見ることのない中央自動車道の橋の下を撮ってみました。


 ご覧のような急坂を上って中央自動車道の下をくぐります。


 真下から中央自動車道を撮ってみました。


 八幡神社から30分程で、甲州街道の新田倉の信号に着きました。


 信号を渡ってガソリンスタンドの前の道を登ると、ご覧のような山道に出ました。


 見晴らしの良い場所に着いたので、向かい側の山並みを撮ってみました。




 折角なのでアップで撮ってみましたが、山頂に木のある山は要害山ですかね!?


 ついでに、中央自動車道もアップで撮ってみました。


 山道に、ご覧のような二十三夜塔があったので撮ってみました。


 山道から広い道路に出て暫く歩くと、住宅街にご覧のようなたこ焼き屋がありました。
 こんな場所の住宅街に、たこ焼き屋があるのは珍しいですね!?

<上野原市役所>

 八幡神社から50分程で、甲州街道沿いにある上野原市役所に着きました。


 庁舎棟の前に、ご覧のような「語らいのハーモニー」があったので撮ってみました。


 文化ホール棟の4階にある展望室に行ってみました。




 ぼんやりとしていますが、富士山が見えたのでアップで撮ってみました。




 又、先日の「能岳・八重山ハイキング(八重山編)」で登った秋葉山も見えたので撮ってみました。


 市役所の庁舎棟を撮って、甲州街道に戻って八王子方面に向かいます。

 甲州街道を20分程歩くと、旧甲州街道(県道520合繊)との分岐になっている新町のY字路に着きました。
 Y字路を右に進むみますが、旧甲州街道は交通量が多くないので車を気にすることなく歩けます。

<旧甲州街道>

 旧甲州街道に入って5分程歩くと、ご覧のような実が生っている柿の木がありました。




 近くに行ってアップで撮ってみましたが、採られていない所をみると渋柿ですかね!?


 旧甲州街道を更に進むと、塚場一里塚の案内板の奥には神社がありました。


 鳥居の扁額は疱瘡神社となっていましたが、珍しい名前の神社ですね!


 疱瘡神社には、疱瘡(天然痘)の神様が祀られているみたいです。


 取り敢えず、お参りしてから神社を撮ってみました。
 

 ついでに、失礼して神社の内部も撮らせていただきました。


 塚場一里塚の先に行くと、中央自動車道を超えるご覧のような橋がありました。


 中央自動車道を超えると、道路脇に旧甲州街道の碑があったので撮ってみました。 

<諏訪神社>

 旧甲州街道の坂道を下っていると、左側にご覧のような大きな杉の木がありました。


 更に坂道を下ると、赤い鳥居のある諏訪神社に着きました。


 鳥居をくぐって拝殿を撮ってみましたが、拝殿の前にも大きな杉の木がありました。


 拝殿を撮って、道に迷わでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから扁額を撮ってみましたが、諏訪神社ではなく古郡神社になっていました。
 由来板によると、古郡神社は信州諏訪大社の御霊を分霊して祀ってあるようです。


 境内の裏山を撮って、諏訪神社を後にしました。

<船守寺(ふなもりてら)> 

 諏訪神社の隣には、ご覧のような船守寺がありました。


 由緒ありそうな山門を撮って小さな境内に入りました。


 境内の奥は墓地になっていて、左側にはご覧のような本堂(?)がありました。


 本堂でお参りしてから、境内の日蓮聖人7百遠忌記念碑(左)と弥三郎殿之分骨碑(右)を撮ってみました。


 山門にあった屋号(上原山)を撮って、船守寺を後にしました。

<慈眼寺(じげんじ)>

 船守寺を後に、旧甲州街道を暫く進むと左側に慈眼寺がありました。


 境内には手水舎と鐘楼がありましたが、鐘楼には何故か鐘がありませんでした。


 本殿で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 本殿の手前左側に、愚痴聞地蔵の案内が出ていたので行ってみました。




 ご覧のような柔和なお顔をした耳の大きいお地蔵様がいました。

 慈眼寺を後に、旧甲州街道に戻って桂川沿いにある紅梅神社に向かいました。


 住宅街を歩いていると、緋紅色の素晴らしいピラカンサスがあったので撮ってみました。

<紅梅神社(こうばいじんじゃ)>

 旧甲州街道を歩きながら、右側の畑の中にある桂川に行けそうな坂道を探します。
 どうやら行き過ぎてしまったようで、案内板<紅梅神社入口>を見つけるまで時間がかかってしまいました。


 案内板に従って草が生い茂っている沼地(?)の脇の道を進みます。


 沼地を抜けると、ご覧のような鳥居がありました。尚、桂川は右側の下に流れています。


 鳥居をくぐって神社を撮ってみましたが、紅梅神社は桂川に向かって建っていました。


 正面に回って、向拝を撮ってみました。


 お参りしてから拝殿の奥を撮ってみました。


 注連縄の張ってある石(自然石?)があったので撮ってみましたが御神体ですかね!?


 拝殿の裏に横から行けた(無用心ですね!)ので、小さな社と御神体を撮ってみました。


 ご覧のような大きな杉の木ある境内を撮って、案内板<紅梅神社入口>まで戻ります。


 最後の神明社に向かって坂道を下っていると、ご覧のような紅葉があったので撮ってみました。

<下新田神明社(しもあらたしんめいしゃ)>

 坂道を暫く下ると、右側のご覧の急な石段の上に神明社がありました。


 この石段はかなり急な石段だったので、鳥居を撮りながら一休みしました。
 尚、鳥居の扁額は御祭神の天照大神になっていました。


 本殿の下に着いたので、ここから本殿を撮ってみました(本殿の前は狭いので全体は撮れそうにありません)。


 お参りしてから、本殿の内部を撮ってみました。
 神明社の急な石段を注意深く下りて、桂川沿いの散策路に向かいました。

<桂川沿いの散策路>

 桂川が見渡せる場所に遣って来ると、与謝野晶子の歌『わが立つ瀬かの白き水石原も萩咲く道もみな桂川』があったので撮ってみました。


 16時近くになると、陽が沈むのが早くなったのか薄暗くなってきました。
 河川敷に下りないで、そのまま散策路を歩いてJR上野原駅に向かいました。

 JR上野原駅の南口に着きましたが、食事処がなかったので北口の一福食堂に入ってみました。
 食堂なので、中華系しかないと思っていたのですが、お刺身やフライ等もあってサービスの良いお店でした。
 いつもは八王子駅で〆のお酒を飲むのですが、今日はここで飲むことにしました。

 今回の「上野原ハイキング」は、思っていた以上にいろんな寺院を巡ることができたので大変満足しています。
 尚、万歩計は大して歩いていないと思っていたら22,000歩を超えていました。
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上野原ハイキング(桂川の水辺編)

2017年12月10日 | Weblog
 12月9日(土)は、11月25日の「能岳・八重山ハイキング」で行けなかった寺院を巡りながら上野原(桂川の水辺~旧甲州街道)を歩いてみました。
 
 行程は、「駅からハイキング」の資料を参考に次のようにしました。

JR上野原駅-(5分)-桂川橋-(30分)-松留発電所-(10分)-悉聖寺-(10分)-正法寺-(20分)-八ツ沢発電所-(5分)-八幡神社-(40分)-上野原市役所展望室-(30分)-諏訪神社・船守寺-(5分)-慈眼寺-(15分)-紅梅神社-(5分)-神明社-(15分)-桂川橋-(5分)-JR上野原駅

<上野原駅>

 今日は、八王子駅から快速の大月行に乗れたので、高尾駅で乗り換えないで上野原駅に着くことができました。
 イラストが描かれている駅名標を見るのは初めてだったので撮ってみました。




 ホームから下りと上り方面を撮って改札口に向かいました。


 改札口を出てエスカレータで上に行くと、跨線橋に出口案内がありますが今日は南口に向かいました。

<上野原駅南口>

 現在、南口は改良工事中(2018年3月完成予定)で、跨線橋は連絡通路でステンドグラスがあるエレベータ棟の5階に繋がっていました。




 窓越しに、桂川を望む景観を撮ってみました。


 エレベータ棟の吹抜けも撮ってみました。


 エレベータ棟から外に出ると、ご覧のような連絡通路(長さ24m、幅4m)が見えたので撮ってみました。


 ついでに、跨線橋に通じている南口の長い階段(88段)を撮ってみました。
 

 現在の駅前広場は、工事中でご覧のような状態になっていました。


 エレベータ棟、連絡通路、南口階段をセットで撮って、駅前広場の正面に回ってみました。




 改良工事中の上野原駅南口と駅前ロータリーを撮って桂川橋に向かいました。

<桂川橋>

 県道35号線に出て南下すると、島田駐在所前の交差点の先に桂川橋がありました。


 橋の上から、今日のハイキングの最後に戻って来る桂川の河川敷を撮ってみました。


 桂川橋を引き返して、河川敷に下りてみることにしました。

<河川敷>

 河川敷からも、最後に戻って来る河川敷を撮ってみました。


 ここからは、桂川橋の下を通ってご覧のような河川敷から歩き始めます。


 ご覧のような散策路を歩きますが、散策している人は殆どいませんでした。
 尚、正面に見える山は、御前山(484m)と高柄山(733m)ですかね!?


 河川敷を歩いていると、<新田の渡し場跡>の案内板が出ていたので撮ってみました。


 近くに、与謝野晶子歌碑がありましたが、裏側の歌『桂川清き流れを針金の引く舟に居て星のここちす』は光っていて撮れませんでした。


 又、「上野原水辺の風景」には、与謝野晶子の歌碑がある箇所(8ヶ所)が載っていました。




 御前山を見ながら河川敷を進みますが、ワイルドそうな山に見えたのでアップで撮ってみました。


 河川敷に<新田の津出し場跡>の案内板がありました。
 説明案内板には、『厳島橋の下辺りは、鶴川の桂川への合流地点であり、幕末から明治にかけて、上流から流され来た材木を筏に組んだ土場や石炭、木炭を船積みした河岸場があって、「新田の津出し場」と呼ばれていた。』と書いてありました。

<鶴川と桂川の合流地点>

 河川敷を暫く進むと、ご覧のような鶴川(奥)の桂川(手前)への合流地点に着きました。


 発電所のような白い建物が見えたのでアップで撮ってみました。


 ついでに、左側の巨大な岩もアップで撮ってみました。


 合流地点を撮って、河川敷の先の方に行ってみました。


 歩いていると、新厳島橋の下から特急あずさ(?)が見えたので撮ってみました。


 新厳島橋を超えると、右側にご覧のような階段があったので上ってみました。


 階段を上ると左側に厳島橋があったので、橋を渡って白い建物の方に行ってみました。


 厳島橋を渡ると、左側の小さな公園に与謝野晶子の歌碑『波立てばつるとかつらの落合も千条の川のあつまるごとし』がありました。

<松留(まつどめ)発電所>

 公園から県道506号線に出ると、東京電力の松留発電所がありました。
 稼働しているようですが、敷地に入ることは出来ませんでした。


 発電所の向かい側のフェンスに<悉聖寺観音堂>の案内板が出ていましたが、赤矢印が消えていたので方向が分りずらかったです。

<悉聖寺に向かう>

 ご覧のような松留橋を渡って悉聖寺に向かいました。


 道路脇に紅葉した南天があったので撮ってみました。


 道路を歩いていると、左側に桂川が見渡せる場所があったので行ってみました。


 鶴川と桂川の合流地点と新厳島橋が見えたのでアップで撮ってみました。


 元の道路に戻ろうとすると、目の前に河川敷から見えた巨大な岩がありました。 


 巨大な岩に、水天宮(?)が祀られていたのでアップで撮ってみました。


 坂道を暫く上ると、ご覧のような碑(?)があって道は左右に分かれていました。

<悉聖寺(ししょうじ)>

 左の細い道を5分程歩くと悉聖寺の入口に着きました。


 境内を撮ってみましたが、ご覧のようなお堂が建っているだけでした。


 観世音菩薩が祀られているお堂を撮ってお参りをしました。


 境内から桂川橋が見える桂川の素晴らしい景観を撮ってみました。

<正法寺(しょうぼうじ)>

 先程の碑がある所まで戻って、右の方に行ってみると正法寺がありました。


 松留山の扁額が掲げられている立派な山門を撮ってみました。


 参道の両脇には,、ご覧のような梅の木がありました。
 

 立派な鐘楼を撮って本堂に向かいました。


 庫裡の手前に、樹齢300年の百日紅があったので撮ってみました。


 立派な本堂を撮って、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 本堂の前は、ご覧のような砂紋が描かれていて水琴窟がありました。


 柄杓で水を流すと、素晴らしい音色がしたのでアップで撮ってみました。

<八ツ沢発電所>

 正法寺を後に、甲州街道の悉聖寺の信号を越えて道なりに5分程歩くと八ツ沢発電所が見えました。


 中央本線の八ツ沢ガードの手前に遣って来ると、ご覧のような柿が生っていたので撮ってみました。




 ガードの入口は四角ですが、内部はご覧のようなレンガ製のトンネルになっていました。


 ガードをくぐって左の方に行くと、ご覧のような橋がありました。
 尚、下に流れているのは仲山川で最後は桂川に合流しているみたいです。


 橋を渡って暫く進むと、八ツ沢発電所の入口ゲート(?)がありましたが中には入れません。


 仕方がないので、フェンス脇のご覧のような川沿いの道路を歩いてフェンスの外れまで行ってみました。




 川の向かい側の土手に、紅葉した南天があったのでアップで撮ってみました。


 フェンスの外れまで遣って来ましたが、入口は見当たりませんでした。
 仕方がないので、八ツ沢発電所を撮って近くにあった橋を渡って八幡神社に向かいました。
 
<八幡神社>

 橋を渡って左に行くと、赤い鳥居のある八幡神社に着きました。


 取り敢えず、拝殿を撮ってお参りをすることにしました。


 お参りしてから、あまり見かけない扁額を撮ってみました。




 拝殿の内部を撮ると、奥の方にご覧のような神棚がありました。


 拝殿の裏に回ってみると、ご覧のような部屋(本殿?)が廊下で繋がっていました。




 神輿奉安庫の中を覗いてみると、お神輿が2基置いてありました。

 12時を回っていたので、境内の陽だまりに座って昼食を取りました。

 「上野原ハイキング(旧甲州街道編)」に続く。
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旧古河庭園をぶらり

2017年12月03日 | Weblog
 12月2日(土)は、テレビ朝日のグッド!モーニングでライブ中継(11月下旬)をしていた旧古河庭園に行ってみました。
 旧古河庭園は、「和と洋が調和する大正の庭」として有名な庭園で、JR山手線の駒込駅(北口)から歩いて12分位のところにあります。

<大國神社>

 駒込駅(北口)の改札口を出ると、本郷通りの向かい側に鳥居が見えたので行ってみました。
 鳥居の左手に手水舎があったので撮ってみました。


 拝殿は、ご覧のように大きくありませんが、取り敢えずお参りをしました。


 お参りしてから大國神社の扁額を撮ってみました。
 神社の名前からすると、大國主命(おおぬしのみこと)を祀ってあるみたいです。


 失礼して、拝殿の内部も撮らせていただきました。

<霜降銀座商店街>

 大國神社を後に、本郷通りを歩いていると、向かい側にお堂(駒込妙義坂子育地蔵尊)があったので行ってみました。


 取り敢えず、堂内の地蔵尊と記念碑を撮ってみました。


 地蔵尊の左側には、おかっぱ頭でセーラー服を着た童女が宝珠と錫杖を持って手を繋いでいる供養碑がありました。


 地蔵堂を後に、妙義坂を下って旧古河庭園に向いました。
 

 妙義坂を下っていると、ご覧のようなお風呂屋さん(亀の湯)がありました。


 最近は、あまり見かけないお風呂屋さんなのでアップで撮ってみました。
 尚、斜めに撮れていますが、坂道になっているからでカメラマンのせいではありません(念の為)。


 まだ昼食を食べていなかったので、ご覧のような商店街に入って食事処を探しました。
 結局、適当な食事処がなかったので、本郷通り戻って四川料理店に入りました。

<旧古河庭園入口>

 旧古河庭園に着きましたが、土曜日のせいなのか(?)かなりの来園者がいました。
 少し並びましたが、入園料(150円)を払って園内に入ります。


 サービスセンターの左側に、ご覧のような紅葉があったので撮ってみました。


 案内図で現在地を確認して、洋館~洋風庭園(バラ園)~日本庭園(心字池、大滝、枯滝)の順に回ってみることにしました。

<洋館>

 洋館の入口に行ってみましたが、建物内部の見学は事前の申込がないと入れませんでした。




 仕方がないので、芝生広場の奥から洋館をアップで撮ってみました。
 洋館の手前に椅子とテントがあったので、イベントでもあるのですかね!?


 芝生広場の脇を通って、テラスにバラが咲いている洋風庭園に行ってみました。

<洋風庭園>



 ラ・フランスを撮ってみましたが、四季咲きのバラは見頃が難しいですね!


 美智子皇太子妃に捧げられたプリンセス・ミチコを撮ってみましたが、見頃は過ぎていますね!?


 ダイアナ元皇太子妃に捧げられたプリンセス・オブ・ウェールズは、色落ちした感じがしますね!?


 ゴールデン・メダイヨンは少し見頃が過ぎた感じですかね!?




 初恋の名札が付いているバラは、洋館をバックにアップでも撮ってみました。




 こちらのバラには琴音の名札が付いていました。


 ムーン・シャドウは見頃は過ぎていますが、ラベンダー色が素晴らしかったので撮ってみました。




 クリスチャン・ディオールは見頃を迎えている感じですね!?


 リオ・サンバは、開花に従って花色が変わるような感じがしますね!?


 ヨハネ・パウロ2世は今が見頃ですかね!?


 ヘルムット・シュミットも今が見頃の感じがしますね!?


 ブルー・ライトは白っぽい薄紫の花色で横浜の感じが出ていますね!?


 マリア・カラスはこれから開花するのですかね!?




 薄黄色のドフトゴールドは今が見頃ですかね!?


 緑光の名札が付いている小振りの緑白色のバラがありました。


 珍しい緑白色のバラだったのでアップで撮ってみました。


 展望台の近くに素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。


 バラ園から洋館を撮って、下のツツジ園に行ってみました。


 取り敢えず、ツツジ園を撮ってから日本庭園に行ってみました。

<日本庭園>

 ツツジ園の近くに、富士山の溶岩で、多孔質で軽く加工しやすい石で作られた石墨(黒ボク石積)があったので撮ってみました。
 

 石積の上に見事な紅葉があったので撮ってみました。


 心字池の手前の渓谷が見える高台があったので行ってみました。




 渓谷と右側の池に映る紅葉をアップで撮ってみました。


 後ろの方に兜門が見えたので、兜門から馬車道を通って広場の方に行ってみました。


 トイレの近くに、小ぶりですがご覧のようなモミジが植えてありました。




 カラフルなモミジだったのでアップで撮ってみました。




 広場に行ってみると、素晴らしい紅葉があったのでアップで撮ってみました。


 別の角度からも紅葉を撮ってみました。




 奇麗どころも素晴らしい紅葉をバックに納まっていました。




 広場の渓谷側に、素晴らしい紅葉と春日灯籠があったので撮ってみました。


 背後に心字池が見渡せる見晴台があったので行ってみると、ご覧のような紅葉がありました。


 近くに、濡鷺灯篭があったので撮ってみました。




 取り敢えず、見晴台から心字池を撮ってみました。


 近くに、十五層塔があったので、こちらも撮ってみました。


 日陰になっていますが、心字池がご覧のように見えました。


 心字池の水辺に行ってみると、灯籠と奥に方に雪吊りがありました。


 取り敢えず、手前にあった雪見灯籠を撮ってみましたが、右奥の方に人が集まっていますが何でしょうね!?


 ついでに、見事な雪吊りも撮ってみました。


 心字池を撮って、人が集まっている方に行ってみることにしました。


 見晴台の後から人が遣って来るので、行ってみると見事な紅葉のある裏門(染井門)がありました。




 見事な紅葉だったので下から撮ってみました。


 近く、椿が咲いていたのでこちらも撮ってみました。


 散策路に戻り、心字池の周りを歩いていると、ここにも灯籠(奥の院灯籠)がありました。
 池の周りの灯籠にはそれぞれ名前が付いていましたが、この灯籠は大奥にあったものですかね!?


 ここにも、ご覧のような雪吊りがあったので撮ってみました。


 水辺に行ってみると、心字池に映っている紅葉があったので撮ってみました。


 散策路脇の崩石積を撮って人が集まっている場所に行ってみました。


 茶室の手前の橋の上から紅葉を撮っている人達が大勢いました。




 橋の手前から素晴らしい紅葉と濠に映っている紅葉を撮ってみました。


 別の角度からも素晴らしい紅葉を撮ってみました。










 私も橋の上から素晴らしい紅葉をアップで撮ってみました。




 橋の先に行ってみると、紅葉の下に大滝があったので見に行ってみました。

 大滝を後に、橋に戻って茶室の上の道を通って元の散策路に戻ることにしました。


 取り敢えず、茶室の門を撮ってみました。


 由緒ありそうな書庫があったので撮ってみました。


 茶室の上の道から、素晴らしい紅葉と茶室が見えたので撮ってみました。


 雪見灯籠が見える心字池の水辺に戻ってきました。


 素晴らしい眺めだったのでアップで撮ってみました。


 左側に、ご覧のような枯滝があったので撮ってみました。


 目の前の夕陽が当たっている心字池を撮ってみました。


 手前の雪吊りが見事だったのでアップで撮ってみました。


 又、奥の散策路に素晴らしい紅葉と雪吊りがあったので一緒に撮ってみました。


 池にマガモ(?)がいたので撮ってみましたが、ハーレムのようですね!


 散策路に、あまり見かけない霜除けがあったので撮ってみました。


 池の傍に、紫色の実を付けたご覧のような植物がありました。


 アップで撮ってみましたが、ムラサキシキブ(紫式部)ですかね!?


 ここにも、奥の院灯籠があったので撮って洋館に向かいました。


 ツツジ園に戻って来ると、夕陽が当たっている紅葉が晴らしかったので撮ってみました。




 洋館前の芝生広場に遣って来ると、琵琶の生演奏を遣っていました。
 生演奏を聴いていると、近くいた2歳位の女の子がリズムに合わせて首を振っていたのには驚きました。


 15時30分頃に旧古河庭園を出ましたが、居酒屋に入るのは少し早かったので近くの平塚神社に行ってみました。

<平塚神社>

 旧古河庭園からは5分程で、ご覧のような銀杏のある平塚神社に着きました。


 参道には、銀杏の大木がありましたが、幸いのことに独特の臭いはしませんでした。


 鳥居の先には、駐車場があって拝殿はその奥の方にありました。


 取り敢えず、手水舎で身を清めて拝殿に向きました。
 尚、手水舎の後にあるのは境内社(石室神社、稲荷神社、菅原神社)です。


 ご覧のような鳥居を通って拝殿に向かいました。




 拝殿の手前に、ゴツゴツした岩の上に乗っている狛犬がいたので撮ってみました。


 拝殿でここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから、拝殿の注連縄と鈴を撮ってみました。


 ご覧のような参道を戻りますが、何故か、参道と鳥居がズレていました。

 平塚神社を後に、来る時に見かけた妙義坂の途中にあった居酒屋に行くだけになりました。

 今回の「旧古河庭園をぶらり」は、バラや紅葉がそれなりに楽しめたので良かったです。
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