飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

箱根をぶらり(強羅公園編)

2015年06月22日 | Weblog
 6月20日(土)は、前日の雨が上がっていたので、近くの強羅公園に行って、その後、ハイキングコースが泥かっていなければ、昨日予定していた「箱根の飛龍ノ滝・千条の滝を巡る」の逆コースに挑戦してみることにしました。


 箱根は何回か来ていますが「強羅公園」に入るのは初めてです。
 右に見える正門で、入園料550円を払って園内に入ります。

<熱帯植物館>

 

 入口の右側に「熱帯植物館」があったので入ってみました。




 良く観かける植物ですが、エビのような形をしているのでエビネソウですかね?




 蘭のような花が咲いていたのでアップで撮ってみましたが、花にシミのようなものが付いていて美しくないですね!


 南米ギアナ高地原産の常緑性高木で樹高30mにもなる砲丸木(ホンガンボク)があったので撮ってみました。
 花を付けた後に、直径20cm前後の砲丸に似た果実を付けるところからこの名前が付いたみたいです。


 説明板に、『日本の植物園で果実が実ったのは大変珍しく、沖縄県の国営記念公園以外では箱根強羅公園が初めて・・』と書いてあったのでアップで撮ってみました。

<ブーゲンビレア館>

 「熱帯植物館」の先に「ブーゲンビレア館」があったのでこちらも入ってみました。


 素晴らしい色のブーゲンビレアをアップで撮ってみました。




 こちらは色違いのブーゲンビレアです。




 花の色合いが素晴らしかったのでアップで撮ってみました。








 良く見ると、中央にあるのが花で、美しい色で花びらのように見えるのが苞と呼ばれる葉の一部です。


 白色にピンク色が混じった可憐なブーゲンビレアもありました。




 ブーゲンビレアのアーチの下をくぐるので、アップで撮ってみました。


 素晴らしい姿のブーゲンビレアが咲いていたので撮ってみました。

<熱帯ハーブ館>

 「ブーゲンビレア館」を出ると「熱帯ハーブ館」の案内が出ていたので行ってみました。


 「熱帯ハーブ館」にはご覧のような池があって周りには紫陽花が置いてありました。
 これは後で判ったことですが、隣で「あじさい展」を遣っていたのでその紫陽花が「熱帯ハーブ館」に置いてあったみたいです。


















 取り敢えず、池の周りの紫陽花を撮りながら先に行ってみました。

<あじさい展>

 「あじさい展」には、いろんな紫陽花が置いてあって地方配達も遣っていました。










 あまり見たことがない紫陽花をアップで撮ってみました。








 手頃な値段(1000円前後)の紫陽花も置いてありました。


 



 こちらの紫陽花は売り物ではなく、上から「乙女の舞」、「明星」、「横浪の月」の名前が付いていました。


 出口近くにあった紫陽花を撮って「あじさい展」を出ました。

<白雲洞茶苑>

 散策路に戻ると右側に「白雲洞茶苑」があったので入ってみました。
 「白雲洞茶苑」は、大正3年(1914)年、利休以来の茶人と謳われた鈍翁・益田孝によって創案され、三溪園の原三溪も茶人の一人だったみたいです。




 取り敢えず、石段を上って茶室を撮ってみました。

<公園を散策>

 「白雲洞茶苑」を後に、散策路を上ると、眼下にご覧のような噴水池が飛び込んできました。
 「強羅公園」は、噴水を中心に左右対称に設計されたフランス式整型公園で、大正15年に開園されています。

 取り敢えず、公園内を散策しながら西門まで行ってみることにしました。


 散策路を暫く歩くと大きな藤棚があったので撮ってみました。
 藤が咲いていれば見事だったでしょうね!


 藤の太い枝が垂れ下がっていたのでアップで撮ってみました。


 散策路に、斉藤茂吉の歌碑が建っていたので撮ってみました。
 歌碑には、『おのづから寂しくもあるか ゆふぐれて雲は大きく谿に沈ミぬ 茂吉』と書いてありました。
 ⇒ ”沈みぬ”は”沈ミぬ”となっていましたが、なんでだろ~なんでだろ~


 西門に着くと目の前にご覧のような見晴らし台(?)が建っていました。


 取り敢えず、見晴らし台に行って下の方を眺めてみることにしました。


 見晴らし台の下は、ご覧のようなローズガーデンになっていて中央に大きなヒマラヤ杉が立っていました。
 ローズガーデンにバラは咲いていましたが、見頃は過ぎた感じがしました。








 それでも、所どころに咲いているバラの匂いを嗅ぎながら気に入ったバラをアップで撮ってみました。


 ローズガーデンの下の方に遣って来ました。
 茂みの中にご覧のようなグロテスクな実(?)付けた木があったので撮ってみましたが、名前は判りません。


 ヒマラヤ杉が立っている所まで遣って来たので、下に見えた噴水池を撮ってみました。


 噴水池まで下りて来たので別の角度から撮ってみました。
 奥に見えるのはカフェ(Cafe Pic)です。


 ヒマラヤ杉を背景に噴水池を撮って「強羅公園」を後にしました。

 「強羅公園」から「小涌谷」は歩いて行ける距離なので、昨日の運動不足解消も兼ねて歩いてみることにしました。

<強羅公園から小涌谷へ>

 県道723号線を歩いていると、強羅行きの箱根登山電車が来たので撮ってみました。
 途中、有名な餃子センターがあったのですが、昼食には早かったので入るのは止めにしました。


 餃子センターを超えて歩いていると、今度は箱根湯本行きの箱根登山電車が来たので撮ってみました。


 途中、車沢の中尾橋まで来るとご覧のような滝がありました。
 近くに行ってみようと思ったのですが、車の往来が激しい道路を渡らなければならないので、道端からアップで撮ってみました。


 「強羅公園」からは40分程で「小涌谷」に着きました。
 「箱根小涌谷温泉ご案内」で、現在地から「千条の滝」へのルートを確認します。

<千条の滝(ちすじのたき)>

 ルートに従って8分位急な坂道を上ると、ご覧のような道標が出ていました(ホッ!)。


 道標から道なりに5分位歩くと「千条の滝」に着きました。
 滝の横幅はそれなりあるのですが、高さは3m位の小さな滝です。
 ⇒ 「ちすじの滝」でなく「みすじの滝」と云ったら怒られそうですね!?


 取り敢えず、別の角度から「千条の滝」を撮ってみました。


 橋を渡って「浅間山・湯坂路コース」のハイキングコースに行ってみました。
 昨日の雨で、山道の所どころが泥かっていて滑りそうで危険なのでハイキングは中止になりました。


 橋の上から蛇骨川の下流方面を撮って「千条の滝」を後にしました。

<蓬莱園(ほうらいえん)>

 道標まで戻って来ると、<蓬莱園 5分>と出たので行ってみることにしました。
 「蓬莱園」は、三河屋旅館の初代当主・榎本恭三が、大正初期に東京の大久保からツツジを移植したのがはじまりで、ツツジの名所と有名な庭園みたいです。


 取り敢えず、「庭園四季だより」で現在地を確認し「蓬莱園」に入ってみました(入園無料)。 


 ツツジの見頃は過ぎていたので園内は残念ながらご覧のような状態でした。
 

 蓬莱橋を渡って先の方に行ってみました。
 これは後で判ったことですが、蓬莱橋の手前までが「蓬莱園」で、橋の先は三河屋旅館の庭園になっています。


 紫陽花が所どころに咲いている庭園を散策します。


 庭園にはご覧のような池が何ヶ所かあって鯉が泳いでいました。
 又、もう少し経つとホタルも飛び交うみたいですよ!
 

 庭園の外れにまで行くと、三河屋旅館の中庭に出てしまいました。
 旅館客でもないのに、あまりウロウロする訳にもいかないので蓬莱橋を渡って「蓬莱園」に戻りました。

 「蓬莱園」からは来た道を戻り、道標の脇を通って箱根登山鉄道の小涌谷駅に向かいました。
 バス停・小涌谷駅に着くと、運良く小田原駅行きの箱根登山バスが来たので乗ってしまいました(箱根湯本で乗り換えないで済みます)。

 小田原には2時過ぎに着いてしまいましたが、昼食も食べていなかったので前に行ったことがある老舗和食店に入って打上げをしました。

 今回の「箱根をぶらり」は、19日(金)は雨に降られてしまいましが「箱根神社」に行ってそれなりに勉強になったこと、20日(土)は「強羅公園」で素晴らしいブーゲンビレアや紫陽花が楽しめたので満足しています。
 又、ハイキングは中止になりましたが、「千条の滝」が見れたのはラッキーでした。
 尚、万歩計は今日だけで16,000歩を超えていました。
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箱根をぶらり(箱根神社編)

2015年06月21日 | Weblog
 6月19日(金)~20日(土)は、昔の仕事仲間と「箱根の飛龍ノ滝・千条の滝を巡る」ハイキングに行って、強羅の旅館に一泊する計画を立てました。

 ところが、19日(金)は朝から雨が降ったり止んだりする生憎の天気で、旅館にキャンセル料を取られるのも馬鹿らしいので、取り敢えず小田急ロマンスカー(予約済)で箱根湯本駅まで行って何処に行くか決めることにしました。


 ロマンスカーの展望席から外を撮ってみましたが、雨は殆ど降っていない感じがしたのですが・・・


 箱根湯本駅には10分送れで着いたので少し嫌な予感がしたのですが、ロマンスカーVSEを撮っている人達がいたので私もつられて撮ってしまいました。

 箱根湯本駅で外に出ると、傘を差さないとずぶ濡れになりそうな本降りの雨になっていました。
 取り敢えず、近くにあった観光案内所に行って相談してみることにしました。
 観光案内所では「箱根神社」(バス乗り場は2番か4番で、バス停・元箱根で下車)が良いと云うので行ってみることにしました。

<バス停・箱根湯本駅>

 バスを待っている間、湯元富士屋ホテルと早川にかかる「あじさい橋」を撮ってみました。


 ついでに、早川の土手に咲いていた紫陽花もアップで撮ってみました。


 又、バス停に北島三郎の「箱根のおんな」の歌碑が建っていたので撮ってみましたが、歌詞は判りませんでした。
 
 バス停で写真を撮っていると、お得な「箱根旧街道・1号線きっぷ」(1,750円)があると云うので買ってしまいました。
 箱根湯本駅からバスに乗ると、30分位でバス停・元箱根に着きました。

<箱根神社に向かう>

 バス停・元箱根から「遊覧船のりば」まで行ってみました。
 雨が降っている「遊覧船のりば」を撮ってみましたが、乗船待ちの人は見当たりませんでした。

 
 「遊覧船のりば」の脇にあった「元箱根地区案内板」で現在地を確認します。
 「箱根神社」は<400m⇒>と出ていたので、芦ノ湖沿いを歩くことにしました。


 芦ノ湖沿いから遠くに遊覧船が見えたので「平和の鳥居」と一緒にアップで撮ってみました。
 ⇒ 雨が降っているせいで、ぼんやりとしか撮れませんでした。


 「箱根神社」の案内が見えて来たのでアップで撮ってみました。

<箱根神社>

 雨が降っているので、参道を歩いている人はまばらでした。


 「箱根神社」境内社の一つの「日吉神社」があったので撮ってみました。


 雨が降っているにも拘らず、第二鳥居の前で記念写真を撮っているグループ(日本人ではありませんでした)がいました。
 

 第二鳥居をくぐって暫く歩くと、ご覧のような第三鳥居がありました。


 更に、参道を進むと、右側に「第六天神社」があったので撮ってみました。
 御祭神は淤母陀琉神(おもだるのかみ)で、生殖力旺盛な神様みたいです(羨ましい限りです?)。


 「研修殿」を越えると、ご覧のような手水舎がありました。


 手水舎に龍神水を出している龍がいたのでアップで撮ってみました。


 手水舎の横には第四鳥居があって、先の方に社殿に上る参道石段がありました。


 近くに、「源頼朝三度大難を免かるの記」の碑があったので撮ってみました。


 ご覧のような参道石段を上って社殿に向かいます。


 参道石段の途中に「曾我神社」があったので立ち寄ってみました。


 曽我兄弟は仇討で有名で、名前は兄十郎、弟五郎ぐらいは知っていましたが、「曾我神社の由来」に依ると、弟五郎(幼名は筥王)は箱根山で杉の木を相手に武術に励んでいたみたいです。
 又、兄十郎は仇討で戦死し、弟五郎は捕えられ斬首されたみたいです。


 参道石段を登り切って第五鳥居をくぐると、社殿が広がっていました。




 社殿の前に、苔生した狛犬がいたのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、社殿を真正面から撮ってみました。


 拝殿でお参りをすることにしましたが、右側の背広姿の人は何かブツブツ言いながら長くお参りをしていました。
 



 拝殿でお参りしてから、辺りに誰もいなかったので拝殿をアップで撮ってみました。


 隣にある「九頭龍神社(くずりゅうじんじゃ)新宮」に行ってお参りすることにしました。
 境内社の一つの「九頭龍神社」は縁結びの神様として有名で、若い女性に人気があるみたいです。
 ⇒ 新宮があるので何処かに「九頭龍神社本宮」もあるのかも知れませんね!?


 「九頭龍神社新宮」の内部もアップで撮ってみました。


 「九頭龍神社新宮」にお参りしてから拝殿の前を通って社殿を後にしました。


 拝殿の左に「斎宮」があったので撮ってみましたが、由来などは判りません。


 「斎宮」の前の道を下ると「恵比寿社」があったので撮ってみました。


 更に道を下ると休憩所の前に、ご覧のような「けけら木舎」があって芦ノ湖の「けけら木」が祀ってありました。
 「けけら木」は、芦ノ湖中にある湖底木の一つみたいです。

 「けけら木舎」の周りが歩けたので一周してみました。


 「けけら木舎」の近くに「箱根七福神」の鳥居があって、先に行けそうだったのですが、工事中なのと道が雨で泥かっていたので止めました。
 もしかしたら、七福神が祀ってあったのかも知れませんね!?


 「箱根七福神」の鳥居の近くに池があって、ご覧のような「弁財天社」が祀ってありました。


 池の先に行くと、「昭和天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」が建っていたので撮ってみました。
 
 これで、「箱根神社」の境内を一回りしたので「参道入口」に戻ることにしました。


 戻る途中に、お神輿が置いてある「神輿庫」があったので撮ってみました。


 又、「神輿庫」の近くに「明治天皇・昭憲皇太后御野立跡」があったのでこちらも撮ってみました。


 最後に「第二鳥居」を撮って「箱根神社」を後にしました。

 「箱根神社」には、「九頭龍神社」や「曽我神社」などの境内社が所どころにあって、それなりに勉強になりました。

 帰りは、バス停・元箱根からバスに乗って小涌谷で下車し、箱根登山鉄道で強羅に向かいました。


 無事、強羅駅に着いたので箱根登山電車を撮ってみました。

 雨が降る中、「箱根神社」を散策したので少し肌寒い感じがしたので、旅館の温泉に入って早目に宴会をすることになりました。
 尚、今日は「箱根神社」しか歩いてないので、万歩計は5,000歩弱でした。
 
 「箱根をぶらり(強羅公園編)」に続く
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三溪園(外苑)をぶらり

2015年06月15日 | Weblog

 海岸門をくぐって右の方に進むとご覧のような案内板が出ていたので、<松風閣(展望台)・三重塔>に行ってみることにしました。




 ご覧のような急な山道を折り返して登ると、正面に崖の登り道がありました。


 左のなだらな山道を進んでも良かったのですが、「展望台」に行ける近道みたいだったの崖を登ってみました。
 崖を登ると、ご覧のような歩き易い山道になっていました。

<松風閣(展望台)>

 暫く歩くと、「展望台」の下に着きました。


 本牧を埋め立てる前は見晴が良かったようですが、現在はご覧のような状態でした。


 

 取り敢えず、眼下に広がる景色をアップで撮って、「三重塔」に向かうことにしました。


 「展望台」を後に、崖の道に戻らないで山道をそのまま下ると、道端に出世観音が鎮座していました。
 何故、こんなところに出世観音が鎮座しているのか?でしたが、取り敢えず御利益を祈願してお参りはしました。

<旧燈明寺三重塔(きゅうとうみょうじさんじゅうのとう)>

 出世観音を越えると「三重塔」が見えてきました。


 「三重塔」は京都・木津川市の燈明寺(廃寺)にあった建物を、大正3(1914)年に移築しあたものです。
 尚、「三重塔」は重要文化財に指定されています。


 「三重塔」を下からアップで撮ってみました。

<初音茶屋(はつねじゃや)>

 「三重塔」を後に、階段の山道を下ると「初音茶屋」があって、休んでいる人がいたのでここで休憩することにしました。
 「初音茶屋」は、かつて三溪園を訪れたインドのノーベル賞文学者タゴールや芥川龍之介らによって書きしるされた茶屋です。
 
<林洞庵(りんどうあん)>

 「初音茶屋」の右に宗偏流林洞会から寄贈された「林洞庵」があったので行ってみました。
 「林洞庵」には、コスプレ衣装の人達(係りの人?)が座っていたので近くには行きませんでした。
 下に見える橋を渡ると茶店・待春軒に行けそうなので行ってみることにしました。

<旧燈明寺本堂(きゅうとうみょうじほんどう)>

 茶店・待春軒の隣には、重要文化財に指定されている「旧燈明寺本堂」がありました。
 「旧燈明寺本堂」は、「三重塔」と同じ京都・燈明寺から昭和62(1987)年に移築されたものです。


 「旧燈明寺本堂」の内部を覗いてみましたが、ガランとして見るべきものはありませんでした。
 「旧燈明寺本堂」の入口には<ホタル観察コーナー>の案内が出ていました。


 「旧燈明寺本堂」の前の眺めが素晴らしかったので撮ってみました。

<紫陽花を激写>

 「旧燈明寺本堂」を後に、茶店・待春軒の前に戻ると、植え込みに素晴らしい紫陽花が咲いていました。






 紫陽花を激写している人達がいたので私も激写してみました。

<大魚地蔵>

 茶店・待春軒の前を通って散策路を暫く歩くと、手に紫陽花を持った「大魚地蔵」が鎮座していました。
 ⇒ 説明板がなかったので由来などは判りませんが、柔和なお顔をしているお地蔵さんですね!
 
<旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく)>

 「大魚地蔵」の後ろに見える散策路を道なりに進むと、合掌造りの「旧矢箆原家」の庭に着きました。
 丁度、式を挙げたカップルの記念写真を撮っているところで、邪魔しては悪いので少し待って撮りました。
 

 「旧矢箆原家」は庭に着いてしまったので、正面に回ったのですがかなり大きい農家です。
 「旧矢箆原家」は、江戸時代後期の農家で、白川郷にあったものを昭和35(1960)年に移築したものです。


 内部が見学出来るので入ってみることにしました。
 土間にはご覧のような囲炉裏があって、毎日薪がくべられているようで辺りは黒光りしていました。




 書院造りの座敷もあって農家にしてはかなり立派な建物です。




 台所(?)には臼、杵や醤油樽も置いてありました。


 屋根裏に上がることが出来たので昇ってみました。


 屋根裏と云ってもご覧のような広さで、壺などの展示品を見ながら黒光りした廊下を一周出来ます。


 又、めったに見ることができない合掌造りの裏側をアップで撮ってみました。


 「旧矢箆原家」は庭から入ってしましたので、門から出る時に建物全体を撮ってみました。

<旧東慶寺仏殿(きゅうとうけいじぶつでん)>

 「旧矢箆原家」の門の右側に「旧東慶寺仏殿」が見えたので撮ってみました。




 「旧東慶寺仏殿」の正面に回る途中に、素晴らしい紫陽花が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 「旧東慶寺仏殿」は、縁切寺で有名な鎌倉・東慶寺にあった禅宗の仏堂で、江戸時代の寛永11(1634)年に建てられたものです。
 又、三溪園には明治40(1907)年に移築され、重要文化財に指定されています。

<寒霞橋(かんかばし)>

 「旧東慶寺仏殿」を後に散策路に戻ると、「寒霞橋」があったので行ってみました。




 「寒霞橋」の上から下流方面を撮っていると、水を飲んでいる(?)鴨がいたのでアップで撮ってみました。

<横笛庵(よこぶえあん)>

 「寒霞橋」の前に、田舎家風草庵があって何か光っているものが見えたので行ってみました。
 傍に行ってみると、先程の新婚カップルの写真撮影をしていました。


 運良く、草庵の内部が見れたのでアップで撮ってみました。
 横笛は、高倉天皇中宮建礼門院に仕えた横笛で、平重盛の家臣滝口入道との悲恋で有名な女性です。
 横笛は寺にこもり、入道から送られた千束の恋文をもって己の像を造ったとされています。その像がこの庵に安置されていたみたいです(第二次世界大戦で焼失)。

 外苑の南外れまで来たので、これで外苑を全て見たことになります。
 再び散策路に戻り「大魚地蔵」の前を通って茶店・待春軒の前にあった橋に向かいました。

<小さな橋を渡る>

 橋に戻ると、「林洞庵」に座っていたコスプレ衣装の人達が橋の上に移動していました。


 橋を渡って右の方に行くと、ご覧のような建物があったので撮ってみましたがトイレでした。
 ⇒ これは大喝!ですね!
 

 トイレの前にご覧のような橋が架かっていたので、渡って先に行ってみることにしました。


 橋の上から「大池」の先の方に「鶴翔閣」が見えて来ました。




 橋を渡ると散策路の脇に萩のような紫色の花が咲いていたのでアップで撮ってみました(ボケていてすいません)が・・・
 ⇒ 確か萩は秋の七草でしたよね!




 ご覧のよう小さな橋を渡って先に進みます。


 3つ目の小さな橋を渡ると、遠くに「鶴翔閣」が見える東屋・涵花亭に着きました。
 東屋・涵花亭では大勢の人達が休みながら歓談していました。


 東屋・涵花亭から見えた「鶴翔閣」が素晴らしかったのでアップで撮ってみました。

<観心橋(かんしんばし)と三溪園天満宮>

 「涵花亭」の前にはご覧のような「観心橋」があって、先の方に「天満宮」が見えました。


 「観心橋」を渡って「天満宮」をアップで撮ってみました。
 説明板に依ると、現在の「天満宮」がある辺りには大阪・観心寺から移築した社殿があって、第二次世界大戦で焼失したみたいです。
 又、この社殿は、南北朝時代の武将・楠正成が、建武元(1334)年に建立し、自らの守護神・牛頭明王を祀ったと伝えられています。

 これで三溪園の外苑を全て回ったので出口(正門)に向かうことにしました。

<花菖蒲園>





 正門近くの花菖蒲園に素晴らしい花菖蒲が咲いていたので度アップで撮ってみました。




 花菖蒲園の反対側には、葉っぱが半分白い植物があったのでアップで撮ってみました。
 ⇒ 病気でなければ半化粧 (はんげしょう)ですかね!?

 出口(正門)で一休みしてから三溪園を出てバス停に向かいました。

 昼食も食べていなかったので元町・中華街で降りて、近くにあった薬膳中華の「青葉」に入って遅い昼食をとりました。
 折角、中華街に来たので中華街をぶらーりしてから、元町・中華街駅でみなとみらい線に乗って横浜駅に向かいました。

 今回の「三溪園をぶらり」は、原三溪が集めた文化財(重要文化財10棟、市指定有形文化財3棟)以外に、紫陽花や花菖蒲が楽しめて満足しています。
 尚、万歩計は大分歩いた関係で16,000歩を超えていました。
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三溪園(内苑)をぶらり

2015年06月14日 | Weblog
 6月13日(土)は三溪園に行ってみました。横浜で生まれ育ったのですが、三溪園に行くのは初めてです。
 尚、三溪園は、明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三溪(本名:富太郎)が建てた日本庭園です。
 又、三溪園は、横浜駅、桜木町駅や元町・中華街駅から市営バスに乗ってバス停「本牧三溪園前」で降りて徒歩5分位のところにあります。


 バスの運転手が、「本牧三溪園前」に着く前に「桜道」で降りた方が良いと教えてくれました(親切な運転手さんで良かったです)。
 尚、バス運賃は均一運賃の220円(ICカード216円)でした。

 取り敢えず、三溪園の入口脇の「みなと横浜回遊マップ」で現在地を確認します。


 三溪園の入口脇で入園切符(500円)を購入して正門から園内に入りますが、三溪園は本牧埠頭にあるので、中に入ると何となく潮の香りがしました。 


 三溪園案内図で現在地を確認します。水色の大きい池が「大池」で、右側に蓮池(手前)や睡蓮池がありました。
 三溪園は大きく内苑と外苑に分かれているので、目の前にある大池沿いの散策路を進んで、内苑から散策することにしました。

<大池>

 取り敢えず、船が浮かんでいる「大池」を撮ってみました。




 花菖蒲園越しに「三重塔」が見えたので、アップでも撮ってみました。


 「大池」のさざ波をバックに花菖蒲をアップで撮ってみました。


 散策路の右側の蓮池も撮ってみました。


 蓮池の所どころに蓮の蕾があったので、アップで撮ってみました。

<鶴翔閣(かくしょうかく)>

 蓮池を超えると、右側に原三溪が自ら命名した「鶴翔閣」があったので行ってみました。
 「鶴翔閣」は、原三溪が明治35(1902)年に個人の住宅として建てたもので、延床面積は約290坪もありました。


 「鶴翔閣」は市指定有形文化財に指定されていますが、来賓の接遇、披露宴、会議、パーティーなどで使えるみたいですよ!


 「鶴翔閣」の外観を撮って散策路に戻りました。


 散策路に戻ると、今度はご覧のような睡蓮池がありました。


 睡蓮池の所どころに睡蓮が咲いていたので、こちらもアップで撮ってみました。


 散策路からの「大池」の眺めが素晴らしかったので、正面に見えた観心橋と涵花亭をアップで撮ってみました。


 ついでに、入口の正門方面も撮ってみました。
 藤棚の左に見えるのが入る時にあった花菖蒲園です。


 睡蓮池を過ぎると管理事務所があって、裏の方から三溪記念館に入れそうなので行ってみることにしました。
 管理事務所の前の庭に紫陽花が咲いていたのですが、残念ながら庭の中に入ることは出来ませんでした。

<御門(ごもん)>

 内苑の入口(?)に、ご覧のような御門があったので撮ってみました。
 御門は京都東山の西方寺にあった薬医門を移築したもので、市有形文化財に指定されています。

<白雲亭(はくうんてい)>

 御門をくぐると、右側に原三溪の隠居所の白雲亭があったのですが中へは入れませんでした。

 白雲亭の向かい側に、三溪記念館があって入場無料なのでのぞいてみました。
 三溪記念館は、原三溪の実績やゆかりの資料・美術品などを紹介していましたが撮影禁止でした。


 三溪記念館を見学してから散策路に戻ると、ご覧のような立派な門がありました。
 説明板はありませんでしたが、後ろに「臨春閣」があったのでその門かも知れませんね!?

<臨春閣(りんしゅんかく)>

 取り敢えず、門の後の方にある「臨春閣」に行ってみました。
 「臨春閣」は、紀州候初代の徳川頼信が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘といわれています。
 又、三溪園に移築されたのは大正6(1917)年で、重要文化財に指定されています。
 



 パンフレットに、内部には狩野派などの絵師による障壁画があると書いてあったので撮ってみましたが・・・


 離れて見ると、「臨春閣」は大きな建物で後ろの方にも続いていました。
 右側に見えるのが先程行った建物です。


 池を回り込むように散策路を通って「臨春閣」の西側に行ってみることにしました。


 散策路の途中に、重要文化財に指定されている「旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)」があったので撮ってみました。
 「旧天瑞寺寿塔覆堂」は、豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納める建物で、三溪園には明治38(1905)年に移築されました。


 又、散策路にはご覧のような橋(亭謝?)もあったので撮ってみました。
 右に見えるのが「臨春閣」の西側の建物です。
  

 階段が付いている「次の間(?)」を撮ってみましたが、障壁画は上手く撮れていませんでした。


 説明板には、8代将軍吉宗が幼い時に「臨春閣」で育ったと出ていたので、吉宗になったつもりで庭を撮ってみました。 ⇒ 俺は、徳田新之助だ!?


 「臨春閣」の脇に、豊臣秀吉が愛用したと伝えられる「瓢箪文手水鉢(ひょうたんもんちょうずばち)」があったのでアップで撮ってみました。

 「瓢箪文手水鉢」の脇に急な石段があったので行ってみました。

<月華殿(げっかでん)>

 石段を昇りきると、重要文化財に指定されている「月華殿」がありました。
 「月華殿」は、徳川家康が慶長8年(1603)京都伏見城内に建て、諸大名伺候の際の控室に当てられたと伝えられています。

<金毛窟(きんもうくつ)>

 「月華殿」の隣に、「金毛窟」があったので撮ってみました。
 「金毛窟」は、原三溪が大正7(1918)年に建てた一畳台目(1.8畳ほど)の茶室で、重要文化財に指定されています。

<天授院(てんじゅいん)>

 更に、散策路を進むと「天授院」がありました。
 「天授院」は、建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂の建物で、重要文化財に指定されています。

 内苑の西の外れまで来たので散策路を下って南の方に行ってみることにしました。

<聴秋閣(ちょうしゅうかく)>

 散策路を下ると重要文化財に指定されている「聴秋閣」がありました。
 「聴秋閣」は、二条城内にあったといわれ、徳川家光・春日局ゆかりの楼閣で、大正11(1922)年に移築されています。

 後ろから団体さんが来たので、正面に回らないで先を急ぎました。


 散策路を更に下ると、ご覧のような道標がありました。
 道標が判読出来なかったので、取り敢えず右の方に行ってみることにました。


 散策路を下ると、ご覧のような石棺が置いてありました。

<春草廬(しゅんそうろ)>

 石棺の手前の道を右に行くと「春草廬」がありました。
 「春草廬」は、織田信長の弟・有楽(うらく)が建てといわれる三畳台目(3.8畳ほど)の茶室です。
 「春草廬」も重要文化財に指定されていて、移築は大正11(1922)年です。


 「春草廬」の前に東大寺礎石と伝えられる伽藍石(がらんいし)があったのでアップで撮ってみました。


 

 「春草廬」を後に散策路を下ると、あまり見かけない木があったので撮ってみました。
 この木にはノウゼンカズラ科の木大角豆(きささげ)の名札が付いていました。
 ⇒ 後で調べたら、上の方にある淡い黄色のが花、細長いのは果実だったみたいです。

<蓮華院(れんげいん)>

 散策路を暫く下ると、原三溪が大正16(1917)年に建てた茶室「蓮華院」がありました。


 「蓮華院」の脇にあった竹林が見事だったので撮ってから海岸門に向かいました。


 海岸門の先は外苑になっています。

 「三溪園(外苑)をぶらり」に続く。
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藤沢駅~本鵠沼駅をぶらり

2015年06月07日 | Weblog
 6月6日(土)は、「小田急沿線自然ふれあい歩道」に載っている「藤沢駅~本鵠沼駅コース」を歩いてみました。
 今回のコースは、TVK(テレビ神奈川)で、本鵠沼はす池通り商店街は、「毎週土曜日はれんこんの日」を放映していたので行ってみることにしました。

 今回のコースは次の通りですが距離は約3.7kmです。
 藤沢駅-(850m)-市民会館・旧近藤邸-(100m)-奥田公園-(320m)-新林公園-(650m)-上山本橋-(630m)-江ノ電柳小路駅-(320m)-第一蓮池-(150m)-桜小路公園・第二蓮池-(670m)-本鵠沼駅

<旧近藤邸>

 旧近藤邸は藤沢市民会館の前庭に建っているので、取り敢えず市民会館を目指しました。
 市民会館に着いて先の方に行くと、藤沢市の木「黒松」の後ろに旧近藤邸はありました。


 1925年に実業家近藤賢二が藤沢市辻堂に別荘として建てた建物が1981年にここに移築されたようです。
 尚、旧近藤邸は国登録有形文化財に指定されています。


 旧近藤邸の前に紫陽花が咲いていたので取り敢えず撮ってみました。

<奥田公園>

 旧近藤邸を後に、駐輪場の方に行って駐輪場を抜けると境川の散策路に出ました。
 散策路を境川の上流方面に少し歩くと奥田公園がありました。
 奥田公園はご覧のようにだだ広い公園で見るべきものはありませんでした。


 奥田公園の前にある奥田橋を渡って新林公園に向かいます。


 奥田橋から境川の下流方面を撮ってみました。

<新林公園>

 奥田橋を渡り、道なりに暫く歩き、突き当りの道を右折すると新林公園はありました。


 奥の方に大きな建物があったので取り敢えず行ってみることにしました。
 この建物は江戸時代の名主(旧福原家)の門を移築した長屋門で、大き過ぎる(正面間口:15.39m、奥行:4.24m)ので離れて撮ってみました。
 尚、長屋門は市重要文化財に指定されています。


 長屋門を正面から撮ってみました。


 長屋門をくぐると、右側にパフパフした穂(?)を付けた植物(チガヤ?)が沢山生えていました。


 あまり見たことがない植物なのでアップで撮ってみました。


 長屋門の先には江戸時代の名主(旧小池家)の家があって、市重要文化財にも指定されています。


 取り敢えず旧小池家の全体を撮ってみましたが、桁行は18.595mあるみたいですよ!


 居間の奥の空間に階段があったので撮っていると、ボランティアの人が近づいて来ました。
 この階段は寄り合いや慶弔事があると居間を広く使うために取り外しが出来のだと、ボランティアの人が説明してくれました(有難うございました)。
 右側に土間があったので入ってみました。
 

 土間には囲炉裏があって、囲炉裏とは不釣り合いな大きな自在鉤がありました。
 

 ボランティアの人の説明に依ると、この不釣り合いな自在鉤は旧小池家の移築修復後に、何処からか手に入れたみたいです。
 尚、自在鉤の口にある円いものは動くみたいです。 
 ⇒ 自在鉤をアップで撮ってみましたが、ボケていて上手く撮れていませんでした(すいません)。


 旧小池家を裏側から撮って、裏庭に咲いている紫陽花を見に行きました。




 素晴らしい紫陽花が咲いていたので撮ってみました。






 折角なのでアップでも撮ってみました。


 旧小池家を後に、池の先にある湿性植物区に行ってみることにしました。


 橋を渡ると散策路の脇に、ご覧のような花菖蒲が咲いていたので近くに行ってみました。


 散策路から今が見頃の花菖蒲を撮ってみました。








 当然、花菖蒲をアップで撮ってみました。
 更に、上の方にある川名大池に行ってみました。


 川名大池は農業用水を溜めた溜池で、ご覧のような板塀の覗き窓から池を見ることが出来ますが・・・


 覗き窓から川名大池を撮ってみました。


 川名大池から喉かな風景を見ながら新林公園の出口に向かいました。

 新林公園を後に、ミネベア藤沢工場を右に見ながら歩道を下ります。
 ミネベア(株)は、ベアリング、モーターなどを製造している電器部品メーカーですが、裏側からは何の工場か判らなかったので不可解な感じがしました(すいません)。

<上山本橋>

 ミネベア藤沢工場の敷地の外れにある信号を右に曲がって工場の正面に向かいます。
 工場の正面を超えて暫く歩くと上山本橋が見えてきました。


 上山本橋から境川の下流方面を撮ってみました。
 境川を左に見ながら、右側に江ノ電柳小路駅に行ける道を探しながら散策路を歩きます。


 途中、境川を跨ぐ配管(?)の上にカワウ(河鵜)が屯していたので撮ってみました。


 又、下の方で魚を採っているカワウもいたのでアップでも撮ってみました。

 江ノ電柳小路駅に入る道が判らず、上山本橋から片瀬山入口近くの橋まで来てしまいました(アチャ!)。
 ⇒ でも片瀬山と言う山があることが判りました。

 結局、藤沢街道(国道467号線)に出て柳小路まで戻りことになりました。
 藤沢街道はバス通りでバス停「柳小路」があったので左折して暫く歩くと江ノ電の柳小路駅に着くことが出来ました(ホッ!)。

<江ノ電柳小路駅>

 柳小路駅からはご覧のような江ノ電線路脇の細い道を歩くことになります。
 広い道路に出て左に行くと鵠沼高校のグランドのフェンスが見えてきました。

<第一蓮池>

 グランドを超えると右側に第一蓮池がありました。
 

 第一蓮池には蓮は殆どありませんでしたが、藤沢メダカの試験放流区になっているようです。

<桜小路公園・第二蓮池>

 第一蓮池を後に道なりに暫く歩くと、桜小路公園の第二蓮池に着きました。
 掲示板には、『この公園付近一帯は、昔鵠沼の地名の由来と言われる「沼」が七つもあったそうです。しかし時代とと共に埋められ、残された池はこの三つの「ハス池」だけになりました。』と書いてありました。


 第二蓮池は第一蓮池と違ってご覧のように沢山の蓮が植えてありました。


 残念ながら蓮の花は咲いてなかったのですが、取り敢えず蓮をアップで撮ってみました。


 第二蓮池の散策路に入って蓮を間近で見ることにしました。


 蓮の葉っぱに水玉があったのでアップで撮ってみました。




 所どころに蓮の花の蕾を見つけたので、こちらもアップで撮ってみました。


 第二蓮池を見ながら桜小路公園のベンチで小休憩してから、本鵠沼はす池通り商店街に行くことにしました。

<本鵠沼はす池通り商店街で買い物>

 本鵠沼はす池通り商店街に入ったので、ノボリが立っているお店に立ち寄って次のようなものをゲットしました。

 ・鶴見精肉店では、串に刺さった「れんこん揚げ焼売」と「れんこんコロッケ」
 ・スワン洋菓子店では、「恋婚(れんこん)パイ」
 ・ベーカリーアンジュでは、「れんこんカレーパン」と「焼きれんこんカレーパン」
 ・中村屋酒米店では、焼酎の「はす恋のワルツ」

 「恋婚(れんこん)」、「はす恋」は笑ってしまいますね!

 他に、ラーメン×BARの「麺やBar渦」、はすの葉煎茶の「銘茶 古郷鵠沼苑」もあったのですが何となく気が引けて入りませんでした。

 結局、本鵠沼駅からは小田急線で藤沢駅まで行って、藤沢駅近くの馴染みの居酒屋で一杯遣って帰りました。

 今回の「藤沢駅~本鵠沼駅をぶらり」は、蓮池では蓮の花は見れなかったのですが、最後にいろんな蓮根が食べれたので満足しています。

 因みに万歩計は、途中で境川の散策路を行き過ぎてしまった関係で15,000歩近くになっていました。
コメント (2)
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