「観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅱ)」から続く。
<観音崎大橋>
ご覧のような浦賀水道を眺めながら観音崎大橋を渡ります。
振り返って、歩いて来た観音崎大橋を撮ってみました。
反対側から観音崎大橋を渡って来た人に、浦賀駅までどの位かかるのか聞いてみると、「30分以上かかるので、お寺の前のバス停からバスで行った方が良い。」と教えてくれました。
観音崎大橋を渡ると、ご覧のような砂浜が見えたので撮ってみました。
県道209号線を歩いていると、駆逐艦「村雨」の石柱があったので撮ってみました。
バス停を探しながら県道209号線を歩いていると、鴨居港が見えたので撮ってみました。
ご覧のような鴨居港の入り江も見えたので撮ってみました。
<鴨居八幡神社(かもいはちまんじんじゃ)>
県道209号線の反対側に、八幡神社の立派な鳥居が見えたので行ってみました。
二ノ鳥居もご覧のような立派な鳥居でした。
左側の狛犬が可愛らしかったのでアップで撮ってみました。
片方だけだと縁起が悪そうなので、右側の狛犬も撮ってみました。
八幡神社由緒に依ると、『祭神は譽田別尊(第15代應神天皇) 治承4年(1180)源頼朝が鎌倉に入った頃、三浦大介義明の第4子多々良四郎義春が、鴨居の領主として三浦一円を治めていて、八幡神社は義春が源家の命を受け養和元年(1181)鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。』と書いてありました。
ご覧のような手水舎で身を清めて社殿に向いました。
立派な社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
社殿の左手に、ご覧のような天満社があったので撮ってみました。
天満社の奥に神輿庫が見えたので行ってみました。
お神輿が見えたので撮ってみました。
又、神輿庫の左手に稲荷神社があったので撮ってみました。
境内には、ご覧のような立派な御神木の銀杏もありました。
最後に、社殿と天満社を一緒に撮って八幡神社を後にしました。
<醍醐不動院>
県道209号線に戻って、バス停を探していると、ご覧のような由緒ありそうな門がありました。
扁額を見ると、真言宗の寺院のようなので入ってみました。
門をくぐると、赤い橋があったので撮ってみました。
下には、ご覧のような立派な川が流れていました。
橋を渡ると、ご覧のような拝殿(?)があったので撮ってみました。
取り敢えず、拝殿でお参りしてから県道209号線に戻りました。
<西徳寺(さいとくじ)>
県道209号線の向かい側にバス停「鴨居」があって、傍に西徳寺の案内も出ていました。
浦賀方面行のバスが略10分間隔で出ていたので、取り敢えず、西徳寺に行ってみることにしました。
西徳寺はご覧のような階段の上にあります。
階段を上ると、立派な本堂があったので撮ってみました。
参道に「会津藩士の墓」の案内が出ていたので、お参りをしてから行ってみることにしました。
本堂で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから本堂の扁額を撮ってみました。
西徳寺の説明案内板には、『鎌倉の光明寺の末寺として、永禄3年(1560)法誉順性上人により開かれました。・・・』と書いてありました。
「会津藩士の墓」へは、ご覧のような案内が出いるお墓の中を通って行きます。
お墓を通り過ぎると、今度は山道を昇るみたいです。
取り敢えず、下の方に見えた本堂とお墓を撮ってみました。
ここからは、ご覧のようなかなり急な山道を昇ります。
「会津藩士の墓」に着いたので説明案内板を撮ってみました。
説明案内板には、『19世紀に入ると日本の沿岸に異国船が相次いで姿を現すようになり、文化7年(1810)幕府は会津藩に江戸湾警備の任務を命じ、会津藩は大勢の武士や家族を移住させ三浦半島沿岸を警備することになりました。それらの人々の子弟を教育するために、三崎に集義館、観音崎に養正館という藩の学校も建てられましたが、文政3年(1820)沿岸警備の任務が会津藩から浦賀奉行に移って任務は解かれました。その間、病死した藩士やその家族が西徳寺の墓地にも葬らています。』(概要)と書いてありました。
「会津藩士の墓」を撮ってみましたが、頭が下がりますね!
お墓の手前に、ご覧のような奉納経がありました。
折角なので、奉納経をアップで撮って「会津藩士の墓」を後にしました。
境内に戻ると鐘楼があったので撮って、バス停「鴨居」に向いました。
バス停に着くと、浦賀駅行のバスが時間通りに遣って来たのには驚きました。
<浦賀駅前>
浦賀駅前に着いたので、ご覧のような地図で現在地を確認しました。
この地図には、観音崎コース以外に、東浦賀コース、西浦賀コースや吉井・久里浜コースの散策コースが出ていたので機会があれば挑戦してみます。
浦賀駅近くで、お刺身があって飲めそうなお店を探したのですが見つけられませんでした。
仕方がないので、串揚げ屋に入って喉を潤すことにしました。
⇒ お店の人に聞くと、お刺身は西浦賀の方に行かないとダメみたいでした。
今回の「観音崎をぶらり」は、台風15号の影響で風は強かったのですが、大した雨に降られなくて、いろんな所が回れたので良かったです。
又、観音崎の京急バスは、時間通りに遣って来るのには感心しました。
尚、今日(2日)の万歩計は、それなりに歩いたので17,000歩近くになっていました。
<観音崎大橋>
ご覧のような浦賀水道を眺めながら観音崎大橋を渡ります。
振り返って、歩いて来た観音崎大橋を撮ってみました。
反対側から観音崎大橋を渡って来た人に、浦賀駅までどの位かかるのか聞いてみると、「30分以上かかるので、お寺の前のバス停からバスで行った方が良い。」と教えてくれました。
観音崎大橋を渡ると、ご覧のような砂浜が見えたので撮ってみました。
県道209号線を歩いていると、駆逐艦「村雨」の石柱があったので撮ってみました。
バス停を探しながら県道209号線を歩いていると、鴨居港が見えたので撮ってみました。
ご覧のような鴨居港の入り江も見えたので撮ってみました。
<鴨居八幡神社(かもいはちまんじんじゃ)>
県道209号線の反対側に、八幡神社の立派な鳥居が見えたので行ってみました。
二ノ鳥居もご覧のような立派な鳥居でした。
左側の狛犬が可愛らしかったのでアップで撮ってみました。
片方だけだと縁起が悪そうなので、右側の狛犬も撮ってみました。
八幡神社由緒に依ると、『祭神は譽田別尊(第15代應神天皇) 治承4年(1180)源頼朝が鎌倉に入った頃、三浦大介義明の第4子多々良四郎義春が、鴨居の領主として三浦一円を治めていて、八幡神社は義春が源家の命を受け養和元年(1181)鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。』と書いてありました。
ご覧のような手水舎で身を清めて社殿に向いました。
立派な社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
社殿の左手に、ご覧のような天満社があったので撮ってみました。
天満社の奥に神輿庫が見えたので行ってみました。
お神輿が見えたので撮ってみました。
又、神輿庫の左手に稲荷神社があったので撮ってみました。
境内には、ご覧のような立派な御神木の銀杏もありました。
最後に、社殿と天満社を一緒に撮って八幡神社を後にしました。
<醍醐不動院>
県道209号線に戻って、バス停を探していると、ご覧のような由緒ありそうな門がありました。
扁額を見ると、真言宗の寺院のようなので入ってみました。
門をくぐると、赤い橋があったので撮ってみました。
下には、ご覧のような立派な川が流れていました。
橋を渡ると、ご覧のような拝殿(?)があったので撮ってみました。
取り敢えず、拝殿でお参りしてから県道209号線に戻りました。
<西徳寺(さいとくじ)>
県道209号線の向かい側にバス停「鴨居」があって、傍に西徳寺の案内も出ていました。
浦賀方面行のバスが略10分間隔で出ていたので、取り敢えず、西徳寺に行ってみることにしました。
西徳寺はご覧のような階段の上にあります。
階段を上ると、立派な本堂があったので撮ってみました。
参道に「会津藩士の墓」の案内が出ていたので、お参りをしてから行ってみることにしました。
本堂で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから本堂の扁額を撮ってみました。
西徳寺の説明案内板には、『鎌倉の光明寺の末寺として、永禄3年(1560)法誉順性上人により開かれました。・・・』と書いてありました。
「会津藩士の墓」へは、ご覧のような案内が出いるお墓の中を通って行きます。
お墓を通り過ぎると、今度は山道を昇るみたいです。
取り敢えず、下の方に見えた本堂とお墓を撮ってみました。
ここからは、ご覧のようなかなり急な山道を昇ります。
「会津藩士の墓」に着いたので説明案内板を撮ってみました。
説明案内板には、『19世紀に入ると日本の沿岸に異国船が相次いで姿を現すようになり、文化7年(1810)幕府は会津藩に江戸湾警備の任務を命じ、会津藩は大勢の武士や家族を移住させ三浦半島沿岸を警備することになりました。それらの人々の子弟を教育するために、三崎に集義館、観音崎に養正館という藩の学校も建てられましたが、文政3年(1820)沿岸警備の任務が会津藩から浦賀奉行に移って任務は解かれました。その間、病死した藩士やその家族が西徳寺の墓地にも葬らています。』(概要)と書いてありました。
「会津藩士の墓」を撮ってみましたが、頭が下がりますね!
お墓の手前に、ご覧のような奉納経がありました。
折角なので、奉納経をアップで撮って「会津藩士の墓」を後にしました。
境内に戻ると鐘楼があったので撮って、バス停「鴨居」に向いました。
バス停に着くと、浦賀駅行のバスが時間通りに遣って来たのには驚きました。
<浦賀駅前>
浦賀駅前に着いたので、ご覧のような地図で現在地を確認しました。
この地図には、観音崎コース以外に、東浦賀コース、西浦賀コースや吉井・久里浜コースの散策コースが出ていたので機会があれば挑戦してみます。
浦賀駅近くで、お刺身があって飲めそうなお店を探したのですが見つけられませんでした。
仕方がないので、串揚げ屋に入って喉を潤すことにしました。
⇒ お店の人に聞くと、お刺身は西浦賀の方に行かないとダメみたいでした。
今回の「観音崎をぶらり」は、台風15号の影響で風は強かったのですが、大した雨に降られなくて、いろんな所が回れたので良かったです。
又、観音崎の京急バスは、時間通りに遣って来るのには感心しました。
尚、今日(2日)の万歩計は、それなりに歩いたので17,000歩近くになっていました。
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