1月25日(土)は、二宮町観光協会主催のスタンプラリーには参加しないで、吾妻山公園から川勾神社まで歩いてみました。
スタンプラリーに参加しないと、吾妻山公園では富士山と菜の花がゆっくり楽しむことが出来ます。
尚、昨年は「吾妻山:菜の花ウォッチング(2019)」でスタンプラリーに参加して完歩しています。
二宮駅までは、今回も小田急線秦野駅南口からバスに乗って二宮駅北口まで行くことにしました。
<二宮駅北口>
バスに乗ると30分程で二宮駅北口に着きました。
バス停近くにあった二宮ガイドマップを撮ってみましたが、スタンプラリーで回る「せせらぎ公園」と「ふたみ記念館」が遠くに感じました。
取り敢えず、信号を渡って駅前観光案内所前広場に行ってみました。
広場では和太鼓の演奏をしていたので撮ってみました。
広場の後にあるご覧のような坂道を上って吾妻山公園に向かいました。
坂道の右側にある建物は二宮町役場です。
<吾妻山公園役場口>
吾妻山公園の役場口に着いたので、これから上る階段を撮ってみました。
ご覧のような急勾配の階段を上ります。
途中で一休みして、上って来た階段を撮ってみました。
一休みしてから、更に急勾配の階段を上ります。
300段ある急勾配の階段を上り切ると、ご覧のような吾妻山公園案内図のある場所に着きます。
案内図で現在地(役場口付近)を確認しましたが、今日は川勾神社に行くので帰りは吾妻山公園の梅沢口から出ます。
近くに、水仙が咲いていたので撮ってみましたが、ご覧のような水仙もありました。
<第2展望台>
右手奥に、第2展望台があるので行ってみました。
展望台から高麗山公園方面を撮ってみました。
湘南平のテレビ塔をアップで撮ってみましたが、上手く撮れませんでした。
代わりに、ホームに東海道線が入って来た二宮駅を撮ってみました。
展望台から、水仙畑の奥に見える吾妻山に向かう山道を撮ってみました。
ここにも水仙が咲いていたのでアップで撮ってみました。
<山道>
ここからは、左側に咲いている水仙を眺めながら山道を上ります。
所々に、椿が咲いていたので水仙と一緒に撮ってみました。
又、山道の右側には、イヌ̪シデ、トウネズミモチ、ヤマモモなどの名札が付いている木がありました。
躑躅が咲いていれば下から楽しめる「つつじ園」の前に遣って来ました。
取り敢えず、下から「つつじ園」を撮ってみましたが、満開の躑躅が咲いている時期(4月下旬~5月中旬?)に来てみたいです。
ついでに、アップでも撮ってみました。
「つつじ園」の下にある分岐は、どちちらからでも公園の管理棟に行けます。
分岐の左側に行って、下の方に見えた水仙畑を撮ってみました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>
山道を暫く上ると、浅間神社の鳥居があるので行ってみました。
取り敢えず、鳥居を撮って参道を上ってみました。
参道の脇に、ご覧のような黄水仙が咲いていたのでアップで撮ってみました。
参道を上ると、境内に浅間神社があったので撮ってみました。
境内に、浅間神社の説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『御祭神は、͡木花咲耶媛(このはなさくやひめ)で、今からおよそ800年の昔、源頼朝が富士の巻狩りを催した時、曽我兄弟は父の仇の工藤祐経を討取りました。この時、姉の二宮の花月尼は、その成功を富士浅間神社に祈りました。その後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて、自分の住まいの前のこの山上に、浅間神社を祀ったと言われています。』のようなことが書いてありました。
ところで、日本神話に登場する女神に、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)がいますが関係ありますかね!?
社殿をアップで撮って、吾妻山で素晴らしい富士山と菜の花が見えますようにお参りをしました。
お参りしてから、社殿の内部を撮らせて頂きました。
浅間神社を後に、水仙の横を通って管理棟に向かいました。
<管理棟>
いつものように、管理棟の近くにあるマユミ(真弓)を撮ってみましたが、ピンク色の実は殆ど付いていませんでした。
尚、マユミの実は秋に生るので、今の時期は無くて当然ですね!
折角なので、ローラー滑り台の降り口にある子供広場を撮ってみました。
管理棟からは、ご覧のような山道を上って展望台に向かいました。
中里口・釜野口との合流地点にもマユミがありましたが、ピンク色の実はありませんでした。
<吾妻山>
吾妻山に着いたので、公園中央にあるエノキ(?)の大木を撮ってみました。
又、左側にあるローラー滑り台も撮ってみました。
取り敢えず、標高136.2mの山頂の標識を撮ってみました。
<展望台>
ご覧のような階段を上って展望台に行ってみました。
展望台からは、残念ながら富士山の影も形もありませんでした。
展望台にある方位地図を撮って、展望台の端に行ってみました。
展望台の端からも富士山を探してみましたが、ご覧のような状態でした。
仕方がないので、東屋のある相模湾方面を撮ってみました。
展望台の後方に、クスノキ(?)があったので撮ってみました。
折角なので、クスノキの横を通って展望台の下に行ってみました。
<展望台の下(西側)>
取り敢えず、展望台の下の菜の花畑を撮ってみました。
折角なので、菜の花をアップと度アップで撮ってみました。
勢い良く上に伸びようとしている菜の花があったので撮ってみました。
日当たり具合で、菜の花の色が変わるのでアップで撮ってみました。
更に奥の方に行くと、菜の花の色はご覧のように変わります。
菜の花畑の外れに遣って来ると、赤い実を付けたマユミがありました。
尚、下に見える建物は公衆便所のようです。
取り敢えず、赤い実を付けた枝をアップで撮ってみました。
度アップで撮ると、ご覧のような赤い実がありました。
近くに、ご覧のようなマユミもあったので撮ってみました。
たわわに実った、マユミの実をアップで撮ってみました。
菜の花畑の外れから、上に見えた記念碑(?)と東屋方面を撮ってみました。
ついでに、クスノキが見えたので撮ってみました。
折角なので、クスノキをアップで撮って上に戻りました。
<展望台の南側>
展望台の近くに、「吾妻山公園の由来」の碑があるので撮ってみました。
碑には、万葉秀歌「相模路(さがむぢ)の淘綾(よろぎ)の浜の真砂(まなご)なす児等(こら)は愛(かな)しく思(おも)はるるかも」が載っていて、吾妻山公園は第二次世界大戦後に、荒廃していた山を地権者65名の協力と5年の歳月をかけて整備したようです。
富士山が見える方向を撮ってみましたが、残念ながらご覧のような状態でした。
仕方がないので、手前に咲いていて菜の花をアップで撮ってみました。
後ろに、エノキの大木があったのでアップで撮ってみました。
東屋の方に行くと、桜(ソメイヨシノ?)の大木があったので撮ってみました。
菜の花畑をバックに桜の太い幹を撮ってみました。
ここからも、富士山が見える方向を撮ってみましたが・・・
<東屋>
東屋の手前に遣ってきたので、東屋を撮ってみました。
振り返って、展望台方面を撮ってみました。
東屋に着いたので、菜の花と一緒に展望台方面を撮ってみました。
ついでに、下の方に見えた相模湾の袖ヶ浦海岸を撮ってみました。
尚、沖に伸びている突堤は梅沢堤防です。
東屋を反対側から撮って、下にある吾妻神社に行ってみました。
吾妻神社へは、ご覧のような山道を下りて行きます。
<吾妻神社>
吾妻神社に着きましたが、手水舎には昔と同様に手拭が掛かっていました。
取り敢えず、社殿を撮ってみました。
手水舎で身を清めてから拝殿に向かいました。
参道に、吾妻神社の由緒記があったので撮ってみました。
由緒記には、『日本武尊の妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が、夫に代わって海の神の怒りを鎮め、夫の武運を祈るため海に身を投じると、たちまたち海が静まった。』ようなことが書いてありました。
取り敢えず、拝殿を撮ってお参りをしました。
お参りをしてから拝殿の向拝と向拝の下を撮ってみました。
拝殿の後ろに、本殿があったので撮ってみました。
拝殿の前に、ご覧のような河津桜があったので撮ってみました。
蕾が殆どですが、開きかけている蕾や花があったのでアップで撮ってみました。
取り敢えず、鳥居を撮って参道を下ることにしました。
ご覧のような、急勾配の参道を注意深く下ります。
急勾配の参道を10分程下ると、ご覧のような祠が石段の上にありました。
石段を上ってみると、祠には扁額「神明社」が掛かっていました。
折角なので祠の内部を撮ってみました。
神明社の下に、ご覧のような鳥居(二之鳥居?)があったので撮ってみました。
尚、鳥居の位置が、神明社の方にあったので二之鳥居ではないかも知れません。
吾妻山公園の梅沢口に着いたので、案内図で現在地を確認しました。
近くに梅の木があったので、前の道路を渡って撮ってみました。
13時を回っていて昼食も食べていなかったので、昨年も入った国道沿いにある食事処に行ってみることにしました。
<東海道(国道1号線)>
目の前にあった東海道線を跨ぐ歩行者専用の橋梁を渡って国道に出ることにしました。
橋梁を渡って歩いていると、汚水管マンホールの蓋があったので撮ってみました。
国道に出る手前に、吾妻神社の一之鳥居があったので撮ってみました。
食事処の名前は覚えていませんでしたが、国道を二宮駅方面に少し戻ると食事処「味さい・魚光」はありました(ホッ!)。
後は、川勾神社に行くだけなので、刺身・干物などをツマミに飲んでしまいました(結局、1時間30分程いてました)。
食事処を出て小田原方面に向かって国道を歩いていると、昭和11年3月竣功の吾妻橋があったので撮ってみました。
国道を歩いていると、道路脇の空地(?)にアロエの花が咲いていました。
アロエの花を見るのは初めてなのでアップで撮ってみました。
「魚処にしけん」を過ぎると、道祖神・天神社などの石塔群があったので撮ってみました。
川勾歩道橋に着いたので、右折して川勾神社に向かいます。
<川勾神社に向かう>
近くに、茶屋薬師堂があるので撮ってみました。
境内の右側に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。
取り敢えず、薬師堂をアップで撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてからお堂の内部を撮らせて頂きました。
茶屋薬師堂を後に先に行くと、ご覧のような茶屋町会館があったので撮ってみました。
更に、先に行くと東海道線を跨ぐ跨線橋があります。
跨線橋から東海道線の上り方面を撮ってみました。
跨線橋を渡ると、立派な山門のある密厳院(みつごんいん)があります。
取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。
道なりに暫く歩いて右に曲がると、川勾神社に行ける道路があります。
道路を暫く進むと、右側に西光寺がありますが帰りに寄ることにしました。
西光寺の入り口に、ご覧のような袖切地蔵尊があったので撮ってみました。
傍らに、案内板「川勾切通し・袖切地蔵尊の由来」があったのでアップで撮ってみました。
案内板には、「この道路は江戸時代川勾神社に参拝する人達の為に造られた川勾の切通しの道路で、道路の完成と人々の往来の安全を願って袖切地蔵尊が建立された。」と出ていました。
<川勾神社(かわわじんじゃ)>
「川勾切通し」を5分程歩くと、川勾神社の入口に着きました。
道路の両側に、二宮町の町の木「つばき」が植えられていたのでアップで撮ってみました。
鳥居の手前に、ご覧のような忠魂碑があるので撮ってみました。
ついでに、立派な鳥居を撮ってみました。
鳥居の脇には、伊藤博文公直筆の鳥居額があります。
階段の上に着くと、茅葺き屋根の随神門があるので撮ってみました。
参道の左側に、神輿殿があるので撮ってみました。
隣にある手水舎を撮って、富士山のビューポイントがある神楽殿の横に行ってみました。
富士山が見える方角を撮ってみましたが、残念ながら、ご覧のような状態でした。
代わりに、神楽殿の横にあった「茅の輪くぐり」で使う茅(ちがや)を撮ってみました。
取り敢えず、神楽殿を撮って拝殿に向かいました。
拝殿の手前に遣って来たので、拝殿を撮ってみました。
お参りしてから、拝殿の向拝を撮ってみました。
拝殿の手前右には、龍(?)が描かれている大願成就の絵馬が沢山ありました。
又、ご覧のような紅梅も咲いていました。
折角なので、アップで撮ってみました。
拝殿の右側に、東五社祭神が祀られていたので撮ってみました。
又、拝殿の左側には、西五社祭神が祀られていました。
参道を戻っていると、ご覧のような奉納句があったので撮ってみました。
奉納句の後ろに、昔の鳥居額と石鳥居があったので撮ってみました。
随神門を反対側から撮って、ご覧のような急な階段を下りました。
<湘南オリーブの郷>
階段を下りて暫く歩くと、左側に「湘南オリーブの郷」の看板があったので行ってみました。
道なりに暫く歩くと、オリーブ(?)の木はありましたが、辺りに建物はありませんでした。
折角なので、オリーブの木をアップで撮って、来た道を戻りました。
<西光寺(さいこうじ)>
「川勾切通し」を戻って、袖切地蔵尊の先を左に入ると西光寺の山門があります。
山門の手前に、「子育延命地蔵尊」があるので撮ってみました。
山門をくぐると、左側に弘法大師御修行像と慈母観音像があるので撮ってみました。
又、道祖神の先にある橋を渡ると、三寶洞があるので入ってみました。
三寶洞に、地下百体地蔵尊が祀られている慈光殿があるので撮ってみました。
三寶洞を後に、本堂に行ってみました。
本堂で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから西光寺の扁額を撮ってみましたが、扁額は山号「無量山雨宝院」の無量山になっていました。
本堂の前にあった守護木の「かやの木」を撮ってみました。
近くに、説明案内板「かやの木」があったので撮ってみました。
取り敢えず、本堂と一緒に「かやの木」を撮ってみました。
後ろにあった、四国八十八ヶ所霊場巡拝記念の碑「念ずれは 花ひらく 貞民」を撮って鐘楼の近くに行ってみました。
取り敢えず、鐘楼と梵鐘を撮ってみました。
近くに、ご覧のようなロウバイが咲いていました。
折角なのでアップで撮ってみました。
再度、天然記念物の「かやの木」と本堂を一緒に撮って、西光寺を後にしました。
<成就院>
西光寺からは、二宮町民運動場の入り口がある道路の下を通って帰ることにしました。
歩いていると、ご覧のような成就院の案内が出ていました。
鎌倉にも紫陽花で有名な同名のお寺があったので、期待して細い石段を上ってみました。
ご覧のような家の脇を通って上に行くと、墓地はありましたがお寺は見つけられませんでした。
成就院は、墓地の上にあったのかも知れませんが、行くのは諦めて道路に戻りました。
交差点「運動場入口」からバス道路に出ると、運良く二宮駅行きのバスが来たので乗ってしまいました。
二宮駅北口に早めに着いたので、何回か入ったことのある居酒屋で軽く飲んで東海道線で帰りました。
今回の「吾妻山公園~川匂神社をぶらり」は、吾妻山公園では富士山は拝めませでしたが、これまで行った所がゆっくり回れたので良かったです。
尚、万歩計はそれなりに歩いたので17,000歩近くになっていました。
スタンプラリーに参加しないと、吾妻山公園では富士山と菜の花がゆっくり楽しむことが出来ます。
尚、昨年は「吾妻山:菜の花ウォッチング(2019)」でスタンプラリーに参加して完歩しています。
二宮駅までは、今回も小田急線秦野駅南口からバスに乗って二宮駅北口まで行くことにしました。
<二宮駅北口>
バスに乗ると30分程で二宮駅北口に着きました。
バス停近くにあった二宮ガイドマップを撮ってみましたが、スタンプラリーで回る「せせらぎ公園」と「ふたみ記念館」が遠くに感じました。
取り敢えず、信号を渡って駅前観光案内所前広場に行ってみました。
広場では和太鼓の演奏をしていたので撮ってみました。
広場の後にあるご覧のような坂道を上って吾妻山公園に向かいました。
坂道の右側にある建物は二宮町役場です。
<吾妻山公園役場口>
吾妻山公園の役場口に着いたので、これから上る階段を撮ってみました。
ご覧のような急勾配の階段を上ります。
途中で一休みして、上って来た階段を撮ってみました。
一休みしてから、更に急勾配の階段を上ります。
300段ある急勾配の階段を上り切ると、ご覧のような吾妻山公園案内図のある場所に着きます。
案内図で現在地(役場口付近)を確認しましたが、今日は川勾神社に行くので帰りは吾妻山公園の梅沢口から出ます。
近くに、水仙が咲いていたので撮ってみましたが、ご覧のような水仙もありました。
<第2展望台>
右手奥に、第2展望台があるので行ってみました。
展望台から高麗山公園方面を撮ってみました。
湘南平のテレビ塔をアップで撮ってみましたが、上手く撮れませんでした。
代わりに、ホームに東海道線が入って来た二宮駅を撮ってみました。
展望台から、水仙畑の奥に見える吾妻山に向かう山道を撮ってみました。
ここにも水仙が咲いていたのでアップで撮ってみました。
<山道>
ここからは、左側に咲いている水仙を眺めながら山道を上ります。
所々に、椿が咲いていたので水仙と一緒に撮ってみました。
又、山道の右側には、イヌ̪シデ、トウネズミモチ、ヤマモモなどの名札が付いている木がありました。
躑躅が咲いていれば下から楽しめる「つつじ園」の前に遣って来ました。
取り敢えず、下から「つつじ園」を撮ってみましたが、満開の躑躅が咲いている時期(4月下旬~5月中旬?)に来てみたいです。
ついでに、アップでも撮ってみました。
「つつじ園」の下にある分岐は、どちちらからでも公園の管理棟に行けます。
分岐の左側に行って、下の方に見えた水仙畑を撮ってみました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>
山道を暫く上ると、浅間神社の鳥居があるので行ってみました。
取り敢えず、鳥居を撮って参道を上ってみました。
参道の脇に、ご覧のような黄水仙が咲いていたのでアップで撮ってみました。
参道を上ると、境内に浅間神社があったので撮ってみました。
境内に、浅間神社の説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『御祭神は、͡木花咲耶媛(このはなさくやひめ)で、今からおよそ800年の昔、源頼朝が富士の巻狩りを催した時、曽我兄弟は父の仇の工藤祐経を討取りました。この時、姉の二宮の花月尼は、その成功を富士浅間神社に祈りました。その後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて、自分の住まいの前のこの山上に、浅間神社を祀ったと言われています。』のようなことが書いてありました。
ところで、日本神話に登場する女神に、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)がいますが関係ありますかね!?
社殿をアップで撮って、吾妻山で素晴らしい富士山と菜の花が見えますようにお参りをしました。
お参りしてから、社殿の内部を撮らせて頂きました。
浅間神社を後に、水仙の横を通って管理棟に向かいました。
<管理棟>
いつものように、管理棟の近くにあるマユミ(真弓)を撮ってみましたが、ピンク色の実は殆ど付いていませんでした。
尚、マユミの実は秋に生るので、今の時期は無くて当然ですね!
折角なので、ローラー滑り台の降り口にある子供広場を撮ってみました。
管理棟からは、ご覧のような山道を上って展望台に向かいました。
中里口・釜野口との合流地点にもマユミがありましたが、ピンク色の実はありませんでした。
<吾妻山>
吾妻山に着いたので、公園中央にあるエノキ(?)の大木を撮ってみました。
又、左側にあるローラー滑り台も撮ってみました。
取り敢えず、標高136.2mの山頂の標識を撮ってみました。
<展望台>
ご覧のような階段を上って展望台に行ってみました。
展望台からは、残念ながら富士山の影も形もありませんでした。
展望台にある方位地図を撮って、展望台の端に行ってみました。
展望台の端からも富士山を探してみましたが、ご覧のような状態でした。
仕方がないので、東屋のある相模湾方面を撮ってみました。
展望台の後方に、クスノキ(?)があったので撮ってみました。
折角なので、クスノキの横を通って展望台の下に行ってみました。
<展望台の下(西側)>
取り敢えず、展望台の下の菜の花畑を撮ってみました。
折角なので、菜の花をアップと度アップで撮ってみました。
勢い良く上に伸びようとしている菜の花があったので撮ってみました。
日当たり具合で、菜の花の色が変わるのでアップで撮ってみました。
更に奥の方に行くと、菜の花の色はご覧のように変わります。
菜の花畑の外れに遣って来ると、赤い実を付けたマユミがありました。
尚、下に見える建物は公衆便所のようです。
取り敢えず、赤い実を付けた枝をアップで撮ってみました。
度アップで撮ると、ご覧のような赤い実がありました。
近くに、ご覧のようなマユミもあったので撮ってみました。
たわわに実った、マユミの実をアップで撮ってみました。
菜の花畑の外れから、上に見えた記念碑(?)と東屋方面を撮ってみました。
ついでに、クスノキが見えたので撮ってみました。
折角なので、クスノキをアップで撮って上に戻りました。
<展望台の南側>
展望台の近くに、「吾妻山公園の由来」の碑があるので撮ってみました。
碑には、万葉秀歌「相模路(さがむぢ)の淘綾(よろぎ)の浜の真砂(まなご)なす児等(こら)は愛(かな)しく思(おも)はるるかも」が載っていて、吾妻山公園は第二次世界大戦後に、荒廃していた山を地権者65名の協力と5年の歳月をかけて整備したようです。
富士山が見える方向を撮ってみましたが、残念ながらご覧のような状態でした。
仕方がないので、手前に咲いていて菜の花をアップで撮ってみました。
後ろに、エノキの大木があったのでアップで撮ってみました。
東屋の方に行くと、桜(ソメイヨシノ?)の大木があったので撮ってみました。
菜の花畑をバックに桜の太い幹を撮ってみました。
ここからも、富士山が見える方向を撮ってみましたが・・・
<東屋>
東屋の手前に遣ってきたので、東屋を撮ってみました。
振り返って、展望台方面を撮ってみました。
東屋に着いたので、菜の花と一緒に展望台方面を撮ってみました。
ついでに、下の方に見えた相模湾の袖ヶ浦海岸を撮ってみました。
尚、沖に伸びている突堤は梅沢堤防です。
東屋を反対側から撮って、下にある吾妻神社に行ってみました。
吾妻神社へは、ご覧のような山道を下りて行きます。
<吾妻神社>
吾妻神社に着きましたが、手水舎には昔と同様に手拭が掛かっていました。
取り敢えず、社殿を撮ってみました。
手水舎で身を清めてから拝殿に向かいました。
参道に、吾妻神社の由緒記があったので撮ってみました。
由緒記には、『日本武尊の妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が、夫に代わって海の神の怒りを鎮め、夫の武運を祈るため海に身を投じると、たちまたち海が静まった。』ようなことが書いてありました。
取り敢えず、拝殿を撮ってお参りをしました。
お参りをしてから拝殿の向拝と向拝の下を撮ってみました。
拝殿の後ろに、本殿があったので撮ってみました。
拝殿の前に、ご覧のような河津桜があったので撮ってみました。
蕾が殆どですが、開きかけている蕾や花があったのでアップで撮ってみました。
取り敢えず、鳥居を撮って参道を下ることにしました。
ご覧のような、急勾配の参道を注意深く下ります。
急勾配の参道を10分程下ると、ご覧のような祠が石段の上にありました。
石段を上ってみると、祠には扁額「神明社」が掛かっていました。
折角なので祠の内部を撮ってみました。
神明社の下に、ご覧のような鳥居(二之鳥居?)があったので撮ってみました。
尚、鳥居の位置が、神明社の方にあったので二之鳥居ではないかも知れません。
吾妻山公園の梅沢口に着いたので、案内図で現在地を確認しました。
近くに梅の木があったので、前の道路を渡って撮ってみました。
13時を回っていて昼食も食べていなかったので、昨年も入った国道沿いにある食事処に行ってみることにしました。
<東海道(国道1号線)>
目の前にあった東海道線を跨ぐ歩行者専用の橋梁を渡って国道に出ることにしました。
橋梁を渡って歩いていると、汚水管マンホールの蓋があったので撮ってみました。
国道に出る手前に、吾妻神社の一之鳥居があったので撮ってみました。
食事処の名前は覚えていませんでしたが、国道を二宮駅方面に少し戻ると食事処「味さい・魚光」はありました(ホッ!)。
後は、川勾神社に行くだけなので、刺身・干物などをツマミに飲んでしまいました(結局、1時間30分程いてました)。
食事処を出て小田原方面に向かって国道を歩いていると、昭和11年3月竣功の吾妻橋があったので撮ってみました。
国道を歩いていると、道路脇の空地(?)にアロエの花が咲いていました。
アロエの花を見るのは初めてなのでアップで撮ってみました。
「魚処にしけん」を過ぎると、道祖神・天神社などの石塔群があったので撮ってみました。
川勾歩道橋に着いたので、右折して川勾神社に向かいます。
<川勾神社に向かう>
近くに、茶屋薬師堂があるので撮ってみました。
境内の右側に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。
取り敢えず、薬師堂をアップで撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてからお堂の内部を撮らせて頂きました。
茶屋薬師堂を後に先に行くと、ご覧のような茶屋町会館があったので撮ってみました。
更に、先に行くと東海道線を跨ぐ跨線橋があります。
跨線橋から東海道線の上り方面を撮ってみました。
跨線橋を渡ると、立派な山門のある密厳院(みつごんいん)があります。
取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。
道なりに暫く歩いて右に曲がると、川勾神社に行ける道路があります。
道路を暫く進むと、右側に西光寺がありますが帰りに寄ることにしました。
西光寺の入り口に、ご覧のような袖切地蔵尊があったので撮ってみました。
傍らに、案内板「川勾切通し・袖切地蔵尊の由来」があったのでアップで撮ってみました。
案内板には、「この道路は江戸時代川勾神社に参拝する人達の為に造られた川勾の切通しの道路で、道路の完成と人々の往来の安全を願って袖切地蔵尊が建立された。」と出ていました。
<川勾神社(かわわじんじゃ)>
「川勾切通し」を5分程歩くと、川勾神社の入口に着きました。
道路の両側に、二宮町の町の木「つばき」が植えられていたのでアップで撮ってみました。
鳥居の手前に、ご覧のような忠魂碑があるので撮ってみました。
ついでに、立派な鳥居を撮ってみました。
鳥居の脇には、伊藤博文公直筆の鳥居額があります。
階段の上に着くと、茅葺き屋根の随神門があるので撮ってみました。
参道の左側に、神輿殿があるので撮ってみました。
隣にある手水舎を撮って、富士山のビューポイントがある神楽殿の横に行ってみました。
富士山が見える方角を撮ってみましたが、残念ながら、ご覧のような状態でした。
代わりに、神楽殿の横にあった「茅の輪くぐり」で使う茅(ちがや)を撮ってみました。
取り敢えず、神楽殿を撮って拝殿に向かいました。
拝殿の手前に遣って来たので、拝殿を撮ってみました。
お参りしてから、拝殿の向拝を撮ってみました。
拝殿の手前右には、龍(?)が描かれている大願成就の絵馬が沢山ありました。
又、ご覧のような紅梅も咲いていました。
折角なので、アップで撮ってみました。
拝殿の右側に、東五社祭神が祀られていたので撮ってみました。
又、拝殿の左側には、西五社祭神が祀られていました。
参道を戻っていると、ご覧のような奉納句があったので撮ってみました。
奉納句の後ろに、昔の鳥居額と石鳥居があったので撮ってみました。
随神門を反対側から撮って、ご覧のような急な階段を下りました。
<湘南オリーブの郷>
階段を下りて暫く歩くと、左側に「湘南オリーブの郷」の看板があったので行ってみました。
道なりに暫く歩くと、オリーブ(?)の木はありましたが、辺りに建物はありませんでした。
折角なので、オリーブの木をアップで撮って、来た道を戻りました。
<西光寺(さいこうじ)>
「川勾切通し」を戻って、袖切地蔵尊の先を左に入ると西光寺の山門があります。
山門の手前に、「子育延命地蔵尊」があるので撮ってみました。
山門をくぐると、左側に弘法大師御修行像と慈母観音像があるので撮ってみました。
又、道祖神の先にある橋を渡ると、三寶洞があるので入ってみました。
三寶洞に、地下百体地蔵尊が祀られている慈光殿があるので撮ってみました。
三寶洞を後に、本堂に行ってみました。
本堂で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから西光寺の扁額を撮ってみましたが、扁額は山号「無量山雨宝院」の無量山になっていました。
本堂の前にあった守護木の「かやの木」を撮ってみました。
近くに、説明案内板「かやの木」があったので撮ってみました。
取り敢えず、本堂と一緒に「かやの木」を撮ってみました。
後ろにあった、四国八十八ヶ所霊場巡拝記念の碑「念ずれは 花ひらく 貞民」を撮って鐘楼の近くに行ってみました。
取り敢えず、鐘楼と梵鐘を撮ってみました。
近くに、ご覧のようなロウバイが咲いていました。
折角なのでアップで撮ってみました。
再度、天然記念物の「かやの木」と本堂を一緒に撮って、西光寺を後にしました。
<成就院>
西光寺からは、二宮町民運動場の入り口がある道路の下を通って帰ることにしました。
歩いていると、ご覧のような成就院の案内が出ていました。
鎌倉にも紫陽花で有名な同名のお寺があったので、期待して細い石段を上ってみました。
ご覧のような家の脇を通って上に行くと、墓地はありましたがお寺は見つけられませんでした。
成就院は、墓地の上にあったのかも知れませんが、行くのは諦めて道路に戻りました。
交差点「運動場入口」からバス道路に出ると、運良く二宮駅行きのバスが来たので乗ってしまいました。
二宮駅北口に早めに着いたので、何回か入ったことのある居酒屋で軽く飲んで東海道線で帰りました。
今回の「吾妻山公園~川匂神社をぶらり」は、吾妻山公園では富士山は拝めませでしたが、これまで行った所がゆっくり回れたので良かったです。
尚、万歩計はそれなりに歩いたので17,000歩近くになっていました。