飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

吾妻山公園~川勾神社をぶらり

2020年01月26日 | Weblog
 1月25日(土)は、二宮町観光協会主催のスタンプラリーには参加しないで、吾妻山公園から川勾神社まで歩いてみました。
 スタンプラリーに参加しないと、吾妻山公園では富士山と菜の花がゆっくり楽しむことが出来ます。
 尚、昨年は「吾妻山:菜の花ウォッチング(2019)」でスタンプラリーに参加して完歩しています。

 二宮駅までは、今回も小田急線秦野駅南口からバスに乗って二宮駅北口まで行くことにしました。

<二宮駅北口>

 バスに乗ると30分程で二宮駅北口に着きました。
 バス停近くにあった二宮ガイドマップを撮ってみましたが、スタンプラリーで回る「せせらぎ公園」と「ふたみ記念館」が遠くに感じました。


 取り敢えず、信号を渡って駅前観光案内所前広場に行ってみました。


 広場では和太鼓の演奏をしていたので撮ってみました。




 広場の後にあるご覧のような坂道を上って吾妻山公園に向かいました。


 坂道の右側にある建物は二宮町役場です。

<吾妻山公園役場口>



 吾妻山公園の役場口に着いたので、これから上る階段を撮ってみました。






 ご覧のような急勾配の階段を上ります。


 途中で一休みして、上って来た階段を撮ってみました。




 一休みしてから、更に急勾配の階段を上ります。


 300段ある急勾配の階段を上り切ると、ご覧のような吾妻山公園案内図のある場所に着きます。


 案内図で現在地(役場口付近)を確認しましたが、今日は川勾神社に行くので帰りは吾妻山公園の梅沢口から出ます。




 近くに、水仙が咲いていたので撮ってみましたが、ご覧のような水仙もありました。

<第2展望台>

 右手奥に、第2展望台があるので行ってみました。


 展望台から高麗山公園方面を撮ってみました。


 湘南平のテレビ塔をアップで撮ってみましたが、上手く撮れませんでした。


 代わりに、ホームに東海道線が入って来た二宮駅を撮ってみました。


 展望台から、水仙畑の奥に見える吾妻山に向かう山道を撮ってみました。


 ここにも水仙が咲いていたのでアップで撮ってみました。

<山道>

 ここからは、左側に咲いている水仙を眺めながら山道を上ります。


 所々に、椿が咲いていたので水仙と一緒に撮ってみました。




 又、山道の右側には、イヌ̪シデ、トウネズミモチ、ヤマモモなどの名札が付いている木がありました。


 躑躅が咲いていれば下から楽しめる「つつじ園」の前に遣って来ました。


 取り敢えず、下から「つつじ園」を撮ってみましたが、満開の躑躅が咲いている時期(4月下旬~5月中旬?)に来てみたいです。
 

 ついでに、アップでも撮ってみました。


 「つつじ園」の下にある分岐は、どちちらからでも公園の管理棟に行けます。


 分岐の左側に行って、下の方に見えた水仙畑を撮ってみました。

<浅間神社(せんげんじんじゃ)>

 山道を暫く上ると、浅間神社の鳥居があるので行ってみました。


 取り敢えず、鳥居を撮って参道を上ってみました。




 参道の脇に、ご覧のような黄水仙が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 参道を上ると、境内に浅間神社があったので撮ってみました。


 境内に、浅間神社の説明案内板があったので撮ってみました。


 説明案内板には、『御祭神は、͡木花咲耶媛(このはなさくやひめ)で、今からおよそ800年の昔、源頼朝が富士の巻狩りを催した時、曽我兄弟は父の仇の工藤祐経を討取りました。この時、姉の二宮の花月尼は、その成功を富士浅間神社に祈りました。その後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて、自分の住まいの前のこの山上に、浅間神社を祀ったと言われています。』のようなことが書いてありました。
 ところで、日本神話に登場する女神に、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)がいますが関係ありますかね!?


 社殿をアップで撮って、吾妻山で素晴らしい富士山と菜の花が見えますようにお参りをしました。


 お参りしてから、社殿の内部を撮らせて頂きました。


 浅間神社を後に、水仙の横を通って管理棟に向かいました。

<管理棟>

 いつものように、管理棟の近くにあるマユミ(真弓)を撮ってみましたが、ピンク色の実は殆ど付いていませんでした。
 尚、マユミの実は秋に生るので、今の時期は無くて当然ですね!


 折角なので、ローラー滑り台の降り口にある子供広場を撮ってみました。


 管理棟からは、ご覧のような山道を上って展望台に向かいました。


 中里口・釜野口との合流地点にもマユミがありましたが、ピンク色の実はありませんでした。

<吾妻山>

 吾妻山に着いたので、公園中央にあるエノキ(?)の大木を撮ってみました。


 又、左側にあるローラー滑り台も撮ってみました。


 取り敢えず、標高136.2mの山頂の標識を撮ってみました。

<展望台>

 ご覧のような階段を上って展望台に行ってみました。


 展望台からは、残念ながら富士山の影も形もありませんでした。


 展望台にある方位地図を撮って、展望台の端に行ってみました。






 展望台の端からも富士山を探してみましたが、ご覧のような状態でした。




 仕方がないので、東屋のある相模湾方面を撮ってみました。


 展望台の後方に、クスノキ(?)があったので撮ってみました。
 折角なので、クスノキの横を通って展望台の下に行ってみました。

<展望台の下(西側)>





 取り敢えず、展望台の下の菜の花畑を撮ってみました。






 折角なので、菜の花をアップと度アップで撮ってみました。


 勢い良く上に伸びようとしている菜の花があったので撮ってみました。




 日当たり具合で、菜の花の色が変わるのでアップで撮ってみました。




 更に奥の方に行くと、菜の花の色はご覧のように変わります。


 菜の花畑の外れに遣って来ると、赤い実を付けたマユミがありました。
 尚、下に見える建物は公衆便所のようです。


 取り敢えず、赤い実を付けた枝をアップで撮ってみました。


 度アップで撮ると、ご覧のような赤い実がありました。


 近くに、ご覧のようなマユミもあったので撮ってみました。


 たわわに実った、マユミの実をアップで撮ってみました。




 菜の花畑の外れから、上に見えた記念碑(?)と東屋方面を撮ってみました。


 ついでに、クスノキが見えたので撮ってみました。


 折角なので、クスノキをアップで撮って上に戻りました。

<展望台の南側>

 展望台の近くに、「吾妻山公園の由来」の碑があるので撮ってみました。


 碑には、万葉秀歌「相模路(さがむぢ)の淘綾(よろぎ)の浜の真砂(まなご)なす児等(こら)は愛(かな)しく思(おも)はるるかも」が載っていて、吾妻山公園は第二次世界大戦後に、荒廃していた山を地権者65名の協力と5年の歳月をかけて整備したようです。


 富士山が見える方向を撮ってみましたが、残念ながらご覧のような状態でした。




 仕方がないので、手前に咲いていて菜の花をアップで撮ってみました。




 後ろに、エノキの大木があったのでアップで撮ってみました。


 東屋の方に行くと、桜(ソメイヨシノ?)の大木があったので撮ってみました。


 菜の花畑をバックに桜の太い幹を撮ってみました。




 ここからも、富士山が見える方向を撮ってみましたが・・・

<東屋>

 東屋の手前に遣ってきたので、東屋を撮ってみました。


 振り返って、展望台方面を撮ってみました。


 東屋に着いたので、菜の花と一緒に展望台方面を撮ってみました。


 ついでに、下の方に見えた相模湾の袖ヶ浦海岸を撮ってみました。
 尚、沖に伸びている突堤は梅沢堤防です。


 東屋を反対側から撮って、下にある吾妻神社に行ってみました。
 



 吾妻神社へは、ご覧のような山道を下りて行きます。

<吾妻神社>

 吾妻神社に着きましたが、手水舎には昔と同様に手拭が掛かっていました。


 取り敢えず、社殿を撮ってみました。


 手水舎で身を清めてから拝殿に向かいました。


 参道に、吾妻神社の由緒記があったので撮ってみました。
 由緒記には、『日本武尊の妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が、夫に代わって海の神の怒りを鎮め、夫の武運を祈るため海に身を投じると、たちまたち海が静まった。』ようなことが書いてありました。 




 取り敢えず、拝殿を撮ってお参りをしました。




 お参りをしてから拝殿の向拝と向拝の下を撮ってみました。


 拝殿の後ろに、本殿があったので撮ってみました。


 拝殿の前に、ご覧のような河津桜があったので撮ってみました。






 蕾が殆どですが、開きかけている蕾や花があったのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、鳥居を撮って参道を下ることにしました。






 ご覧のような、急勾配の参道を注意深く下ります。


 急勾配の参道を10分程下ると、ご覧のような祠が石段の上にありました。


 石段を上ってみると、祠には扁額「神明社」が掛かっていました。


 折角なので祠の内部を撮ってみました。


 神明社の下に、ご覧のような鳥居(二之鳥居?)があったので撮ってみました。
 尚、鳥居の位置が、神明社の方にあったので二之鳥居ではないかも知れません。


 吾妻山公園の梅沢口に着いたので、案内図で現在地を確認しました。




 近くに梅の木があったので、前の道路を渡って撮ってみました。
 13時を回っていて昼食も食べていなかったので、昨年も入った国道沿いにある食事処に行ってみることにしました。

<東海道(国道1号線)>

 目の前にあった東海道線を跨ぐ歩行者専用の橋梁を渡って国道に出ることにしました。


 橋梁を渡って歩いていると、汚水管マンホールの蓋があったので撮ってみました。


 国道に出る手前に、吾妻神社の一之鳥居があったので撮ってみました。


 食事処の名前は覚えていませんでしたが、国道を二宮駅方面に少し戻ると食事処「味さい・魚光」はありました(ホッ!)。
 後は、川勾神社に行くだけなので、刺身・干物などをツマミに飲んでしまいました(結局、1時間30分程いてました)。


 食事処を出て小田原方面に向かって国道を歩いていると、昭和11年3月竣功の吾妻橋があったので撮ってみました。


 国道を歩いていると、道路脇の空地(?)にアロエの花が咲いていました。


 アロエの花を見るのは初めてなのでアップで撮ってみました。


 「魚処にしけん」を過ぎると、道祖神・天神社などの石塔群があったので撮ってみました。


 川勾歩道橋に着いたので、右折して川勾神社に向かいます。

<川勾神社に向かう>

 近くに、茶屋薬師堂があるので撮ってみました。


 境内の右側に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。


 取り敢えず、薬師堂をアップで撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてからお堂の内部を撮らせて頂きました。


 茶屋薬師堂を後に先に行くと、ご覧のような茶屋町会館があったので撮ってみました。


 更に、先に行くと東海道線を跨ぐ跨線橋があります。


 跨線橋から東海道線の上り方面を撮ってみました。


 跨線橋を渡ると、立派な山門のある密厳院(みつごんいん)があります。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。


 道なりに暫く歩いて右に曲がると、川勾神社に行ける道路があります。


 道路を暫く進むと、右側に西光寺がありますが帰りに寄ることにしました。


 西光寺の入り口に、ご覧のような袖切地蔵尊があったので撮ってみました。


 傍らに、案内板「川勾切通し・袖切地蔵尊の由来」があったのでアップで撮ってみました。
 案内板には、「この道路は江戸時代川勾神社に参拝する人達の為に造られた川勾の切通しの道路で、道路の完成と人々の往来の安全を願って袖切地蔵尊が建立された。」と出ていました。
 
<川勾神社(かわわじんじゃ)>



 「川勾切通し」を5分程歩くと、川勾神社の入口に着きました。




 道路の両側に、二宮町の町の木「つばき」が植えられていたのでアップで撮ってみました。


 鳥居の手前に、ご覧のような忠魂碑があるので撮ってみました。


 ついでに、立派な鳥居を撮ってみました。


 鳥居の脇には、伊藤博文公直筆の鳥居額があります。


 階段の上に着くと、茅葺き屋根の随神門があるので撮ってみました。


 参道の左側に、神輿殿があるので撮ってみました。


 隣にある手水舎を撮って、富士山のビューポイントがある神楽殿の横に行ってみました。


 富士山が見える方角を撮ってみましたが、残念ながら、ご覧のような状態でした。


 代わりに、神楽殿の横にあった「茅の輪くぐり」で使う茅(ちがや)を撮ってみました。


 取り敢えず、神楽殿を撮って拝殿に向かいました。




 拝殿の手前に遣って来たので、拝殿を撮ってみました。




 お参りしてから、拝殿の向拝を撮ってみました。


 拝殿の手前右には、龍(?)が描かれている大願成就の絵馬が沢山ありました。


 又、ご覧のような紅梅も咲いていました。






 折角なので、アップで撮ってみました。


 拝殿の右側に、東五社祭神が祀られていたので撮ってみました。


 又、拝殿の左側には、西五社祭神が祀られていました。


 参道を戻っていると、ご覧のような奉納句があったので撮ってみました。




 奉納句の後ろに、昔の鳥居額と石鳥居があったので撮ってみました。




 随神門を反対側から撮って、ご覧のような急な階段を下りました。

<湘南オリーブの郷>



 階段を下りて暫く歩くと、左側に「湘南オリーブの郷」の看板があったので行ってみました。


 道なりに暫く歩くと、オリーブ(?)の木はありましたが、辺りに建物はありませんでした。


 折角なので、オリーブの木をアップで撮って、来た道を戻りました。

<西光寺(さいこうじ)>

 「川勾切通し」を戻って、袖切地蔵尊の先を左に入ると西光寺の山門があります。


 山門の手前に、「子育延命地蔵尊」があるので撮ってみました。






 山門をくぐると、左側に弘法大師御修行像と慈母観音像があるので撮ってみました。




 又、道祖神の先にある橋を渡ると、三寶洞があるので入ってみました。




 三寶洞に、地下百体地蔵尊が祀られている慈光殿があるので撮ってみました。


 三寶洞を後に、本堂に行ってみました。


 本堂で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから西光寺の扁額を撮ってみましたが、扁額は山号「無量山雨宝院」の無量山になっていました。




 本堂の前にあった守護木の「かやの木」を撮ってみました。


 近くに、説明案内板「かやの木」があったので撮ってみました。


 取り敢えず、本堂と一緒に「かやの木」を撮ってみました。


 後ろにあった、四国八十八ヶ所霊場巡拝記念の碑「念ずれは 花ひらく 貞民」を撮って鐘楼の近くに行ってみました。




 取り敢えず、鐘楼と梵鐘を撮ってみました。


 近くに、ご覧のようなロウバイが咲いていました。




 折角なのでアップで撮ってみました。


 再度、天然記念物の「かやの木」と本堂を一緒に撮って、西光寺を後にしました。

<成就院>

 西光寺からは、二宮町民運動場の入り口がある道路の下を通って帰ることにしました。
 歩いていると、ご覧のような成就院の案内が出ていました。
 鎌倉にも紫陽花で有名な同名のお寺があったので、期待して細い石段を上ってみました。




 ご覧のような家の脇を通って上に行くと、墓地はありましたがお寺は見つけられませんでした。
 成就院は、墓地の上にあったのかも知れませんが、行くのは諦めて道路に戻りました。

 交差点「運動場入口」からバス道路に出ると、運良く二宮駅行きのバスが来たので乗ってしまいました。
 二宮駅北口に早めに着いたので、何回か入ったことのある居酒屋で軽く飲んで東海道線で帰りました。

 今回の「吾妻山公園~川匂神社をぶらり」は、吾妻山公園では富士山は拝めませでしたが、これまで行った所がゆっくり回れたので良かったです。
 尚、万歩計はそれなりに歩いたので17,000歩近くになっていました。
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瀬谷八福神めぐり(2020)

2020年01月20日 | Weblog
 1月19日(日)は、ホームセンター(DCMホーマック瀬谷店)で買物する用事があったので、運動不足解消と初詣を兼ねて「瀬谷八福神めぐり」をしてみました。
 尚、「瀬谷八福神めぐり」は、2018年1月の「横浜瀬谷:八福神めぐり」で回っているので2年ぶりになります。

 「駅からさんぽ」に付いている御朱印帳(無料)にスタンプを押しながら次のように回ってみました。
 自宅-(0:10)-寶蔵寺-(0:10)-西福寺-(0:20)-宗川寺-(0:05)-ホームセンター(0:20)-全通院勢至堂-(0:40)-長天寺-(0:20)-徳善寺-(0:30)-善昌寺-(0:05)-妙光寺-(0:40)-自宅

<寶蔵寺(ほうぞうじ)>

 自宅から厚木街道(県道40号線)を瀬谷方面に向かって10分程歩くと左側に寶蔵寺があります。


 境内の右側に、天満宮があるので撮ってみました。




 又、ご覧のような楽寿観音が祀られているのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。


 本堂の前に、ご覧のような三鈷杵(?)があったので撮ってみました。
 お参りしてから御朱印帳にスタンプを押して、後にある弁天堂に行ってみました。


 取り敢えず、弁天堂を撮ってお参りをしました。


 堂内に祀ってある弁財天をアップで撮ってみました。


 左側に、水子地蔵尊が供養されていたので撮ってみました。

<西福寺(さいふくじ)>

 次の西福寺は、厚木街道に戻って最初の信号を左に曲がって鎌倉古道を少し歩けば着けます。


 参道の左側に、ご覧のような六地蔵尊が祀ってあるので撮ってみました。


 又、横浜市の名木・古木に指定されているスダジイがありますが、樹齢1000年と言われています。


 参道から本堂を撮って、参道脇にあったスタンプ台で御朱印帳にスタンプを押しました。




 取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。


 お参りしてから、扁額の山号「猿王山」を撮ってみました。


 本堂の右側に、『永遠の聖に守られて 尽きぬ命の等しさは 実りの叫び清らかに 救いの道ぞ限りなし』と刻まれた柱に、可愛らしい小僧さんが座っていました。


 本堂の左側には、ご覧のような記念碑(?)があるので撮ってみました。


 ついでに、奥にあった茶筅塚も撮ってみました。


 駐車場の出入口近くに、ご覧のような山王堂があるので撮ってみました。


 取り敢えず、八福神の布袋尊が祀ってあるお堂に行ってみました。


 堂内に祀ってあった布袋尊を撮ってみました。


 お堂の左側に、ご覧のような布袋尊がいたので撮ってみました。




 お堂の左側にある墓地の植込みに、紅梅が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 折角なので反対側からも撮ってみました。

<左馬社>

 西福寺の先には、「瀬谷八福神めぐり」には入っていませんが左馬社があります。
 折角なので、大正7年(1918)に建てられた鳥居を撮って境内に入ってみました。


 境内に、説明案内板「左馬社と梵鐘」があったので撮ってみました。




 折角なので、鐘楼と梵鐘を撮ってみました。


 ご覧のような、手水舎があるので撮ってみました。


 手水舎の後ろに、境内社の鳥居があるので行ってみました。


 鳥居の奥には、社祠のような建物がありました。




 建物の中には、小さな祠が4宇ありました。


 取り敢えず、拝殿に行ってお参りをしました。


 お参りしてから、拝殿の内部を撮らせて頂きました。


 ついでに、立派な扁額を撮って左馬社を後にしました。


 鎌倉古道に戻って歩き出すと、ご覧のような空き地がありますが梅は未だ咲いていませんでした。


 取り敢えず、庚申塔(左)、地神塔(中央)、道祖神(右)を撮ってみました。

<宗川寺(そうせんじ)>

 鎌倉古道を15分程歩くと中原街道(県道45号線)に出るので、左に行くと宗川寺はあります。
 取り敢えず、宗川寺の山門を撮ってみましたが、境内には「瀬谷八福神めぐり」の人達がいました。


 山門の右側に、寒桜が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 山門をくぐると、右側に八福神の福禄寿が祀ってあるお堂があります。




 御朱印帳にスタンプを押してから、お堂の内部と福禄寿を撮ってみました。


 折角なので、福禄寿をアップで撮ってみました。


 横浜市の名木・古木に指定されている夫婦銀杏の間を通って本堂に向かいました。
 

 参道の左側に、桜(染井吉野?)の大木があったので撮ってみました。


 桜の大木の砂利が綺麗に敷かれていたのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。


 お参りしてから扁額を撮って、隣接しているホームセンターに向かいました。

<交差点「下瀬谷2丁目」>

 ホームセンターで用事を済ませてから中原街道に戻り、環状4号(県道18号線)との交差点「下瀬谷2丁目」に向かいました。
 交差点から環状4号を南の方に15分程下ると、左側に「八福神めぐり」の全通院勢至堂があります。

<全通院勢至堂(ぜんつういんせいしどう)>

 東歩道橋を過ぎると、左側に全通院勢至堂の参道階段がありました。


 階段の下に、ご覧のような地神塔や庚申塔などがあったので撮ってみました。


 ご覧のような急な参道階段を上って全通院勢至堂に行ってみました。


 参道の左側に、横浜市の名木・古木に指定されている「鮮麗の藤」があるので撮ってみました。


 お墓の手前に、ご覧のようなお地蔵さんがいるので撮ってみました。


 取り敢えず、勢至堂を撮ってみましたが、全通院は院号でした(山号は瀬谷山です)。


 勢至堂の前に、御朱印帳のスタンプ台があったのでスタンプを押してました。


 お参りしてから堂内を撮ってみましたが、中央に立っているのは、八福神の寿老人か御本尊の勢至菩薩像ですね!


 ついでに、勢至堂の扁額「全通院?」も撮ってみました。


 又、屋根の上を見ると、ここにもに「全通院?」と出ていました。


 勢至堂を後に、参道階段の上に戻って来ました。
 富士山が見えると思ったのですが、ダメなので代わりに東歩道橋を撮ってみました。


 東歩道橋から、これから戻る環状4号の相鉄線の瀬谷駅方面を撮ってみました。




 環状4号に下りると、下瀬谷橋があって下に相沢川が流れています。
 尚、相沢川は下流にある介護施設「ヴィラ泉」付近で境川に合流します。

<瀬谷駅近くの横浜銀行>

 環状4号を30分程歩いて瀬谷駅近くの横浜銀行に着くと、ご覧のような八福神がいたので撮ってみました。

<長天寺(ちょうてんじ)>

 達磨大師のいる長天寺は、横浜市立瀬谷小学校の裏側(北東)にあります。
 長天寺に着いたので、境内から本堂(左)と庫裏(右)を撮ってみました。


 達磨大師のいるお堂の前にボーイスカウトの団体がいたので、先に本堂でお参りすることにしました。


 取り敢えず、本堂をアップで撮ってみました。


 手水舎で身を清めてから本堂に向かいました。


 手水舎の前に梅の木がありましたが未だ蕾の状態でした。


 手水舎の隣に、太平洋戦争戦没者の忠霊塔と供養塔があったので撮ってみました。


 奥には、水児・子育地蔵尊もありました。


 又、ご覧のような観音様(?)も立っていたので撮ってみました。


 取り敢えず、本堂を撮ってお参りをしました。


 お参りしてから扁額「長天寺」を撮りましたが、石像の達磨さんを撮るのは忘れていました。


 ご覧のような植込みの横を通って、後のお堂に行ってみました。


 途中で振り返って、立派な本堂を撮ってみました。


 お堂の前には、御朱印帳のスタンプ台があるのでスタンプを押しました。


 取り敢えず、八福神の達磨大師を祀っているお堂を撮ってみました。


 お参りしてから、達磨さんが一杯いる堂内を撮らせて頂きました。


 ついでに、祭壇をアップで撮って長天寺を後にしました。

 相鉄線の瀬谷駅に向かいましたが、時刻は13時を回っていました。
 昼食を食べていなかったので、瀬谷駅のパン屋でパンとコーヒーを買って昼食の代わりにしました。

 次の徳善寺は、相鉄線沿いを大和方面に向かって10分程歩くと、横浜市立大門小学校の近く(北東)にあります。

<徳善寺に向かう>



 鎌倉古道(?)に出る手前の右側は、昔は山だった所が宅地開発されているようでした。
 尚、竹林の左奥に見える白い建物が大門小学校です。


鎌倉古道に出て右に曲がって5分程歩くと、道路沿いに徳善寺があります。

<徳善寺(とくぜんじ)>



 徳善寺に着いたので山門を撮ってみました。


 取り敢えず、仁王様がいる山門をアップで撮ってみました。
 尚、仁王様が金網があって上手く撮れませんでした。


 扁額「平成門」を度アップで撮ってみましたが、平成に出来た山門ですかね!?


 左側に、六地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。


 正面に、本堂が見えたので撮ってみました。


 参道を歩いていると、左側に瀬谷観世音菩薩が祀ってあったので撮ってみました。


 本堂でお参りしてから御朱印帳にスタンプを押すことにしました。




 お参りしてから山号「瀬谷山」を撮ってみました。
 全通院勢至堂と同じ山号(瀬谷山)だったので後で調べると、徳善寺の境外仏堂が全通院勢至堂でした。


 本堂の右側に、御朱印帳のスタンプ台があったので、鐘楼の後を通って行ってみました。


 スタンプを押してから参道に戻り、毘沙門天が祀られているお堂に行ってみました。


 お堂でお参りしてから扁額「毘沙門天」を撮ってみました。


 お堂の右側に、ご覧のような碑があったので撮ってみましたが、何と彫ってあるか分かりませんでした。

<日枝社>

 徳善寺を後に、鎌倉古道を5分程歩くと日枝社があります。


 大きな境内には、横浜市の名木・古木に指定されている大ケヤキがあります。


 参道の右側に、ご覧のような神楽殿があったので撮ってみました。


 立派な拝殿に行ってお参りすることにしました。


 拝殿を撮ってお参りをしました。


 お参りしてから扁額を撮ってみました。


 日枝社の鳥居の傍に、庚申塔や庚申塚があったので撮ってみました。

<瀬谷神明社>

 日枝社を後に、鎌倉古道を5分程歩くと瀬谷神明社があります。


 参道の奥には、ご覧のような鳥居があって拝殿が見えました。


 拝殿と一緒に鳥居を撮ってみました。


 鳥居の右側にあった境内稲荷社を撮りに行ってみました。


 神明社の境内を撮って、拝殿に行ってみました。


 拝殿を撮って、お参りをしました。


 お参りしてから拝殿の後ろにあった本殿を撮ってみました。


 拝殿の右側には、ご覧のような忠魂碑がありました。


 忠魂碑の脇に「国分寺礎石と忠魂碑」があったので撮ってみました。
 尚、海老名にある国分寺は2018年10月の「海老名をぶらり(相模国分寺編)」で行っています。

<鎌倉古道>

 瀬谷神明社を後に、ご覧のような鎌倉古道を歩いて先に行ってみました。


 鎌倉古道の右側に、「鎌倉古道と河津桜・ミカイドウ・カルミヤ」があったので撮ってみました。
 瀬谷区の歴史散歩の北コースになっているこの古道には、河津桜、ミカイドウやカルミヤが植えられています。


 道路脇に、ロウバイが咲いていたのでアップで撮ってみました。




 又、家の軒下に、鬼瓦や昔の脱穀機(?)が取り付けられていたので撮ってみました。
 



 鎌倉古道を10分程歩くと、瀬谷銀行跡がありますが、外塀は改修工事中(?)のようでした。

<善昌寺(ぜんしょうじ)>

 更に、10分程歩くと、瀬谷養護学校があって向かい側に善昌寺があります。


 取り敢えず、善昌寺の入り口を撮ってみました。


 ご覧のように、横浜市の名木・古木に指定されているタブノキも健在でした。


 山門を撮って境内に入ってみました。




 山門をくぐると本堂の扉が開いていたので、本堂でお参りすることにしました。


 お参りしてから、本堂の内部を撮らせて頂きました。




 折角なので、本尊の阿弥陀如来像をアップで撮らせて頂きました。


 本堂でお参りしてから、石段を上って恵比寿神が祀られているお堂に行ってみました。




 恵比寿神を祀っているお堂をアップで撮ってみました。


 折角なので、恵比寿神をアップで撮らせて頂きました。
 八福神の御朱印帳は、本堂の右側にあるので、更に石段の先に行ってスタンプを押しました。

<北向地蔵尊>



 善昌寺から瀬谷柏尾道路に出て「瀬谷八福神めぐり」最後の妙光寺に向かいました。
 瀬谷柏尾道路沿いに、北向地蔵尊があるのでアップで撮ってみました。

<妙光寺(みょうこうじ)>

 バスが通る瀬谷柏尾道路を5分程歩くと、右側に妙光寺があります。


 取り敢えず、妙光寺の山門を撮ってみました。


 左側に、大黒天の祀ってあるお堂と鐘楼がありますが、先に本堂でお参りすることにしました。
 尚、鐘楼は県の重要文化財に指定されています。




 本堂を撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから、扁額を撮ってみました。




 本堂の扉が開いていたので失礼して内部を撮らせて頂きましたが、扁額「南無妙法蓮華経」には明治三十七八年戦役の凱旋記念となっていました。
 ⇒ どうやら日露戦争の凱旋記念のようですね!




 祭壇の中央には、日蓮上人(?)が祀られていて、手前には位牌「富山総檀信徒中先祖代々之霊位」がありました。


 本堂の手前に、日蓮上人像があったのでアップで撮ってみました。


 鐘楼の隣に、大黒尊天が祀られているお堂があるので行ってみました。


 御朱印帳に大黒尊天のスタンプを押して、お堂の内部を撮ってみました。


 お参りをしてから大黒尊天をアップで撮ってみました。

 妙光寺を後に瀬谷柏尾道路を戻っていると、瀬谷駅行きのバスが遣って来たので乗ってしまいました。
 瀬谷駅に着いたので、厚木街道(県道40号線)に出て自宅に戻りました。

<御朱印帳>

 「瀬谷八福神めぐり」を遣り遂げたので、証拠として御朱印帳をアップしました。
 今回の「瀬谷八福神めぐり」は2年ぶりですが、所々で工事をしている箇所があったので、この辺りも開発が進んでいる感じがしました。
 尚、万歩計は22,000歩近くになっていたので運動不足の解消にはなりました。
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靖国神社をぶらり(2020)

2020年01月18日 | Weblog
 1月18日(土)は、雨に雪が交じる生憎の天気だったのですが、市ヶ谷駅の近くに行く用事があったので帰りに、初詣を兼ねて靖国神社に行ってみました。
 尚、靖国神社に行くのは、2013年3月の「靖国神社をぶらり」以来なので7年ぶりになります。

<靖国神社に向かう>

 靖国通り近くにある中華料理店(隆盛軒)に入って食事しながら雨が止むのを待ちました。


 隆盛軒に1時間程いましたが雨は上がっていませんでした。
 取り敢えず、靖国通りに戻って靖国神社に向かいました。

<靖国神社南門>

 靖国神社に着いたので、南門を撮ってみました。




 かなり雨は降っていましたが、青銅製の狛犬を撮ってみました。


 南門の近くに、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。


 社務所(?)の前に、境内案内図があったので行ってみました。


 取り敢えず、境内案内図で現在地を確認しました。


 これから行く参道の先を撮ってみました。




 参道の先に行くと、案内板の近くに三波石(さんばせき)があったのでアップで撮ってみました。
 三波石は、群馬県藤岡市を流れる三波川流域で取れる青緑の変成岩で、庭石としてよく利用されているようです。

<遊就館(ゆうしゅうかん)>

 拝殿に行く前に、雨宿りのつもりで遊就館に入ってみました。


 遊就館の展示施設が紹介されていたので撮ってみました。


 1Fの玄関フォールに入ると、左側にはゼロ戦(零式艦上戦闘機)、右側には蒸気機関車と2Fへのエスカレーターがありました。
 尚、エスカレーターで2Fに上るには拝観料(1000円)が取られます。




 取り敢えず、ゼロ戦と機首をアップで撮ってみました。


 ゼロ戦を後ろから撮ってみました。


 蒸気機関車(C56型31号)を撮ってみました。


 C56型は、D51型と比べると小型の蒸気機関車の感じがしました。




 取り敢えず、蒸気機関車を横から撮って後ろに行ってみました。




 蒸気機関車の後ろに回ると、奉納趣旨があったので撮ってみました。


 折角なので、蒸気機関車の真後ろを撮ってみました。


 ついでに、蒸気機関車の運転席を撮ってみました。


 この蒸気機関車は、昭和11年(1936)日本車両製造㈱で製造され、石川県七尾機関区っを走行していたもので、泰緬鉄道(たいめんてつどう)の開通式に出たものみたいです。


 蒸気機関車の隣に、89式15糎加農砲(左)と96式15糎榴弾砲(右)が展示してあったので撮ってみました。


 折角なので、蒸気機関車をバックに加農砲と榴弾砲を撮ってみました。


 96式15糎榴弾砲の榴弾が展示してあったので撮ってみました。




 榴弾砲に生々しい傷痕があったのでアップで撮ってみました。
 





 89式15糎加農砲を撮っていると、加農砲にも傷痕があったのでアップで撮ってみました。


 正面から96式15糎榴弾砲(左)と89式15糎加農砲(右)を撮って、遊就館を後にしました。


 外に出ると、建物の前に像が建っていたので近くに行ってみました。




 ご覧のよう特攻勇士之像が立っていたのでアップで撮ってみました。

<拝殿>

 左側に、ご覧のような能楽堂を見ながら拝殿に向かいました。


 右側の奥の方に、拝殿が見えたので撮ってみました。


 絵馬掛所の近くに遣って来ると、ご覧のような桜(?)の木がありました。


 近くに行ってアップで撮ってみましたが、未だ蕾もありませんでした。


 絵馬掛所の横を通って拝殿に向かうと、ご覧のような絵馬が建っていました。


 令和庚子と書かれている絵馬をアップで撮ってみました。
 庚子(かのえ・ね)は、60年周期の干支の年で「変化の多い年」と言われていますが・・・
 

 拝殿に着いたので、真正面から撮ってみました。


 折角なので、アップで撮ってみました。


 拝殿の向拝をアップで撮ってお参りをしました。




 お参りしてから拝殿の内部を撮らせて頂きました。


 拝殿の奥に、本殿が見えたので本殿も撮らせて頂きました。


 平成9年の歌会始御題「姿」が詠み込まれている皇太子殿下(現在の天皇陛下)の御製「人みなは 姿ちがへど ひたごころ 戦なき世をこひねがふなり」があったので撮ってみました。


 お参りを済ませたので、拝殿を撮って参道を戻りました。


 振り返って、中門鳥居と一緒に拝殿を撮ってみました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。


 参道の先の方に、神門が見えたので撮ってみました。

<斎館>

 南門からの参道を過ぎると、ご覧のような絵馬掛所がありました。


 絵馬掛所の後ろに、斎館があったので撮ってみました。
 斎館には、神前に神饌(食事)を供える祭事「朝御饌祭」や天皇皇后両陛下が休憩される部屋があります。


 折角なので、斎館の入口をアップで撮ってみました。

<大手水舎>

 神門を過ぎると、右側に大手水舎があったので撮ってみました。


 第二鳥居をくぐったので、振り返って鳥居と一緒に神門を撮ってみました。
 又、参道には「下馬(げ じょう)」の立て札が立っていました。

<慰霊の庭>

 第一鳥居の左側に、「慰霊の庭」があってツワブキが咲いていたので見に行ってみました。




 枯れているツワブキもありましたが、未だ見応えのあるツワブキをアップで撮ってみました。




 「慰霊の庭」には、都道府県別の「さくら陶板」が奉納されていました。






 上から、北海道、岩手県、青森県の「さくら陶板」があったので撮ってみました。




 46都道府県の「さくら陶板」があるようですが、全てを撮るわけにはいきません。


 京都府の「さくら陶板」を撮って、「慰霊の庭」を後にしました。


 取り敢えず、第一鳥居(大鳥居)を撮ってみました。




 参道の両側に、ご覧のような狛犬がいたのでアップで撮ってみました。

 靖国神社の次は、JR飯田橋駅の近くにある東京大神宮に行ってみることにしました。

<東京大神宮に向かう>



 靖国神社の東側にあった東京理科大の建物は、いつの間にか日本工営(株)に代わっていました。




 早稲田通りとの分かれ道に、濠北方面戦没者慰霊碑があったので撮ってみました。


 ”魂(?)”と刻まれている碑をアップで撮ってみました。


 又、右側に明治天皇御製があったのですが、何と刻まれているのか読めませんでした。


 フィリピン大使館の横を通って、東京大神宮に向かいました。

<東京大神宮>

 靖国神社から15分程で東京大神宮に着きましたが、雨にも拘らず大勢の参拝客が並んでいました。


 入口の方に行ってみると、ご覧のような行列が出来ていました。
 東京大神宮は縁結びで御利益のある神社ですが、松の内を過ぎても大勢の参拝客いるとは思いませんでした。
 私は縁結びに関係ない歳なので、お参りすのは止めてJR飯田橋駅に向かいました。
 新宿駅に着いたので、いつも行く居酒屋で飲みながら小田急線ロマンスカーを待ちました。

 今回の「靖国神社をぶらり(2020)」は、東京大神宮でお参りは出来ませんでしたが、靖国神社では遊就館で戦時中の遺品が見れて、混んでいない拝殿でお参り出来たので吉としないといけないですね!
 尚、万歩計は大して歩いていないのに12,000歩を超えていました。
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回転福ねずみの戸部杉山神社~掃部山公園

2020年01月12日 | Weblog
 1月11日(土)は、テレ朝日(1月8日)のグッド!モーニングで放映していた「回転福ねずみ」がいる戸部杉山神社に行ってみました。
 又、折角なので、お参りしてから掃部山公園まで歩いてみました。
 尚、歩くルートは、運動不足の解消を兼ねて次のようにしました。
 横浜駅東口-京急戸部駅-戸部杉山神社-くらやみ坂-掃部山公園-紅葉坂-JR桜木町駅

<戸部駅に向かう>

 横浜駅から戸部駅までは京急線(各駅で1駅)ではなく、横浜駅東口から箱根大学駅伝で走る東海道(国道1号線)を歩いてみました。
 横浜駅東口の目の前にある国道1号線に出たので、取り敢えず、K1(首都高速神奈川1号横羽線)を撮ってみました。


 かつては崎陽軒本店があった(?)横浜プラザホテルも、現在は閉館しているようでした。


 帷子川(かたびらがわ)に架かる橋を渡りますが、帷子川の上流を眺めている人(?)がいました。


 帷子川の上流には、京浜東北線と京急線が走っていて手前には万里橋(まんりはし)があります。
 





 国道1号線の上にはK1が通っているので、歩道の左側はご覧のようになっていました。


 高島町の交差点で国道1号線と国道16号線に分かれます。
 取り敢えず、国道16号線方面を撮ってみました。


 奥の方に、横浜ランドマークタワーが見えたのでアップで撮ってみました。


 国道1号線に出たので、戸部駅方面を撮ってみました。


 国道を暫く進むと、京急線の戸部駅が見えて来ました。

<戸部駅>

 横浜駅東口からは20分程で戸部駅に着きました。


 取り敢えず、京急線下の国道1号線を撮ってみました。




 近くに、案内図「温故知新のみち」があったので現在地を確認しました。
 「回転福ねずみ」のいる杉山神社は、国道を次の信号まで歩いて左折すると戸部公園近くにあります。
 又、掃部山公園は、杉山神社から保土ヶ谷道に出て東に進めば着けそうでした。

 見通しが明るくなったので、近くで昼食を済ませてから戸部公園に行くことにしました。

<戸部公園>



 昼食を済ませてから、国道を暫く歩いてから信号を左折すると戸部公園に着きました。




 戸部公園は、ご覧のような遊具がある比較的大きな公園でした。

<戸部杉山神社>

 戸部杉山神社は、戸部公園側からも入ることが出来ましたが、正面に回ってみました。


 正面には、ご覧のような立派な鳥居がありました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。




 鳥居をくぐると、ご覧のような御神木があったのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、境内の奥にある拝殿を撮ってみました。


 参道の両側に石像の「回転福ねずみ」がいましたが、取り敢えず、拝殿をアップで撮ってみました。




 参道の右側にいたオスの「回転福ねずみ」を撮ってみました。
 尚、「回転福ねずみ」は思っていたよりもスムーズに回りました。


 折角なのでアップで撮って、お願い事をしながら回してみました。




 又、左側にいたメスの「回転福ねずみ」も撮ってみました。


 可愛らしいメスの鼠だったのでアップで撮ってみました。
 後ろには、説明案内板「大国主命と鼠」があって「回転福ねずみ」の回し方(内側)も書いてありました。
 説明案内板には、オオナムチノミコト(大己貴神、後の大国主命)に、スサノオノミコト(素戔嗚尊)が与えた結婚の試練を鼠が救ったようなことが書いてありました。


 近くに、大黒天像(後に大国主命と習合)があったので撮りに行ってみました。


 ご利益があるようにアップで撮ってお参りをしましたが、奉納したのは俳優の黒沢年雄と出ていました。
 尚、黒沢年雄は、横浜市西区の生まれで、ヒットした「時には娼婦のように」も歌っていました。


 後ろにあった手水舎で身を清めて拝殿に向かいました。


 取り敢えず、拝殿を撮ってお参りをしました。




 お参りしてから拝殿の扁額を撮ってみました。




 折角なので、拝殿の内部をアップで撮らせて頂きました。




 又、「回転福ねずみ」に気を取られていて狛犬を撮っていなかったので撮ってみました。




 社殿の右側に、戸部杉山神社の由緒碑があったので行ってみました。
 御祭神が大己貴神(オオナムチノミコト)だと云うことは分かりましたが、他は良く分かりませんでした。


 社殿の右側に、境内社の五社殿と聖徳太子殿があったので行ってみました。


 取り敢えず、扉が閉まっている五社殿を撮ってみました。




 隣にあった聖徳太子殿も撮ってみましたが・・・


 社殿を横から撮って境内に戻りました。


 駐車場の奥に、お堂のような建物があったので行ってみました。


 建物の内部が見えないので何なのか(神楽殿?)分かりませんでした。


 再度、鳥居を撮って戸部杉山神社を後にしました。

<保土ヶ谷道>

 戸部杉山神社からは、西区役所の前を通って「くらやみ坂」に向かいました。


 「くらやみ坂」は保土ヶ谷道の一部で、歩道にはご覧のようなシンボルマークがありました。


 ご覧のような「くらやみ坂」を上りますが、名前の由来は「暗闇坂」ではなく「鞍止み坂」のようでした。


 「くらやみ坂」を上っていると左側に、公園(?)があったので入ってみました。


 公園で一休みしていると、道路側に祠と碑が見えました。




 「くらやみ坂」に戻ると、ご覧のような祠と碑「くらやみざか」がありました。




  「くらやみ坂」の左側には、ご覧のような大きな公園がありました。


 右奥に横浜ランドマークタワーが見える公園をアップで撮ってみました。


 この「伊勢町もくせい公園」は、「横浜みどりアップ計画」の一環で整備されたようです。


 横浜ランドマークタワーを見ながら先に行ってみました。


 公園に、真っ赤な葉っぱの植物(七福南天?)があったのでアップで撮ってみました。






 又、ご覧のような黄色の花の植物があったのですが名前は分かりません。
 「伊勢町もくせい公園」を過ぎたので、「くらやみ坂」を離れて東の方に行ってみました。

<掃部山公園に向かう>

 道なりに暫く進むと、ご覧のような横浜駅根岸道路に出ました。


 横断歩道を渡って東に進むと、下に京急線が通っている戸部橋がありました。


 道路の右側に、明治12年(1879)創立の横浜市立戸部小学校がありました。
 尚、私が卒業した横浜市立杉田小学校の創立は明治6年(1873)でした。 ← 関係ないですね!


 校舎の入口には、再礎学温故と校歌の碑がありました。


 又、今では珍しい二宮尊徳像があったので撮ってみました。


 小学校の前に、ご覧のような建物があったので行ってみると、戸部コミュニティハウスでした。


 又、コミュニティハウスの手前には御所山第二公園がありました。

<掃部山(かもんやま)公園>

 道なりに先に行くと「戸部通り」に出て、コンビニの横を先に行くと掃部山公園の出入口がありました。
 尚、戸部杉山神社からは30分程で掃部山公園に着きました。


 「掃部山公園トイレのご案内」で現在地を確認しましたが、 何故か「掃部山公園案内図」ではありませんでした。


 公園は山(丘?)の上にあるので、ご覧のような道を上って先に行ってみました。


 途中に、ツワブキが咲いていたのでアップで撮ってみました。


 公園の出入口(3ヶ所)の案内板の後に、小さな滝(?)が流れ落ちていました。


 折角なので、滝をアップで撮ってみました。




 又、横浜ランドマークタワーが間近に見えるようになったのでアップで撮ってみました。


 ご覧のような階段があったので上ってみました。


 公園には、ご覧のような銅像広場があって、広場の奥(南西方向)には井伊直弼像が建っていました。


 広場に、大きな枝垂れ桜(?)があったので撮って、銅像の近くに行ってみました。


 取り敢えず、井伊直弼像を撮ってみました。


 井伊直弼は、近江彦根藩の第15代藩主で、安政の大獄や桜田門外の変で有名の人物で、横浜開港にも関わっています。
 現在の掃部山は、明治初期に新橋駅と横浜駅(現在の桜木町駅)間の鉄道開通時には、外国人鉄道技師たちの官舎が建てられていましたが、明治17年(1884)にこの山を井伊家が買取し、大正3年(1914)に横浜市に寄付されました。
 又、掃部山は、井伊直弼の官位であった掃部頭(かもんのかみ)から付けたようです。




 折角なので、井伊直弼像をアップで撮ってみました。




 井伊直弼になったつもりで、横浜港方面を撮ってみました。


 ついでに、横浜ランドマークタワーと一緒に井伊直弼像を撮ってみました。

<JR桜木町駅に向かう>

 井伊直弼像の後に、横浜能楽堂があるので掃部山公園を下りて外観を撮ってみました。


 又、向かい側に、県立音楽堂があるので撮ってみました。


 駐車場の先には、ご覧のような大クスノキがあったので撮ってみました。


 包帯に巻かれている痛々しいそうなクスノキだったのでアップで撮ってみました。


 大クスノキの奥には、ご覧のような県立青少年センターがありました。


 県立青少年センターから紅葉坂(もみじざか)に出ると、向かい側に結婚式場の伊勢山ヒルズがありました。


 紅葉坂を渡って、伊勢山ヒルズの前を通って中を覗いてみましたが、係りの人には見向きもされませんでした。


 紅葉坂を下っていると、県立青少年センターの敷地内に金星太陽面経過観測記念碑があったので撮ってみました。
 金星の太陽面通過は、金星が太陽面を黒い円形のシルエットとして通過していくように見える天文現象みたいです。




 横浜ランドマークタワーが間近に見えるようになったのでアップで撮ってみました。
 





 紅葉橋に遣って来ると、下を走っている桜川新道(?)が見えたのでアップで撮ってみました。




 紅葉坂を更に下ると、国道16号線を渡る交差点「紅葉坂」が見えました。




 折角なので、横浜ランドマークタワーを真下からアップで撮ってみました。


 「動く歩道」が見えて来たので、「さくら通り」から上の「動く歩道」に乗れば桜木町に着けます。


 「動く歩道」に乗ったので、左側に見えた帆船日本丸を撮ってみました。

<JR桜木町駅>

 「動く歩道」を下りると、桜木町駅前に商業施設(?)があったので撮ってみました。

 昔、JR桜木町駅の地下に大衆酒場(桜木町ゴールデンセンター?)があったので行ってみることにしました。
 取り敢えず、駅前広場から近くの北改札(横浜駅)方面の飲食店街に行って地下の下り口を探すことにしました。
 飲食店街をウロウロしてみましたが、地下の下り口は見つけられませんでした。


 仕方がないので、駅前広場に戻って南改札(関内駅)方面に行って探すことにしました。
 改札口の前を通って先に行くと、地下に飲食店がありそうな入り口を見つけました。
 「ぴおシティ」が怪しそうなので行ってみると、16時過ぎたばかりなのに、どのお店も立ち飲み客で溢れていました。


 どうにかカウンターとテーブル席があるお店を見つけたので、落ち着いて飲むことが出来ました。

 今回の「回転福ねずみの戸部杉山神社~掃部山公園」は、年初めに「回転福ねずみ」のお参りが出来たので、子年の今年は何か良いことがありそうです。
 又、横浜生まれの私は、掃部山公園、横浜能楽堂、県立音楽堂、紅葉坂など言葉だけでも懐かしい思いがしました。
 尚、万歩計は、大して歩いていないのに18,000歩近くになっていました。
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南町田グランベリーパークから町田駅へ

2020年01月05日 | Weblog
 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

 1月4日(土)は、南町田グランベリーパークにあるモンベルに行って、帰りは運動不足の解消を兼ねて鶴間公園から町田駅まで歩いてみました。
 尚、南町田グランベリーパークに行くのは、2019年12月の「南町田グランベリーパーク」に続いて2回目になります。

<南町田グランベリーパーク>

 モンベルの前に遣って来ると、カヤックやクライミングが体験できる施設があったので撮ってみました。




 折角なので、人工池やウォールをアップで撮ってみました。


 2Fから野外広場を撮ってモンベルに行ってみました。
 モンベルを出ると、グランベリープラザの方から太鼓の音が聞こえたので行ってみました。




 NPO法人の都築太鼓が和太鼓の演奏をしていました。 
 

 一曲終わると太鼓を並べ直して、次の曲の準備に入りました。
 



 次の曲が始まったので撮ってみました。


 和太鼓の演奏が一段落したので、シアタープラザの横を通って鶴間公園に行ってみました。


 ご成約済のキャンピングカー(?)が展示してあったので、後の映像と一緒に撮ってみました。


 スヌーピー・ミュージアムは、12月14日にオープンしていたようで大勢の人がいました。


 取り敢えず、大きなロゴマークを撮ってみました。


 スヌーピー・ミュージアムの横を通って鶴間公園に行ってみました。

<鶴間公園>

 鶴間公園は、つるまの森・運動広場・さわやか広場・にぎあい広場・水道みち・スポーツエリアなどで構成されていて、広さは約7.1haあります。






 園内に、ご覧のような案内図があったので現在地を確認しました。


 園路を通って西の方に行けば、鶴間パークウォークに出れそうでした。




 折角なので、ご覧のような園路があったので左側(南の方)に行ってみました。


 園路を歩いていると、左側に、緑色の巨大リスがいました。


 折角なので、ベリー(果実)を持った巨大リスをアップで撮ってみました。


 後ろにパークプラザの斜面が見えたので巨大リスと一緒に撮ってみました。




 園路から、右側に見えた公園を撮ってみました。


 公園の西側に着いたので、公園の奥にある南町田グランベリーパークの建物を撮ってみました。


 鶴間パークウォークからも南町田グランベリーパークを撮ってみました。


 鶴間公園の外れに、ご覧のような案内図があったので現在地(左上)を確認しました。


 東急田園都市線の高架下を通って、鶴間パークウォークを北上して町田駅に向かいました。

<交差点「南町田北」>



 鶴間公園から鶴間パークウォークを5分程歩くと、国道16号線を渡る歩道橋がありました。

 
 歩道橋から国道16号線の保土ヶ谷方面を撮ってみました。


 ついでに、国道の反対側も撮ってみました。

<交差点「鶴金橋」>

 歩道橋を渡ってからは、都道56号線(鶴間町谷通り)を北上することになります。
 都道を30分程歩くと、見覚えのある交差点「鶴金橋」に着きました。
 鶴金橋は、2014年10月の「町田/境川沿いをぶらり」で来ていました。


 鶴金橋の近くに、公園があるので行ってみました。


 ご覧のような公園があったのでベンチで一休みしました。

<境川ゆっくりロード>

 一休みしてから、境川沿いの「境川ゆっくりロード」を歩いて町田駅に向かいました。


 「境川ゆっくりロード」を歩いていると、境川にご覧のような白鷺(?)がいました。


 折角なので、アップで撮ってみました。


 境川に架かる境橋近くに遣って来ると、また白鷺がいましたがカメラを構えると飛び立ってしまいました。


 交差点「鶴金橋」から「境川ゆっくりロード」を30分程歩くと、ご覧のような河川敷の「さかい川」に着きました。
 結局、鶴間公園からは1時間20分程(実質1時間)掛かりました。

 町田駅に着いたので、駅ビルのレストランに入って軽く飲んで帰りました。
 今回の「南町田グランベリーパーク(鶴間公園編)」は、それなり歩いたので運動不足の解消にはなりました。
 又、万歩計は17,000歩を超えていました。
 尚、南町田グランベリーパークは、町田駅や中央林間駅から徒歩で行くのは厳しいのが分かりました。
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