飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

向ヶ丘遊園駅~東生田緑地

2017年05月28日 | Weblog
 5月27日(土)は、小田急沿線「自然ふれあい歩道」の向ヶ丘遊園駅(日向山)コースに従って向ヶ丘遊園駅~東生田緑地まで歩いてみました。
 実は、通勤電車から小田急線の生田駅と向ヶ丘遊園駅のほぼ中間で稲荷神社(根岸稲荷)の赤いノボリが立っているのが気になっていました。

<善立寺(ぜんりゅうじ)>

 向ヶ丘遊園駅北口で降りて、コース案内に従って暫く歩くと善立寺がありました。
 参道脇に「供養塔と水争い」の碑があったので、昔、二ヶ領用水の分配争いがあったのですね!?


 取り敢えず、本堂に行って道に迷わないで根岸稲荷まで行けるようお参りをしました。


 本堂の内部は撮れなかったので山号「龍燈山」を撮って境内を散策することにしました。




 七面堂があったので撮ってみましたが、堂内には大七面天女(大明神)と聖観世音菩薩が祀られているみたいです。


 又、近くにご覧のような三十番神堂があったので撮ってみました。


 「三十番神の由来」に依ると、『三十番神は、毎日交替で国家や国民を守る法華経を守護する諸天善神である。・・』と書いてありました。


 小窓があったので堂内を覗くと、1日熱田大明神、2日諏訪大明神・・・30日吉備大明神が祀られていました。

 善立寺を後に、次の登戸稲荷社に向かいました。

<登戸稲荷社>

 五社乃宮を後に、暫く歩くと津久井道の高架下の先に、ご覧のような大木のある登戸稲荷社に着きました。


 取り敢えず、鳥居を撮ってみましたが、境内ではお宮参りの参拝客と近くの幼稚園の園児が遊んでいました。


 お宮参りの邪魔をしないように、斜めから社殿を撮ってみました。


 立派な向拝の彫り物を撮って、社殿の後に回ってみました。


 仕切り壁の木彫が見事だったので撮ってみました。


 外壁に、漆喰による龍(?)のコテ絵が描かれていたので撮ってみました。


 火灯窓の隣りにもキツネのコテ絵があって、下には奉納者の名前も記されていました。

 登戸稲荷社を後に、次の丸山教に向いました。

<光明院>

 丸山教に向かっていると、途中に光明院があって、ご覧のような色彩鮮やかな山門がありました。


 山門に仁王様がいたのですが、ガラスで反射していて上手く撮れませんでした。
 代わりに、山号「稲荷山」の扁額を撮ってみました。


 山門をくぐると、本堂(左)と客殿(右)が見えたので撮ってみました。


 本堂に向かっていると、左側に聖徳太子堂があったので撮ってみましたが、由緒などは分かりません。 


 本堂の前に着いたので、ここでも無事に根岸稲荷まで行けるようお参りをしました。


 お参りしてから向拝を撮ってみました。


 ついでに、向拝柱の飾り物をアップで撮ってみました。


 又、本堂の色彩鮮やかな壁の飾り物も撮ってみました。


 本堂の左に、ご覧のような石仏があったので撮ってみましたが、由緒などは分かりません。


 山門の後に像がいたので撮って、丸山教に向いました。
 尚、光明院の名前はコース案内には載っていませんでしたが、お参り出来てラッキーでした。

<丸山教>

 光明院の山門を出て、光明院の横の道に行ってみると、鳥居の先にご覧のような二股の松がありました。


 「ご法聖地」の案内板には、丸山教の理想とする『日の出に松の御代』と書いてありました。
 尚、伊藤六郎兵衛が丸山教の教祖ですが、何故、伊藤教ではなく丸山教にしたのですかね!?


 御利益がありそうなので、「ご法塔」と一緒に二股の松を撮ってみました。


 丸山教の東門が閉まっていたので、元の道に戻ると右側にご覧のような正門がありました。
 正面に大教殿、左側に丸山幼稚園がありますが、今日は休園なのか園児はいませんでした。


 取り敢えず、参道を通って大教殿に向かいました。


 参道の左側に手水舎がありましたが、中へは入れませんでした。


 手水舎の後ろに、松霊殿があったので撮ってみましたが、何をする所なのか分かりません。


 大教殿に着いたので、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 大教殿の正面が、ご覧のようなガラス張りだったので上がってみました。


 大教殿の中はご覧のようになっていました。

 大教殿でお参りしたので境内を散策することにしました。


 大教殿の前に、北原白秋の多摩川音頭の詩碑(多摩の登戸六郎兵衛さまよ 藤は六尺藤は六尺いまさかり)があったので撮ってみました。


 丸山会館の右側に、御法殿があったので撮ってみました。


 御法殿も何をする所なのか分からなかったので、扁額(神道丸山教泰祠宇)を撮ってみたのですが・・・


 教祖御試石があったので撮ってみました。
 この石(房州石 28貫)は、教祖が72日間の断食行納めの日(明治20年10月24日)に奉納されたみたいです。


 池の隣りに、多摩川音頭で歌われてる藤棚があったので撮ってみました。

 丸山教を後に、次の長念寺に向かうことにしました。

<長念寺(ちょうねんじ)>

 コース案内に従って10分程歩くと、長念寺の参道に着きました。


 山門を撮ってみましたが、境内には法要で来ている人達がいました。
 尚、山門は市の重要歴史記念物に指定されています。


 左側にご覧のような鐘楼があったので撮ってみました。




 鐘楼の手前に大きな香炉(?)があったので撮ってみましたが、近くに案内板はありませんでした。


 境内はご覧のように修復工事中でしたが、本堂は修復工事が終っているみたいです。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りをすることにしました。
 本堂も市の重要歴史記念物に指定されています。


 お参りしてから向拝の彫り物が素晴らしかったのでアップで撮ってみました。


 長念寺を後に、二ヶ領用水に出て「紺屋前の堰」に向いました。

<二ヶ領用水>

 コース案内に従って、二ヶ領用水まで歩きますが、木陰のない平坦な道を歩くので炎天下はキツイです。
 二ヶ領用水に着いたので、涼しそうな川辺に下りて歩くことにしました。


 川辺は途中で途切れていて、台和橋の手前で炎天下の道路に出ることになってしまいました。

<紺屋前の堰(こうやまえのせき)>

 台和橋の先に行くと、ご覧のような休憩所がありました。


 近くに、<紺屋前の堰>の案内が出ていたので、ここで昼食を取ることにしました。


 昼食を取ってから、休憩所の脇を流れる二ヶ領用水を撮ってみました。


 休憩所から道路に出ると、紺屋前堰記念碑があったので撮ってみました。

 先程の台和橋を渡って、コース案内に従って次の真福寺に向かいました。

<明王山不動院真福寺>

 府中街道を渡ってから、最初の細い道を南の方に行くと真福寺がありました。


 真福寺の後ろに赤いノボリが見えたので行ってみました。


 赤い鳥居があって、石段の上にはご覧のような立派な祠がありました。


 交通安全地蔵尊の前に戻って山門に向いました。


  

 本堂でお参りしてから扁額を撮ってみましたが、不動尊と書いてあるのですかね!?


 失礼して本堂の内部も撮らせていただきました。

 真福寺を後に、裏山から東生田緑地に向いました。

<東生田緑地>

 坂道を暫く上ると、標識<この先行き止まり>が出ていたので、道に迷ったかと思いました。


 「日向山の森 案内図」で現在地を確認すると、そのまま直進すれば東生田自然遊歩道に出れそうでした。


 遊歩道に出て坂道を暫く上ると、民家の脇にご覧のような山道がありました。


 山の中に入ると、ご覧のような山道なので遊歩道ですね!


 山道を暫く上ると、「日向の丘」に着きました。


 近くにあった案内版で確認すると、根岸稲荷は近くに載っていました。


 案内板に従って山道を下ると、県道13号線(横浜生田線)の根岸稲荷歩道橋の手前に着きました。

<根岸稲荷>

 歩道橋の右側に、ご覧のような根岸稲荷のノボリがありました(ホッ!)。


 石段の下から小田急線から見える赤いノボリを撮ってみました。


 石段を上る切ると、ご覧のような小さな祠(お稲荷さん?)がありました。


 取り敢えず、お稲荷さんをアップで撮ってみました。


 根岸稲荷を後に、歩道橋を渡って向ヶ丘遊園駅に戻ることにしました。

<三峰神社>



 コース案内に三峰神社が載っていたので立寄ってみました。


 近くに、根岸古墳群が載っていたのですが、見当たらなかったので代わりに竹林を撮ってみました。


 竹林の中に入ろうと思ったのですが、植生管理していて中へは入れませんでした。


 ご覧のような竹林脇の石段を下って府中街道に出ることにしました。

<龍鳳寺>

 途中から住宅地に入って歩ていると龍鳳寺の表札(?)が出ていました。


 正規のお寺のようなので正面から撮ってみました。

 住宅地を抜けると府中街道で出れたので、道に迷うことなく向ヶ丘遊園駅に戻ることが出来ました。
 向ヶ丘遊園駅に着いたので、南口に出て軽く飲んで帰ることにしました。

 今回の「向ヶ丘遊園駅~東生田緑地」は、神社仏閣を回りながら根岸稲荷に着けたので満足しています。
 尚、万歩計はそれなりに歩いたので18,000歩を超えていました。
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伊勢原:三之宮比々多神社~上粕屋神社

2017年05月21日 | Weblog
 5月20日(土)は、伊勢原市の三之宮比々多神社で「第30回まが玉祭(5月20日~21日)」を遣っていました。
 折角なので、三之宮比々多神社から上粕屋神社まで歩いてみることにしました。

 三之宮比々多神社は、伊勢原駅北口からバスに乗ると15分程(バス停「比々多神社」)で着きました。

<三之宮比々多神社(さんのみやひびたじんじゃ)>

 比々多神社に着いたので鳥居を撮ってみました。


 手水舎で身を清めて境内に入ります。


 参道から拝殿を撮ってみましたが、「まが玉祭」にしては人出は多くありませんでした。


 右側に満願成就の「相生の欅」があったので撮ってみました。
 満願成就の脇に、小さく恋愛成就、夫婦円満、良縁も書いてありましたが、満願成就ならいらないような気がするのですが・・・


 境内に入ると左側に鐘楼があったので撮ってみました。


 拝殿の前に造られた、「まが玉祭」の祭典(13:00~18:30)の舞台を撮ってみました。


 取り敢えず、拝殿を撮って「まが玉祭」の祭典を待つことにしました。


 「まが玉祭」の祭典は、「揚武館伊勢原道場」居合抜刀術演武から始まりました。




 居合抜刀術演武は20分位で終わるので、それを見てから境内を散策することにしました。


 境内の右側に、ご覧のような三ノ宮郷土資料館(拝観料は200円ですが今日は無料)があったので入ってみました。
 館内は撮影禁止でしたが、館内には周辺の古墳や遺跡などから出土した縄文・弥生時代の土器類、馬具、刀剣、銅鋺、勾玉などが展示されていました。


 郷土資料館を後に、先の方に行ってみるとご覧のような十二支が置いてありました。
 案内板には『ご自分の干支との石像に出会い 神さまと森林浴でゆっくりと お寛ぎ心を和め癒されて下さい』と書いてありました。


 何故か、十二支はご覧のように二匹づつ並んでいました。


 更に先の方に行ってみると、三之宮三号墳があったので撮ってみました。




 三之宮三号墳の横を通って先の方に行くと、フェンスに囲まれていますがご覧のような下谷戸縄文遺跡がありました。




 拝殿の横に戻ってみると、神輿殿の中に立派なお神輿が置いてあったので撮ってみました。


 拝殿を横から見ると、紐にご覧のような小さな鈴が付いていたのでアップで撮ってみました。


 境内から外に出ると神池があって、赤色の鯉が泳いでいました。
 この赤色の鯉は、最近、神池の仲間になったみたいです。


 神池を眺めていると、古参の鯉も仲良く並んで存在感を示していました。

<比々多神社元宮に向かう>

 境内に戻っても仕方がないので、ご覧のような道路を通って元宮に行ってみることにしました。


 道なりに5分程歩くと恵泉女子短大(?)の敷地内に埒面(らちめん)古墳がありました。


 敷地内に入れなかったので、案内板を撮ってみました。
 案内板に依ると、埒面古墳は昭和39年に恵泉女子短大の建設中に発見された古墳みたいです。


 埒面古墳を後に、ご覧のような急な山道を更に登ります。


 山道を登り切ると道は二股に分かれていましたが、右側の看板がある方に行ってみました。

<比々多神社元宮>

 近くに行ってみると、比々多神社元宮の看板が建っていて近くに小さな祠がありました。
 申し訳ありませんが、もっと立派な元宮があると思っていたのですが・・・
 

 取り敢えず、元宮をアップで撮って、ここで一休みすることにしました。


 一休みしてから眼下に見える伊勢原市内を撮ってみました。
 

 手前に東名高速道路が見えたのでアップで撮ってみました。


 炎天下で木陰もなかったので、特徴的な2本の椰子(?)を撮って元宮を後にしました。

 三之宮比々多神社に戻っても仕方がないで、少し距離がありますが上粕屋神社に行ってみることにしました。
 来た道を戻って、途中で広い道に出て東北の方角に行けば上粕屋神社に着ける筈です。

<上粕屋神社に向かう>

 広い道に出て10分程歩くと、道端にご覧のような観音様(?)が祀ってありました。
 取り敢えず、『道に迷わないで上粕屋神社に着けますよう』お参りをしました。


 観音様にお参りしてから道なりに10分程山道を歩くと、ご覧のような伯母様村観音がありました。


 面白い名前だったので石碑を撮ってみました。
 石碑の歴史に依ると、1550年代後半に、北条氏が家臣の市施弾正左衛門康則にこのあたりを領地として与え、市施氏の伯母の梅林理香大姉が所領していたため「伯母様村」というようになったみたいです。

 伯母様村観音から県道(612号線?)が見えたので、取り敢えず行ってみることにしました。


 県道に出ると道標<上粕屋神社 620m>がありました(ホッ!)。
 観音様にお参りした甲斐がありましたね!?










 道標に従って上粕屋神社に向かって歩いていると、道端に素晴らしいボタン(?)が咲いていたので撮ってみました。


 暫く歩くと右側に「大山道と千石堰用水路」の碑がありました。


 取り敢えず、昔の人が大山詣で歩いた大山道を撮ってみました。

<上粕屋神社(かみかすやじんじゃ)>

 道なりに暫く歩くと上粕屋神社の参道に着きました。


 門柱の後に、推定樹齢600余年の大ケヤキがあったので撮ってみました。


 ご覧のような参道を通って社殿に向かいますが、両脇には樹齢が経った大木が整列するように並んでいました。


 鳥居に着いたので鳥居越しに社殿を撮ってみました。


 上粕屋神社の境内はご覧のようにかなり広々としています。


 手水舎を撮ってみましたが、『いたずらしたり、物を捨てると、神様の罰があたります。』の注意書きがありました。


 隣りにあった鐘楼も撮ってみましたが、ここにも同じ注意書きが貼ってありました。


 社殿の隣りに、ご覧のような巨木(ケヤキ?)があったので社殿と一緒に撮ってみました。


 社殿に向かっていると、御神木(?)の巨木の洞(うろ)があったので撮ってみました。


 社殿で道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。




 向拝の彫り物が気になったのでアップで撮ってみました。


 ついでに、昭和52年12月に建てられた向拝新築記念碑があったので撮ってみました。
 

 境内社の八坂神社があったので撮ってみました。


 社殿の裏手に行ってみると、ご覧のような小屋がありました。


 中を覗いてみると、石の祠や鬼瓦が置いてありましたが、処分するものですかね!?


 巨木と一緒に社殿を斜めから撮って、上粕屋神社を後にしました。


 参道の入口に戻ると、道標<太田道灌の墓 0.18km>があったので行ってみることにしました。

<七人塚>



 暫く歩くと「七人塚」があったのでお参りをしました。
 「七人塚」は、江戸城の築城で有名な太田道灌が主君の上杉定正が「道灌 謀反心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺された際、上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣7人の墓と伝えられています。

<洞昌院(とうしょういん)>

 太田道灌の墓に着きましたが、お墓は洞昌院の境内の一角の太田道灌墓所にありました。


 太田道灌の墓にお参りをしましたが、左右にある大きな帽子のような屋根は何でしょうね!?

 太田道灌の墓にお参りをしたので、洞昌院の境内を散策することにしました。


 太田道灌墓所の隣りに、ご覧のような地蔵群や供養塔が並んでいたので撮ってみました。




 吉祥菩薩が掲げられているお堂があったので、失礼して内部を撮らせていただきました。


 寂光窟諸精霊と書かれた石柱の隣りに、ご覧のようなものが祀られていたので撮ってみました。


 太田道灌の霊廟「三徳殿」があったので撮ってみました。




 本堂に向って歩いていると、大きな枝垂れ桜があったので内側も撮ってみました。


 枝垂れ桜の下をくぐると右側にご覧のような本堂がありました。




 本堂で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをすることにしました。
 左右の柱には、「自浄其意是諸仏教」、「諸悪莫作衆善奉行」と彫られていましたが意味不明です。


 お参りしてから、失礼して本堂内部も撮らせていただきました。

 洞昌院は横から入ってしまったので、帰りは参道を通って出ることにしました。


 参道に六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。


 六地蔵尊の向かい側にあった祠の前に、可愛らしい狛犬(?)がいたので撮ってみました。


 山門に着いたので、本堂と一緒に撮ってみました。




 石段の脇に「観音巡礼塔(道標)」があったのでアップで撮ってみました。

 洞昌院を後に、県道611号線に出てバスで伊勢原駅に戻ることにしました。

<バス停「〆引」に向かう>

 洞昌院を後に、暫く歩くと「大山道と三所石橋造立供養塔」があったので撮ってみました。




 東名高速道路手前の龍厳山金光寺に、ご覧のような金光観音が立っていたので参拝することにしました。




 バス停「〆引」に着くと、向かい側に五霊神社(ごりょうじんじゃ)があったのでここでもお参りをしました。
 バス停に戻ると、運良く伊勢原駅北口行きのバスが来たので殆ど待たずに乗れました。

 伊勢原駅北口に着いたので、大山の帰りに寄る割烹・小料理屋に行ってみました。
 開店前(16時半)だったのですが、帰りがけに運良く女将(?)に会ったので開けて貰えました。

 今回の「伊勢原:三之宮比々多神社~上粕屋神社」は、大した地図もなくいろんな所が回れたので大変満足しています。
 尚、万歩計は15,000歩を越えていたので、運動不足の解消にはなりました。
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相模の大凧まつり(2017)

2017年05月05日 | Weblog
 5月4日(祝)は、晴天で強い風も吹いていたので久しぶりに「相模の大凧まつり」に行ってみました。
 「相模の大凧まつり」に行くのは、「相模の大凧まつり(2015)」以来の2年ぶりになります。

 「相模の大凧まつり」は、新戸会場、勝坂会場、下磯部会場、上磯部会場の4会場で開催されていますが、例年通り8間四方の大凧が揚げられる新戸会場に行ってみることにしました。
 
 凧揚げ会場までは、小田急線「相武台前駅」からJR相模線「相武台下駅」までバスで行くつもりでしたが、長い行列が出来ていたので歩いて行くことにしました。

<座間神社>

 取り敢えず、途中にある座間神社にお参りしてから凧揚げ会場に行くことにしました。
 座間神社手前の座間公園から、会場のある相模川方面を撮ってみました。


 座間公園には「旧陸軍士官学校軍馬功労碑」があったので撮ってみました。
 尚、この碑は昭和14年(1939年)に建てられています。


 座間神社は、今年1月に「座間神社~座間谷戸山公園をぶらり」で来ていますが今日は参拝客はいませんでした。


 大凧揚げが成功するようにお参りをしました。


 神事祈祷案内があったので撮ってみましたが、出張祭典も遣っているのですね!?


 周りに誰もいなかったので、拝殿の内部も撮らせていただきました。


 三之鳥居を撮って座間神社を後にしました。

 参道を下ってから県道509号線に出て、凧揚げ会場のある相模川の河川敷を目指します。

<凧揚げ会場に向かう>

 凧揚げ会場の手前に着くと、畑に大小8枚の凧が揚がっていたので撮ってみました。


 取り敢えず、『寿福』と書かれた一番大きな凧をアップで撮ってみました。


 河川敷に着きましたが、相模川の下流だったので河川敷を歩いて新戸会場に行ってみました。
 途中、城山ダム放流による増水の警報施設があったので撮ってみました。

<新戸(しんど)会場>

 新戸会場に着いたので、鯉のぼりの先にある定位置に陣取って凧揚げを待つことにしました。




 デジカメのテストを兼ねて、展示してあった4間凧をアップで撮ってみました。
 描かれているお姫様は、伝説の照手姫ですね!


 ついでに、揚がっていた大凧もアップで撮ってみました。
 尚、書かれている『輝星』(きせい)は、2017年「相模の大凧まつり」の大凧の題字です。


 取り敢えず、本部席も撮ってみましたが、グラウンド内にはご覧のように人がいます。
 12時を過ぎていたので昼食を取って、ビールを飲みながら凧揚げを待つことにしました。


 暫くすると『8間凧を揚げる前に4間凧を揚げます』とのアナウンスがありました。
 展示してあった照手姫はご覧のように仰向けにされました。


 グラウンド内に人がいなくなると、「引き綱」に「引き手」が集まってきました。


 報道が見ている前で凧揚げの準備が始まりました。


 準備も程々に、4間凧は撮る暇もなくスルスルと揚がってしまいました。




 可愛らしい照手姫をアップで撮ってみました。


 凧が揚がってしまうと、強い風があるので「引き手」はご覧のように手持ち無沙汰です。


 ついでに、「引き綱」を固定する場所にいる人達もアップで撮ってみました。


 大空にゆったりと舞う4間凧を撮って、次の大凧(8間凧)が揚がるのを待つことにしました。


 観客も揚がっている4間凧を眺めながら一息入れています。




 大凧を挙げるアナウンスがあって、凧揚げの準備が始まったのでアップで撮ってみました。
 凧の回りには20人以上が凧揚げの準備をしていました(4間凧は10人位)。
 尚、大凧は、大きさが14.5m四方、重さが約950kgあります。


 時間があったので、大凧の「引き綱」を固定する場所をアップで撮ってみました。


 暫くすると、大凧を持ち上げて奥の方に移動させ始めました。


 揚がっていた4間凧をどうするのかと思っていたら、降ろすとのアナウンスがありました。


 着地する瞬間の4間凧をアップで撮ってみました。


 取り敢えず、寝ている8間凧(左)と4間凧(右)を一緒に撮ってみました。


 大凧を揚げるまで時間があって待ちくたびれたのか(?)、鯉のぼりが休みに遣ってきました。
 ⇒ 辛抱の足りない鯉のぼりですね!?


 尚、『輝星』が未だ揚がっていたのでアップで撮ってみました。


 4間凧も片付けられて大凧を揚げる準備が始まりました。


 「引き手」も徐々に集まってきました。


 大凧の周りで準備をしている人達がいたのでアップで撮ってみました。
 左にいる指導係(?)が赤旗を揚げている間は大凧を揚げることは出来ません。


 指導係が白旗を揚げたので、凧が風を受けるように大凧を立て(引っ立て)始めました。




 大凧は風を受けて徐々に揚がり始めました。


 ご覧のように、『輝星』と書かれた大凧は1回で揚げることが出来ました。


 既に揚がっている小凧(4間凧?)と一緒に大凧を撮ってみました。


 グラウンド内を見ると、ご覧のように「引き手」が倒れていて救急車が呼ばれていました。
 ⇒ 大事に至らなければ良いのですが・・・






 不謹慎ですが未だ大凧が揚がっていたのでアップで撮ってみました。


 大凧の「引き綱」を固定する場所をアップで撮ってみましたが、綱はご覧のようにしっかりと固定されていました。




 大凧は暫く大空に飛んでいましたが、ご覧のように徐々に落ち始めました。


 最終的に大凧はご覧のように落ちてしまいましたが、滞空時間は4分強でした。

 新戸会場の凧揚げを堪能できたので、辛抱の足りない鯉のぼりを本部に返して会場を後にしました。

 少し時間があったので、2015年4月の「相模川散策(芝ざくら編)」で行った「芝ざくらライン」に向ったのですが、規制されていて行くことはできませんでした。
 仕方がないので相武台下駅まで行って海老名駅で乗り換えて相鉄線で帰ることにしました。

<芝桜>

 相武台下駅に向かっていると、畑に芝桜が咲いていたので撮ってみました。


 素晴らしいピンク色の芝桜だったのでアップで撮ってみました。


 少し斑になっていますが白色の芝桜も咲いていたので撮ってみました。


 最後に、ピンク色と白色の芝桜を一緒に撮って、相武台下駅に向いました。

 海老名駅に着いたのですが、時間が少し早かったので居酒屋に入って喉を潤して帰りました。

 今回の「相模の大凧まつり(2017)」は、強い風に恵まれまた関係で大凧揚げが成功して、凧揚げが堪能できたので大変満足しています。 
 又、4分強の大凧の滞空時間は、これまで見ている「相模の大凧まつり」の中では最も長い時間でした。
 尚、万歩計はそれなりに歩いたので16,000歩を超えていました。
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