5月27日(土)は、小田急沿線「自然ふれあい歩道」の向ヶ丘遊園駅(日向山)コースに従って向ヶ丘遊園駅~東生田緑地まで歩いてみました。
実は、通勤電車から小田急線の生田駅と向ヶ丘遊園駅のほぼ中間で稲荷神社(根岸稲荷)の赤いノボリが立っているのが気になっていました。
<善立寺(ぜんりゅうじ)>
向ヶ丘遊園駅北口で降りて、コース案内に従って暫く歩くと善立寺がありました。
参道脇に「供養塔と水争い」の碑があったので、昔、二ヶ領用水の分配争いがあったのですね!?
取り敢えず、本堂に行って道に迷わないで根岸稲荷まで行けるようお参りをしました。
本堂の内部は撮れなかったので山号「龍燈山」を撮って境内を散策することにしました。
七面堂があったので撮ってみましたが、堂内には大七面天女(大明神)と聖観世音菩薩が祀られているみたいです。
又、近くにご覧のような三十番神堂があったので撮ってみました。
「三十番神の由来」に依ると、『三十番神は、毎日交替で国家や国民を守る法華経を守護する諸天善神である。・・』と書いてありました。
小窓があったので堂内を覗くと、1日熱田大明神、2日諏訪大明神・・・30日吉備大明神が祀られていました。
善立寺を後に、次の登戸稲荷社に向かいました。
<登戸稲荷社>
五社乃宮を後に、暫く歩くと津久井道の高架下の先に、ご覧のような大木のある登戸稲荷社に着きました。
取り敢えず、鳥居を撮ってみましたが、境内ではお宮参りの参拝客と近くの幼稚園の園児が遊んでいました。
お宮参りの邪魔をしないように、斜めから社殿を撮ってみました。
立派な向拝の彫り物を撮って、社殿の後に回ってみました。
仕切り壁の木彫が見事だったので撮ってみました。
外壁に、漆喰による龍(?)のコテ絵が描かれていたので撮ってみました。
火灯窓の隣りにもキツネのコテ絵があって、下には奉納者の名前も記されていました。
登戸稲荷社を後に、次の丸山教に向いました。
<光明院>
丸山教に向かっていると、途中に光明院があって、ご覧のような色彩鮮やかな山門がありました。
山門に仁王様がいたのですが、ガラスで反射していて上手く撮れませんでした。
代わりに、山号「稲荷山」の扁額を撮ってみました。
山門をくぐると、本堂(左)と客殿(右)が見えたので撮ってみました。
本堂に向かっていると、左側に聖徳太子堂があったので撮ってみましたが、由緒などは分かりません。
本堂の前に着いたので、ここでも無事に根岸稲荷まで行けるようお参りをしました。
お参りしてから向拝を撮ってみました。
ついでに、向拝柱の飾り物をアップで撮ってみました。
又、本堂の色彩鮮やかな壁の飾り物も撮ってみました。
本堂の左に、ご覧のような石仏があったので撮ってみましたが、由緒などは分かりません。
山門の後に像がいたので撮って、丸山教に向いました。
尚、光明院の名前はコース案内には載っていませんでしたが、お参り出来てラッキーでした。
<丸山教>
光明院の山門を出て、光明院の横の道に行ってみると、鳥居の先にご覧のような二股の松がありました。
「ご法聖地」の案内板には、丸山教の理想とする『日の出に松の御代』と書いてありました。
尚、伊藤六郎兵衛が丸山教の教祖ですが、何故、伊藤教ではなく丸山教にしたのですかね!?
御利益がありそうなので、「ご法塔」と一緒に二股の松を撮ってみました。
丸山教の東門が閉まっていたので、元の道に戻ると右側にご覧のような正門がありました。
正面に大教殿、左側に丸山幼稚園がありますが、今日は休園なのか園児はいませんでした。
取り敢えず、参道を通って大教殿に向かいました。
参道の左側に手水舎がありましたが、中へは入れませんでした。
手水舎の後ろに、松霊殿があったので撮ってみましたが、何をする所なのか分かりません。
大教殿に着いたので、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
大教殿の正面が、ご覧のようなガラス張りだったので上がってみました。
大教殿の中はご覧のようになっていました。
大教殿でお参りしたので境内を散策することにしました。
大教殿の前に、北原白秋の多摩川音頭の詩碑(多摩の登戸六郎兵衛さまよ 藤は六尺藤は六尺いまさかり)があったので撮ってみました。
丸山会館の右側に、御法殿があったので撮ってみました。
御法殿も何をする所なのか分からなかったので、扁額(神道丸山教泰祠宇)を撮ってみたのですが・・・
教祖御試石があったので撮ってみました。
この石(房州石 28貫)は、教祖が72日間の断食行納めの日(明治20年10月24日)に奉納されたみたいです。
池の隣りに、多摩川音頭で歌われてる藤棚があったので撮ってみました。
丸山教を後に、次の長念寺に向かうことにしました。
<長念寺(ちょうねんじ)>
コース案内に従って10分程歩くと、長念寺の参道に着きました。
山門を撮ってみましたが、境内には法要で来ている人達がいました。
尚、山門は市の重要歴史記念物に指定されています。
左側にご覧のような鐘楼があったので撮ってみました。
鐘楼の手前に大きな香炉(?)があったので撮ってみましたが、近くに案内板はありませんでした。
境内はご覧のように修復工事中でしたが、本堂は修復工事が終っているみたいです。
取り敢えず、本堂に行ってお参りをすることにしました。
本堂も市の重要歴史記念物に指定されています。
お参りしてから向拝の彫り物が素晴らしかったのでアップで撮ってみました。
長念寺を後に、二ヶ領用水に出て「紺屋前の堰」に向いました。
<二ヶ領用水>
コース案内に従って、二ヶ領用水まで歩きますが、木陰のない平坦な道を歩くので炎天下はキツイです。
二ヶ領用水に着いたので、涼しそうな川辺に下りて歩くことにしました。
川辺は途中で途切れていて、台和橋の手前で炎天下の道路に出ることになってしまいました。
<紺屋前の堰(こうやまえのせき)>
台和橋の先に行くと、ご覧のような休憩所がありました。
近くに、<紺屋前の堰>の案内が出ていたので、ここで昼食を取ることにしました。
昼食を取ってから、休憩所の脇を流れる二ヶ領用水を撮ってみました。
休憩所から道路に出ると、紺屋前堰記念碑があったので撮ってみました。
先程の台和橋を渡って、コース案内に従って次の真福寺に向かいました。
<明王山不動院真福寺>
府中街道を渡ってから、最初の細い道を南の方に行くと真福寺がありました。
真福寺の後ろに赤いノボリが見えたので行ってみました。
赤い鳥居があって、石段の上にはご覧のような立派な祠がありました。
交通安全地蔵尊の前に戻って山門に向いました。
本堂でお参りしてから扁額を撮ってみましたが、不動尊と書いてあるのですかね!?
失礼して本堂の内部も撮らせていただきました。
真福寺を後に、裏山から東生田緑地に向いました。
<東生田緑地>
坂道を暫く上ると、標識<この先行き止まり>が出ていたので、道に迷ったかと思いました。
「日向山の森 案内図」で現在地を確認すると、そのまま直進すれば東生田自然遊歩道に出れそうでした。
遊歩道に出て坂道を暫く上ると、民家の脇にご覧のような山道がありました。
山の中に入ると、ご覧のような山道なので遊歩道ですね!
山道を暫く上ると、「日向の丘」に着きました。
近くにあった案内版で確認すると、根岸稲荷は近くに載っていました。
案内板に従って山道を下ると、県道13号線(横浜生田線)の根岸稲荷歩道橋の手前に着きました。
<根岸稲荷>
歩道橋の右側に、ご覧のような根岸稲荷のノボリがありました(ホッ!)。
石段の下から小田急線から見える赤いノボリを撮ってみました。
石段を上る切ると、ご覧のような小さな祠(お稲荷さん?)がありました。
取り敢えず、お稲荷さんをアップで撮ってみました。
根岸稲荷を後に、歩道橋を渡って向ヶ丘遊園駅に戻ることにしました。
<三峰神社>
コース案内に三峰神社が載っていたので立寄ってみました。
近くに、根岸古墳群が載っていたのですが、見当たらなかったので代わりに竹林を撮ってみました。
竹林の中に入ろうと思ったのですが、植生管理していて中へは入れませんでした。
ご覧のような竹林脇の石段を下って府中街道に出ることにしました。
<龍鳳寺>
途中から住宅地に入って歩ていると龍鳳寺の表札(?)が出ていました。
正規のお寺のようなので正面から撮ってみました。
住宅地を抜けると府中街道で出れたので、道に迷うことなく向ヶ丘遊園駅に戻ることが出来ました。
向ヶ丘遊園駅に着いたので、南口に出て軽く飲んで帰ることにしました。
今回の「向ヶ丘遊園駅~東生田緑地」は、神社仏閣を回りながら根岸稲荷に着けたので満足しています。
尚、万歩計はそれなりに歩いたので18,000歩を超えていました。
実は、通勤電車から小田急線の生田駅と向ヶ丘遊園駅のほぼ中間で稲荷神社(根岸稲荷)の赤いノボリが立っているのが気になっていました。
<善立寺(ぜんりゅうじ)>
向ヶ丘遊園駅北口で降りて、コース案内に従って暫く歩くと善立寺がありました。
参道脇に「供養塔と水争い」の碑があったので、昔、二ヶ領用水の分配争いがあったのですね!?
取り敢えず、本堂に行って道に迷わないで根岸稲荷まで行けるようお参りをしました。
本堂の内部は撮れなかったので山号「龍燈山」を撮って境内を散策することにしました。
七面堂があったので撮ってみましたが、堂内には大七面天女(大明神)と聖観世音菩薩が祀られているみたいです。
又、近くにご覧のような三十番神堂があったので撮ってみました。
「三十番神の由来」に依ると、『三十番神は、毎日交替で国家や国民を守る法華経を守護する諸天善神である。・・』と書いてありました。
小窓があったので堂内を覗くと、1日熱田大明神、2日諏訪大明神・・・30日吉備大明神が祀られていました。
善立寺を後に、次の登戸稲荷社に向かいました。
<登戸稲荷社>
五社乃宮を後に、暫く歩くと津久井道の高架下の先に、ご覧のような大木のある登戸稲荷社に着きました。
取り敢えず、鳥居を撮ってみましたが、境内ではお宮参りの参拝客と近くの幼稚園の園児が遊んでいました。
お宮参りの邪魔をしないように、斜めから社殿を撮ってみました。
立派な向拝の彫り物を撮って、社殿の後に回ってみました。
仕切り壁の木彫が見事だったので撮ってみました。
外壁に、漆喰による龍(?)のコテ絵が描かれていたので撮ってみました。
火灯窓の隣りにもキツネのコテ絵があって、下には奉納者の名前も記されていました。
登戸稲荷社を後に、次の丸山教に向いました。
<光明院>
丸山教に向かっていると、途中に光明院があって、ご覧のような色彩鮮やかな山門がありました。
山門に仁王様がいたのですが、ガラスで反射していて上手く撮れませんでした。
代わりに、山号「稲荷山」の扁額を撮ってみました。
山門をくぐると、本堂(左)と客殿(右)が見えたので撮ってみました。
本堂に向かっていると、左側に聖徳太子堂があったので撮ってみましたが、由緒などは分かりません。
本堂の前に着いたので、ここでも無事に根岸稲荷まで行けるようお参りをしました。
お参りしてから向拝を撮ってみました。
ついでに、向拝柱の飾り物をアップで撮ってみました。
又、本堂の色彩鮮やかな壁の飾り物も撮ってみました。
本堂の左に、ご覧のような石仏があったので撮ってみましたが、由緒などは分かりません。
山門の後に像がいたので撮って、丸山教に向いました。
尚、光明院の名前はコース案内には載っていませんでしたが、お参り出来てラッキーでした。
<丸山教>
光明院の山門を出て、光明院の横の道に行ってみると、鳥居の先にご覧のような二股の松がありました。
「ご法聖地」の案内板には、丸山教の理想とする『日の出に松の御代』と書いてありました。
尚、伊藤六郎兵衛が丸山教の教祖ですが、何故、伊藤教ではなく丸山教にしたのですかね!?
御利益がありそうなので、「ご法塔」と一緒に二股の松を撮ってみました。
丸山教の東門が閉まっていたので、元の道に戻ると右側にご覧のような正門がありました。
正面に大教殿、左側に丸山幼稚園がありますが、今日は休園なのか園児はいませんでした。
取り敢えず、参道を通って大教殿に向かいました。
参道の左側に手水舎がありましたが、中へは入れませんでした。
手水舎の後ろに、松霊殿があったので撮ってみましたが、何をする所なのか分かりません。
大教殿に着いたので、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
大教殿の正面が、ご覧のようなガラス張りだったので上がってみました。
大教殿の中はご覧のようになっていました。
大教殿でお参りしたので境内を散策することにしました。
大教殿の前に、北原白秋の多摩川音頭の詩碑(多摩の登戸六郎兵衛さまよ 藤は六尺藤は六尺いまさかり)があったので撮ってみました。
丸山会館の右側に、御法殿があったので撮ってみました。
御法殿も何をする所なのか分からなかったので、扁額(神道丸山教泰祠宇)を撮ってみたのですが・・・
教祖御試石があったので撮ってみました。
この石(房州石 28貫)は、教祖が72日間の断食行納めの日(明治20年10月24日)に奉納されたみたいです。
池の隣りに、多摩川音頭で歌われてる藤棚があったので撮ってみました。
丸山教を後に、次の長念寺に向かうことにしました。
<長念寺(ちょうねんじ)>
コース案内に従って10分程歩くと、長念寺の参道に着きました。
山門を撮ってみましたが、境内には法要で来ている人達がいました。
尚、山門は市の重要歴史記念物に指定されています。
左側にご覧のような鐘楼があったので撮ってみました。
鐘楼の手前に大きな香炉(?)があったので撮ってみましたが、近くに案内板はありませんでした。
境内はご覧のように修復工事中でしたが、本堂は修復工事が終っているみたいです。
取り敢えず、本堂に行ってお参りをすることにしました。
本堂も市の重要歴史記念物に指定されています。
お参りしてから向拝の彫り物が素晴らしかったのでアップで撮ってみました。
長念寺を後に、二ヶ領用水に出て「紺屋前の堰」に向いました。
<二ヶ領用水>
コース案内に従って、二ヶ領用水まで歩きますが、木陰のない平坦な道を歩くので炎天下はキツイです。
二ヶ領用水に着いたので、涼しそうな川辺に下りて歩くことにしました。
川辺は途中で途切れていて、台和橋の手前で炎天下の道路に出ることになってしまいました。
<紺屋前の堰(こうやまえのせき)>
台和橋の先に行くと、ご覧のような休憩所がありました。
近くに、<紺屋前の堰>の案内が出ていたので、ここで昼食を取ることにしました。
昼食を取ってから、休憩所の脇を流れる二ヶ領用水を撮ってみました。
休憩所から道路に出ると、紺屋前堰記念碑があったので撮ってみました。
先程の台和橋を渡って、コース案内に従って次の真福寺に向かいました。
<明王山不動院真福寺>
府中街道を渡ってから、最初の細い道を南の方に行くと真福寺がありました。
真福寺の後ろに赤いノボリが見えたので行ってみました。
赤い鳥居があって、石段の上にはご覧のような立派な祠がありました。
交通安全地蔵尊の前に戻って山門に向いました。
本堂でお参りしてから扁額を撮ってみましたが、不動尊と書いてあるのですかね!?
失礼して本堂の内部も撮らせていただきました。
真福寺を後に、裏山から東生田緑地に向いました。
<東生田緑地>
坂道を暫く上ると、標識<この先行き止まり>が出ていたので、道に迷ったかと思いました。
「日向山の森 案内図」で現在地を確認すると、そのまま直進すれば東生田自然遊歩道に出れそうでした。
遊歩道に出て坂道を暫く上ると、民家の脇にご覧のような山道がありました。
山の中に入ると、ご覧のような山道なので遊歩道ですね!
山道を暫く上ると、「日向の丘」に着きました。
近くにあった案内版で確認すると、根岸稲荷は近くに載っていました。
案内板に従って山道を下ると、県道13号線(横浜生田線)の根岸稲荷歩道橋の手前に着きました。
<根岸稲荷>
歩道橋の右側に、ご覧のような根岸稲荷のノボリがありました(ホッ!)。
石段の下から小田急線から見える赤いノボリを撮ってみました。
石段を上る切ると、ご覧のような小さな祠(お稲荷さん?)がありました。
取り敢えず、お稲荷さんをアップで撮ってみました。
根岸稲荷を後に、歩道橋を渡って向ヶ丘遊園駅に戻ることにしました。
<三峰神社>
コース案内に三峰神社が載っていたので立寄ってみました。
近くに、根岸古墳群が載っていたのですが、見当たらなかったので代わりに竹林を撮ってみました。
竹林の中に入ろうと思ったのですが、植生管理していて中へは入れませんでした。
ご覧のような竹林脇の石段を下って府中街道に出ることにしました。
<龍鳳寺>
途中から住宅地に入って歩ていると龍鳳寺の表札(?)が出ていました。
正規のお寺のようなので正面から撮ってみました。
住宅地を抜けると府中街道で出れたので、道に迷うことなく向ヶ丘遊園駅に戻ることが出来ました。
向ヶ丘遊園駅に着いたので、南口に出て軽く飲んで帰ることにしました。
今回の「向ヶ丘遊園駅~東生田緑地」は、神社仏閣を回りながら根岸稲荷に着けたので満足しています。
尚、万歩計はそれなりに歩いたので18,000歩を超えていました。